エピソード 4ー1

 気が付けば、私は戦場の片隅に立ってた。真っ赤に染まった空の下。火の粉が舞う戦場では、聖女達が率いる人間の軍勢と、魔王が率いる魔物の軍勢が熾烈な戦いを繰り広げている。

 その壮絶な光景を、私は少し離れた場所で俯瞰していた。


 戦っている味方はみんな知っている。

 町にいる婚約者を護るんだと照れくさそうに笑っていた騎士の青年。息子の未来を守るために戦うんだと、首に掛けたロケットを握り締める兵士のおじさん。

 後輩を鍛えるのが使命だと啖呵を切った先輩聖女や、子供の頃から聖女として育てられ、他の生き方を知らないと儚げに笑った後輩の聖女。

 その他の人達もみんな見覚えがあった。だから、これが夢なんだってすぐに分かった。彼らはみんな、私を残して先に逝った人達だったから。


「ウルスラや、生意気な後輩ちゃんもいるのかな?」


 私は俯瞰するように戦場を見回した。だけど……二人の姿は見当たらない。私がおよそ覚えているであろう故人はみんないるというのに、ウルスラと生意気な後輩ちゃんだけがいない。

 これが夢でも、ウルスラや生意気な後輩ちゃんと会いたかったな……


 実際に会うことはもう出来ないのだから、夢の中での再会を願ったっていいじゃない。そんな風に思うけれど、私は探している二人を見つけることが出来なかった。


「……というか先輩、生意気な後輩ちゃんって、呼び名が雑じゃないですか?」


 不意に煽るような声が聞こえて振り返れば、そこには懐かしい後輩ちゃんの姿があった。


「……久しぶりだね」

「そうですね。先輩が私の名前を忘れるくらいには久しぶりですね」


 打てば響くように憎まれ口が返ってくる。その懐かしさに触れようと手を伸ばせば、生意気な後輩ちゃんはひらりとその身を翻した。


「先輩、まだこっちに来るのは早いですよ」

「早い? なんのこと?」

「いいから、帰って下さい。私が目標にした聖女は、私が尊敬する先輩は、こんなところで瘴気に負けるような弱っちい聖女じゃないんです!」


 彼女がぶっきらぼうに言い放つと、彼女と私のあいだにある空間がゆっくりと広がっていく。私は慌てて手を逃すけれど、生意気な後輩ちゃんはむしろ一歩下がってしまった。


「生意気な後輩ちゃんっ!」

「だーかーらー、いつまで引きずってるんですか? 女々しすぎません? 私が死んだのは先輩の責任なんかじゃないんですよ? だから、そういうの、もう止めてください」

「でも……」

「ハッキリ言って迷惑です」


 彼女の言葉がトゲのように私の胸に突き刺さった。


「……ごめんなさい」

「謝るくらいなら、自分らしく生きてください。過去に縛られないで、自分らしく、自由に生きてください。それが聖女としての責務を終えた貴方の役目でしょ!」

「……それ、ウルスラにも言われたよ」

「あの人は、先輩に甘すぎるんですよっ」


 私と生意気な後輩ちゃんの距離が開く中、そうかもねと笑う。


「でもね、私は自由に生きているんだよ」

「たくさんの人の想いを、私の想いを背負って生きる、いまの先輩が、ですか?」

「言っておくけど、重荷になんて思ってないよ」


 私がそう口にしたら、生意気な後輩ちゃんはくしゃりと顔を歪めた。


「バカです、先輩は」

「酷いなぁ」

「でも、心配だからこれからも一緒にいてあげます! 私の名前を使うなとも言いません。だから、もう、私のことを生意気な後輩ちゃんだなんて呼ばないでくださいね?」


 生意気な後輩ちゃんはその瞳に大粒の涙を浮かべながら、だけど私に向かってとびっきりの笑顔を浮かべてくれた。その瞬間、私は彼女の名前を思い出した。


「うん、分かったよ。……シア」

「約束ですよ。それじゃ……さよなら、レティ先輩」


 二人の距離が急速に開いていく。そして次の瞬間、私の視界は眩しい光に覆われた。その眩しさに顔を顰めていると、耳元で大きな声が響く。


「――レティシア! しっかりして、レティシア!」

「うぅん、なによ、騒がしいわね」


 手の甲で光を遮って目を開けば、私を心配そうに見下ろす彩花の姿があった。その向こうには、同じく私を心配そうに見つめる雨宮様、それに紅蓮さんとアーネストくんの姿があった。


「……なんだか、見覚えのある構図なんだけど」

「見覚えがあって当然よ! レティシアはまた寝込んでたんだから!」

「寝込んで? そうだ、魔術を使ってっ! 蓮くんは――痛ったぁ~~~っ」


 ばっと起き上がった私は、彩花とおでこをぶつけて呻き声を上げた。


「うぅ、酷いよ彩花」

「~~~っ。レティシアが急に頭を上げるからでしょ!」


 二人しておでこを抱えて泣き言を口にする。


「まったくおまえというヤツは。生死を彷徨ったというのに、最初にするのが人の心配か」

「雨宮様! 蓮くんはどうなったんですか!?」

「あの子なら無事だ。一応は、な」

「一応、というのはどういう意味ですか?」

「それは……」


 雨宮様が目を伏せる。

 アーネストくんと紅蓮さんにも視線を送るけれど、それぞれ顔を逸らしてしまう。そんな彼らの様子に言い様のない不安を覚えた私は、痛みに重い身体に鞭を打って起き上がり、その足をフローリングの床に置かれているスリッパの上に下ろした。


「レティシア、なにをするつもりだ?」

「決まっています。蓮くんの様子を見に行くんです――ぁう」


 立ち上がろうとした私は、足に力が入らなくて倒れそうになる。次の瞬間、雨宮様とアーネストくんと紅蓮さんに身体を支えられた。


「「「――大丈夫か!?」」」


 レティシア、レティシアさん、レティシアの嬢ちゃんと、三人の声が被る。彼らに支えられた私は思わず顔が赤くなるのを自覚した。


「だ、大丈夫です。見苦しいところをお見せしました」


 前回と同様、私が何日眠っていたか分からない。汗臭くないかな? とか、そういった心配が脳裏をよぎる。私は離れてくださいと訴えるけれど、その願いは聞き入れられない。

 それどころか――


「あ。雨宮様!?」


 私はお姫様抱っこで抱き上げられていた。薄い病院着越しに雨宮様のたくましい腕の中に抱きしめられて更に顔が赤くなる。我に返った私は雨宮様の胸板を押した。


「雨宮様、放してください、恥ずかしいです!」

「ダメだ。ベッドに大人しく戻るか、このまま大人しく蓮の病室まで運ばれるか、どっちかを選べ。自分の足で歩くというのは却下だ」

「彩花ぁ~~~っ」


 乙女的に、この状況は凄く恥ずかしい。でも、蓮くんのお見舞いを引き合いに出されたら、恥ずかしいなんて言ってられない。助けてと視線を向ければ、彼女はパンと手を合わせた。


「ごめん、私じゃあレティシアをお姫様抱っこなんて出来ないわ」

「うぅ……」


 泣き言を口にすれば、雨宮様がクツクツと笑った。


「戦場では勇ましいおまえも、平時はそんな顔をするのだな」

「ほっといてください!」

「ふむ。ベッドに放ればいいのか?」

「……むう」

「どうすのだ、結局?」

「分かりました、お願いします。お願いすればいいんでしょ!」


 私は覚悟を決めて、雨宮様にしがみついた。


 雨宮様は小さく笑って、私を抱き上げたまま歩き出した。

 個室を後に、廊下を私を抱き上げた雨宮様が歩く。その背後にはアーネストくんと紅蓮さんが追従している。その光景は、なんというか……凄く目立ってる。

 すれ違う看護師達が足を止めるのはきっと気のせいじゃないだろう。


 私が羞恥に打ち震えていると、雨宮様はとある病室の前で足を止めた。アーネストくんが扉を開けてくれて、雨宮様は私を抱えたまま病室内へと足を踏み入れた。

 暗い病室の中。

 雨宮様の肩を借りてベッドのまえに降り立てば、蓮くんの穏やかな寝顔が見えた。


「蓮くん……?」

「心配するな、寝ているだけだ」

「寝ているだけ? じゃあ、どうしてあんな思わせぶりなことを……」


 困惑する私に、雨宮様は紅蓮さんに視線を向けた。


「……いいのか?」

「いずれは分かることだ」

「そうか……そうだな」


 紅蓮さんは頷いて、入り口の側にある灯りのスイッチを押した。電球の光が病室を照らし、ベッドで眠る蓮くんの姿が照らし出された。

 その姿を見た私は息を呑む。


「これは、まさか……」


 額には二本の小さな角、蔦のようの伸びた影が腕に纏わり付いている。

 その姿はまるで鬼のようだった。


「何度か目覚めているが、理性はちゃんと残っている」

「そう、ですか……」


 心までは変わっていない、ということ。

 だけどそれは、身体は変わってしまったと言っているようなものだった。魔族は存在その者が悪だと思っていた私に取って、蓮くんが鬼になったという事実はショックが大きい。

 呆然としていると、アーネストくんが私の袖を引いた。


「……レティシアさん、貴方にとって鬼は……妖魔は敵ですか?」

「それは……」


 少し前の私なら敵だと断言しただろう。妖魔は魔物と同じ存在ならば敵だ。魔族はもちろん、魔物は私の大切な人達を奪う敵。存在その者が悪である――と。

 だけど、人間にも悪い人はいる。同じ人間に実験体にされた蓮くんを救った鬼が悪いはずはない。同法を守るため、その身に妖魔の力を取り込んだ人達だって同じだ。


「妖魔だから、鬼だから、なんて言葉では括れないよ」

「……そう、ですか」


 アーネストくんはどこかほっとした顔をする。そんな彼の背中を、紅蓮さんがポンと叩いた。二人はよく喧嘩をするけど、本当は仲がいいよね。


 ……そうだ。

 アーネストくんや紅蓮さんも妖魔に近い存在だ。でも、彼らを敵だなんて思ったことはない。だったら、蓮くんだって同じだ。性格が変わっていないのなら敵のはずはないし、妖魔化が原因で性格が変わってしまったのなら、私が元に戻してあげたらいい。

 そう考えたら少しだけ気分が楽になった。

 私は蓮くんに視線を戻し、おかえり――と呟いた。



 その後、私は再び雨宮様の手によって自分の病室へと連れ帰られた。

 それから、私が意識を失っているあいだのことを話してもらうことになり、事情を知らない彩花には席を外してもらうことになった。

 病室には雨宮様、それに紅蓮さんとアーネストくんが残る。ベッドに座った私の正面に雨宮様、そしてその両サイドに二人。

 このとき、もう少しだけ考えを巡らせていれば、意識を失っているあいだにあった出来事を聞くだけなら、三人が同席する必要なんてないと気付いただろう。

 でも私は気付かず、雨宮様から気絶していたあいだの出来事を聞いていく。


 あの後、神聖大日本帝国陸軍と、鬼と協力関係を結ぶことに成功。襲撃者達から鬼――とくに姫を護ったことが評価された結果、交渉はうまく纏まったそうだ。

 ちなみに、姫というのは蓮くんと一緒にいた女の子のことらしい。


「協力関係を結べたのはよかったですが、よく鬼達が蓮くんを素直に引き渡してくれましたね? その点については、絶対にこじれると思ってました」

「ああ、それか。蓮から話を聞いて、おおよその事情は把握していたようだ。それに、あんな必死な姿を見せられてはな――というのが、彼らの言葉だ」

「必死な姿?」

「おまえが身を挺して蓮を救ったことだ」

「そっか……」


 私の努力も無駄じゃなかったと分かって嬉しくなる。

 だけど次の瞬間、雨宮様が深刻な顔をした。


「雨宮様、どうかなさったのですか?」

「――レティシア、おまえは瘴気に侵されているんだな?」

「な、なにをいきなり、仰っているのか……」


 そう呟いて、誰かが否定してくれることを願って視線を彷徨わせる。そして気が付いた。雨宮様だけでなく、紅蓮さんやアーネストくんまでもが深刻な顔をしていることに。

 彼らはなんらかの確信を持っている。


「……どうして、分かったんですか?」


 精一杯の笑みを浮かべて問い掛ければ、雨宮様は悲しげに顔を歪めた。


「蓮を救った後、倒れたおまえに妖魔化に似た兆候が現れた」

「え、まさか――」


 私の身体にも変化が――と、おでこに触れるけれどそれらしい兆候はない。続けて病院着の袖やズボンの裾を捲ってたしかめるけど、分かる範囲にそれらしき兆候はなかった。

 ほっと安堵していると、真上から鋭い声が振って下りた。


「おい、レティシアっ!」

「……はい?」


 どうしたんですかと顔を上げると、雨宮様は物凄くなにか言いたげな顔をしていた。


「レティシアさん、異性のまえでそれは、その……はしたないですよ?」

「お転婆な嬢ちゃんらしいと言えばらしいけどな」


 年下のアーネストくんに諭されて、紅蓮さんにはお転婆だと笑われた。恥ずかしくなった私は「その……見苦しいものをお見せしました」と、掛け布団で自分の足を隠す。

 すると、雨宮様がコホンと咳払いをした。

 そうだった。いまはこの身が瘴気に侵されていることを話しているんだった。


「それで、私はどうして無事なのですか?」


 極端な話、魔物化の兆候は気合いと根性である程度は抑えられる。

 でも、あのときの私は意識を失っていた。その状態で魔物化の兆候が現れたのなら、外的要因で魔物化を抑えない限り、私が私のまま目覚めることはなかっただろう。

 少なくとも魔物、あるいは上位の魔族に変異していたはずだ。


「もしかして、美琴さんが助けてくれたのですか?」

「いや、瘴気に侵されている事実をおまえが隠したがっていたようだからな。それは最終手段として、協力を仰がなかった。その代わり、聖樹の雫を使ったのだ」

「……え? サンプルにとお渡しした、あれですか?」

「ああ。あの酔狂な局長に無線で事情を話したら、帝都との中間地点まで届けてくれた」

「あの水瀬さんが……」


 普段は物憂げで、研究以外には興味がないような人。なによりも研究を優先しそうな性格なのに、あの貴重なサンプルを私のために使ってくれたんだ。

 後で、ちゃんとお礼を言っておかないと、だね。


 でも、そっか……聖樹の雫か。もしかして、生意気な後輩ちゃん……シアが夢の中に出てきたのは、聖樹の雫があの子の魔石で作られた物だったから、なのかな?

 シアに、助けられちゃったね。

 私は、あの子を救えなかったのに……


 ズキリと胸が痛んだけれど、私は顔を上げた。あの子は、私が罪悪感にまみれて生きていくことを望んでない。私はレティシアとして、みんなの分まで自由に生きる。

 それがきっと、先に逝った人達の弔いになるはずだと信じて。


「それを踏まえ、レティシアには言いたいことがある」

「は、はい、なんでしょう?」


 雨宮様に詰め寄られ、私はハッと背筋をただした。この身が瘴気に侵されていることを隠していた。それは、下手をしたら仲間を危険に晒す行為だ。叱られたって仕方ない。

 どのような言葉でも受け入れる覚悟で雨宮様の視線を受け止める。


「あまり、心配を掛けるな」

「――はいっ、ごめんなさい。……はい?」


 掛けられたのは傷会の言葉だった。

 あらたまって言いたいことがそれ? もっと他に言うことがあるよね?


「そうですよ、レティシアさん。僕達がどれだけ心配したと思っているんですか!」

「まったくだぜ。伊織さんも大概だけど、嬢ちゃんのそれは度が過ぎてるぜ」


 真正面は雨宮様で、右からアーネストくん、左から紅蓮さんに詰め寄られる。叱られる覚悟はしていたけれど、こんな風に心配される覚悟はしていなかった。

 視線を逸らす先を失った私は、思わずごめんなさいと頭を下げた。

 

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