エピソード 3ー2

 みんなを助けるなんて意気込んだ私だけど、翌朝ベッドで目覚めた私の体調は最悪だった。


「このままじゃ……ダメかも」


 両手首に魔封じの手枷を付けていたときにはなかった兆候だ。瘴気に侵された魔力が、少しずつ全身を蝕んでいる。このままだと、私は遠からず魔の者へと変わってしまうだろう。

 魔封じの手枷をもう一度嵌めることも考える必要がありそうだ。

 そう考えた私は、特務第八大隊の開発局へと向かうことにした。


 もともと、研究所で押収した品を確認して欲しいと雨宮様に言われている。

 私は特務第八大隊の開発局へと向かうべく、私服のハイカラさんスタイルで身を包む。そうして廊下に出ると、窓辺に上半身を預けてたたずむ紅蓮さんと出くわした。

 窓辺から差し込む光に照らされ、赤い髪が煌めいている。

 絵になるなぁと見惚れていると、私に気付いた紅蓮さんが軽く手を上げる。


「レティシアの嬢ちゃん、体調はもういいのか?」

「ご心配をお掛けしてすみません。私ならもう大丈夫ですよ」

「そう、か。ところで、その……」


 迷ったら行動が信条な紅蓮さんにしては珍しい反応。だけどこのタイミング、彼がこのような反応を示す原因には心当たりがある。


「雨宮様から、特務第八大隊の事情については、少しだけうかがいました。なんらかの形で、妖魔の力を利用する人達、だと」

「――っ。そう、か。だが一つだけ訂正させてくれ。たしかに俺達は自分の意志で妖魔の力を利用している。だが、それは……」

「分かります」


 紅蓮さんの不安を断ち切るように言い放つ。

 なにも知らない相手を実験体にした、研究者達は絶対に許せない。だけど、妖魔に対抗するための力を、なにを犠牲にしても欲する人の気持ちは分かる。

 自分の無力さに涙した人なら、一度は考えたことがあるはずだから。


「なにを犠牲にしても、誰かを護ろうとする気持ちは痛いほど分かります。だから、紅蓮さんやアーネストくんを責めるつもりはありません。ただ……」


 妖魔化を利用するのは危険だ。本当なら、もっと別の力を使って戦うべきだ。そんな言葉が脳裏に浮かぶけれど、私は魔封じの手枷に視線を向けて言葉を濁した。


「ただ……なんだよ?」

「いえ、出来るだけ無理はしないで下さいね」

「ああ、出来るだけ、な」


 まぁそうだよね――と、私は苦笑いする。

 いまの私に、彼らを止めることは出来ない。


「それじゃ、レティシアの嬢ちゃんの容態も確認したし、俺はもう行くぜ」


 軽く手を上げて身を翻す。颯爽と立ち去る紅蓮さんの背中を見送って、私は特務第八大隊の開発局へと向かった。

 開発局へ足を運ぶのもおなじみになってきた。私はほぼ顔パスで研究室へと通される。そこには、窓辺で物憂げな顔をする書生スタイルの男性、水瀬さんの姿があった。

 退屈そうな顔で窓の向こうに広がる景色を眺めている。そんな彼が不意にこちらへと視線を向ける。直後、物憂げな黒い瞳がキラリと光った。


「これはこれはレティシア嬢、お久しぶりですね」


 席を立ってうやうやしく挨拶をする姿は西洋スタイル。だけど、私の故郷でおこなわれていた挨拶と似ているので対応しやすいと、私はカーテシーで応じる。

 ハイカラさんスタイルだから、摘まむのはスカートじゃなくて袴だけどね。


「こんにちは、水瀬さん。魔導具とおぼしき品が見つかったと聞いて来ました」

「ええ、その通りです!」

「ですが、あなた方は魔術を扱えないのですよね? なのに、どうしてそれが魔導具であると思われたのですか?」

「レティシア嬢のおかげですよ。手枷の解析を進めることで、魔導具に対する一定の理解を得ることが出来ました。そうして得た知識から、魔導具である可能性が高いと判断しました」

「なるほど、経緯は分かりました。ただ、それを見せてもらうまえに、私の用件を先に終えさせてください。預けていた手枷はどうなりましたか?」

「あぁ、その件ですね! 少しお待ちを……っと、これです!」


 水瀬さんが宝物を自慢する子供のような目で、魔封じの手枷を引き出しから取り出した。

 手の骨を砕いて強引に引き抜いたそれは、いまも閉じられたまま――だったはずなのだけど、彼の手にあるのは鍵が外されて開いた状態の腕輪だった。


「……え? 鍵を開けることに成功したのですか!?」

「ええ、ご覧の通りです。ただ、残念ながら、まだ自由自在に開閉を――というレベルには達していません。もう少し研究すれば、鍵の複製を作ることも可能だと思います」

「素晴らしいですね。ぜひ、その研究を続けてください」


 私の言葉に、水瀬さんはもちろんですと力強く頷く。

 その頼もしい姿に、私は胸のつかえが下りる思いで安堵した。魔封じの手枷の鍵が複製できれば、私はいつでも魔封じの手枷を付け外しすることが可能になる。そうしたら、普段は魔封じの手枷で魔物化を防ぎ、必要なときにだけ力を解放することが出来る。

 これは、瘴気に悩まされる私に取って、かなり明るいニュースだ。


「それでは、魔導具とおぼしき品を確認しましょう」


 最大の懸念事項に解決の糸口が見え、私は晴れ晴れとした気持ちでそう言った。

 でも、このときの私はまだ知らなかった。

 その魔導具こそが、私の最大の懸念事項を根本から解決する品であることを。


「ええ、ぜひ確認してください。地下の研究所から回収した品はすべて別室に保管してあります。案内するのでついてきてください」

「……すべて、ですか?」

「ええ、文字通りすべて運び込みました」

「よく第一の方々が認めましたね」

「あちらには色々と貸しがありますから」


 水瀬さんがフフッと笑う。

 これは……研究材料をまえに、水瀬さんが暴走したパターンな気がする。でもそのおかげで、私も魔導具らしき道具を見ることが出来るんだから感謝かな?

 そんなことを考えながら、先導する水瀬さんの後を付いて歩く。

 移動したさきは、開発局の奥にある一室。警備員によって厳重に護られたその部屋には、地下の研究所から持ち帰った様々な資料が積まれている。


「散らかっていてすみません。魔導具と思われるのは――レティシア嬢?」


 彼の説明を他所に、私の視線は部屋の一角に釘付けになっていた。テーブルの上に置かれているのは、私がよく知っているゴブレット。


「どうして、これが、ここに……」

「レティシア嬢は、それがなにか分かるのですか?」

「もちろん、知らないはずがありません。これはオルレアの聖杯。聖樹の雫を作ることが出来る、オルレア神聖王国に代々伝わる秘宝ですから」

「オルレア神聖王国、ですか? それはつまり……」

「はい、異世界にあるはずの魔導具です」


 決してここに在るはずのない魔導具。だけど、目の前にあるゴブレットからは、たしかに聖なる力が感じられる。これは間違いなくオルレアの聖杯だ。どうしてこの世界にあるのかは分からないけれど、これは私にとって、信じられないほどの幸運だ。


「水瀬さん、この魔導具を使わせて頂くことは可能ですか?」

「かまいませんが――というか、使えるのですか!?」

「はい――っとと」


 みなまでいうより早く、詰め寄ってきた水瀬さんに両手を摑まれる。至近距離で私の顔を覗き込んでくる彼の顔には、早く教えてくださいと書いてあった。


「コホン、落ち着いてください。じゃないと説明しませんよ」

「――はいっ」


 ズバッと私から離れて距離を取り、それでは説明を――と促してくる。


「これはとある秘薬を作る魔導具です。そしてその秘薬というのは聖樹の雫。……瘴気を浄化する秘薬です」


 つまりは、私の魔石を穢している瘴気を浄化することも出来る。これを使えば、蓮くんや他のみんなを、私自身の手で救うことが出来る、ということだ。


「……瘴気を浄化する、ですか? それはつまり……」

「おそらく、妖魔化の兆候がある人間を元に戻すことが出来ます。完全に妖魔になってしまった人間には、さすがに効果がありませんが……」

「お、おぉ素晴らしい魔導具ですね! これがあればこの国を救えるではありませんか!」


 水瀬さんの顔が希望の光に満たされていく。

 無理もない。

 本来であれば、成長した巫女にしか使えないと思われている秘術。その代用品を作れる魔導具とはすなわち、この国を破滅から救いうるキーアイテムにもなり得る。

 だけど――


「残念ながら、聖樹の雫を作るには、とても貴重な材料が必要になるんです」

「……あぁ、なるほど。私としたことが、浮かれていたようです」


 水瀬さんが目に見えて落ち込んで下を向いた。ぬか喜びさせてしまったことに罪悪感を抱くけれど、彼はすぐに「ですが――」と顔を上げた。


「さきほど、レティシア嬢はこれを使わせて欲しいと仰いましたね? それはつまり、この魔導具を使うのに必要な材料を持っているから、ではありませんか?」

「その通りです。ただしくは、水瀬さんに預けてある、と言うのが正解ですが」

「僕に、ですか? もしや、先日お預かりした、聖属性の魔石、ですか?」

「ご名答です。それこそが、聖樹の雫を作る上で、絶対に外せない材料となります」


 亡くなった聖女から得られる聖属性の魔石は、このような奇跡に用いられる。死してなお、聖女は人々を救うといわれるゆえんであり、亡くなった聖女の魔石を持ち帰る理由でもある。


「つまり、あの魔石を使えば、聖樹の雫を作れる、ということですか?」

「いいえ、材料は他にも必要です。巫女に反応するペンダントがありますよね? あれに使われている石。それと、巫女召喚の儀がおこなわれた部屋の使用許可も必要です」

「石は分かりますが、部屋の使用許可、ですか?」

「はい。聖樹の雫を作るのは、霊脈と隣接する場所である必要があります。そして大規模な儀式魔術を使う場所もまた、霊脈である必要があります」


 召喚されたときは気にしていなかったけれど、あの大広間の下に霊脈があるはずだ。そしてそれはたぶん、雨宮様の実家よりも大きな霊脈だ。


「事情は理解しました。しかし……困りましたね」

「なにか、問題があるのですか?」

「ええ。巫女召喚の儀が執り行われた大広間ですが、あれは大本営の管理下にあります。巫女を召喚するために必要な場所ですから、そう簡単には使用許可がありません」


 軍部との交渉が必要と言うことだ。簡単とはいかないけれど、不可能と言うほどでもないだろう。なので、そちらはひとまず保留だ。


「では、石の方はどうですか?」

「これも同様です。巫女を見つけるためのペンダントに使用されている石は貴重な物なので、入手は非常に困難です。……確認ですが、使用すれば失われるのですよね?」

「ええ、使用後は欠片も残りません」

「では、第八に支給された物を使う訳にもいきませんし、厳しいですね……」

「なにか、方法はありませんか?」


 私は縋るように問い掛けた。

 美琴さんは確実に成長しているけれど、私を侵す瘴気を浄化するにはまだまだ力不足だ。いつかは立派な巫女になると信じているけれど、それを待っていては色々と間に合わない。

 聖樹の雫は、問題を一気に解決しうる希望の光だ。


「どうしても、聖樹の雫を作りたいんです」

「……あぁ、あの男の子のことですね。聞いていますよ」


 誤解だという思いが表情に出そうになる。

 でも、私が瘴気に侵されていることは秘密にしている。それに、私の瘴気を浄化すれば、蓮くんの瘴気も浄化することが出来る。結果的には間違っていないと頷いた。


「どうにか、お願いできませんか?」

「オルレアの聖杯を貸すこと自体は問題ありません。この魔導具が実際に使用されているところを確認するのは、僕にとっても貴重な体験になりますから」

「では、問題は石の入手と、大広間の使用許可、ですね。なにか方法はありませんか? 私の手持ちにあるものなら提供する用意があります」


 そう口にすれば、水瀬さんは少し考えた後、そうだと目を見張った。


「レティシア嬢、その聖樹の雫は、一度にいくつ作れるのですか?」

「え? そうですね……あの魔石なら、三つには届かずとも、二つ分は確実に」

「なるほど。では、交渉できるかもしれません」

「――本当ですか!?」


 思わず詰め寄ると、水瀬さんは「あくまで可能性ですが……」と仰け反った。


「それでもかまいません。少しでも可能性があるのなら教えてください」

「分かりました。それでは、僕がとあるルートで得た極秘の情報をお教えしましょう。帝国陸軍の大将、柊木 銕之亟の孫娘に、妖魔化の兆候が現れたそうです」


 先日の事件で私が面会した初老の男だ。帝国陸軍の大将といえば最高クラスの将校、トップではないけれど、彼が絶大な権力を持っていることに変わりはない。

 そんな彼の孫娘に妖魔化の兆候が現れたと私に教える理由。


「つまり、その孫娘を救うことを条件に、こちらの要求を呑ませろ、ということですか?」

「気に入りませんか?」

「……いいえ」


 いまの私に手段を選ぶ余裕なんてないと答える。


「なら、柊木大将とのコンタクトは、そちらでお願いします。笹木大佐あたりに頼めばなんとかしてくれるでしょう。あぁそれと、オルレアの聖杯と魔石は僕が預かっておきますね」


 異空間収納にしまうからその必要はない――と口にする寸前、彼の言葉の意図を理解して苦笑し、私は彼が望む言葉を返すことにした。


「分かりました。当日に届けてくださいね」

「はい、楽しみにしています」


 どうやら、正解だったようだ。

 とにもかくにも、魔導具の確認という目的は達せられた。

 それだけじゃなく、私の瘴気を払う目算まで立った。

 聖樹の雫を完成させることは、私に取ってとても重要なことだ。私の身体を蝕む瘴気を取り除くことが出来れば、蓮くんやみんなを救うことが出来る。

 だから、隠れ里へ向かうその日まで、聖樹の雫を作ることに専念しよう。

 

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