エピソード 3ー1

「……ここは?」


 目覚めると、真っ白な天井が広がっていた。状況を把握しようと、重い身体に鞭を打って上半身を起こす。寝起きでぼやけた視界に広がるのはどこか見覚えのある部屋だった。


「あぁ……彩花が入院していた部屋に似てるね。ということは、ここは第八の病室かな」


 ここが何処かは分かったけれど、どうしてここにいるか思い出せない。私が覚えているのは、浄化の術を使い、高倉の意識が戻るのを確認するところまでだ。

 そのあと意識を失って、ここまで連れ帰られたのかな――と、そこまで考えたところで、病室の扉が開いて彩花が部屋に入ってきた。彼女は私を見るなり目を輝かせた。


「レティシア! 目を覚ましたのね!」

「……彩花? どうしてここに?」

「どうしてここに? じゃないわよ! 軍に同行したあなたが、意識不明で帰還したと聞いてどれだけ心配したと思ってるのよ! 貴女、丸一日以上寝てたのよ!?」

「あぁ、そうなんだ?」

「そうなんだって……どうしてそんなに暢気なのよ!?」


 聖女として戦っていたときは、わりとよくあったから――なんて言ったら怒られそうな気がして、私は「まだ実感がわかなくて」と誤魔化した。


「そっか、まぁ、そういうこともあるわよね。というか、一体なにがあったの?」

「えっと……それは、その。彩花はなんて聞いてるの?」

「なにも。軍の機密だって言って教えてもらえなかったのよ。でも、第八の人達が出入りしてたし、美琴ちゃんも出入りしてたし……すっごい心配したんだからね?」

「ごめん。でも、第八の人達が軍の機密だって言ったなら、私も話せないよ」


 私がそう口にすると、じとーっと、声が聞こえてきそうなくらいのジト目で睨まれた。私が反応に困っていると、彩花はこれ見よがしに溜め息をつく。


「まぁ、そうよね。それじゃ一つだけ教えて。もう、大丈夫なの?」

「……うん、大丈夫だよ」


 彩花が探るような視線を向けてくるけれど、私は視線を逸らさずに嘘を吐いた。ほどなく、彼女はもう一度息を吐いて、「分かった、もうなにも聞かない」と口にする。


「彩花、ごめんね?」

「いいわよ。それより、レティシアが目覚めたら教えるように言われてるの。第八の人に連絡するから、レティシアはそこで大人しくしてなさい」

「……はぁい」


 彩花のお言葉に甘えてベッドに身体を預ける。

 病室は清潔感にあふれているけれど、逆に言えば生活感がない。何処か孤独を感じる白い部屋。そんな部屋に一人でいると、蓮くんのことを思い出す。


「……私が護るって、約束したのに、ね」


 特務第一大隊へ行けば治ると言ったのは私だ。もしなにかあっても、助けると約束したのも私だ。なのに私は、蓮くんが苦しんでいることにすら気付かなかった。

 蓮くんが苦しんでいたとき、私はみんなと楽しい日々を過ごしていた。


 ――お姉ちゃんの嘘つき、か。


 胸がズキリと痛む。けれど、心ない言葉をぶつけられたと傷付いてる訳じゃない。蓮くんにそんな風に想わせてしまった自分が許せない。

 蓮くんにあんな言葉を言わせてしまったのは私の過ちだ。

 だから、その過ちを正す。

 今度こそ、私の手で蓮くんを救ってみせる!


 静かに、けれど強く、何処までも強い決心を露わにしていると、第八の面々が大所帯でやってきた。雨宮様に紅蓮さんとアーネストくん。笹木大佐様までは分かるけれど、天城さんを始めとした、他の隊員達も同行している。

 想像以上の大所帯にちょっと驚いてしまった。


「……皆さんおそろいで、どうしましたか?」


 というか、あれから丸一日以上寝ていたみたいだし、あんまり近付かないで欲しい。なんて思っていたら、彩花が「そこで止まってください。乙女の寝室ですよ」と牽制してくれた。

 さすが彩花、頼りになる。


「これは、気が付かずにすまないね」


 笹木大佐様が謝罪の言葉を口にして、他の隊員達を一歩下がらせた。


「手短にいこう。まずは、無事に目を覚ましてなによりだ。伊織から色々と報告を受けている。隊員達を護ってくれたことに深い感謝を」

「いえ、私は――」


 特に大したことはしていないと口にしようとするけれど、紅蓮さんやアーネストくん、それに天城さん他、私が治癒を施した人達から感謝の言葉が飛んできた。

 私は少し笑って「どういたしまして」と応じる。


「他にもいくつか報告があるのだが――それは伊織にさせるとしよう」

「あ? なんで俺なんだ?」

「ん? 他の者に任せた方がよかったか?」

「……いや、そういう訳じゃ、ないけどな」


 雨宮様が言い淀む。それを横目に「では我々は退出するとしよう」と笹木大佐様が他の面々を連れて退出していく。彩花まで、私に小さく手を振って退出してしまった。

 それを見届けた雨宮様が、困った顔を私に向けた。


「その……大丈夫なのか?」

「……大丈夫じゃありません。汗臭いかもしれないので、あまり近付かないでください」

「それは、いや、その……分かった」


 言いかけて止めないで欲しい。

 というか、凄く気まずい。こうなったら早く用件を済ませようと私は頭を働かせた。


「雨宮様、私はどうしてここにいるのですか?」

「高倉の側で意識を失っていたんだ。外傷はなかったが、巫女殿が癒やしや浄化を何度も掛けてくれていた。後で礼を言っておくといい」

「あぁ、なるほど……」


 魔力を循環させすぎて、瘴気に身体が蝕まれて意識を失った。下手をしたら魔物か魔族になっていたところだけど……そうか、巫女の術のおかげで踏みとどまれたんだね。

 どうやら、美琴さんに命を救われたみたいだ。


「美琴さんには後でお礼を言っておきます。それで……あの後、どうなったのですか?」

「こちらが引く素振りを見せると、鬼もまた撤退していった。どうやら、あの鬼が言うように、本当に我らと敵対するつもりはなかったようだな」

「そう、ですか……」


 彼らにとっての敵はあくまで、妖魔化の研究をする者達、ということなのだろう。そう考えれば、蓮くんの扱いはそう酷いことになったりしないだろう。

 でも、そのまま放置するかどうかは別問題だ。


「それで、その……尾行とかは?」

「残念ながら失敗に終わった」

「そう、ですか……」


 残念ではあるけれど、その点については期待していなかった。魔族と同等の力を持っている集団相手に、尾行できると思う方がおかしい。


「尾行は失敗したが、高倉から情報を仕入れることが出来た」

「そういえば、高倉は無事なのですか?」

「やはりおまえがなにかしたのだな。おまえが倒れた後、高倉は理性を取り戻していた。そのおかげでいくつか、鬼についての情報を引き出すことが出来た。だが……」

「だが、なんですか?」


 不穏な空気を感じ取り、私は思わず固唾を飲んで次の言葉を待った。


「ほどなくして、再び妖魔化が始まった。拘束をしていたので大事には至らなかったが、最初よりも変異が激しくてな。その後は理性が戻らなかった」


 ……そっか、救えなかったんだ。

 ――悔しい。高倉は好きになれないし、助けたのは情報を引き出すためだ。それでも、本気で救おうとした。なのに救えなかった。

 いまの私じゃ、瘴気に侵された人間を救えない。

 このままじゃダメだ。

 蓮くんを救うためにも、私の力を取り戻さないと!


「レティシア、聞いているのか、レティシア」

「え? あ、はい。ごめんなさい」


 考えに耽っていた私は、雨宮様に呼びかけられてハッと我に返った。そうして顔を向けると、雨宮様は何処か心配するような面持ちを私に向けていた。


「いや、かまわないが……やはり本調子ではないようだな」

「いえ、大丈夫です。それで、なんでしょうか?」

「高倉から引き出した情報によると、あの山の反対側に隠れ里があるようだ」

「――っ。つまり、蓮くんはそこにいるんですね!?」

「おそらくは、な」


 蓮くんの居場所が分かった! そう気持ちが高ぶるのを必死に抑える。

 私が一人で行くと言っても雨宮様は許可してくれないだろう。でも、雨宮様との取り引きは、蓮くんや高倉の行方を捜してもらうことまでだ。

 一緒に来て欲しい――なんて言えるはずがない。

 そう思っていたから、


「出発は十日後だ。少数精鋭での訪問を予定している」


 続けられた雨宮様の言葉をすぐには理解できなかった。


「え、それは、どういう?」

「まさか、鬼の隠れ里へ同行してくれるのですか?」

「いいや、同行するのはレティシア、おまえの方だ」

「私の方、ですか?」


 蓮くんを助けたいのは私で、雨宮様――ましてや軍部に蓮くんを助ける理由はない。なのに、どうして軍が動くんだろうと首を捻った。


「レティシア、おまえの手柄だ。高倉から聞き出した情報をもとに、上層部は鬼との接触し、可能なら友好的な関係を築くという方針を固めた」

「鬼と友好的な関係を……」


 私の中で、鬼は魔族の親戚という意識が残っている。鬼と友好的な関係を結ぶというのは、少し前までの私には考えられなかったことだ。でも、あのキリツグという鬼は、普通の人間と変わらない考え方を持っているように思えた。


 だけど……十日か。

 長いなぁ……

 いまの私は思うように力を振るえない。雨宮様達の力を借りなければ、鬼の隠れ里が何処にあるかも分からない。だから雨宮様達に同行するのが最適解。

 それは分かってるんだけど、十日も待つのは胸が張り裂けそうだ。


「……雨宮様、私になにか出来ることはありませんか?」

「おまえのすることは、出立までに体調を戻すことだ」

「それだけでは落ち着きません」


 雨宮様はなるほどと呟いて、少し考えるような素振りを見せた。


「そう言えば、研究所で発見した気になる品を開発局に運び込んだのだったな」

「気になる品、ですか?」

「正体不明の道具なんだが、あの酔狂か局長が言うには、レティシア、おまえの持ち込んだ腕輪と同種の技術が使われているのではないか、と」

「つまり、魔導具だと言うことですか?」

「それをおまえにたしかめて欲しい」


 そういうことであればと引き受ける。私はすぐに行動を開始しようとしたのだけど、今日くらいは休めと雨宮様に怒られてしまった。


「……分かりました。今日は休みます」

「ああ、それがいい。おまえの気持ちは分かるが、焦って失敗しては意味がないぞ」

「はい、分かっています」


 嘘じゃない。

 理性ではちゃんと分かってる。ただ、心が落ち着かないだけだ。このまま一人になったら居ても立ってもいられなくなると、雨宮様を引き止めるような話題を考える。

 そうして、もう一つ重要な話が残っていることを思い出した。


「雨宮様、少し聞きたいことがあるんですが」

「かまわぬが……なんの話だ?」

「アーネストくんのことです。あの研究所に行ってからアーネストくんの様子がおかしかった気がするんです。その理由をご存じなら教えてくださいませんか?」

「そうか、やはり気付いていたか」


 雨宮様が小さく息を吐くと、部屋の片隅にあった椅子をベッドの横まで運んできた。その椅子に腰掛けると「少し込み入った話だが、聞きたいか?」と問い掛けてくる。


「話してくださるのなら」

「何故だ? 興味本位、という訳ではないのだろう?」

「ええ。本人のいないところで聞くことに抵抗はありますが……あの感じ、知らないでいると後悔しそうな気がして……」


 研究所でのアーネストくんは明らかに冷静さを欠いていた。

 彼がなにに対して憎悪を抱いていて、どれだけ憎悪の根が深いのか確認しておかなければ、いつか取り返しのつかないことになるかもしれない。


「そう、か。そういう事情なら話しておこう。実のところ、アーネストからも言われている。もしおまえが自分の過去を知りたがったら、話して欲しい――とな」

「アーネストくんがそんなことを?」

「ああ。だから、そんなに罪悪感を抱く必要はないぞ」

「お見通しですか、まいりましたね」


 アーネストくんも、雨宮様も、二人とも私の性格をよく理解しているみたいだ。私は苦笑いを浮かべて、だけどすぐに背筋をただして雨宮様の話を聞く態勢に入る。


「それで、アーネストくんの過去というのは?」

「あいつは、軍の実験体だったんだ」

「それは、どういう……」

「おまえも、もう分かっているのだろう?」


 私はその問いに、目を伏せることで応じた。雨宮様は窓から見える外の景色を眺めながら、静かな口調で語り始めた。軍にはかつて、妖魔化を研究する部署があった――と。


 当初の目的はその原因を探り、妖魔化を防ぐことにあったそうだ。だがすぐに、妖魔化によって得られる身体能力の高さに目を付けた。理性を保ったまま妖魔化させることが出来れば、強力な軍人を生み出すことが出来るのではないか、と。


 そうして、何人もの子供が妖魔化の実験に使われた。

 その中の成功例が、アーネストくん、ということである。


「アーネストくんは半妖、なのですか?」

「その答えはむしろレティシアに聞きたい。おまえの目には、あいつがどう映っている?」


 私は息を呑み、きゅっと目を瞑って考えを巡らす。

 アーネストくんの過去を知って驚いた。私の想像が及ばないような、筆舌しがたい悲惨な過去だったのだろう。その結果、聖女の術に不調をきたしたことも覚えている。

 だけど、私の知るアーネストくんが、誰より優しい男の子であることに変わりはない。

 私はパチリと目を開き、雨宮様の顔をまっすぐに見つめた。


「――アーネストくんは人間です」

「おまえの術を受けたとき、異変をきたしたのに、か?」

「取り返しがつかないところまで踏み込んでいたら、あの程度ではすまないはずです。あくまで憶測ですが、妖魔化の兆しがある状態で奇跡的に安定しているのではないかと」

「そう、か……」


 私の言葉に、雨宮様はどこかほっとするような素振りを見せた。


「雨宮様。特務第八大隊がはぐれと揶揄されている理由って、もしかして……」

「ああ、察しの通りだ。アーネストほどではないにしろ、隊員はみな、妖魔化の兆候を見せたことがあるなどといった過去を持つ」

「……雨宮様も、ですか?」


 聖女の術を使ったとき、雨宮様は悪影響を受けなかった。そこから考えれば、雨宮様は違うはずだけれど……と首を傾げると、彼は首を横に振った。


「俺と達次朗の大佐殿は違う」

「あぁ、やはりそうですか。では、井上さんと一時的に不仲だったというのは……」

「そんなことまで聞いているのか? あれは、俺が特務第八大隊に志願したとき、井上がなにを考えていると怒鳴り込んできてな」

「ああ。それであの対応だったんですね」


 私が召喚されたあの日、井上さんは私に『馬鹿が来るから頼れ』という主旨の言葉を残した。頼りになる人物であると認識しながら、馬鹿呼ばわりしたのは、そういう事情だった。

 本当は、仲がいいのだろう。


「それとレティシア、念のために言っておくが……」

「分かっています。第八の事情は口外しません」


 たとえそれが公然の秘密だとしても秘密は秘密だ。

 でも、そっか……アーネストくんだけじゃないんだね。紅蓮さんや、他の隊員達も、なんらかの過去を抱えているんだね。

 私に……みんなを救えるかな? 分からない。少なくともいまのままじゃ無理だ。でも、力を取り戻せば、みんなを救えるかもしれない。

 やることがたくさんあって大変だけど、一つ一つ確実にクリアしていこう。

 

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