「39」遠出

 俺はひたすらに自転車を漕いでいた。

 日常生活で自転車に乗る機会は多々あるだろうが、それで遠出するのは初めてのことであった。

 しかも、県を一つ横断してさらにその隣りの県にあるヒマワリ畑に行こうというのだから無謀にも思えた。

 それでも俺はヒマワリを摘んで来なければならない。


──まぁ、ただヒマワリを手に入れるだけならそこら辺に生えているだろうし、わざわざ遠出せずとも近所の花屋で購入すれば良いだけの話である。

 だが、人一人の生命を左右するかもしれない重大なことなのだ。そんな簡単に済ませるわけにはいかない。


 何より、こういうのは人の思いや熱意が重要なのだ。ハズィリーのためにも──全力でやれることをやるだけだ。

 そうして俺が選んだヒマワリの花畑は、ここから八十キロもの距離があった。

 何も此処じゃなくても良かったのかもしれないが、過去の俺は何も場所を示しちゃくれない。

 自分で考え、正解と信じた場所に向かうしかないのである──。


 目的地へ向かう手段としては、色々と考えた。

 バスや電車を使えば、数時間で目的の場所に着くことができただろう。

 でも、それで目的地に辿り着いて何になるのだ。そこには何の苦労もない。それなら、近所で花を買うのと何ら代わりはない。


「ハァ……ハァ……」

──過酷だ。

 俺が選んだのは蛇の道であった。


 ペダルを漕いでいるだけなのに、上り坂が多いせいで息が上がってしまった。


 路肩に停まって、地図を見る。

 それなりにペダルを漕いだから目的地に近付けただろう──全然進んでない。

 信号や人通りもあるので、快調に飛ばすこともできない。このペースじゃ、半日どころかまる一日掛かってしまうかもしれない──。


 俺としてはそれでま構わないが、その間にハズィリーが目覚めてしまうとも限らない。

 何とか明日の朝までには病室へ戻らなければならない。


 俺はすぐに地図をしまい、ハンドルに手を置いた。

 時間的にギリギリか。一刻の有余もない。

 ひたすらにペダルを漕ぎ続けなければ──。


 それ以外に方法はない。

 疲れても──。

 息が上がっても──。

 足が動かなくなっても──。

 ひたすらに進むしかない。

 それが、俺が決めたことであるのだから。


 でなければ──。


 自然と、俺の顔は強張っていた。

 最悪の事態が頭を過ぎる。

 生命の灯火が消えていく瞬間が、脳裏に浮かんだ。


──そうしなければ後悔することになるかもしれない。


 どうしても重なってしまうのは娘の笑顔だ。

 あと一歩のところで俺の手は娘には届かなかった。

 間に合わなかったのだ。

 俺のせいで、娘は凄惨な目に合ってしまった。


──ハズィリーは死なせない。

 もう娘の二の舞いは御免だ。


 未来でどうあろうとも関係ない。

 今の彼女を生かすために、俺は全力でやれることをやるだけだ。

 今、俺に出来る事は必死でペダルを漕ぐことだけである。


 頭に弱音や疑念、怠惰、不安や焦燥──色々な感情が浮かんだが、俺はそれらを無視して、ハズィリーのためにひたすら前進していったのであった。

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