「22」恋のライバル
待ち合わせ早々、手近な喫茶店に入ろうというのだから妻の心証としてはあまりよくないようだ。
俺としては、それでも構わなかった。
不機嫌そうに向かいの椅子に座る妻を前に、俺はメニューを広げて見せてやった。
あくまでもここは急場しのぎ。兎に角、時間稼ぎができれば良い。落ち着いて今後のプランについて考えられる時間が欲しかったのである。
俺は適当にアイスティーやらクッキーやらを注文すると、トイレに行くと席を立った。
店の入口付近にある男女共用の個室トイレに入ると、ドアを閉めて鍵を掛けた。
椅子代わりに便座に座り、持っていたバッグの中を漁る。記憶にはないが、今日の日のために俺は何かしらの準備をしていたはずだ。
ガイドマップが目につき、手に取ってみる。
本にはこれまでの、私の頑張った軌跡が残されていた。ページの角がいくつか折れていて、地図にも書き込みや赤丸がされている。
二重線やバツ印で消されているところも多く、あれこれ思案していたことが伺える。
赤色の線で道がなぞられ、ショッピングモールまでのルートが記されていた。恐らく、此処で買い物をする計画を立てていたのだろう。よく考えたものである。その後は、高級レストランで食事をするつもりだったらしい。
──ここまで綿密に計画を立てているのだから、相当に気合を入れていたのだろう。まさか、俺自身にそれを邪魔されるなどとは過去の俺も思ってはいないだろうから申し訳ない気持ちになってしまう。
せめて、このデートを成功させてやることが過去の俺への報いになるのではないか。
俺は心の中でそう誓ったのであった。
さて、余り妻を一人で待たせるのも如何なものだろう。トイレに篭りっきりだと、体調でも崩したのではないかといらぬ心配をされてしまいそうである。
俺はバッグにパンフレットを戻すと、レバーを下ろして水洗トイレを流した。
そして、何食わぬ顔をしてトイレから出たのであった。
妻が頬杖を突きながら外の景色を眺めているのが見える。トイレから出た俺の姿には気付いていないようだ。
「お待たせしたね!」
俺は少し早足で席に戻ると、申し訳なさそうに頭を下げた。
既に注文していた品が届いていたようで、テーブルに並べられていた。
「あら、お帰りなさい」
妻はこちらに顔を向けると、ニッコリと笑った。
妻もどうやら俺が戻るのを待ってくれいたらしく、食べ物には手付かずだった。
「すみません、お待たせして……」
「いいえ。別に構いはしませんわ。それよりも、この後はどうなされるのですか?」
妻に尋ねられ、頭の中でガイドマップを思い浮かべる。
「梅鯖駅前にできた大型ショッピングモールに参りましょうよ」
「梅鯖駅前……」
妻は上目になり、俺の言葉を繰り返しながら考える素振りを見えた。
──嫌なのなだろうか?
過去の俺のプランもあるが、妻の好みだってあるだろう。ニの手三の手があるわけではないので、拒否されないだろうかと不安に思ったものだ。
「ああ! 最近、できたところですわね。大々的に宣伝しておりましたものね!」
「ええ。そちらへ向かおうと思ってます!」
俺はアイスコーヒーに口をつけ、一気に飲み干した。クッキーを口に詰め込むと立ち上がろうとした。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
慌てた妻に止められたので、ハッとなる。
気が焦ってしまったが、ここまで妻は何も手を付けずにトイレに行った俺を待ってくれたのだ。
それを急かすのはどうだろう──。
「あ、いや……。すみません。ごゆっくりどうぞ……」
俺が席に座ると、妻もゆっくりと飲み物に口をつけ始めた。
妻のお陰で、少し心に余裕が出来た。
妻が飲み終えるまで手持ち無沙汰になった俺は周囲の景色をキョロキョロと眺めることにした。
──ふと、視線を感じた。
壁際にある四人掛けのテーブル席──ガラの悪い厳つい四人組の男たちが、何やらこちらを鋭い目つきで見ていた。
特に目を引くのが、龍の刺繍があしらわれたパーカーを着た男である。サングラスをかけた彼は一人だけ堅気の人間には見えなかった。
四人組の男たちは俺と目があっても、目線を逸らそうとはしない。
──どうやら、このデートも一筋縄ではいかないようだ。
俺は溜息を漏らしながらテーブルの下でガイドマップを取り出して見た。そういえば、気になる注意書きが余白に書かれてあったのを思い出した。
『五十嵐の妨害に注意せよ! 奴は、貴美子さんを手に入れるためにどんな汚いことでもしてくるだろう──』
──五十嵐。
その名を妻──もとい、貴美子が口にしていたことを思い返す。
再び俺は、テーブル席へと目を向ける。
四人組の中でも一際体格の良い角刈りの男と目が合った。
四人の中でも、一番俺に向けている敵意は大きい。
「あいつが五十嵐か……」
俺は相手を認識するようにじっくりと男の顔を見た。
そして、貴美子の前──水面下でバチバチと火花を散らしたのであった。
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