「08」捕らわれの娘
──テンッ、テレレッ、テンッ!
遊園地をがむしゃらに走っていると、携帯電話の着信音が鳴った。
俺は足を止め、画面に目を向ける。
非通知からの着信だった──。
俺は画面を操作すると、それを耳に当てた。
『おい! 時間厳守と言った筈だが? 何処に居る?』
──誘拐犯からの連絡だ。
強い口調で言われ、俺はハッとなって遊園地に設置されている時計盤に目を向けた。
いつの間にか、約束の時間が過ぎてしまっていたらしい。夢中になり過ぎて、身代金を引き渡す時間のことを忘れてしまっていた。
「……あ、いや……」
何と答えたら良いものか──言い訳を考えるが思い浮かばず、俺は口篭ってしまう。まさか、素直に遊園地まで来ていることを伝えるわけにもにいくまい。
『約束の場所に来いと言った筈だが? 娘の命がどうなってもいいってことだな!?』
「すまない……」
誘拐犯は相当に苛立っているようだ。自分が優位に立ちたく、俺が思い通りに動かないので一段と強気に出て来ているのだろう。
ここで刺激するようなことを言え、衝動的に娘に危害を加えかねない──。
そう判断した俺は逆らわず、素直に謝ることにした。
「大金だからな……。金を集めるのに思いの外、時間が掛かってしまっているんだ。申し訳ないが、もう少し待って貰えないだろうか……」
『宛はあるんだろうな?』
「あぁ……。大丈夫だ」
『そうか……。まぁ、確かにそうかもしれんな……』
口から出任せで、何とか事をおさめられたようだ。
こちらがお金を支払うつもりだという誠意を見せたことが良かったのかもしれない。誘拐犯も納得してくれたらしく、口調も少し穏やかになっていた。
『なら、もう一時間ばかり待ってやるよ。それでどうだ?』
「それなら、何とか出来そうだ。すまない……」
『なら一時間後に……。場所はまた、こちらから指定する』
誘拐犯がそう結びの言葉を口にしたので、俺は慌てて声を上げた。
「待ってくれ!」
このままでは、電話を切られてしまう。
『……何だぁ!?』
どうやら間に合ったらしく、終話ボタンは押されなかったらしい。不機嫌そうに誘拐犯が尋ねてきた。
「すまないが、娘と話をさせて貰えないだろうか……」
『何だと?』
「娘のことが心配なんだ……。不安で……これじゃあ、何も手を付けられやしない」
必要以上に俺は声を震わせ、演じてみせた。
この時点でまだ娘が無事であるという確証が、一応欲しいところであった。
『うーん、そうだなぁ……』
誘拐犯は少し考える様に唸る。
『これで最後になるかもしれないからな……まぁ、良いだろう』
もう後がないという意味が含まれているのだろう。縁起でもないことを誘拐犯が口にしたので、俺はゴクリと唾を呑み込んだ。
『……もしもし、お父さん?』
誘拐犯と代わり、娘が電話に出た。
その声を聞いた俺は安堵した。
だが、感慨に耽っている場面ではない。
どれくらい娘と話しが出来るかは、全て誘拐犯の裁量によるのだ。伝えたいことを急いで伝えなければならない。
「必ず助けに行く。だから、お前の居る場所のヒントが欲しいんだ。どんなに小さな情報でもいい。それを元に、俺は必ずお前の元に辿り着くから。もしかしたら、後、一言二言で電話を切られてしまうかもしれない。だから、些細なことでもいいんだ。……俺は今、尼崎遊園地に居るぞ」
──危険な賭けであった。
もしも、携帯電話がスピーカーモードになっていて、犯人も一緒に内容を聞いていたなら、すぐに電話を切られてしまっていただろう。
だが、前半部分で誘拐犯が割り込んで来なかった時点で、誘拐犯はこのやり取りを聞いていない──。
『お父さんは凄いね』
次に聞こえきた娘の声も穏やかであることから、切迫した状況でないことが伺えた。
『ねぇ、お父さん、憶えている? 前に、みんなでお花畑に行ったことを……。アネモネの花が咲いているお花畑よ』
「え……? あぁ……」
唐突に、思い出話が語られ始めたが、過去を知らぬ俺にはピンと来るものはなかった。
『そこのお店のドアに入って、私怒られちゃったじゃない?』
「何を言って……?」
『私、独りぼっちで寂しくて泣いちゃったの。夜だから電気もなかったけど、あの時はお店の人に怒られちゃったね』
しかし、それでも娘はしつこく思い出話を口にする。思い出話──?
いいや、もしかしたらこれは何かのヒントなのかもしれない。思い出話に擬装して、娘は何かを俺に伝えてきているのだ。
俺は娘の言葉を聞き漏らさないように耳を澄ました。
『暖簾のある定食屋さんで、お店の名前は……きゃあっ!』
『思い出話に浸るのは、それくらいにしてもらおうか!』
誘拐犯の声が割り込んでくる。
娘は乱暴に、誘拐犯から電話を取り上げられてしまったらしい。
『いいか? 次はないぞ。後、きっかり一時間だからな。それ以上は、こちらもさすがに待てんぞ』
ドスのきいた声で誘拐犯は言ってきた。
今度こそ本気らしい。
約束を守れなければ、本気で娘の命を奪う気だ──。
『お父さん! 私、近くに居るから!』
不意に、娘の声が割り込んで来る。
『お前、何を訳の分からないことを!』
『……きゃあっ!』
揉み合いになっているらしくガチャガチャという物音と共に、娘の悲鳴が響いてきた。
俺は肝を冷やしつつ懇願するように誘拐犯に言った。
「頼むから、娘に乱暴はしないでくれよ……」
『ふん!』と、誘拐犯が鼻を鳴らす。
『せいぜい間に合うように、努力することだな!』
そう強く誘拐犯は怒鳴り、そこで電話を切ったらしい。
娘は大丈夫であろうか。
少なくとも、一発は俺のせいで殴られてしまっただろう。
通話が切れたことにも気付かず、俺は電話を耳に当てたまましばらく放心したのであった。
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