第九話「ヒーロー辞めますか」

 西池袋に本店を構えるカレー専門店『さんばる館』は、知る人ぞ知る名店である。


 柔らかく煮込んだ七面鳥、オマール海老、とろける牛すじ。

 空海陸の食材をふんだんに使ったスペシャルデラックスさんばるカレーはまさに、ほし生命いのちを全身で感じることができる至高の一皿なのだ。


「お待たせいたしましたー。スペシャルデラックスさんばるカレー中辛ジャンボロースカツと温泉卵に三種のチーズと高原野菜ダブルトッピングのお客さまー」

「へへっ、俺です。ふへへっ」


 太陽の後輩・栗山は、まるで前衛芸術じみたカレー皿を前に下卑げびた笑みを漏らす。


「ワンコインカレー中辛のお客さまー」

「…………はい」


 いっぽう太陽のカレーには具が入っていなかった。



 運ばれてきたふたつのカレーは、見た目からして三倍ほどのボリューム差があった。

 ちなみに余談ではあるが、お値段差は七倍である。


 栗山はドブのような目を四白眼に見開き、気色の悪い笑みを浮かべながらカレーと太陽の顔を見比べる。


「いやあー、奢られちゃあ仕方ないなあー。これは不可抗力、なんて悪質なカレーハラスメントなんでしょうねえー」

「いいから黙って食えよ」

「仕方ないでしょう。作戦参謀本部いわく、これもイメージ戦略ってやつらしいですよ。クソ忌々いまいましい」


 こう見えて栗山は、ヒーロー本部の看板チーム・東京本部直属の『正義戦隊ビクトレンジャー』に名を連ねる男だ。

 同チームのビクトイエローが広報戦略の一環として“カレーキャラ”を推して一部の食品会社と提携を結んでいるため、グリーンである栗山は自由にカレーを食べることはおろかコンビニのカレーまんですら口にすることを許されない身なのである。


 ゆえにこうして先輩からのハラスメントという形で、定期的に大好物であるカレーを食べなければならない・・・・・・・・・・名分を得るているのだ。

 嫌が応にも注目を浴びやすいエリートヒーローチームが抱える、彼らなりの苦悩というやつである。


 太陽自身がかつて“エース”だったころにも似たようなことはあった。

 それを知っているからこそ、こうして目をかけているのだ。


「いやー、カレハラこわいなー。でも先輩が食えって言うんだもんなあー。いやー、断れないなあー」

「へいへい。そいつは悪うござんしたね。福神漬けとラッキョウも食えこの野郎」


 一皿で焼肉食べ放題なみの金額に達する“庶民の味”に舌打ちをしながら、太陽もスプーンを手に取る。

 人通りもなければ遮蔽物もないところに朝から晩まで十時間も後輩を放置した詫びが、カレー一杯で済むなら安いものだ。


「……マジで悪かったよ。無理言った上に忘れてて。今日はいろいろあったんだよ」

「みたいですね。俺の知ったこっちゃないですけど。それより先輩、どうするんです?」

「どうするって、なにが?」

「決まってるでしょ。いつきちゃんのことですよ」



 いつきの名を出され、カレーを口に運ぶ手が止まる。



 新生不屈戦隊オリジンフォース。

 その一翼を担う“オリジンブルー”は、太陽の姪『蒼馬そうまいつき』である。


 ヒーロー本部内でどういった行き違いがあったのかはわからない。

 だが彼女はオリジンブルーとして、オリジンレッド・太陽の前に現れた。


「そりゃあお前、辞めさせるさ。仕方ねえだろ」

「え、それこそ不味まずいんじゃないですか?」

「……そうなのか?」

「オリジンフォースを復活させたのって上層部でしょ? 発足数日でひとり辞めるってなったら守國もりくに長官のメンツ丸つぶれじゃないですか」



 いったいその情報をどこから仕入れたのだと問いただしたいところだが、おそらく栗山には独自の情報網があるのだろう。

 東京本部直轄チームの一員なだけあって、さすがに耳ざといやつだと太陽は思う。


 しかし栗山の言うことももっともだ。

 どういうわけかオリジンフォースの復活計画は、人事編成室ではなく長官主導・・・・のもとで行われている。


 ようするにヒーロー本部を挙げての一大事業ということだ。

 オリジンブルーを私情で解任するわけにはいかないどころか、ひとりとして欠けようものならその責を負うのは他ならぬ守國長官ということになるだろう。


「なあ栗山。どうやったらいつきを辞めさせられると思う?」

「先輩、俺の話聞いてました? 辞めさせるなんて無茶ですよ。長官の推薦状までついてたんでしょ? さすがにケツ持てませんって」

「冗談じゃねえ。これからずっとうちの隊で面倒見ろってのか?」

「いいじゃないですか。先輩ずっとオリジンフォースを復活させたいって言ってましたし。規則上も問題ないでしょ?」


 同チーム内で血縁関係があるのは珍しいことではない。

 実際に守國長官自身も、チームの紅一点であった女性隊員と現役活動中に入籍している。


 十七歳という年齢についても、実のところさしたる問題にはならない。


 民間委託契約ヒーローも含めればその最年少は驚くなかれ、なんと九歳である。

 それに太陽自身がオリジンレッドとして初めてマスクを被ったのも、十七歳の春であった。


 つまるところ、ルールには則っている。



 だが確実に言えるのは。

 いつきがヒーローとして活躍するということは、その身を重大な危険に晒すことを意味するのだ。



「そうだけどよ……怪我でもしようもんなら気が気じゃねえよ」

「先輩が過保護すぎるだけですって。存外いつきちゃん、“エース”になっちゃったりするんじゃないですかね」

「ったく、ひとごとみたいに言いやがって」

「みたいもなにも、実際ひとごとですし」



 そう、栗山は知らないのだ。

 いつきが何故ヒーローとしてオリジンレッドの前に現れたのかを。



「そりゃ俺だって、いつきのことなら応援してやりてえとは思うよ。姪っ子だし。けどよ……」



 太陽は、自身に。

 “オリジンレッド”に抱きついてきたいつきの姿を思い出す。


 十年間、彼女は憧れのヒーローとしてオリジンレッドの背中を追い続けてきたのだ。

 怪我よりも警戒すべきいつきの危うさというのは、まさにその憧憬である。


 赤いかつての英雄は、ヒーローとしてのいつきを支える芯の部分に、深く太い根を張っている。



「けど……なんです?」



 言葉に詰まる太陽に、栗山はどろりとよどんだ目を向ける。


 外見通り性根こそ腐ってはいるが、この栗山にもヒーローとしての芯はあるのだ。

 無論いまの太陽にも、けして折れることのない心の支えというものはある。


 だがいつきのそれは、純度100%のまがいものだ。



「……なんでもねえ。食わねえんだったらそのカツ俺によこせ」

「ああっ! ちょっと、それ俺のカツですよ!」

「うるせえやい、もとは俺の金だ!」



 太陽が騒がしく池袋のカレー屋をあとにし、栗山と別れたころには既に夜の九時を回っていた。




 ………………。



 …………。



 ……。




 太陽が玄関を開けると、リビングには明かりがついていた。

 きちんとそろえられたゴツいブーツは、間違いなく今朝いつきが履いていたものだ。


 てっきり今日はヒーロー本部の医務室で寝泊まりするものだと勝手に思い込んでいた手前、太陽は少し驚いた。


「いつき? 帰ってるのか?」


 しかし返事はない。

 いつきに占領されている寝室も覗いてみたが、靴下が脱ぎ散らかされているだけであった。


「…………?」


 首をかしげる太陽の耳に、バチバチという音が聞こえた。


 太陽は音がしたバスルームへと忍び寄る。

 だが不思議なことに、明かりはついていない。


 ちらりと様子を窺ってみると、いつきの背中が見えた。


「ふふふ……私ってやっぱり天才……」


 浴槽を覗き込みながら、太陽の存在にも気づかないほど集中してなにかをしているようだ。

 バチバチという漏電じみた音が鳴るたび、いつきの手元が青白く光を放っている。


 太陽は音を立てないよう慎重に、浴室の明かりのスイッチに手をかけた。


「なにやってんだいつき」

「んひょわアアアアアーーーーーッ!!」


 突然声をかけられたいつきは、頓狂とんきょうな声をあげながら手に持っていたものを浴槽の中に取り落とした。


「あっ、やば!!」


 いつきは急いで湯舟からなにかを引き上げると、それを背中に隠しながらまるで油が切れたおもちゃのようにギギギと振り向く。


「あはっ、あははー……おかえりおじさん……」

「なにやってんだこんなところで明かりもつけずに」

「お風呂に入ろうと思って……」


 悪戯を咎められた子供のようにぎこちない笑みを浮かべてはいたが、いつきはまるで昼間のことなどなかったかのようにけろっとしていた。

 太陽はひとまず、いつきが五体満足の無事でいてくれたことに安堵する。


「はあ……ったく。風呂なんか一日ぐらい入らなくても大丈夫だっての」

「そんなことないもん! おじさんデリカシーなさすぎ!」

「ガス出ねえって言ったろ? 近くに銭湯あるらしいから、明日行ってくりゃいい。それと、いま隠したのはなんだ?」


 太陽はそういって、いつきの細い腰から飛び出した銀色の物体を指さす。

 銀色で無骨なフォルムは、少女の小さな背中にまるで隠れ切れていなかった。


 一般人ならおもちゃか、ちょっといかついドライヤーの類と思うかもしれない。


 だが実のところ、太陽はそれの正体をよく知っていた。

 見間違いようもない、最新型の“オリジンシューター”である。


 ガスが出ないはずの湯船から立ち込める湯気を見て、太陽は察した。

 いつきはヒーローの秘密兵器を使って、あろうことか風呂を沸かしていたのだ。


「ななな、なんでもないよ! ほんとなんでもないから!」


 一瞬の隙を突き、まるで風のような身のこなしでいつきは太陽の脇をすり抜けた。

 そしてそのまま自分の部屋へと、流れるように身体をすべり込ませる。


 扉が閉まる直前に、太陽はかろうじて指をかけてそれを阻止した。


「いつき、いいから見せなさい。おじさん怒らないから」

「やだ! それ絶対怒るやつだもん!」

「あだだだだ! ゆびぃ! ゆびがあああああ!!」


 太陽は扉の隙間からぎゅっぽんと指を引き抜くと、半べそになりながら指にふーふーと息をかけた。


 わずかに開いた扉の隙間から、いつきが申し訳なさそうな顔を覗かせる。


「おじさん、ごめん……ゆび大丈夫?」

「お、おう。おじさん頑丈だからな、へーきへーき……」

「あのね……いまはその、詳しく話せないの。でもいつか絶対話すから……ほんとにごめんなさい」


 眉毛をハの字にして謝る姿に、いつぞやの義姉の影が重なる。



「……謝んなくていいから、さっさと寝な。明日もはやいんだろ?」

「うん……おやすみ……」



 扉は音もなく閉じた。


 ほんとうは今すぐ、危険なヒーロー業なんか辞めろと言ってしまいたい。

 だが栗山の話を思い出した太陽は、それ以上なにも言うことができなかった。


 なにより今この場でいつきがヒーローであることを追究すれば、オリジンレッドの正体にも言及せざるをえなくなる。



 いつきをヒーローたらしめているものがオリジンレッドでさえなければ、太陽もまた違った答えを出したかもしれない。


 だが太陽自身がよく知る通り、オリジンレッドの正体はどうしようもなく彼女の叔父、火野太陽・・・・なのだ。


 いつきは未だに太陽をただの公務員だと思い込んでいる。

 しかし残酷な真実だけは、どれだけ時を経ようがけして変わることはない。


 十七歳の少女にとって、十年という時間は、虚像を追うにはあまりに長すぎるのだ。



 太陽はため息をつきながらベランダの窓を開いた。


 挟んだ指に、冷たい夜風が心地よい。




 もはや腹をくくるしかないのだろうか。



 隊員は誰ひとりとして、欠くことは許されない。

 そしてそのためにも、太陽はいつきの前では“オリジンレッド”であり続けなければならない。



 提示された条件は至ってシンプルだ。


 不屈戦隊オリジンフォースの一員として、いつきの面倒を見る以外に道は残されていないように思えた。




「ままならねえなあ……」




 夜空を見上げると、月はやはり、半分欠けていた。



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