ライダー交代

 千迅と紅音は、杉崎瞳に連れられてピットロードにあるガレージへと連れて来られていた。


「へぇ―――……」


 その造り自体は、千迅達の所属する「第一自動二輪倶楽部」と大きな違いはない。

 それどころか、中等部時代に使っていたサーキットにあった物の造りと差異は無いのだ。

 更に言えば、世界的に有名なサーキットにある物と、どれも大きく違っている処なんてなかった。

 では、千迅が感嘆の声を上げたのは何に対してか。

 言うまでもなくそれは、そこに据え置かれている機材や予備品の山であったり、スタッフの立ち居振る舞いだった。

 同じロードレースであるが、スプリントと耐久では何よりも使用しているバイクのスペックが違う。用途も全く異なる。それに伴って、レース中に行う作業から変わって来るのだ。

 そう言った初めて見る「中の」動きの違いに、千迅と紅音は目を奪われていたのだった。


「中々、興味深いだろ? スプリントと違って、耐久は補給やタイヤ交換をする事が前提だからね。ライダーも交代するから、休憩スペースなんてのもあるしね」


 そう言われて瞳が指さす方を見た千迅達は、ガレージ内の一角に手足を伸ばして横になる事が出来るリクライニングチェアを見つけたのだった。


「何だかあそこだけ……違和感あるね」


 それを見た紅音が、ポツリとそう感想を述べた。

 タイヤや機材、多くのチューブやコードがひしめくガレージにそんなものがあれば、確かにそう感じてもおかしくない。

 千迅もそのコーナーを目にしながらウンウン頷いていた。


「だろう? レース中にライダーの交代もあるからね。ガレージの裏手にスペースを作る処もあるけど、戦況をすぐに把握出来るって点でウチは此処に造ってるんだ」


 そんな彼女達の考えをすぐに理解した瞳が、補足説明としてそう付け加えたのだった。

 それを聞いて、千迅達もまた納得する事となった。


 作業の邪魔になると言う点で、ライダーがガレージ内で寛ぐと言うのには賛否もある。

 何よりも狭く限られたスペース内にその様な場所を設ければ、絶え間なく作業を続けるピットクルーたちのモチベーション低下にも繋がりかねない。

 余程の信頼関係が無ければこの様な事は出来ず、この「第二自動二輪倶楽部」の面々はそれを持ち合わせていると言って良かった。


「ちょっと先輩ぃ。忙しくなるんですからぁ、さぼらないで下さいよぉ」


 そんな千迅達に、奥から出てきたライダースーツの少女が声を掛けて来た。


 身に着けているスーツは千迅達と同じデザインのもので、鮮やかな緑色をしている。

 ただ今は上半身を脱いで両手部分を腰のあたりで括って止めている。勿論、Tシャツを着ているので裸であると言う事は無い。

 脱色しているのかと思うくらい色素が抜けている長い髪はポニーテールに結わえられていて、見様によっては金色に見えなくもない。

 髪と同じく薄い茶色をした眼は、彼女を外国人かと思わせる風貌に仕立て上げていた。


「ああ、ゴメンゴメン。今、見学者の案内をしていてね」


 そんな少女に、瞳は頭を掻きながら謝罪していた。

 もっとも、その少女の方には本当に瞳を責めているという雰囲気は無いのだが。


「ああ、紹介しとくね。この娘は二年の『鹿島弥生かしまやよい』。ウチのエースライダーよ」


 瞳は弥生の肩を抱き引き寄せると千迅達に紹介した。

 千迅達もそれぞれ名乗り、簡単な自己紹介を済ませていた。


「先輩ぃ。その紹介ぃ、いい加減やめて下さいよぅ。それにぃ今更〝第一〟の娘に詳しく説明してもぉ、入部してくれる可能性なんてないでしょう? だったらぁ、こっちの方を優先して下さいよぉ」


 千迅達の素性を知った弥生は、顔を赤くしながらも気の抜ける台詞で抗議していた。

 それを受けた瞳は、バツの悪そうな笑顔を浮かべていたのだが。


「まぁ、そう言うなって、弥生。同じ翔紅学園の生徒だし、同じバイク乗りじゃんか。お互いに上を目指してるんだ、何かの役に立つ事なら協力しても良いだろ? ああ、そうだ。良かったら、ちょっと乗ってみるか?」


 何とも気さくな瞳は、そんな弥生の言葉など気にした様子もなく反論し、それどころか千迅達が思いもよらなかった提案をして来たのだった。


「そ……それは……。良いんですか……?」


「え―――っ!? やった―――っ! 良いんですかっ!?」


 そして千迅と紅音は、全く正反対の反応を返していた。

 紅音は「そんな事をしても良いのか?」と言う意味で答えたのだが、千迅の方はと言えば降って湧いた幸運に思わず口にした喜びの意味だ。

 それがそれぞれ分かるのか、直後に二人は互いの顔をみて意思疎通を試みていた。


「まぁ、問題ないだろ? 一ノ瀬さんと速水さんのキャリアは申し分ないだろうし。先導は弥生に任せるよ。丁度着替えてるようだしね」


 そんな二人の無言で行われている問答を感じ取ったのか、瞳はアッサリとそう決定した。


「まぁ、そう言うと思ってましたけどねぇ」


 呆然とする千迅と紅音を余所に、弥生は頭を掻いてそんな台詞を口にしていた。

 彼女はここで異論を唱える事の無意味さを悟っているのだ。


「それじゃあ2人共、更衣室はガレージの裏手だから。予備のライダースーツも渡すから着替えてみて」


 チャキチャキと仕切る瞳に口を挟む事も出来ず、2人は更衣室へと連れて行かれたのだった。




「まさか、こんな所でバイクに乗る事になるなんてねぇ……」


 着替え終わった紅音は、感慨深げに呟いた。


「うん。でも、まさか乗れるなんてね。ラッキーだよ」


 それに答える千迅の方はと言えば、どちらかと言えばワクワクしている様である。

 ライダーとしてはどんな形であれ、バイクに乗ってコースを走れる事が嬉しいのだ。


「それは……そうだけど……」


 勿論それは、紅音とて同じである。

 ただそれを、素直に喜んで良いのかどうか戸惑っているだけだった。


「2人共、準備は出来たみたいだね」


 更衣室から出てきた千迅と紅音を、瞳が笑顔と共に迎えた。

 そんな彼女の前には、すでにエンジンに火の点ったマシンがスタンバっていた。


「やっぱり……大きい……」


「うん……何だか……重そう……」


 実物の耐久仕様レーサーを眼前にして、2人は期待半分不安半分と言った態の言葉を口にしていた。


 実際の処、彼女達が今後乗るであろう「NFR250Ⅱ」と比べて、この「CV750RRRドライアール」は車体の大きさだけでも二回りほど大きい。

 排気量から違うのだからそれは当然かも知れないが、それでも実際に近くで見ればそれを感じずにはいられないだろう。

 本来、車体の大きさはそのまま重量に比例すると言って良い。

 特にこの「耐久仕様」に改造されたマシンは、街中を走るバイクに比べれば軽量化も施されているのだが、それでも元が市販レーサーである。

 一からレーシングマシンとして造られた〝ワークスマシン〟に比べれば重くても仕方の無い話であった。


「まぁ、百聞は……ってね。乗ってみるのが一番コイツを知る近道だよ。どっちが先に走るの?」


 マシンのアクセルを握り空吹かししながら、瞳が千迅達に問い掛ける。

 言わずもがなそれは真理であり、あれこれと聞くよりもたった1回実践する方が多くを知る事が出来る理屈だ。

 千迅と紅音は互いに目を合わせて意思確認……と言うよりも決意を固めると、紅音が先にヘルメットを装着してマシンを跨いだ。


『2人共、聞こえる? 弥生を先頭に5周ほど回ってピットイン。給油とタイヤ交換とライダー交代をしてピットアウト。もう5周回ってピットインって行程でヨロシク。後、どれだけ遅く感じても弥生を抜いたら駄目だからね』


 ヘルメットに装着されているインカムから、瞳の指示が届く。それに紅音は頷いて応えた。

 そしてまずは弥生のマシンが、続いて紅音の駆るバイクがピットを離れて行く。


「……え!?」


 そして紅音は、そのフィーリングに驚き声を上げていた。

 見た目の大きさから推察出来る重量に反して、その動き出しは驚くほど軽く感じるものだったのだ。


(流石は……レーシングマシンって言う事かしら……)


 徐々に加速して行くマシンを感じながら、紅音はその挙動に感心してそんな事を考えていた。

 それは走り出しの加速性能だけではない。

 コーナー手前のブレーキングから旋回性能、そこからの加速と、見た目とは違いこの「CV750RRR」は紅音の満足する動きを体現して見せていたのだった。

 勿論、全力性能には程遠く、このマシンの全てが分かった訳では無い。

 それでも紅音は、一度だけ乗った「NFR250Ⅱ」と比較しても遜色ないマシンだと感じていた。


 そして紅音の走行はあっという間に終わりを見せ、マシンはピットロードへと進入する。

 レースが終わった後に入るのではなく、レース途中にピットインするのは紅音も滅多に経験がない。

 スプリントレースでその様な事を行えば致命的タイムロスに繋がり、そのレース自体を諦める事にも繋がりかねないからだ。

 誘導に従い停止位置でバイクを止めると同時に、ガレージで控えていたクルーがそれぞれの器具を持ち出して停止したマシンに群がった。

 その余りの迫力に、紅音は呆然としてその光景を見つめていたのだが。


『はいはい、速水さん。一ノ瀬さんと交代してね。ピット時間を短縮させるのは何も、クルーだけの能力じゃあないんだからね。スムーズなライダー交代も、耐久レースには不可欠なんだから』


 そんな紅音にインカムから瞳の声が飛び込み、それで紅音はハッと我に返り急いでバイクから降りたのだった。


『紅音ちゃん、どうだった?』


『う……うん』


 そこへ脇でスタンバっていた千迅が、インカム越しに問い掛けて来た。

 ただ千迅の「どうだった?」と言う漠然とした質問にはどう答えて良いのか分からず、紅音はただ一言そう答える以外に無かったのだった。

 それでも千迅はそれで何かを察したのか、嬉しそうに頷くと準備を終えようとしているマシンに跨った。

 そしてタイヤ交換とターボチャージャーによる疑似給油を終えたマシンを駆り、今度は千迅がピットアウトして行く。


『えっ!? 何、このマシンっ! すっごく軽いねっ!』


 そしてインカムからは、スピーカーを震わせて千迅の歓喜とも思える声が響いていた。

 紅音と違い千迅は、手の中で感じる「CV750RRR」のフィーリングをそのまま言葉にして叫んでいたのだ。


『でしょう? これでも歴としたレーシングマシンだからね。軽量化からハンドリングまで、しっかり手が加えられてるんだから』


 そしてその言葉に、瞳も嬉しそうに返答していた。

 その後千迅はコーナーから立ち上がり、ストレートに至り、ピットインするまで始終騒がしい事この上なかったのだった。




「どお? 楽しんで貰えたかな?」


 試技を終えた2人に、瞳が満面の笑みで問い掛け。


「はい! ありがとうございました!」


「ありがとうございました」


 千迅も同じ様に満足顔で頷いて答え、紅音もまた少し照れたように返事をしたのだった。


「うんうん。こっちとしても、助かったよ」


 千迅と紅音に笑顔を向けながら、瞳はチョイチョイと上の方を指差した。

 2人がそれを追う様に視線を向けると。


「い……いつのまに!?」


「うわ―――! 結構人が集まってたんだねぇ―――!」


 ガレージの上にある観覧席には、先程まで……少なくとも千迅達が走り出すまで居なかったギャラリーが、興味深そうに止まっているマシンやピット、走っているバイクに目を向けていた。


「第一の部員をぉ、第二のデモンストレーションに使うなんてぇ。先輩もぉ、人が悪いよねぇ」


 呆気に取られていた千迅と紅音に、背後から弥生が声を掛けていた。

 ただその声に険は無く、どちらかと言うと可笑しそうな声音だった。


「まぁ? こっちも? バイクに乗せてあげるんだから。これくらいは……ね?」


 全く悪びれた様子も見せずに、瞳は弥生に答えてから千迅と紅音にウインクして見せた。

 彼女の言う通り千迅達に実害はなく、寧ろ楽しかったという思いからその言葉にどちらからも反論は出なかった。


「また機会があったら来ると良いよ。できれば、コンバート移籍しに来てくれると嬉しいけどね」


 最後に瞳が、本音か冗談か分かり難い事を2人に投げ掛け、千迅達は何とも曖昧な笑みと対応を残してその場を後にしたのだった。

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