エピソード 約束を守るために 3

【大正浪漫に異世界聖女】一巻明日発売です!


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 数日が過ぎたある日の仕事終わり、私は再び図書館で調べ物をしている。

 目的は高倉の背後関係を調べるためだ。水瀬さんも調べてくれているけれど、彼にばかり任せるわけにはいかないと考え、私は自分に出来ることを始めた。

 もちろん、アーネストくんや紅蓮さんの協力を得るのが一番だとわかっている。

 でも、頼めなかった。

 あの二人が、非合法の施設に対して憎悪を抱いていると知ってしまったから。


 なぜそんなに憎悪を抱いているのかも聞いていない。私はあの後、誤魔化すように話題を変え、会話もそこそこにお茶会の席を解散してしまったから。


 そんな訳で、私は図書館の本棚から一冊の本を取り出して目次に目を通す。すると、その目次に影が落ちた。顔を上げた私のまえに立っていたのは特務第八大隊の副隊長、雨宮様だ。

 着流し姿が多い彼だけど、今日は特務第八大隊の軍服を身に纏っている。

 濡れ羽色の髪に縁取られた整った顔。全体的にはクールな印象を醸し出しながら、その赤みを帯びた瞳には強い意志が滲んでいる。そんな彼が至近距離で私を見下ろしていた。


「雨宮様、このようなところで、奇遇ですね」


 彼がどことなく怒っているような気がして、私はわずかに上擦った声で話しかける。


「奇遇、ではないな。俺はおまえを探してここに来たのだから」

「そう、だったのですね。私になにかご用でしょうか?」

「なにか用があるのは、レティシアの方ではないのか?」

「私、ですか……?」


 意図がわからなくて小首をかしげる。

 そうして視線を交わしていると、雨宮様から視線を外した。


「……いまの俺は信頼できない、という訳か」

「ん? そのようなことは思っていませんが……」

「ならばなぜ――っ。いや、なんでもない」


 雨宮様は私の両腕を摑み、けれどすぐに引き下がった。本当にどうしたのだろうと困惑していると、雨宮様の影から黒髪の男性が姿を現し、私に近付いてくる。

 雨宮様と少しデザイン違いの軍服を纏うのは、元特務第一大隊の副隊長、前回の一連の事件で高倉隊長を告発して追い落とし、それらの功績で隊長に就任した井上さんだ。

 彼はその黒い瞳に申し訳なさそうな色を滲ませたまま私のまえに立った。


「レティシア、まずはおまえに謝罪をしたい」

「謝罪、ですか?」

「あの少年、蓮が適切な扱いを受けていなかったことだ。それに、まんまと高倉に連れ去られてしまったことも。本当にすまないと思っている」


 井上さんが深々と頭を下げた。

 ここは図書館で人目が少ないとはいえ、特務第一大隊の隊長ともあろう人間が、ただの女中に頭を下げていた――なんて噂が広まると大変だ。

 私は「迷惑だから頭を上げてください」と言い放った。


「……すまない、許してくれとは言わない。だが、こちらに悪意がなかったことは知っておいて欲しいんだ。それに、伊織に責任はないことも知っておいて欲しい」

「人目が気になるから頭を上げて欲しいと言っているんです」

「――っ、そうか、すまない」


 井上さんはようやく頭を上げてくれた。


「重ねて申し訳ない」

「いえ、というか、謝罪の意味が分かりません」

「……わからない、だと? おまえは少年の件で怒りを抱いていたはずだ」

「たしかに怒りました。いまも怒っています。ですがそれをしたのは高倉でしょう? そもそも、蓮くんの存在を知らなかった井上さんを怨んだりはしていません」

「だが、いまの特務第一大隊の隊長は俺だ」

「責任を持って対処してくださるのなら感謝します。ですが、井上さんを怨むことはありません。何度も言わせないでください」


 私だって、誰かを責めたくて仕方がない。でも、井上さんを怨むのは八つ当たりだ。そんなことをさせないで欲しいと突っぱねる。

 そんな私のかたくなな意思を感じ取ったのか、井上さんは申し訳なさそうな顔をしながらも、「感謝する」と引き下がった。

 これで話は終わり。そう思ったのだけど、今度は雨宮様が私の腕を取った。


「……雨宮様?」

「頭を下げるのは逆に迷惑になると考えてこのまま言わせてくれ。レティシア、少年の件、本当に申し訳なかった。どうか許して欲しい」

「……井上さんに言ったとおりです」

「だか、俺が確認をしていれば、今回の件は未然に防げたはずだ」

「……っ」


 雨宮様の言葉に、私はきゅっと唇を噛む。


「たしかに、雨宮様の仰るとおりです。でも、それを責めることは出来ません。だって、私も同じです。私が確認していれば……と、いまも悔やみ続けています」


 一度でも問い合わせていれば。あるいは、お見舞いに行っていれば。少なくとも、蓮くんが高倉の実験材料にされたまま、なんてことはなかった。


「つまり、怨んではいないが、信用もしていない、と言うことか」

「……はい? 雨宮様、一体、なにを?」

「あの少年の行方を捜していることだ。俺に頼らず、他の者に頼っているだろう?」


 予想外の言葉に思わず目を丸くする。だけど、同時に理解もする。私の最近の行動が、雨宮様に対する不信の表れだと思われていたのだろう。


「誤解です、雨宮様。それは雨宮様を信頼していないからではありません」

「ならばなぜだ?」

「それは……から、です」

「ん? すまないが聞こえなかった」

「私が、雨宮様に迷惑を掛けたくないからです!」


 こんなことを口にするなんて照れくさい。私は顔が赤くなるのを自覚しながら、おっかなびっくり雨宮様の表情をうかがう。彼は、理解できないと言いたげな顔をしていた。


「なにを、言っているのだ? 俺が迷惑などと思うはずがなかろう」

「ですが、私を守るために、大きな功績を代償にしたでしょう?」


 私は巫女召喚に巻き込まれた異世界の聖女だ。

 その事実を隠していてもなお、上層部からは私の力を欲する声がある。それを抑えて私の自由を確保するため、雨宮様は自分が得るはずだった利益を手放した。


「それは、以前にも言ったが恩に報いるためだ」

「それは理解しています。ですが、蓮くんの件までお世話になるわけにはいきません」


 私がお願いしたら、雨宮様は助けてくれるだろう。でも、それで雨宮様が自分を犠牲にするのは間違っている。私が蓮くんを助けようとしているのは個人的なわがままだから。

 だから、この件で頼るつもりはない。そう言って突っぱねれば、雨宮様は「そうか……」と視線を落とした。だが、それを聞いていた井上さんがにやっと笑う。


「レティシア、つまり俺や伊織に不信感を抱いている訳ではないのだな?」

「もちろんです。そこを履き違えたりはいたしません」

「ならば、一方的な善意ではなく、取り引きならば応じてくれるのだな?」

「取り引き、ですか?」


 蓮くんの件で困っているのは事実だ。雨宮様に甘えるつもりはなかったけれど、交換条件ならもちろん応じるつもりなので、「聞かせてください」と乗り気な姿勢を見せる。


「高倉元隊長に逃げられたのは特務第一大隊の失態だ。だが、その原因の根っこにあるのは連絡不足、第一と第八のあいだにある溝だ。俺はその溝を埋めたいと思っている。ゆえに、今後はなにかと特務第八大隊に協力を要請するつもりだ。レティシアが手伝ってくれるのなら、総力を挙げて少年を探すと約束しよう」

「……大変ありがたい申し出ですが、私になにをお求めですか?」


 特務第八大隊に協力を要請するのなら、そこに所属する私は必然的に参加するだろう。その対価に――と言われても、罪滅ぼしの口実にしか思えない。

 そしてその予想は当たっていたようで、彼はすぐに言葉を濁した。


 でも……私に取って、ありがたい申し出なのはたしか、なんだよね。


 私の身体は瘴気に蝕まれている。魔封じの手枷で延命は出来ているけれど、このままだとそう遠くない未来に魔物化が始まってしまうだろう。

 強い力を持つ私が魔物化すれば、より上位の存在である魔族になる可能性が高い。


 被害を未然に食い止める方法は大きく分けて二つ。魔物化するまえに自らの命を絶つか、あるいは魔物化の原因である体内にある魔石を浄化するかのどちらかだ。


 後者の場合は聖女に準ずる力を必要とするのだけれど、自分で自分の魔石を侵している瘴気を払うことは出来ないという制約がある。

 つまり、私が生き延びるには、美琴さんに巫女としての力を覚醒させてもらう必要がある。

 その手伝いをする必要があると、ずっと思っていた。

 だから――


「雨宮様、井上さんは信用できる方ですか?」

「もしや、あのことを話すつもりか?」

「はい。雨宮様が信用できると仰るのなら」

「……俺の言葉を信じるのか?」


 蓮くんの一件で責任を感じているのだろう。

 だけど、あれは私の失態でもある。雨宮様は、特務第一大隊に預けることに不安を感じていた。それでもなお、特務第一にと強く推したのは私だ。

 だから――


「雨宮様が信用できなければ、他の誰が信用できるというのですか?」

「……そう、か。ならば断言しよう。清治郎は信頼できる男だ」


 雨宮様が力強く断言した。雨宮様がこんな風に誰かを表するのは意外だった。それは井上さんも同じだったようで、「は? いきなりなんの話だ!?」と慌てている。


「雨宮様、あのペンダントはありますか?」

「ああ。そういうと思って用意した。だが、ここはまずいだろう」


 雨宮様は周囲を見回し、人気のない場所を目指して歩き出す。私がその後に続くと、困惑した様子の井上さんが並び掛けてくる。


「一体なんの話をしているんだ? と言うか、雨宮が俺を信頼できる、だと?」


 信じられないと言いたげだが、その表情には喜びの感情が滲んでいる。

 ……そういえば、元々は親しかったんだっけ。色々あっていがみあうような態度を取っていただけど、本当は二人とも、いまでも互いを信頼し合っているのかな? そんなことを考えながら雨宮様の後を追い、図書館の隅にある人気のない一角へやってきた。


「清治郎、おまえに見せたいものがある。決して声は上げるなよ」


 雨宮様はそう言って懐からペンダントを取りだした。それを私に向かって近付けると、ペンダントが眩い輝きを放った。


「なんだと? まさか、そういうこと、なのか……?」

「他言は無用だ」


 雨宮様はペンダントを懐にしまい、説明は好きにしろとばかりに視線を向けてきた。それを受けた私は、小さく頷いて井上さんのまえに立つ。


「最初に言っておきますが、私は井上さんが思い浮かべる存在ではありません」

「だが、さきほどの光は……」

「はい。おそらく、似て異なる存在なのだと思います。くわえて、いまの私は万全の状態ではありません。ですが、それでも、自身の力を鍛える術は知っています。もし蓮くんの捜索を軍部で引き受けてくださるのなら、私が美琴さんの修練についてアドバイスしましょう」


 これが私の思い付いた取引条件だ。

 

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