エピソード 共同作戦 6

「――紅蓮さん、アーネストくん!」


 半妖と化した高倉の攻撃をまともに受け、壁に叩き付けられた二人に呼びかける。かろうじて反応はある。けれど、衝撃が強すぎたのか、二人の意識は朦朧としているようだ。


「ふん、生きているか、しぶといな」


 高倉がトドメを刺すべく一歩を踏み出した。


「レティシア!」

「――はいっ!」


 私は阿吽の呼吸で、異空間収納から引き抜いた聖剣を地面に突き立てた。即座に聖女の術を発動し、雨宮様の身体能力を強化する。それと同時、地面を蹴った雨宮様が地を這うように飛び出した。そう思った瞬間、雨宮様は高倉を自らの間合いに捕らえていた。


 気付けば、雨宮様は剣を振り抜いた姿勢で静止していた。抜刀速度が速すぎて、剣を振るうのが捕らえきれなかった。にもかかわらず、遅れて響いたのは金属を擦り合わせる音だった。


 高倉があの一撃を防いだの!?


 とてもじゃないけど、高倉がいまの攻撃に反応できるとは思わなかった。でも、実際に反応している。私が呆気にとられているうちにも、二人は剣で斬り結び始めた。

 ――強い。

 私が見てきた妖魔や魔物の比じゃない。先日の戦闘で見た上級妖魔よりも頭一つ抜け出ている。私の故郷なら、魔族に分類されてもおかしくはない強さだ。


 高倉が強かったの?

 それとも、あの妙なポーションのせい?

 もしこれが高倉の研究成果だとするのなら、絶対にこの研究成果を世に出しちゃダメだ。妖魔化させるという非人道的な部分はもちろん、あの力は危険すぎる。


 絶対に止めないといけないけれど――と、私は唇を噛んだ。

 いま、身体能力を上げているのは雨宮様だけだ。にもかかわらず、私に掛かる負担がとても大きい。魔封じの手枷を片方外したことで、以前よりも身体が瘴気に蝕まれている。

 このままでは、遠くない未来に限界が来るだろう。


 ――うぅん、泣き言を言ってる場合じゃないよ。雨宮様が高倉を押さえているうちに、紅蓮さんとアーネストくんを治療しないと危険だ。

 私は残っている隊員に向かって、二人を保護して連れてくるようにお願いする。

 まずは、近くに吹き飛ばされていたアーネストくんが運ばれてきた。


「アーネストくんしっかり!」


 声を掛けるが、アーネストくんは意識を失っているようだ。全身を打撲したようだけど、彼の呼吸や脈拍自体は安定している。

 ひとまず、癒やしを掛ければ大丈夫だろう。とはいえ、魔力を半分封じられているいま、普通のヒールでこれらの傷を癒やすのは心許ない。

 私は迷わずエクストラヒールを使用した。


 アーネストくんの打撲の痕がゆっくりと消えていく。本調子ならこの程度の傷を癒やすのは一瞬なのに――と歯を食いしばって全身を蝕む痛みに耐える。そうして永遠にも感じられるわずかな時間を乗り越えて、アーネストくんの傷を最後まで癒やしきった。


「そのうち意識も戻るはずです。いまは安全な場所に後退させてください」

「了解しました!」


 隊員の一人がアーネストくんを安全な後方へ運んでいく。それを見送り、私は後から運ばれてきた紅蓮さんへと視線を向ける。


「紅蓮さん、しっかりしてください。意識はありますか?」

「――っ、すまねぇ、ドジを踏んだ」

「謝る必要はありません。それより、気をしっかり持ってください」


 話しかけながら、紅蓮さんの容態を触診する。こちらはアーネストくんよりも酷い。打撲による傷が全身にあり、そのうちのいくつかは骨にヒビが入っているようだ。

 私はもう一度エクストラヒールを行使した。

 傷の治りが遅い。さきほどよりも術の効果が下がっている。それと同時、全身を巡る瘴気に侵された魔力が、全身を蝕んでいくのがありありと分かる。

 このままだと、私は……


 意識を飛ばしかけたそのとき、鋭い剣戟の音がひときわ大きく室内に響いた。その音に我を取り戻す。いけない。ここで意識を失えば、雨宮様に掛けている術の効果が消えてしまう。

 私は舌を噛んで意識をハッキリさせ、術の行使を安定させた。

 ――だから、気付くのが遅れた。


「ぐっ、力が……っ」


 傷が癒えるのと反比例するように、紅蓮さんの表情が苦悶に染まっていた。それに気付いた瞬間、私は反射的にエクストラヒールの行使をやめる。とっさに思考を停止して動揺を抑え、雨宮様に掛けている術の行使の維持だけに全力を注ぐ。


「――紅蓮さん、大丈夫ですか!?」

「ああ、大丈夫、だ。予想できたことだから、気にしなくていい」

「予想できたことって、それは……どういう?」

「悪いが、それは言えねぇ。ただ……わりぃな。これ以上の戦闘は……無理、そうだ」


 事切れたように、紅蓮さんの全身から力が抜け落ちた。最悪を想像して息を呑むけれど、次の瞬間には紅蓮さんの胸が上下していることに気付く。

 どうやら気を失っただけのようだ。


 でも、さっきの反応はまさか……うぅん、いまは考えちゃダメ。

 雨宮様の援護をして、高倉を倒すことだけを考えないと。そう考えた私は歯を食いしばって苦痛に抗い、最後の隊員に向かってお願いをする。


「あなたも、紅蓮さんを連れて退避してください」

「しかし、それでは隊長とレティシアさんが!」

「雨宮様の援護は私がします。あなたは外にここの状況を伝え、階段の上に防衛ラインを構築してください。それと、外で交戦中の鬼と、この施設の者は仲間ではない、と」

「か、かしこまりました!」


 隊員が紅蓮さんを抱えて退避していく。それを見送る時間も惜しんで雨宮様へと視線を戻す。彼は半妖と化した高倉と激戦を繰り広げていた。

 一進一退の攻防、あの雨宮様と高倉が互角に戦っている。


「雨宮様、二人の退避は完了しました! 雨宮様も後退を!」


 さきほどの隊員に、階段の上で防衛ラインを引くように頼んだ。優秀な第八のメンバーならば、階段の上から高倉を迎撃してくれるはずだ。

 私達はそこまで高倉を誘い込むだけでいい。


 そんな言外の意思を伝えれば「ダメだ!」という返事が返ってきた。


「奥にも部屋がある。いま高倉に余裕を与えるのは危険だ」

「それ、は……」


 私達が後退した瞬間、高倉が奥の部屋へ移動して態勢を整える。その可能性を考えなかった訳じゃない。だけど、いまの高倉は雨宮様と互角の力を持つ。私が援護できればいいのだけれど、聖女の術を行使しすぎたことで思ったよりも限界に来ている。

 ここで一騎打ちを続けさせるのはリスクが高すぎる。多少のリスクを冒しても、味方のところまで引き込むしか手はないはずだ。

 そう思っていたから――


「レティシア、おまえと二人ならこのまま押し切れる!」


 雨宮様の言葉に言い様のない気持ちを抱いた。雨宮様は一人で戦うつもりじゃなかった。私を戦友と認め、二人でなら勝てると、そう思ってくれているのだ。

 私は瘴気に侵されて辛いからなんて甘えて、自分を戦力外扱いしていたのに!


 ここで泣き言を言うのは仲間じゃない!

 ウルスラ、ごめん。あなたに救われた命だけど、私はやっぱり聖女を止められないよ。だけど、許してくれるよね? 自由に生きて――って言ってくれたんだから。

 私は自分の意思で聖女として前に進む。

 聖剣を地面に突き立て、身体能力強化の対象に自らを含む。身体能力が大幅に上がる全能感と、瘴気が全身を蝕む不快感を同時に感じながら、私は、地面を――蹴った。


 一瞬で切り替わる景色。

 ただの一足で、私は高倉の側面を通り過ぎようとしていた。

 最初に思い浮かんだのは『え、なんで?』という感想だった。

 たしかに私は全力で地面を蹴った。だけど、魔封じの手枷によって魔力の大部分が封じられているし、魔物化の兆候によっても術の効きが悪くなっている。

 いまの私に、こんな力があるはずは――と、思考しながらも無意識に聖剣を振るう。その乱雑な一撃は高倉に防がれる――が、彼の軍刀を易々と砕いた。

 だけど、目測を誤った私の一撃は、彼の身体を捕らえきれない。

 私はその勢いのまま、彼の側面を駆け抜けてしまった。


「――やばっ」


 壁にぶつかりそうになった私は、軽く地面に足をついて前方に回転。壁に向かって垂直に着地する。膝で衝撃を殺したあと、軽く壁を蹴ってバク宙の要領で地面へと降り立った。

 身体能力だけじゃない。思考速度も速くなっている。そこだけを見れば絶好調。だけど、視界は赤く染まってチカチカとする。自分の体になにが起きているのか分からない。

 でもそれを考えるのはいまじゃない。私は動揺を隠し、ゆっくりと顔を上げる。

 そこには、驚愕の表情を浮かべる高倉の姿があった。


「な、なにをした!?」

「……見ての通り、すれ違い様に剣を振るっただけですが?」

「ふざけるな! いまの速さはなんだ! それに、その剣はどこから出した! おまえは、巫女召喚に巻き込まれただけの罪人ではなかったのか!?」


 真っ赤な顔で捲し立てる高倉の意識は完全に私へと向けられている。


「……いいのですか? 私に気を取られていて」

「――あ?」


 高倉がその意味に気付くより早く、背後より接近していた雨宮様が剣を振るった。闇を纏った高倉の右腕が宙を舞う。それに一瞬遅れで絶叫が響き渡った。


「がああああっ! 痛いっ! 痛いっ! 痛い! 貴様、きさまキサマァ! 許さん、絶対に許さんぞっ! 殺す、殺してやる!」


 天に向かって吠える。

 高倉を纏う闇がまたいっそう濃くなった。高倉の頭から角が生え、斬り飛ばされたはずの腕の部分には濃密な闇が収束、闇の指先からは刃のような爪が伸びた。


「――死ねっ!」


 高倉が闇を纏った右腕を振るう。

 次の瞬間、雨宮様は大きく吹き飛ばされていた。


「雨宮様!」


 私が叫ぶのと同時、雨宮様は吹き飛ばされながらとっさに刀を地面に突き立てた。けたたましい音を立って、刀が地面を大きく斬り裂いたが、一瞬後には刀がパキンと折れる。

 それでも勢いの大部分は殺せていたのか、雨宮様はごろごろと転がって止まった。


「雨宮様、無事ですか!?」


 とっさに駆け寄るが反応は鈍い。紅蓮さんやアーネストくんと同じようなダメージ。刀で衝撃を殺した分だけマシだとしても、すぐに動くことは出来そうにない。癒やしが必要だけど、いまここで聖女の術を使う余裕はない――と、異空間収納から取り出したポーションを渡す。


「レティ、シア。気を、付けろ……」


 雨宮様がみなまでいうより早く、高倉が私の間合いに飛び込んできた。振り向きざまに聖剣を振り上げて受け止める。ギィンと、重厚で鈍い金属音が響き渡った。

 その金属音が消えるより早く、高倉の追撃が喉元に迫る。私は上半身を捻って回避。カウンターの一撃を放つが、それは高倉の爪に逸らされてしまった。

 そこから一進一退の攻防が始まる。


 高倉の速度はとんでもなく速い。全盛期の私ならともかく、いまの私に対応できるはずがない。なのに、私はそれらの攻撃を危なげなく捌いている。


 ――楽しい。

 半妖と化してまで力を手に入れ、雨宮様達を傷付けた。そんな彼の表情に焦燥感が浮かんでいる。絶対に勝てると思い込んでいた彼を、圧倒的な力で復讐するのが楽しい。

 このままいたぶって、自分のおこないを後悔させたらどれだけ気持ちがいいだろう。


 そんな感情に突き動かされていたそのとき、雨宮様の声を聞いた気がした。

 ……あれ? いま、私はなにを……? そうだ、高倉をいたぶって……違う。高倉を倒して、蓮くんを助けるのが目的だ。なのに、私はどうして、あんなことを?


 視野が狭くなっている。まるで戦闘狂、いまの自分は高倉のようだ――と、そこまで考えた瞬間にハッとした。魔物化が進み、私は魔族になり掛かっている。


 しかも、聖女の術を使える状態を維持している。

 体内にある魔石が瘴気に侵されているため、聖女の術は自分の身体を蝕む瘴気には干渉しない。それが理由で、不完全ながらも聖女の力と魔物化の力が共存しているのだ。


 このままだと、本当に魔族になってしまう。

 ――いや、大丈夫、落ち着いて。いままで、魔物化の兆候が現れた者を何人も見てきた。どうすれば魔物化を押さえることが出来るのかは、私が一番よく知っている。


 怒りに、憎悪に身を任せちゃダメだ。

 私が戦うのはこの世界のことを好きになったから。雨宮様を、紅蓮さんを、アーネストくんを、第八の仲間を護りたい。彩花を、美琴さんを、私に優しくしてくれた人達の住む世界を護りたい。私に助けを求めてきた蓮くんを護りたい。

 私は自分を落ち着かせながら間合いを取って、雨宮様とは反対の方向へと高倉の意識を向ける。そうして、異空間収納から取りだした物を次々に高倉の方へと投げつけた。

 それを高倉が煩わしげに払いのけた瞬間、刀を投げつけた。


 この世界で作ったオリハルコン製の刀。私が知るどの剣よりも鋭い切れ味を持つそれは、高倉の顔に吸い込まれる――かに見えたが、高倉が寸前のところで回避した。


「そのような攻撃が通じるものか。少しはやるかと思ったが、しょせんははぐれに拾われるような小娘だったな。そろそろ、楽にしてやろう」

「まだ、よ!」


 魔物化の兆候が強くなっているのか、さっきよりも意識が朦朧とする。でも、身体は驚くほどに軽い。私は必死に意識を繋ぎ止め、最小限の力で高倉の攻撃を受け流して行く。

 続けざまの連撃を紙一重で躱す。回避の間に合わない攻撃が私の身体を掠め、あちこちから血が滲んでくる。それでも、私は冷静に攻撃を捌き続けた。


「無駄な抵抗は止めろ! どうせおまえはここで死ぬんだ!」


 高倉の挑発にも耳を貸さない。

 そんな状態が続き、先に焦れたのは高倉の方だった。


「くっ、いいかげんに諦めろ!」


 力任せの大振りを放とうと腕を振り上げる。


「――諦めるのはおまえの方だ」


 高倉の背後、雨宮様がそのセリフと同時に剣を振るっていた。

 その一撃は、闇を纏う高倉の腕を斬り飛ばす。


「なんだと――っ」


 高倉が振り返ったのに合わせ、私が高倉の両足の腱を斬り裂いた。その衝撃に高倉の反応が鈍る。その瞬間、雨宮様が高倉の無事な方の腕の剣も斬り裂いた。

 私達の連携に、高倉は為す術もなくくずおれた。


「……雨宮が、何故?」

「仲間を想う気持ちを知らぬおまえには分かるまい」


 雨宮様は高倉に剣を突き付けたままそう言うと、一瞬だけ私に視線を飛ばし、感謝の念を伝えてくる。私もそれに、軽く頷くことで答えた。

 高倉に様々な物を投げつけたのは雨宮様に刀を届けるのを隠すためだった。この国で生産した回復ポーションで雨宮様が動けるようになるかは賭けだったけど、私は信じていた。

 その結果が、これだ。

 雨宮様は油断なく高倉に剣を突き付ける。


「終わりだ、高倉」

「な、何故だ。何故ここまでしたのに、はぐれごときに勝てぬ……っ」


 上位の魔物なんかにありがちな超回復を警戒するけれど、高倉にその力はないようだ。力を使い果たしたのか、高倉に抵抗の意思は残っていなかった。

 私はすぐさま第八の隊員を呼び戻し、高倉の拘束をお願いする。


「雨宮様、平気ですか?」

「ああ、怪我は大したことなかったからな。そういうレティシアこそ平気か?」

「大丈夫です」


 私が平気ではなく、大丈夫だと答えた意味に気付いたのだろう。雨宮様の顔に心配の色が滲んだ。だけど、平気だと答えなかったのは雨宮様も同じだ。

 私も彼も、おそらくはかなり無理をしている状態だと思う。

 それでも――


「蓮くんがここにいると聞きました」

「そうだったな。外はいまだに鬼と交戦中だ。いまは拮抗しているが、これからどうなるか分からない。救出するなら急いだ方がいい。俺も手伝おう」

「ありがとうございます」


 隊員達を呼び戻して他の部屋の捜索に当たらせ、私と雨宮様は奥の部屋へと足を進める。ここに来て周囲の警戒を怠ったりはしない。

 慎重に奥へと進んだ私は、そこで――蓮くんを見つけた。


 みすぼらしい服を着せられているけれど、見える範囲に外傷や変化はない。蓮くんは人間の男の子として、無事に研究室の奥にある部屋に立っていた。


「蓮くん?」

「おねえ、ちゃん?」

「うん、そうだよ! よかった、無事だったんだね!」

「――待て!」


 私が駆け寄ろうとした瞬間、雨宮様に腕を引かれた。それと同時、蓮くんの隣にいた男が、私の行く手を遮るように立ちはだかった。

 研究員かなにかだと思っていたけど、よく見れば恰好が違う。紫色の瞳は鋭い眼光を秘めていて、黄緑色の髪の下からは二本の角が生えている。


「……あなたは何者?」

「我はキリツグ――鬼と呼ばれる存在だ。人間共に虐げられる同胞を救いに来た」

「同胞って……蓮くんのこと? ふざけないで、蓮くんは人間よ!」

「面白いことを言う。貴様らは同胞を実験と称して弄ぶのか?」

「――それ、は……」


 色々な事実があきらかになり、情報が処理しきれない。鬼と名乗った彼は、明らかに蓮くんの扱いに対して怒っている。鬼って、魔族みたいに邪悪な存在じゃなかったの?


 分からない。

 けど、彼の目的が蓮くんの救出で、この研究所に忍び込んでいたのだとしたら、後からやってきた人間の私達は、彼を捕まえようとしている部隊だと思われているかもしれない。

 外の襲撃はそれが理由?

 だとしたら、話し合いで解決できるかもしれない。


「私達は、彼らの非道なおこないを糾弾するわ」

「ほう?」

「私達はこの研究所の関係者じゃない。ここに立ち寄ったのは偶然だけど、私はその子を保護するために探していたの。だから、私に渡してくれないかな?」

「ふむ。たしかに知り合いのようではあったが……」


 キリツグが、蓮くんに意見を求めるように視線を向ける。

 そして――


「……どうして、僕を騙したの?」


 悲しげな蓮くんの声が、私の胸に突き刺さった。


「ちがう、よ。私は、騙す、つもりなんて……」

「じゃあ僕をあんなところに送ったのはどうして!?」

「それ、は……ごめんなさい」


 どうやっても言い訳は出来ない。私が蓮くんを傷付けたのは事実だから。


「助けてくれるって信じてたのに……お姉ちゃんの嘘つきっ!」


 悲痛な叫びを上げる蓮くんの姿が、生き別れの弟の姿と重なった。


 私は、いつも誰かを護れずにいる。


 家族を、村のみんなを護るため、私は聖女になった。

 だけど、家族が暮らす村は、魔物の襲撃によって滅ぼされてしまった。


 生意気で可愛い後輩も護れず、ウルスラには命を救われた。

 私を聖女と信じ、救いを求める人々もたくさん死なせてしまった。


 きっと多くの人が、無力な私を怨んでいるだろう。


 ――それでも、私は聖女だ。聖女として生きて、救いを求める人々の救済が私の役目。新たな世界で自由に生きると決めても、その意思は失われなかった。

 蓮くんを救える可能性がある以上、ここで諦めたりなんてしない。


「傷付けてごめんなさい。だけど、私は――」


 それでもあなたを護りたい――と、その言葉は最後まで言えなかった。

 突然、天井で爆発音が響き渡ったからだ。

 同時に瓦礫が崩れ落ちてくる。

 とっさに、蓮くんを助けようと一歩を踏み出す――寸前、雨宮様に腕を引かれた。


「離してくだ――」


 私のすぐ目の前に大きな瓦礫が落ちる。もしも飛び出していたのなら、あの瓦礫の下敷きになっていただろう。それでも諦めきれなくて、私は「蓮くん!」と力の限り叫んだ。

 次の瞬間、砂ぼこりの中から影が飛び出してくる。

 蓮くんを小脇に抱えたキリツグだ。


「蓮くん!」

「……心配するな、気を失っているだけだ」

「その子を返して!」

「ふむ。なにやら事情がありそうではあるが、少年が望んでいない以上、そちらに引き渡すことは出来ない。それに……残念ながら時間切れだ」


 直後、崩れ落ちて開いた天井の向こうからロープが落ちてきた。キリツグは蓮くんを抱えたままそれに掴まり、あっという間に引っ張り上げられていく。

 ロープを切れば――ダメ、蓮くんも一緒に落ちる。


「娘、心配せずとも、少年は丁重に扱うと約束しよう」

「――っ、必ず、必ず迎えに行くわ! だから、傷付けたら許さない!」


 叫ぶ私に対し、キリツグはふっと笑みを零して天井の向こうへと消えていった。


「雨宮様、停戦の指示をお願いします!」

「任せておけ」


 このまま交戦を続ければ、蓮くんに銃弾が当たるかもしれない。それに相手が嘘を吐いていない限り、彼らは敵の敵であって、私達の敵ではない。

 少なくとも、いまの私達に戦う理由はない。


 だけど、それを理解しているのは、キリツグと言葉を交わした私と雨宮様だけだ。井上さんに停戦を呼びかけるべく、雨宮様が階段を駆け上っていく。

 私はそれを見送り、隊員の一人に高倉の居場所を聞いた。


「こちらちょうどよい独房があったので、拘束した上で監禁してあります。ただ、妖魔化が激しく、既に理性がありません。尋問は絶望的なようです」

「会わせてください」

「……かしこまりました」


 この隊員は、私が巫女と似た力を使うところを目撃している。ゆえに事情を察してくれたのだろう。なにも聞かず、私を独房に通してくれた。

 目的は、鬼について聞き出すことだ。

 さっきは、いまの私達に戦う理由はないなんて言ったけれど、それは種族間での話だ。キリツグが本当に蓮くんを丁重に扱ってくれるかは分からない。

 なにより、私は彼を助けると約束した。ここで諦めるという選択肢はあり得ない。

 だけど、特務隊は鬼の存在を知らなかった。

 このままでは、蓮くんが何処に連れて行かれたのか、手がかりを失ってしまう。いま彼らについて知っている可能性が高いのは、鬼と敵対関係にある研究所の所長である高倉だ。

 彼から情報を引き出す必要がある。


「……高倉、私が分かりますか?」


 私の問い掛けに返ってくるのは獣のような声。半妖のような姿をしているけれど、その反応はもはやただの妖魔と変わりない。

 それでも、姿が完全に変容していない以上、元に戻せる可能性はあるはずだ。


 ただ、いまの美琴さんの実力では、ここまで変容した高倉を救うのは無理だろう。だから私がなんとかするしかないのだけど、私の魔力は瘴気に侵されている。


 塩水でいくら洗っても塩っ気が消えないように、瘴気に侵された魔力をいくら使っても、その瘴気を洗い流すことは出来ない。

 これが、自分の魔石を、自らの術では浄化できない理由。


 だけど、塩水でも、泥水なら洗い流すことが出来る。

 当然塩っ気は残るので、最悪は妖魔化が悪化するかもしれない。蓮くん相手ではそのリスクを考える必要があるけれど、いまの高倉相手になら試す価値はある。


 私は聖剣を地面に突き立てた。その聖剣を通して魔力を放てば、聖女の力が増幅される。私は意識を集中して、浄化の術を構築していく。

 魔力が体中を巡り、あちこちで鋭い痛みが走る。


「――こほっ」


 咳き込めば、口の中に血の味が広がった。

 破壊的な衝動が沸き上がり、高宮を殺せと囁きかけてくる。

 このままなら遠くない未来、私は魔物、あるいは魔族に変容してしまうだろう。


 でも、それはいまじゃない。

 蓮くんの行方を摑むためにも、高倉には戻ってきてもらわなくちゃいけない。聖剣を通して増幅した魔力を放ち、高倉を中心に魔法陣を展開。

 その魔法陣に魔力を一気に流し込んだ。


「――ピュリファイング・ホーリー」


 浄化の術が発動し、高倉を中心に淡い光が舞い始める。けれど、純白の光とは言い難い。純白の光の端々が黒く滲んでいる。これがいまの私の魔力。その魔力に包まれた高倉の身体にも暗い影が落ちた。だけどそれ以上に、聖なる光が高倉を蝕む瘴気を払っていく。

 あと少し、もう少し。瘴気に侵された魔石が失った魔力を生成していく。その魔力が全身を巡り、再び視界が赤く明滅していく。

 それは精神にも作用して、破壊的な衝動が込み上げてくる。


 殺せ、高倉を殺せと、もう一人の自分が囁きかけてくる。

 でも、負けない。私の目的は蓮くんを救うこと。

 そのために高倉を元に戻す。

 だから――


「いいかげん、戻ってきなさいよ!」


 残っている魔力を一気に注ぎ込んだ。魔法陣が眩いほどの光を放ち、高倉の体内にある魔石が私の魔力に染まっていく。直後、高倉の瞳に理性の光が宿った。


「おまえ、は……」


 その姿を確認したのを最後に、私の意識は闇へと沈んだ。

 

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