エピソード 3ー3

 オルレアの聖杯を使えば、私の魔石を穢す瘴気を浄化することが出来る。そうすれば、いま抱えている問題や不安の大部分を解決することが出来るだろう。

 だけど、オルレアの聖杯を使うには、いくつかクリアしなくてはいけない問題がある。それを解決しうる人物と交渉するべく、私は第八の司令室に向かった。


 開発局帰りの私はハイカラさんスタイルのまま、司令室の扉をノックする。返事を聞いて部屋の中に入ると、軍服姿の雨宮様や笹木大佐様達がせわしげに書類にペンを走らせていた。

 だが、笹木大佐様がふと顔を上げて私を見る。


「おや、レティシア嬢ではないか。もう身体の調子は大丈夫なのかい?」

「おかげさまで、もうすっかり元気です」

「そうか、それならよかった。伊織達がとても心配していたからね」

「――達次朗の大佐殿、余計なことは言わないでくれ」


 ペンを置いた雨宮様が口を挟む。


「伊織、キミはもう少し素直になったらどうだ?」

「勘弁してくれ」


 雨宮様はげんなりとした顔で呟くと、コホンと咳払いを一つ。


「それよりレティシア、開発局へはもう行ってきたのか?」

「あ、そうでした。実はそのことでお二人に相談があるんです。開発局が回収したという品。あれはたしかに魔導具。それも私の知っている魔導具でした」

「なに? それは一体、どういう……」

「どうしてこの世界にあるかは分かりませんが、あれはオルレアの聖杯。オルレア神聖王国で、大事に保管されているはずの秘宝なんです」

「そのようなものがなぜこの国に?」


 分かりませんと答えると、雨宮様は深刻そうな顔で物思いに耽り始めた。

 でも気持ちは分かる。

 巫女召喚の儀で私が巻き込まれて招かれただけなら、ただの偶然で片付けることも出来るけど、もし過去にも招かれた人がいるのなら、色々と話は変わってくる。


「どうやら込み入った話になりそうだ。そこのソファに掛けてくれ」


 笹木大佐様の言葉で、物思いに耽っていた私達はハッと顔を上げた。一度落ち着く必要があるだろうと考えた私は、ショートケーキと紅茶のセットを人数分だけ用意した。

 ソファに座るのは雨宮様と笹木大佐様、それに私の三人だけど、部屋で作業している天城さん達のテーブルにも紅茶とケーキのセットを差し出した。


「レティシアさん、ありがとうございます」

「いいえ、お仕事お疲れ様です。ところで、お体の調子は大丈夫ですか?」

「はい、おかげさまで。レティシアさんは命の恩人です」


 天城さんが元気そうで安堵する。

 治癒魔術と浄化の術では魔力の運用方法が違う。穢れた私の魔力を使っても、治癒なら被験者に悪影響が出ないとは思っていた。思っていたけれど、天城さんの大怪我を治すために魔術を多用したので、万が一影響が出たら――と、少しだけ心配していたのだ。

 天城さんにどういたしましてと微笑んで、彼の側を離れた。

 私は最後にお茶菓子を自分の席のまえに並べてソファに座り、湯気の立つティーカップを手に取って紅茶を一口。カップに注がれた紅茶を眺めながら考えを纏める。


 なぜオルレアの聖杯がこの世界にあるのかは分からない。

 そもそも、あのオルレアの聖杯が、神聖王国で保管されていた物である証拠はない。効果だけは同一の、別個体である可能性は否定できない。

 そんな結論に至った私は、姿勢を正して雨宮様と笹木大佐様に視線を向けた。


「さっそくですが本題に入りますね。異世界の魔導具がなぜここにあるかは、いまは考えても無駄なので省略します。重要なのは、その魔導具の用途なんです」

「用途? そう言えば、レティシア嬢が知っている魔導具だったな」

「レティシア、おまえが重要視する魔導具とは、どのようなものなのだ?」

「オルレアの聖杯。聖樹の雫という、瘴気を浄化する秘薬を作る魔導具です」


 私はそう切り出して、水瀬さんにしたのと同じ説明を繰り返す。その上で、私はその聖樹の雫が欲しいので、魔導具を使わせて欲しい――という話を切り出す。

 それを聞き終えた笹木大佐様は、顎に手を当てて難しい顔をする。


「巫女召喚の儀に使用した広間の使用許可と、巫女を探し出すためのペンダントに使われている石が欲しい、か。それは中々難しい注文だな」

「水瀬さんにも同じように言われました。ただ、柊木大将のお孫さんに妖魔化の兆候が現れているそうで、そこに交渉を持ちかければ可能性はある、と」

「それは……たしかな情報なのかい?」

「水瀬さんの言葉を信じるなら、ですが」

「なるほど。ならば、柊木大将は交渉に応じるだろうね。とは言え……」


 笹木大佐様はやはり難しい顔をした。


「なにか、問題があるのですか?」

「そうだね。何とか手を回せば交渉は出来るかもしれないが、その交渉自体がリスクの高い行為だ。もちろん、レティシア嬢の頼みは出来るだけ聞いてやりたいと思っているが……」

「もちろん、無償でお願いするつもりはありません」


 軍を預かる者として、軽々しくは引き受けられないという事情は分かる。オリハルコンの聖剣をもう一本提供するとか、色々と提案は考えてある。

 交渉しましょうと私が提案する直前、雨宮様が口を開いた。


「レティシア、その聖樹の雫はどれくらい作ることが出来るんだ?」

「二人分と言ったところですね」

「一つを柊木大将が使用し、もう一つがレティシアが使用する、と言うことだな? だがその言い方ならば、あまりが出るのではないか?」

「そうですね。少し余りはあると思います。研究材料として差し上げましょうか?」


 私の瘴気を浄化することが出来れば、聖女の力でみんなを救うことが出来る。そうなれば、聖樹の雫にこだわる必要はなくなる。

 でも、私はみんなに心配を掛けるのが嫌で、そもそも自分が瘴気に侵されていることを秘密にしている。高倉を救うために私が倒れたことを考えても、私の力はそれほど万能ではないと思っているはずだ。であれば、聖樹の雫に興味を示すのは当然のことと言える。

 そう思って提案すれば、雨宮様は悪くない取り引きだと頷いた。


「いいだろう。余分を研究材料に提供してくれるのなら、俺が柊木大将との渡りを付けてやる。数日ほど時間をくれ」

「よろしくお願いします」


 これで一安心だ。

 だけど目先の問題が解決すると、別の問題が気になりだしてくる。すなわち、柊木大将が本当に、交渉に応じてくれるだろうか? という問題である。


「あの、雨宮様。柊木大将は多くの権限を持っていらっしゃるんですよね? 巫女の力を借りて、お孫さんを助けさせようとしたりはしないんでしょうか?」


 私も、蓮くんを美琴さんに助けてもらおうと、雨宮様に相談したことがあった。私に出来ることなら、柊木大将にも出来るはずだ。


「これは俺の予想だが、目に見えた効果がなかったのではないか?」

「あぁ、それはあるかもしれませんね」


 いまの美琴さんの実力では、何週間、何ヶ月という単位で術を使う必要があるだろう。症状が軽ければその限りではないけれど、それでも一度や二度と言うことはないはずだ。


「そういえば、以前、柊木大将が開催したパーティーに巫女殿を招いていたな。私も参加したからよく覚えているよ。そのとき、巫女殿の力を試したんじゃないか?」


 笹木大佐様がふと思い出したように口にした。それが事実なら、柊木大将はいま、藁にも縋る思いだろう。こう言ってはなんだけど、交渉も有利に進めることが出来そうだ。

 他に必要なことは――と考えを巡らせた私は美琴さんのことを思いだした。


「オルレアの聖杯を使用するとき、美琴さんに立ち会ってもらうことは可能ですか?」

「巫女殿の協力が必要なのか?」

「そういう訳ではないのですが、オルレアの聖杯の効果は聖女の奇跡を模したものですから、それを見学することは、美琴さんの経験になるのでは、と」

「なるほど……道理だな。しかし……いいのか?」

「まあ、使用するのは魔導具ですから」


 私が聖女だと打ち明ける必要はない。

 そう言外に示せば、雨宮様は納得するような顔で頷いた。


「いいだろう。では、井上に上手く話しておく」

「よろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げると、雨宮様は苦笑いを浮かべた。


「本来ならこちらがお願いするべきことで、レティシアがお願いすることではないぞ。それに、他人に利を配ることに気を使うのは美徳だが、おまえは少々気を使いすぎだな」

「そう、でしょうか?」

「ああ。おまえはもう少し他人に甘えることを覚えた方がいい」


 びっくりした。聖女として他人を気遣うことが当たり前になっていた私に、こんなことを言ってくれる人はなかった。その気遣いがとても嬉しい。

 でも、他人に甘えることを覚えた方がいい……って、雨宮様に甘えるってこと? と、雨宮様に甘える自分を想像して顔が赤くなる。


「……レティシア?」

「あ、いえ、なんでもありません」


 慌てて頭を振るが、顔が赤くなっている自覚がある。私はなんだか暑いですねと誤魔化しながら、温くなった紅茶を飲み干した。



 それから数日後。

 柊木大将との面会の約束を、雨宮様が取り付けてくれた。

 面会場所は柊木大将の邸宅。交渉は内密にということで、柊木大将が開催するパーティーに、私が雨宮様のパートナーとして出席することになった。


 という訳で、私は夜会に着ていくようなドレスを纏っている。濃い青色を基調とした、煌びやかなドレスで、背中が大きく開いたデザインだ。

 対して雨宮様は白のタキシード姿。

 飾りっ気のないデザインながら、それを身に付ける人の素材を最大限に引き立てるをコンセプトにしているようで、雨宮様の格好良さが最大限に引き立てられている。


「レティシア」

「――はい、雨宮様」


 差し出された腕に手を添えて、彼のエスコートで邸宅の中にあるパーティー会場へと足を踏み入れる。そこには、いままでみたこともないような幻想的な空間が広がっていた。


「これは……凄いですね」

「レティシアの世界には、このようなパーティーはなかったのか?」

「パーティーはありました。ですが、電気はありませんでしたから」


 故郷には、電球を纏ったシャンデリアなんて存在しない。

 むろん、王城で開催されるようなパーティーなら、魔導具の灯りに照らされているくらいは当たり前だ。だけどやっぱり、煌びやかさではこのパーティー会場に遠く及ばない。

 それに――と、私はエスコート役の雨宮様を見上げた。


「どうした、俺の顔をじっと見て。なにかついているか?」

「いいえ、なんでもありません」


 私は微笑んで、雨宮様の腕を少しだけ強く握った。

 それからは、パーティーの参加者としてあちこちで挨拶を重ねていく。

 はぐれ大隊と揶揄される特務第八大隊の副隊長と聞いて顔を顰めるものもいたが、多くの者から――とくにご令嬢達からは大人気だった。

 気付けば、私は令嬢達にはじき出され、蚊帳の外に置かれてしまっていた。雨宮様は令嬢達に囲まれて、流行のワルツをせがまれている。


「……いえ、別にいいんですけど」


 柊木大将とはパーティーの中頃で中座して別室で話し合うことになっている。それまで時間はあるし、どうしようかな……と思っていると、私の周りにも人が集まってきた。


「初めまして、異国のお嬢さん。お名前を伺ってもよろしいですか?」

「お初にお目にかかります。わたくしはレティシアと申します」


 王城のパーティーで身に付けた礼儀作法を披露すれば、周囲から感嘆の溜め息が零れた。


「おぉ、なんと美しい響きだ」

「名は体を表すというのは本当のようですね」

「西洋にはこれほど美しい女性がいるのか」


 最初の一人が話しかけてきたのを切っ掛けに、次々に男性達が集まってくる。この国の人々が、異国の情緒に興味津々というのは本当なんだね。

 そんな感心をしながら適当な相槌を打つ。

 そうして世間話に花を咲かせていると、男性の一人が私の手を取った。


「レディ、どうか私と一曲踊っていただけませんか?」

「そう、ですね……」


 雨宮様はどうするんだろうと視線を向ける。

 だけど、さきほどまであった人の集まりがなくなっている。雨宮様は何処へ――と思ったそのとき、横から伸びた腕が、私の手を取っている男性の腕を摑んだ。


「なんだ、キミは」

「悪いが、この娘は俺と先約がある。誘うなら他の令嬢にしてもらおう」


 有無を言わせぬ口調で言い放ち、彼らの反論を封じてしまう。そうして彼が私の腕を放すのを確認すると、雨宮様は私の腕を摑んだ。

 そのまま軽く腕を引かれたので、私は素直に彼の後を付いていく。そうして少し離れた場所まで移動すると、雨宮様は不意に足を止めて振り返った。


「急にすまないな」

「いえ、かまいませんが、どうなさったのですか?」

「あぁいや、その……令嬢達からダンスに誘われるのが面倒でな。レティシアと踊る先約があるからと言って逃げてきたんだ。という訳で、一曲踊ってくれないか?」


 私はコテリと頭を傾けて、それからクスクスと笑う。


「令嬢と踊るのは面倒なのに、私と踊るのはかまわないのですか?」

「……確認が必要か? それとも、さきほどの男と踊った方がよかったか?」

「いいえ。私も、面倒だと思っていたところです。という訳で――喜んで」


 あらためて雨宮様の手を取って、エスコートをお願いしますと笑った。

 そのまま二人でダンスホールへと移動。ワルツに合わせてステップを踏み始める。西洋から入ってきたというワルツは、私の故郷のダンスと似ている。

 それでも、初見では踊ることが出来なかっただろうけど、今日のために少し練習してきたので大丈夫。私は雨宮様のリードに合わせてステップを踏む。


「ほう、思ったよりも様になっているな」

「そういう雨宮様は手慣れていらっしゃいますね」

「男子たるもの、女性のリードくらいそつなくこなせずにどうする――と、雨音姉さんがうるさくてな。よく練習に付き合わされたものだ」

「ふふ、その光景が目に浮かびますね」


 雨音様にお会いしたときも思ったけれど、二人はずいぶん仲がいいようだ。そう思った瞬間、生き別れになった弟の顔が浮かんで寂しくなった。


「レティシア?」

「いえ、なんでもありません」


 頭を振って軽やかにステップを踏む。そうして誤魔化したつもりだったのだけど、雨宮様は少しだけ表情を曇らせた。


「……レティシア、おまえは故郷に戻りたいと思っているのか?」

「いいえ、以前にも申しましたが、戻りたいとは思っていません。もちろん、死んでも帰りたくない、という訳ではありませんけどね。少なくとも帰れなくとも困りませんよ」

「そう、か……ならばいい」


 雨宮様はそう言って黙り込んでしまった。

 けれど、ワルツのフォローは丁寧でとても優しい。彼の意志が反映されているようで少しだけ嬉しくなる。私は雨宮様のリードに身を任せてワルツを楽しんだ。


 そうしてダンスを終えた私達はホールの端に寄る。そこに執事の恰好をした初老の男がやってきて、私と雨宮様にハンドタオルを差し出してくる。

 感謝の言葉とともにタオルと受け取ると、彼は小さな声でこう言った。


「銕之亟様の準備が整いました。このまま別室へと案内いたします」――と。

 

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