「09」あるはずのないもの

 俺は息を吐くと、額にビッショリと浮かんだ汗を上着の袖で拭った。

 そして、娘の言葉を思い返した。


──お父さんは凄いね。

──近くに居る。


 それらの言葉から察するに、どうやら娘はこの尼崎遊園地のどこかで監禁されていることに間違いないようだ。

 後は、娘が懸命に残してくれた言葉をヒントに、場所を割り出していくしかない。

 俺はベンチに腰掛け、入場ゲートで係のお姉さんから渡されたパンフレットを広げた。『園内マップ』のページを開き、それをマジマジと見詰めたものだ。

 地方の遊園地とはいえ、それなりの敷地を有している。隈なく探すとしても一時間で回り切ることができるか怪しいところである。

 闇雲に探し回ったところで、娘のところへ辿り着くはずがない。現に、到着してから園内を走り回ったが何の情報も得られていない。


「何処だ……何処に居るんだ……?」

 俺は頭を掻きながら、パンフレットに描かれた園内マップに視線を走らせた。

──落ち着け。

「落ち着くんだ……」

 自分に言い聞かせるように言葉を口にした。

 パニックになっている場合ではない。娘が残してくれた言葉から、ヒントを導き出すんだ──。


 誘拐犯との電話──最後、誘拐犯は慌てて娘の言葉を遮り、電話機を奪ったように思えた。

 何か誘拐犯にとってマズいことを口にしようとしたから、それを止めようとした──?

 娘の言葉を、思い返してみる。


『暖簾のある定食屋さんで、お店の名前は……きゃあっ!』


──暖簾?

──定食屋さん?

 店の名前を口にしようとしたところで、それが制された。


 娘が自分の居場所を俺に伝えようとしていることに勘付いたから、それを止めたのだろう。

 傍らでそれを聞いていて、慌てたのだ。

 ただ、俺の言葉が誘拐犯に聞こえていないのは確認済みだ。そうであるなら、もっと前段階で話しが打ち切られていただろうし、誘拐犯の逆鱗に触れたはずである。

──そうならなかったということは、誘拐犯の耳には俺の言葉が届いていなかった──つまり、娘が発した言葉の中に誘拐犯にとって不利益を被る情報が含まれていたということである。

 それはいったい、何なのか──。


 そう言えば、気になる点はもう一つあった。


──お花畑。


 唐突に、娘は思い出話を語り出した。何か誘拐犯に気付かれないように間接的なヒントが散りばめられた言葉なのだろう。

 その手掛かりとして、未来の娘の姿が頭に浮かんだ。


『アネモネの花はね、今でも私の宝物なのよ。お父さんに居場所を教えるヒントにもなっていたんだから……』


──居場所を教えるヒントになっていた。

 確かに、未来の娘はそう言っていたはずだ。


「アネモネの花ね……」


 やはり、俺と娘とを繋ぐのはあの花なのだろうか。

 アネモネの花壇を背景に笑みを浮かべる娘の写真を思い出し、それが何処にあるのか気になった。

 簡略化して描かれてあった園内マップのイラストからは、それを見つけ出すことは出来なかった。


 俺は現在地を見る。どうやら、近くに『園内案内カウンター』なる施設があるようだ。

 俺はベンチから立ち上がるとそこへ向かい、カウンターに座る従業員のお姉さんにアクリル板越しに尋ねてみた。

「すまないが、園内の何処に花壇があるのかお聞きしたいのですが……。アネモネの花が咲いていて、『尼崎遊園地』という碑石があるところなんですが……」

『花壇でしたら、そちらに御座いますが……』

 従業員のお姉さんが手近な花壇を指すが、俺は首を振るった。アスターやダリアの花は咲いているが、そこに肝心のアネモネの花はない。

「いえ。アネモネの花が咲いている花壇が知りたいのですが……」

『アネモネ、ですか……?』

 当然であろうが、お姉さんは困った様な表情を浮かべた。アトラクションや施設の案内ではなく、植えてある花の場所についての質問だ。いくら案内担当のお姉さんでも、咲いてある花の品種までは把握していないだろう。

『少々、お待ちください』

 それでも調べる宛はあるようだ。従業員のお姉さんは俺を邪険にするでもなく、すぐに電話機を取って何処かに問い合わせをしてくれた。

『はぁ……そうですか。承知しました。そのようにお伝えします』


 従業員のお姉さんは電話機を卓に戻すと、困った表情になって俺の方を向いてきた。

「ええっと……申し訳ありませんが、記録上ではアネモネの花を植えたというデータはないようでした」

「え、いや……そんなはずは……」

「当園の花壇は三ヶ所あり、従業員の方で確認してみましたが見付けることはできませんでした」

「……え? はぁ?」

 従業員のお姉さんの言葉に、頭が真っ白になってしまう。そんな馬鹿なことがあるだろうか──。

 確かに、花壇にアネモネの花は咲いているはずである。俺はそれを──先の未来で見たんだ!


 それでも、申し訳なさそうな顔をしている従業員のお姉さんに対してこれ以上食い下がることはできなかった。一応、持っていた園内マップに花壇の場所をマークしてもらい、それっきり案内カウンターは離れてしまった。


 そんな──!

 これまで散々出て来たアネモネの花が存在していないことを知り、俺の視界はぐにゃりと回ったのであった。

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