朝の一コマ

 昨日は慣れない……と言うよりも殆ど接点の無かった部で、やはり今までに経験した事の無いバイクを走らせる事となった紅音と千迅。

 不慣れなマシンと初体験のレース形式に、その結果は散々だった2人だが、それでも……僅かばかりでも得るものがあったと考えていた……いや、そう思う事で前向きな姿勢を見せていたのだが。


「いたたた……。お……おはよう、紅音ちゃ……いたた……」


「……千迅。……おはよう」


 翌朝、食堂で顔を合わせた2人は、何故か満身創痍だった。


「どうしたの、紅音、千迅? 2人共、まるでゾンビみたいだよ?」


 そしてそんな2人の姿を見た同級生たちは、可笑しそうにそう評したのだった。


「いや―――……。なんか、全身筋肉痛でさぁ―――」


「た……大した事はないの……」


 千迅は素直に筋肉痛が原因である事を認めたのだが、紅音の方は強がっている。

 2人の対応が予定調和過ぎて面白かったのか、周囲の同級生は更に可笑しそうな声を上げていたのだった。


 千迅と紅音が筋肉痛に襲われているのは、言うまでもなく昨日の部活動見学会でバイクを運転したからに他ならない。

 ただしそれでは、僅かばかりの疑問が浮かんでしまう。

 千迅と紅音は、所属している第一自動二輪倶楽部で毎日のように体を鍛えている。

 本格的に「NFR250Ⅱ」を運転出来ている訳では無いが、それでも身体作りとして筋トレを含めたトレーニングに励んでいるのだ。

 それに彼女達は中等部卒業までの間、毎日の様にバイクに跨り走らせていた。

 例え高等部に進学してからバイクを駆る時間が激減したとはいえ、そう簡単に筋肉痛に見舞われる訳がなかったのだ。


 しかし、本当の所は別にある。

 千迅と紅音が昨日訪れた「第二自動二輪倶楽部」そして「第四自動二輪倶楽部」は、今まで彼女たちが体験した事の無いバイクを用いている。

 想像に難くないのだが、今までとは全く違ったマシンや、整地されていない道を二輪車で走るとなると、殊の外バランスを取る事に四苦八苦する。

 それがモーターサイクルともなれば、その苦労は数倍数十倍となるのだ。

 大きさや重量の違うバイクは、それを支える力の掛け方も今までと違うし、荒れ地を走るバイクは正しく暴れ馬と言って良いほど狂暴であり、それらの制御には生半可な労力では足りなかった。

 千迅達は、昨日はそれらを僅かに走らせただけである。

 それだけにも拘らず、その間に使用した普段使わない筋肉に過剰な負荷が掛かり、今朝の様な状態となったのだった。


「へぇ―――。耐久レーサーって、同じバイクでもやっぱりスプリンターとは違うのねぇ」


「え―――? そんなに大変なの、オフロードって―――?」


「私、今日行こうかなぁ―――って思ってたんだけど……。やめよっかなぁ……」


 千迅達の体験談を聞いた同級生たちは、口々にそのような事を零していたのだった。

 傍から見て笑いのネタにするのならばまだしも、明日には自分達が物笑いの種になると言うのは笑えない冗談だと感じているのだろう。


「え―――っ!? 行った方が良いよ―――? 面白いし!」


「そうね。色々と勉強にもなるし、違うマシンを体験したからこそ、違う角度から今のマシンやライディングスタイルを見直す事も出来るわね」


 そんな彼女達に、千迅と紅音は自身が感じ取った感想を素直に口にした。

 もっとも紅音のより具体的な意見とは対照的に、千迅の口にした言葉はどうにも自身の感性に依る処が大きいのだが。


「えっ!? 面白いの!? そんなにきつそうなのに!?」


「へぇ―――……。それなら一度、見に行ってみようかなぁ?」


 しかし時には、千迅の様な忌憚のない意見と言うものが効果的な場合もあり。

 2人の言葉に耳を傾けた同級生一同は、第二や第四自動二輪倶楽部への見学を考えていたのだった。


「それじゃあ千迅と紅音は、今日も見学会に行くの?」


 昨日の話は一段落し、同級生たちの話題は今日の行動に変わった。

 部活動見学会は2日間あり、その間授業は短縮となっている。

 各々所属している部活動も一応は休部となっており、新入生たちがより多くの部活動を見学出来る様になされていたのだ。

 こう言った期間はこれ以降なく、新入生たちが自分の所属するクラブを見直す最後の機会であり、様々な部活動を体験する唯一の時間でもあるのだ。

 勿論、例外もあるので絶対とは言えないのだが。


「私は行くけど。自動二輪部はまだ後2つあるしねぇ―――」


 そう返答した千迅は、隣にいる紅音の方へと視線を遣った。

 話の流れで考えれば、紅音も千迅の意見に賛成……となるだろうと一同は考えていたのだが。


「……う―――ん」


 予想に反して、紅音は即答せずに熟考状態へと突入していたのだった。

 その反応が意外だったのか、千迅を始めとして周囲の者は小首を傾げている。

 先程紅音が同級生たちに話した内容ならば、他の部活動見学は今後の役に立つかもしれないのだ。

 単純に面白いと言うだけで部活動見学をしようとしている千迅と違い、紅音ならばそう言った向上心から二つ返事で残りの自動二輪倶楽部も見学すると言いそうなものなのだ。


「他の自動二輪部は、あまり興味が無いの?」


 そんな紅音に、同級生の一人が問い掛けた。

 もっとも高い可能性としては、紅音にとって他の自動二輪倶楽部の活動は今後も役に立たないと見切りをつけていると考えられたのだが。


「ん―――……。そうじゃないんだけどね……。第三にはその……がいるから……」


 同級生の問いに、どうにも言い難そうにした紅音がその答えを口にした。その表情は困惑気味であり、どうにもウンザリしている様でもある。


「……あの子?」


 紅音の言っている人物に心当たりのない千迅は、やはり小首を傾げて疑問を口にしていた。

 もっとも千迅は、誰とでも好き嫌いなく仲良くなれる性格をしているので、紅音の言う人物が思い当たらないのも仕方がないのだが。


「あ―――……」


「確かに―――……。紅音、美楓祢みふねの事……苦手だったもんねぇ―――……」


 しかし周囲の者には紅音の言う「あの子」に心当たりがあるのか、しみじみと語る声が漏れ聞こえていた。

 そしてそれを耳にした紅音は、グッと唇をかんで更に俯いたのだった。


「あの子も、操縦技術はピカイチだったんだけどねぇ―――……」


「いっつも言い合ってたもんねぇ……紅音」


「えっ!? そうなの!?」


 昔……と言っても1年と経っていないのだが、まるで遠い過去を思い起こす様に周囲の友人たちが遠い目で零し、心当たりの無い千迅が驚きの声を上げていた。

 そんな、ともすれば思い出話にも発展しそうな状況に、ハッと顔を上げた紅音が即座に口を挟んで来た。


「ちょっと、止めてよ。こんな話をしていると決まって……」


「あ―――ら? もしかしてわたくしの話でもなされているのかしら?」


 同級生たちの会話を止め様とした紅音だったが、それも未達となってしまったのだった。

 彼女の言葉が言い終わる前に、話題の人物本人が声を掛けて来たからだ。


「あ、フネちゃん。おはよ―――」


「おはよう、フネちゃん。今日もブレないねぇ―――」


 そしてその人物……美楓祢に向けて、同級生たちが各々朝の挨拶を交わしていた。


「おはようございます、皆様。それにしてもその『フネちゃん』と言うのは、おやめになっていただけません事?」


 それに対して美楓祢は、妙に作られた丁寧な言葉でそれに応えていたのだった。

「フネちゃん」と言う愛称についても、口で言うほど否定や拒絶を露わにしている様子は伺えない。

 それどころか、その表情はどこか楽しそうでもあった。


 第三自動二輪倶楽部所属、1年「桧山ひやま 美楓祢みふね」。

 紅音たちの会話からも分かる通り、彼女は中等部にて紅音たちと同じ自動二輪倶楽部に所属していた。

 その運転技術は卓越しており、当時の紅音にして「彼女は天才」と言わしめる程であった。

 だが、部長や副部長と言った部の中核を占める役職には就いていない。

 話し方に特徴があり、ともすれば高圧的、威圧的、差別的にも聞こえなくも無いが、彼女自身の対応にその様な事は無い。

 因みにその口調からどこぞのお嬢様に思われがちだが、実際の処は一般家庭の生まれでしかない。


「それで? どの様なお話をなされていたのかしら? 紅音さん、千迅さん?」


 一通り周囲の同級生と挨拶を終えた美楓祢が、改めて紅音と千迅に問い掛けて来た。

 そしてそんな彼女に紅音は、どうにも苦々しいと言った表情を向けていたのだった。

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