第二十二話「それは許されざる傲慢か」

 大人たちは、少女のことを“神童”と、もてはやした。


 学校の成績はもちろん、ピアノにバイオリン、習字に生け花、絵画にダンスに英会話、果ては自転車競技に至るまで。

 少女は齢十歳にして、そのすべてにおいて常に最高の成績を残し続けてきた。


 進む道がどれほど苛酷であっても、親の期待に応えることが彼女の幸福であり、生きる希望であった。



「よくやったね、茉莉亜マリアはお父さんの宝物だよ」

「お母さんも茉莉亜ちゃんのことを誇りに思うわ」

「うん! お父さんやお母さんのために、茉莉亜はもっともっと頑張ります!」



 両親に褒められ、屈託のない笑顔を見せる少女。

 だがそれと同時に、優しい父母の顔から笑みが消える。



「おやおやいけないよ。返事は“うん”じゃなくて“はい”だろう?」

「……はい。ごめんなさい、お父さん」

「いい、茉莉亜ちゃん。頑張るのは当たり前のことなのよ。みんなそうしてるんだから」

「……はい。ごめんなさい、お母さん」




 そして運命の日、関東一位を決めるジュニアピアノコンクールの当日。


 空は重い雲に覆われ、音もなく降り始めた小雨がコンサート会場の屋根を静かに濡らしていた。


 大きなコンクールとはいえ、親の期待を背負い全国を目指す少女にとっては通過点にすぎない催しだった。

 体に不釣り合いなピアノの前に座り、スポットライトを浴びて、いつも通りただ弾くだけだ。


 呼吸を整え、少女が指先をピアノに添えた、そのとき。



「あ……れ……? なに、これ……?」



 白と黒の鍵盤が、ぐにゃりと混ざり合った。


 小さな体は、糸を切られた操り人形のように、力なく崩れ落ちる。





 過労であった。



 多くの習い事をはじめ、少女に課せられたハードなスケジュールの数々は、とても十歳の肉体が耐えられるものではなかった。

 病室の白い天井を眺めながら、少女はカーテン越しに両親の話す声を耳にした。



「とても残念だよ。これで今年の全国大会はおじゃん・・・・だ」

「そうねえ。来月のバレエコンクールにも影響が出るかも……」

「茉莉亜もとんでもないときに倒れてくれたものだよまったく」

「ほんと、あの子ったらレッスンにいくらかかったと思ってるのかしら」



 ああ、そうか。


 おとうさんとおかあさんが褒めてくれていたのは。


 わたしじゃなくて。




 一等賞をとる、人形おもちゃだったんだ。





 ………………。



 …………。



 ……。





 奇しくも、あの日と同じく。


 太陽は重い雲に覆われ、いまにも小雨が降り始めそうな暗い空であった。





 傲慢怪人ネーヴェルは勝利を確信していた。


 必殺のレッドパンチは多数の人質人形によって封じられ、その他の攻撃は全て触手によって阻まれる。

 こうなってしまっては最後、もはやオリジンフォースにはネーヴェルに対抗できる手段がない。



「あとふたり、たったふたりでオリジンフォースは全滅……! そしたらネーヴェルちゃんが一番強い……! これでまた……ゼスロ様に褒めてもらえる!」


 ネーヴェルは触手をうねらせ、逃げ場を失った赤と青の戦士を校庭の中央に追いつめる。

 万が一にもレッドパンチを撃たせないためだ。


 北東京の狭いグラウンドではどの方向に撃ったとしても必ず校舎に被害が及ぶだろう。

 このためだけに小学校というフィールドにオリジンフォースをおびき寄せたのだ、今さら逃がしたりはしない。



「必殺レッド煙幕!」



 突如、オリジンレッドが大地を踏みつけた。

 ヒーロースーツの身体強化をもってしての強烈なフットスタンプである。


 校庭の砂が舞い上がり、もうもうと立ち込める。



「その程度の目くらましで……ウザいんだけど!!」



 ネーヴェルの触手攻撃はもとより命中精度など二の次である。

 多少の視界不良など構うものかと、ネーヴェルは全触手を総動員して攻撃を開始する。


 だがそれと同時に、土煙の中から一陣の青い風が飛び出した。



 オリジンブルー・いつきは校舎に向かって全力で校庭を駆け抜ける。



「ーーーッ! いまさら校舎の中に逃げようったって、そうはいかないんだから!」



 しかしネーヴェルの予想に反し、いつきは校舎の壁を蹴った・・・

 そのまま一歩、二歩と走る勢いを落とすことなく垂直な壁を駆け上がる。


 そしてついには壁にかかった大時計を踏み割り、屋上へと達した。



「私が! いちばん! だァァァァァァッ!!!」



 触手を伸ばしていつきを追っていたネーヴェルであったが、その言葉に大きく目を見開く。

 ぶよぶよとした本体に溜まった水分が、ゴポポポポと一瞬で沸騰する。



「いちばん上はァ! ネーヴェルちゃんの場所だァァァァァァァ!!!!!」



 クラゲのような巨体が大きく揺れたかと思うと、校庭の土をえぐり、校舎の壁を破壊しながら屋上で待ち構えるいつきに追いすがる。


 ネーヴェルは空高く飛び上がった。

 いつきのみならず、校舎さえも見下ろす高みへと。



「ザコの分際でネーヴェルちゃんを見下すなんて、万死ばんしあたいするんだけど! もう絶対に許さない。生きたままぐちゃぐちゃに引き裂いてやるんだから!!」


 最大限の恐怖と屈辱を与えてやるとばかりに、ネーヴェルは触手を大きく開いて青い無礼者に迫る。


 だがマスク越しで見えないはずのオリジンブルーの顔は、恐怖ではなくどこか勝利の確信に満ちているように感じられた。



「今です、オリジンレッドさん!」

「ーーーッッッ!!!???」



 ネーヴェルは慌てて赤いヒーロースーツを探す。



「空には障害物もねえ! 人質もいねえ!」



 暑苦しい声が、触手に覆われたネーヴェルの真下・・から聞こえた。


 オリジンレッドはブルーを追ったネーヴェルを、更に追って・・・・・、校舎の壁を駆け上がってきたのだ。



「し、しまッ……」



 気づいたときにはもう遅い。

 既に拳は、太陽の如く真っ白な輝きを放っている。





「必殺! 対空レッドパンチ!!!!!」





 閃光が、空にきらめいた。




「ぜっ、ゼスロさまああああアアアァァァァァァァ…………!!」




 拳から放たれた強烈無比な一撃のエネルギーは、怪人の身体のみならず。

 曇天を貫き、空を真っぷたつに割って成層圏にまで達した。



 反動で吹き飛ばされたオリジンレッドの身体は、重力に引かれ校庭の固い砂地に叩きつけられる。




「オリジンレッドさぁぁぁぁん! とうッ!」



 屋上から飛び降りたいつきは、マスクを脱ぎながらすぐさまオリジンレッドに駆け寄ると、ボロボロの身体を抱き起こす。



「ご無事ですか!?」

「おうよ、こんぐらい屁でもねえ。それよりいつきのほうこそ、怪我ァねえか?」

「……はい。おかげさまで」



 青みがかったポニーテールがしゅんと垂れる。

 オリジンレッドは今にも泣きだしそうないつきの頭を、よくやったと言葉を発するかわりに優しくなでた。


 そして同時に思う。



(もうこれ以上、いつきを危ない目にあわせるわけには、いかねえかもな……)



 世の治安を乱す怪人を討ち倒し、市民の平和を守ることはヒーローの使命である。

 もちろん戦いが避けられない以上、大きな危険が伴うのは承知の上だ。


 だが脅威に身をさらし命を張るの戦士は、なにもいつきである必要はないはずだ。


 もっとも守るべき者に背中を預け、危ない橋を渡り続けるぐらいならば。

 上層部の首を縦に振らせるための言い訳を考えたほうが、よっぽど気がやすまる。


 それに、はやめにいつきを送り返すという義姉との約束もある。



「お、オリジンレッドさぁん……あの、そろそろ」

「えっ? あっ、おう。すまねえ」



 考えごとをしながらずっといつきの頭をなで続けていた太陽は、思わず手を引っ込める。


 褒められ続けて照れているのか、いつきの顔は耳まで真っ赤に染まり、大きな瞳は少しうるんでいた。


 この愛しい姪っ子をただ守りたいと思う素直な気持ちは、はたして傲慢なのだろうか。



 答えはまだ、出ない。




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