この動画は再生できません。

 里紗は画面に映る文字列を見つめた。呼吸をしばらく止めて、深く吐いた。マウスを動かして別の動画にポインターを合わせる。サムネイル表示は黒く塗りつぶされていた。同じ文字列が表示されることをわかりつつ、震える指先でひとつひとつの動画を開いていった。

 何年か前に、動画投稿サイトに掲載されていた映画解説動画が一斉に削除されたことがあった。いわゆるファスト動画という、映画の映像等を無許可で使用した動画が、著作権の侵害で訴えられ、逮捕者も出る騒ぎになった。芳樹がそのような動画を投稿していたとは思えない。それだけは信じている。

 投稿サイトからのメッセージには、権利侵害の通報があったためだと書かれていた。不服がある人のための窓口も紹介されていた。クリックは、結局しなかった。身体からは力が抜けて、背もたれに上半身を預けた。

「ひどいね」

 つぶやいたら、目の端が滲んできた。

「どうして里紗が泣いてるの」

 後ろから芳樹が声を掛けてきてくる。優しい声色だった。

「泣いてないよ」

「泣いてるよ。声が震えているし」

 芳樹は隣に立って、マウスを握る里紗の手に触れた。マグカップが机に置かれる。半分ほど入っていたミルクティの水面が揺れて、すぐに凪いだ。

 ミニシアターから帰ってきた里紗は、室内の静けさに驚いた。芳樹の靴はあるのに、気配がまるでしなかった。芳樹の部屋のパソコンの前で芳樹が立ち尽くしていた。里紗に気づいて振り返った彼は、終わったみたいとつぶやいて、力なく微笑んでいた。

「好き勝手言ってた罰だね、これは」

 芳樹はマウスを奪って画面を閉じた。デスクトップには大きな月の画像が載っている。その月の半身をなぞるように様々なアイコンが並んでいた。マウスが動いて、電源のアイコンに近づいたところで、里紗が呼び止めた。

「動画は復活させようよ。こんなの、何かの間違いだよ。違法になるようなことしてなかったんでしょ?」

 芳樹の手を今度は里紗が握った。細い指先は異様に冷たく感じられた。

「もういいんだよ。最初は楽しかったけど、しんどいこともあったし。とにかく真剣にやり過ぎたんだよね」

「真剣なのは、悪いことじゃない」

「良い悪いの問題でもないよ」

 芳樹はそう言って、里紗と向かい合った。その顔からは悲しみも怒りも読み取れなかった。二つの黒い瞳を見ているのがつらくなり、里紗は目をそらした。

 里紗が手をどけないままでいると、芳樹が空いている方の手でマグカップを握った。里紗にサイトの状況を見せている間に、芳樹がキッチンで作ったカフェオレだった。甘い香りを漂わせながら、芳樹はマグカップを見つめて、薄い笑みを浮かべた。

「動画作るの、結構楽しかったよ。ひとりで部屋にいるのに、話しているとだれかの顔が浮かんでくるんだ。その誰かに向けて、自分が作品から感じたこととか、わかったことを伝えていく。どんどん本心が言えるようになった。けど、同じ心の片隅でこうも思ったよ。口が悪くなったなって。里紗も聞いてて思っただろう?」

 里紗は答えなかった。芳樹の動画を見て、つらくなったこともあった。強い口調は、たとえ主張が正しくとも、芳樹の口から聞きたくなかった。それでも、芳樹の気持ちを削ぎたくない。言うわけにはいかない。そう思って、言いたいことを封印し続けてきた。

「のめり込んだっていいことなんかないんだよ」

 どいてと言われて、里紗は芳樹の手を放した。パソコンの電源が落ちる。暗くなったスクリーンに、二人分の人影が頼りなく立ち尽くしていた。

 甘いものが食べたい。強烈に里紗は思った。甘くて弾力があって、芳樹の好きなもの。それを芳樹と一緒に食べたかった。それだけで良いとさえ思った。何か作ろうかと声を掛けようとしたが、すでに芳樹は里紗と目を合わせずに部屋を出ていった後だった。

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