土塗れのバイク

 千迅と紅音は第二サーキットを後にして、次の「自動二輪倶楽部」を見学に来ていた。

 彼女達は学内で活動している部活を見学する期間にあり、その為に練習も休みとなっているのだ。たった一つのクラブ活動を見学・体験したからと言って、そのまま帰ると言う訳にもいかなかった。

 千迅と紅音は、やはりバイクに関係する倶楽部である「第三」「第四」「第五」自動二輪倶楽部を見学する事に決めたのだった。

 もっとも、「第三」「第五」もサーキットを使用してのデモンストレーションが主であり、今日は「第一」と「第二」が使用中で大きな活動をしておらず、もっぱらサーキット周辺に建てたテントで説明会やパンフレットの配布を行っていた。

 それぞれの活動に興味を抱いていた2人だが、それでも実車を見れないのでは意味がない。

 彼女達は「第三」「第五」自動二輪倶楽部の見学を翌日に回して、「第四自動二輪倶楽部」の見学へと来ていたのだった。

 ただし、ただの「見学」とはならなかった。それは……。




「きゃ……きゃ―――っ! きゃ―――っ!」


「ま……まっすぐ進めないっ!?」


 5つの自動二輪倶楽部の内、「第四」は唯一サーキットを使用しない。だからこそ今日の見学が可能だったのだ。

 更に言えば、2人は初心者向けに行われていた試乗体験にもチャレンジしていた。

 では「第四自動二輪倶楽部」とはどういった活動をしているのかと言えば……。


「きゃあっ!」


 暴れる後輪を制御しきれずに、千迅はタイヤを滑らす様にして転倒してしまった。

 ただし現在のライダースーツの性能を以てすれば、それだけで怪我の一つもする事は無い。

 もっとも、それ程頑強な装備を身に着けていなかったとしても、千迅は大怪我などしなかったのだろうが。

 何故なら今彼女達は、舗装された道路の上を走っているのではなく、未舗装で地面が剥き出しのコースを走っていたからであった。


 千迅と紅音が訪れた「第四自動二輪倶楽部」は、所謂オフロードレースを中心に活動するクラブだ。

 主な参加レースは土で作られたアップダウンの激しいコースで順位を競う「モトクロスバイクレース」だが、その他にもまるで障害物競技のような「トライアル」や、長距離疾駆レースの「エンデューロ」、何日もかけて規定コースを走破する「ラリー」等々。

 兎に角、通常のロードバイクでは走る事さえ困難なコースを設けて、そこを走破するのがメインとなっている。

 そこで必要となるのはマシンを速く走らせる事もそうだが、何よりも重要となるのは「マシンコントロール」にある。

 油断すれば……いや、していなくてもすぐにタイヤを取られるバイクを、如何にして制御しきるのか。これがライダーに求められるのだ。

 当然の事ながら、初心者がスイスイとコースを走り切るなど非常に稀な事であり。


「……あっ! きゃあっ!」


 千迅に続き、紅音もマシンの制御をしきれずに転倒してしまったのだった。

 もっとも、それ程スピードが出ていた訳でも無く、千迅や紅音が激しく転がったりコース外に設けられた緩衝材にぶつかると言った事は無かったのだが。


「は―――い。ここまでよ―――」


 何よりも、千迅達が走っていたのは体験用として本コース脇に設けられた小さく平坦なコースであり、使用していたバイクも初心者や年少者が使用する「CGF125R」であった。

 これでは余程の事がない限り、怪我の一つもしようが無いと言うものだった。


 衝撃や擦過には非常に強い性能を持つ現在のライダースーツ……所謂「ツナギ」だが、それでも唯一と言って良い「弱点」が存在する。

 それは強い外圧が加わる事による骨や関節の破損……つまりは「骨折」である。

 ただしこれは、バイクだけに付き纏う問題ではない。

 人間の身体を形成する為に骨がありそれが硬質でありながら頑強とは言い難い以上、許容を超えた圧力が掛かればそこは破損する。

 関節の稼働領域とは逆に動かそうとすれば、そこが傷つくのは仕方の無い話だ。

 故に現代の交通事故に於いて、ライダーが最も警戒すべきなのは骨折の類であるのだ。

 勿論それも、随分と軽減されているのだが。





 千迅と紅音は転倒したバイクを起こし、それを自分達で押してスタート地点まで戻って来た。

 車体は見た目よりも随分と軽いのだが、何せ足元が土で歩きにくい。慣れない二人は、思ったよりも労力を使い辿り着いたのだった。


「んふふふふ―――。どうだったぁ? 初めてだったんでしょう? オフロードレーサーは?」


 妙に色気の多い喋り口調のこの女性は、驚くべき事に「第四自動二輪倶楽部」部長の四之宮朋華である。

 陽の光を受けて淡いピンク色に見える緩くウェーブ掛かった長い髪が印象的で、耳元から流している一房を巻き髪としている。

 前髪も長く、それを片目が隠れるように流している処が更に妖艶さも醸し出していた。

 唯一見える右目はやや垂れ目気味で、そこから光る赤色を帯びた瞳が蠱惑的でもあった。

 全体的にスタイルが良く、特にライダースーツを着るとその大きな胸が強調されて、同じ女性の千迅や紅音でさえ目のやり場に困る程であった。

 そんな彼女は一言で言えば……色っぽいお姉さんと言った処だ。


「はぁ……」


「どう……と言われても……」


 結果としては、散々と言わざるを得ない。

 千迅と紅音がこのオフロードマシン「CGF125R」を乗ってコースを周ったのは、僅かに2周だけ。

 その間に千迅は7回、紅音は3回転倒していた。

 スタート地点からマシンを発進させるのもいつもの様にはいかず、タイヤが土の上を滑り抉ったりした。

 安定しないままにバイクを進めるも、殆どグリップしない路面に車体の挙動は怪しく、そのままコーナーに突入すればマシンをバンクさせる事も儘ならず。

 まるで暴れ馬を御し続ける様に、千迅達は時に大きくバランスを崩し、またある時は大きく転倒したのだった。


「まぁねぇ。オフロードのバイクもコースも初めてなんだからぁ、これはある意味で当然の結果よぉ」


 困惑気味の千迅と紅音に、朋華は優しく語りかけた。

 朋華にそんな気など無いのだろうが、その姿はまるで大人が子供をあやしている様である。


「あ……あははぁ……」


 それに対しても、千迅は愛想笑いを浮かべるだけであり、紅音に至っては押し黙ったままとなってしまった。

 それもその筈で、彼女達とて「モーターサイクル」の運転に関しては少なからず経験がある。それどころか、中等部でも自動二輪倶楽部でトップを張っていた実績があるのだ。

 そんな彼女達が子ども扱いされれば表面上は兎も角、心中は穏やかでいられる筈など無いのだ。


「でもぉ、あなた達は今の〝第一〟から部を変えようなんて考えていないんでしょぉ?」


 そんな空気を感じ取ったのか、朋華は2人にそう問い掛けた。


「そ……それは……そうです」


「当然です!」


 その質問に千迅はどう答えたものかと恐々、紅音はやや強い口調で返答した。

 2人の気持ちは全く同じであるのにこの様に声音に違いが出たのは、紅音が感情に任せて言葉を発したのに対して、千迅は幾分冷静に朋華への配慮を見せたからに他ならない。

 もっとも千迅がそんな考えを常にしているのかと言えばそうでもなく、今回はたまたまあれこれと思考した結果に過ぎないのだが。


「そうよねぇ。なら今回はあくまでも体験なんだからぁ、この経験をこれからに活かす様にすればいいのよぉ」


 感情の起伏が激しい2人……と言うよりも紅音に対して、朋華は気分を害する事も無く優し気に話した。

 それは大人が子供に……と言うよりも、先輩が後輩へとアドバイスする口ぶりでもあった。

 そしてそんな言い方をされれば、千迅は勿論紅音も比較的すんなりと受け入れる事が出来たのだった。

 その時、学内にチャイムが鳴り響く。

 下校時間が近づいた事を示すものであり、部活動を終える合図でもあった。

 当然、見学会で行われているデモンストレーションやトライアルも、この時を以て今日は終了となる。


「あらぁ? 今日はこれまでみたいねぇ。それじゃあ2人共ぉ、また興味があれば遊びに来てねぇ」


 そして朋華は、千迅と紅音に微笑みかけながらそう告げたのだった。


「は……はい!」


「また……お願いします」


 2人は頭を下げて礼を言うと、貸し出し用のライダースーツを着替える為に簡易更衣室へと向かったのだった。




「なんか……全然走れなかったねぇ……」


 着替え終え無言で寮への帰路に着いていた2人だったが、流石にその沈黙に耐えきれなくなったのか千迅が口を開いた。


「……うん」


 それに紅音はどこか考えているみたいな、それでいて意気消沈している風にも見える声音で返答した。

 第四自動二輪倶楽部を後にする際に、朋華から掛けられた言葉が幾分は彼女の気分を軽くしていたとは言え、やはり釈然としないものが心の中に蟠っているのだろう。


「でも今度乗る時は、今日よりも上手く乗れるようにすれば良いよね!」


「……今度?」


 そんな紅音を慮って……と言う事でもないのだろうが、千迅は明るくそう言い放ち、それを聞いた紅音が不思議そうに反問していた。

 それは紅音にしてみれば、考えもしなかった事でもあったのだ。


「うん。四之宮先輩も言ってたじゃん。オフロードバイクもこのコースも初めてだから仕方ないよねって。じゃあ、また次の機会があれば挑戦させてもらえば良いんだよ!」


 千迅がどこまで考えてそう発言しているのか紅音には分からないが、彼女の前向きな感想は暗く沈み込んでいた紅音の心を幾分かは楽にさせてくれていた。


「そう……そうね」


 そして彼女もまた、決して虚勢ではない笑顔を浮かべて千迅に応えたのだった。

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