「21」馴れ初めデート

 目の前の妻はお化粧をバッチリして、おめかしをした妻が立っていた。

「あら嫌だわ、急にぼーっとしてしまって……」

 妻は困ったように小首を傾げ、頬に手を当てていた。

「あ、ああ。申し訳ない……」

 状況が掴めず俺は呆然となりつつも、妻に謝った。


 此処は家の中ではない。

 ネオンの煌めく繁華街──。

 そこに、娘の姿もなかった。


「あら、嫌ですわ。なんだか余所余所しくて他人行儀みたい。いつも通りに接してくださいよ」

 妻はいたずらっぽく笑ってみせた。

 いつも通りと言われても──どうすればそれに当てはまるのか、俺には想像もつかなかった。


 お決まりの様に、先ずは現状を探るためにキョロキョロと辺りを見回した。

「……でも、驚きましたわ」

 妻がそう呟いたので、俺は視線をそちらに向けた。

 何か情報を聞き出せるかもしれない。

 そう思って妻に目をやると、妻もジーッと俺の顔を見詰めてきた。

「私、五十嵐さんにお誘いを受けていたんですけれど……強引に遊びに行こうってお誘いになるんですもの」


──えっ?

 思わず眉間に皺が寄ってしまう。


 妻は顔を赤らめて、恥ずかしげだ。別に冗談でそう言ったわけではないようだ。

 それにしても五十嵐とは誰だろう。初めて聞く名前である。


「あの、大丈夫ですか? ご気分が悪いというのでしたら今日はこのくらいでお開きにします?」

「あ、いや。そういうわけじゃないんだ。心配掛けて申し訳ない」

 俺はフルフルと左右に首を振るった。

「そうですか……。それでしたら良いのですが……」

 妻は腑に落ちない様子であったが、俺の言葉に頷いてくれたのだった。


「それで、これからどちらに行かれるのですか?」

 首を傾げ、妻がそう尋ねてきた。

 何処に行くのかと問われても困るところであるが、どうやら誘ったのは俺の方であるらしいのでリードはこちらがしていかなければならないようだ。


「あそこに行こうか」

 取り敢えず視界に入った適当なお店を指差した。

 小綺麗な外装をした中々オシャレな喫茶店だ。


「はぁ……。参りましょうか」

 妻の反応としては余り良いものではなかった。

 間に合わせというのが目に見えて明らかであったからだろう。


「娘はどうしているんだ?」

 喫茶店に向かって歩きながら、俺は妻に尋ねた。少しくらい突っ込んだ質問をしてしまっても大丈夫だろう。友人宅にでも預けているのだろうか。

「娘、ですか……?」

 妻は怪訝な表情になって首を傾げている。

 俺は少しばかり妻の態度を不審に思いつつも、さらに言葉を続けた。

「何を言ってるんだ? 俺とお前の娘じゃないか」

──その瞬間、妻が足を止めた。


「え……?」

 俺もそれに合わせて止まり、振り返って妻の顔を見た。


 妻は眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな顔になっていた。

「太蔵さんこそ、何を言ってるんですか? あまり変なことを言わないで下さいよ」

 その声のトーンは、とても冗談を言っているようには聞こえなかった。


 俺は、妻の言葉が理解出来なかった。何が言いたいのかよく分からない。

 単に娘の居場所を聞いただけなのに、何故そこまで責められなければならないのか。

「私たち、付き合ってもいませんよね? これ以上、おかしな事を口にされるのでしたら……不機嫌ですので、帰らさせて頂きますわ」

「あ、いや……お気を悪くされたのでしたら、謝ります。すみません……」

 俺は慌てて頭を下げた。


──下げつつ、頭の中がグシャグシャになっているのを感じた。


 娘がいない──。

 俺と妻はまだ付き合っていない──。


 娘が生まれる──まだ、俺と妻が愛を育むずっと前に時間をどうやら退行してきたらしい。自ずと、娘とはろくに別れの挨拶が出来ぬまま今生の別れとなってしまったようだ。

 将来的に会えるだろうが、時間を遡っている俺にはもう会える機会はない。

 二度と会えないと分かると、何だか物悲しい気持ちになってしまう。


 あの家族三人で寄り添っていた時間は幸福なものであったのだと、改めて実感させられた。


 そして──同時に目的も判明した。

 あの幸せな将来を再現させるためには、ここで妻と親しくなっておかなければならないということなのだろう。

──娘の時の二の舞いは踏みたくない。


 将来の俺が明るい未来を取り戻せるように、俺は妻とのデートを慎重に挑むことにしたのであった。

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