「24」消えた妻の行方
会計を済ませ、プレゼントを手にした俺は貴美子の姿を捜した。
衣類コーナーに居るはずだった貴美子の姿はそこにはなく、店内を捜してみたが見つける事はできなかった。
もしかしたら、他の店を見に行ったのかもしれない。気になるものでもあったのだろう。人が多くて俺に声を掛けられず、すぐ戻るつもりで移動したのかもしれない。
そう思ったが──妙な胸騒ぎがした。
貴美子のことだ。数回しか会ってはいないが丁寧な性格であることは分かっていた。
理由がどうあれ、俺に黙って勝手に移動するなんて考えられるだろうか。
店を離れ、ショッピングモールの中をあちこち歩いて捜し回った。
俺の悪い予感は的中したようで、いくら捜しても貴美子の姿を見付けることは出来なかった。
「あの、すみません!」
焦った俺はその足で、サービスカウンターへと駆け込んだ。
「どうされましたか?」
「連れと逸れてしまって、呼び出して頂きたいのですが……」
──広い施設内で人一人を探すというのはさすがに辛かった。漏れがあるかもしれないので、建物全体にアナウンスをしてもらって呼び出すのが一番手っ取り早いだろう。
サービスカウンターの前のベンチに腰掛け、呼び出しアナウンスが流れる中、俺は顔を伏せた。
「どこに行ってしまったんだ……」
目を離した隙に忽然と姿を消してしまった貴美子──。何事もなければ良いがと、不安になる。
いくら待てども貴美子からの反応はない。
この場に貴美子が姿を現すことはなかった。
俺の不安はどんどん強くなる一方であった。
「あっ、待てよ……!」
大事なものを忘れていた。
俺はバッグの中に入れられた携帯電話を取り出した。
簡単な話しだ。これで貴美子に連絡を取れば良い。最初からそうしておけば良かったのだ。
自分の間抜け具合に呆れつつ、俺は携帯電話を操作して連絡帳を呼び出した。
──貴美子が登録されていない。
連絡帳に表示されるのは『おばさん』やお店の名前くらいのもので、家族の電話番号すら登録されていなかった。
当然、貴美子の電話番号を知らないので、これでは掛けようがない。
「糞っ!」
何で登録していないんだと、過去の自分に対して苛立った。
理由があったわけではない。単なる物臭だろうと、自分自身のことを理解した。
なら、記憶的にはどうだろう。娘の時もそうであったが、未来で今日に通じる何かしらのヒントが出ていたかもしれない。
未来で貴美子は何か言っていなかったか──?
──いや、別に思い当たることはない。
それなら──俺は別の視点で考えてみることにする。
この時の俺は、どういう行動を取ったのか──?
最愛なる貴美子の姿が忽然と消えてしまって、それで諦めて家に帰ったのだろうか。
──勿論、そうではない。
何か心当たりがあったのだろう。そこへと向かい、そして貴美子と合流することができた。
だから貴美子にとっては何でもないこと──わざわざ話題に上げる必要すらない、些細なことであったのだろう。
物知らぬ俺だからこそ、重大な失踪事件に直面しているように思えているのだろう。
過去の俺には心当たりがあったとしても、今の俺には分からない。
何か手掛かりはないものかと、バッグの中を漁った。
そういえば──と、思い返してパンフレットを取り出した。単なるデートプランが書かれていた以外に、何かメッセージが残されていたはずだ。
『五十嵐の妨害に注意せよ!』
ページをパラパラと捲り、その文章へと辿り着く。
その時は流し読んでいたので頭に入っていなかったが、さらにそれには続きがあった。
『奴は、貴美子さんを手に入れるためにどんな汚い手でも打ってくるだろう。何かあったら奴を疑え! 五十嵐を信じるな! 奴らに油断するな』
──文章から怨念が伝わってくる。
余程、俺は五十嵐を目の敵にしているのだろう。
そして、実際にそれは正しかったようである。
『妨害』──恐らく、俺はこのことを予見していたのだろう。五十嵐がデートの邪魔をしてくると、端から身構えていたようだ。
貴美子が行方を晦ましたのも、五十嵐の仕業なのだろうか──?
まぁ、まだそうと決まったわけでもないのだが、五十嵐の存在が気掛かりになった。
だが、五十嵐に行き着く手掛かりを俺は持っているのだろうか。パンフレットには流石に五十嵐の居場所までは書かれていない。当時の俺に、宛があったかどうかも定かではない。
自力で見付けるしかないのだろうか。
俺はパンフレットをバッグの中にしまって、顔を上げた。
──ふと、視界の隅で何かが動いたのが見えた。
正確には誰かが物陰に入ったのがちらりと見えたのだ。
「あれは……」
その人影に見覚えがあるような、ないような──。
特徴的な龍の刺繍があしらわれたパーカーが何となく印象に残っていた。確か、喫茶店で見掛けた四人組の一人──ガラの悪い男である。
向こうも俺に気付いているのか。
──いや。俺に見付からないように隠れたようにも見えた。もしかしたら、喫茶店からずっと尾行されていたのかもしれない。
貴美子の行方を知っているかもしれない。
俺はガラの悪い男に堂々と近付いていった。
すると、ガラの男も俺の気配を察知したようである。素知らぬ顔で物陰から出ると、他人を装ってゆっくりとその場から離れようとした。
──怪しい。
「おい!」
俺はガラの悪い男を呼び止めた。
──ところがガラの悪い男は俺の呼び掛けを無視して、遠ざかっていく。
「待て! おい!」
ガラの悪い男がズンズン進んでいくので俺は急いで後を追った。
人気のない連絡通路に来た辺りで、俺は堪えきれなくなってガラの悪い男の肩を掴んでやった。
ガラの悪い男は眉間に皺を寄せた。こうなっては相手をしないわけにもいかない。足を止めて、俺の顔を睨み付けてきた。
「なんだコラァ?」
「妻をどこにやった!」
「妻ぁ? し、知らねぇなぁ……」
ガラの悪い男は素っ頓狂な声を上げたものである。この時はまだ俺は貴美子と結婚していないので、俺の妻に心当たりがないのは当然であろう。
「貴美子さんはどこだ!?」
俺は言い直し、ガラの悪い男の胸倉を掴んでやった。
──今度は通じたようである。
ガラの悪い男は「ふん」と鼻を鳴らした。
「だから、知らねぇって言ってんだろ! ……だいたい、知っててもお前なんかには教えねぇしさ」
明らかに知っている人間の反応である。貴美子の居場所を知っていて、俺には伝える気がないらしい。
──さて、どうしたものか。
一発ぶん殴ってやっても良いが、それで素直に吐くとは思えない。
「何が望みだ?」
「はぁん?」
俺が振り上げ掛けた拳を下ろしたので、ガラの悪い男は首を傾げた。
「そうだな……じゃあ、これでどうだ?」
平和的に解決する手段が一つしか思い付かなかった。
到底、受け入れられそうもないが、俺は財布を取り出してガラの悪い男に差し出した。
「どういうつもりだよ?」
「俺は貴美子の行方さえ分かればなんだって構わないのさ。金なら払う。だから、知ってたら教えてくれ。勿論、お前から聞いたってことは誰にも言わない」
断られるのは承知であった。
──しかし、ガラの悪い男は俺の申し出を頭ごなしに断ったりはしなかった。それどころか、少し悩んでいるようだ。
「いくらあるんだ?」
「え……?」
意外な反応が返ってきて、逆に困惑してしまう。
俺は財布からお札を全て取り出すと、ガラの悪い男に差し出した。
ガラの悪い男は俺の手から札束を受け取ると、枚数を数え始めた。
「チッ! 湿気てやがる!」
高価なブローチを買ってしまったので大金を持っているわけではない。ガラの悪い男は不服そうな顔になっていた。
交渉決裂になるかもしれないと身構えた。
「……まぁ、いいだろう。教えてやるよ」
──ところが、ガラの悪い男は俺から受け取ったお札を乱雑にポケットに突っ込んだ。
「え、いいのか?」
「あぁ。どうせ教えたところで、お前にはどうすることもできないだろうからな……」
呆気に取られたが、のんびりしている場合ではない。
ガラの悪い男の気が変わらない内に聞き出すことにする。
「それで、貴美子さんはどこに居る?」
「今、丁重にご案内しているところだよ。話があるからと車に連れ込んで眠らせたところさ」
ガラの悪い男はそう話しながら携帯電話を取り出した。ゆっくりと自然な動作に、俺はそのことを気にも止めていなかった。金だって払っているのだ。こうして情報だって教えてくれている──。
だが俺は──操作をし始めたガラの悪い男の手から携帯電話を奪い取った。
「何をしやがるっ!?」
頭の中に、過去の俺が書き残してくれた忠告文が思い返される。
『奴らに油断するな』
「仲間に連絡でもするつもりだろう? こいつは没収させてもらうぜ」
「なんだと、この野郎っ!」
ガラの悪い男が飛び掛かってきたので、俺は思いっ切りその顔面を拳で殴り付けて返り討ちにしてやった。
風体に似合わず、ガラの悪い男は後ろに倒れて動けなくなった。
「いてて……」
「デートをぶち壊した罰だ。これで勘弁してやるよ」
痛めた拳を振りながら、俺は倒れたガラの悪い男に馬乗りになる。
「貴美子さんはどこだ? さっさと答えろ!」
「ちゅ、駐車場だ。まだ居ると思う……」
戦意を喪失したらしいガラの悪い男がブルブルと震えながら答えた。
「駐車場か……」
俺はチラリと壁に設置されている施設の案内図に目を向けた。駐車場はここからそう遠くない場所にあるようだ。走っていけばすぐに着くだろう。
「車が出る前に急がないとな……」
──とは言え、逃げられては堪らない。
俺はガラの悪い男をその場に残すと、貴美子を救い出すため駐車場に急いだ。
〜〜〜〜〜
「ふんっ、馬鹿が!」
俺の姿が見えなくなると、ガラの悪い男は立ち上がって毒づいた。
「いくら捜したって見つかるわけがねえってぇのに……騙されやがった。馬鹿な奴だぜ」
ニヤリと口元を歪め、ガラの悪い男は俺が去ったのとは反対方向に歩き出した。
〜〜〜〜〜
そんなガラの悪い男の背中を、俺は物陰に隠れながら見ていた。
──『奴らに油断するな』
まさに、その忠告通りであった。
素直にガラの悪い男の言葉を信用するわけにはいかない。俺は一度物陰に隠れ、ガラの悪い男の動向を伺った。
結果はご覧の通りである。
携帯電話を俺に取られたのだから、仲間に連絡をするには直接その場に行くしかない。
それなのに、ガラの悪い男が向かおうとしているのは駐車場とは反対方向だ。
俺に嘘の情報を伝えたのであろう。
一旦は隠れてやり過ごしておいて正解であった。
俺はこれまでとは逆のパターン──追う側だったガラの悪い男の後ろをコソコソと尾行し、後をつけていくことにしたのであった。
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