エピソード 約束を守るために 2

 翌日。その日の女中業務を終えた私は、上司に許可を取って応接間を借り、相談があると言って紅蓮さんとアーネストくんをお茶会に招いた。昨日はミルフィーユだったので、今日はレアチーズケーキ&ルフナミルクティーという組み合わせでお出迎えの準備をする。


 ちなみに、レアチーズケーキという単語を口にして、私はある事実に気が付いた。

 レアチーズケーキというのは、焼かずに作るチーズケーキのことだ。

 私の意識の中ではいまも、焼かないチーズケーキという意味の名詞が浮かんでいる。だけどそれを日本語として認識すると、レアチーズケーキという言葉が出て来る。

 この世界において、レアというのは生焼けという意味であるにもかかわらず、だ。


 そして調べたら納得した。

 ミルフィーユと同様、この国には既にレアチーズケーキが存在しているのだ。

 ようするに、この世界に類似品がある場合は、その名詞に変換される。そうでない場合には、ニュアンスを得やすい造語が当てはめられる、ということである。


 にもかかわらず、聖女は巫女と変換されず、魔石は妖石と変換されなかった。これは、聖女や魔石が、巫女や妖石と似て異なる存在である――ということを示している。


 もちろん、どれだけ差があれば違う言葉に翻訳されるのかは分かっていない。なので、それを調べる必要はあるけれど、この翻訳の力を利用してあれこれ確認は出来るかもしれない。


 ――と、そんなことを考えていると紅蓮さんがやってきた。

 私よりも二つ年下の二十歳。その名に相応しい真っ赤な髪に、爛々と輝く赤い瞳。少し大雑把で不器用な性格だけど、その根はとても優しい青年である。

 彼は部屋に入るなり周囲を見回して鼻を鳴らした。


「なんか甘酸っぱい匂いがするな」

「レアチーズケーキですね」

「あぁ、あれか……」

「苦手でしたか? でしたら別のお菓子を用意しますね」


 好き嫌いが強い食べ物だということを思いだし、別のお菓子を用意するべく異空間収納を開こうとした。だけどそれより早く、紅蓮さんの腕が私の手首を摑んだ。


「……紅蓮さん?」

「あぁいや、その……なんだ。レティシアの嬢ちゃんがせっかく用意してくれたんだ。それを苦手だから交換してくれなんてことは言わねぇよ」


 私はパチクリと瞬いて、それからクスリと笑う。


「そんなこと言って、大丈夫ですか?」

「ああ? 俺を誰だと思ってやがる!」

「チーズケーキが苦手な、特務第八大隊の小隊長ですよね?」

「てめぇ、チーズケーキくらい食べられるって言ってるだろうがよっ!」


 がーっと怒って詰め寄ってくる。強がる必要なんてまったくないのに、虚勢を張る紅蓮さんが可愛いらしい。そんなことを思っていると、続けてアーネストくんがやってきた。


 まだ十五歳ながら、紅蓮さんと同じ特務第八大隊の小隊長。サラサラの金髪に、幻想的なアメシストの瞳。とても愛らしい、天使のような男の子――なんだけど、私に詰め寄る紅蓮さんの姿を目にした彼はすぅっと目を細め、腰の軍刀に手を掛けた。


「紅蓮さんは、なにをやっているんですか?」

「あん? なにって、そりゃ……」


 チーズケーキが苦手なことをからかわれていた――と言いたくないのだろう。言葉を濁す紅蓮さんに対し、アーネストくんの表情がより険しくなる。

 私はさっとまえに出て、軍刀に手を掛けているアーネストくんの腕を取った。


「いらっしゃい、アーネストくん」

「あ、レティシアさんこんにちは。今日は呼んでくれてありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げるアーネストくんはやはり可愛らしい。


「こっちこそ。急に呼びつけてごめんね。お茶菓子を用意してあるから席に座って」


 私が席を勧めると、彼は大人しく席に着いた。

 ちなみに、私はただ席を勧めただけだけど、彼が座ったのは入口側の下座である。二人は同じ特務第八大隊の小隊長だけど、階級は中尉の紅蓮さんの方が高い。普段はあんなに反発しているのに、こういうところではしっかり紅蓮さんを認めているみたいだ。

 そんな風に感心しながら、私はお茶菓子を並べ、ホストとして上座に座る。


「どうぞ、お召し上がりください」

「お言葉に甘えていただきます」

「おう、それじゃいただくぜ」


 私の勧めに対してアーネストくんは丁寧な言葉で応じ、紅蓮さんはぶっきらぼうに言い放った。だけどその言葉とは裏腹に、アーネストくんはレアチーズケーキにがっついて、紅蓮さんはおっかなびっくりレアチーズケーキをフォークで突いている。

 そんな二人の反応が微笑ましい。紅蓮さんも、苦手なら苦手って言えばいいのに。


「紅蓮さん――」


 無理しなくていいですよ――と、そう声を掛ける寸前、彼はエイヤとばかりにフォークでレアチーズケーキをカットして、その欠片をはむっと頬張った。

 そうしてもぐもぐと口を動かすと、ハッと目を見開いた。それから更に咀嚼して、ゴクリと喉の鳴らし、もう一口、フォークで切り分けたレアチーズケーキを頬張る。

 カットしたサイズがさきほどより大きいのは、気に入った証拠だろう。アーネストくんはどうかなと視線を向ければ、こちらは口を押さえて硬直している。


「アーネストくん、もしかしてレアチーズケーキは苦手だった?」

「あん? そうなのか、アーネスト」

「そ、そんなはずないでしょう!」


 こちらも負けず劣らずの意地っ張りだった。


「アーネストくん、ミルクティーと合わせるといいよ」

「そ、そうですね」


 アーネストくんはレアチーズケーキを紅茶で流し込むべく、ルフナミルクティーを口にした。だけど途中であれ? と言いたげに首を傾げる。


「このミルクティーと一緒だと、レアチーズケーキの酸味がまろやかになりますね」


 アーネストくんはそう言って、再びレアチーズケーキを口にした。さきほどよりもカットしたサイズが小さいけれど、無理に口にしている様子はない。

 よかった、気に入ってくれたみたい。

 でも……次から、クセのあるお茶菓子を出すときはもう少し気を使おう。そんな感想を抱きつつ、私もレアチーズケーキを口にする。


 私が二人を呼んだのは、妖魔化に関する研究関連で聞きたいことがあったから。でも、本能的に、二人にその話題を振るのは好ましいことではないとも思っている。

 迷った私は、ひとまず当たり障りのない話題を口にする。


「そういえば、特務第八大隊が評価されてよかったですね。新しい装備も受領したんですよね? 装備が強化されて、戦力が増強されたって笹木大佐様が言ってましたよ」


 いまの帝都は、巫女が活躍した話題で持ちきりだ。

 そしてその立役者は特務第八大隊――だったのだけど、それは上層部との取り引きで秘匿され、立役者は特務第一大隊ということになっている。

 だけど、その取り引きの一環として、特務第八大隊は帝都を守ったことになっている。世間一般では話題に上らず名誉は得られなかったけど、代わりの利益は受けることが出来た。


「あーたしかに、装備が強力になるのはありがたいな。だが、今回の扱いに不満を持ってる者も少なくない。特務第一大隊との関係が心配だな」

「特務第一大隊との関係ですか? 高倉の勢力が排除され、井上さんが後任になったんだから、その辺りのことは心配しなくても大丈夫じゃないんですか?」

「いや、そう簡単な問題じゃねぇよ」

「そうですね。僕らは疎まれていますから」


 アーネストくんまでもが紅蓮さんの意見に賛同する。

 彼らは以前、自分達がはぐれ者の集まりだと揶揄していた。それが、高倉達の評価だから、そのように自嘲しているだけだと思っていたのだけど……違うのかもしれない。


「えっと、なんかごめんなさい」

「嬢ちゃんが謝ることじゃねぇよ。それより、俺達に相談があるんだろ? しかも、世間話で様子をうかがったりして、話題にしづらい内容だ。……違うか?」

「紅蓮さんには叶いませんね。……実は」


 私がお願いして、蓮くんを特務第一大隊に預け、美琴さんに治療してもらおうと思ったこと。だけど、実際には高倉の研究所に入れられていたこと。

 それが発覚したときには、連れ去られた後だったことを打ち明けた。


 直後、パリンと音がして、アーネストくんの使っていたティーカップが砕け散った。私はすぐにカップの欠片を取り除き、布巾で零れた紅茶を拭う。


「アーネストくん、大丈夫? ……アーネストくん?」


 ここまで、アーネストくんの反応がないことに気付く。不思議に思ってアーネストくんに視線を向ける直前、紅蓮さんがどんっ! とテーブルを叩いた。


「紅蓮さん?」

「あの少年が、高倉の支配下にあった研究所に入れられていた、だと?」

「……はい。妖魔化しかかった状態から元に戻ったケースが珍しかったんだと思います」

「高倉がその程度の理由で――っ! ……いや、いまはそういう話じゃなかったな」


 テーブルの上にある拳を握り締め、紅蓮さんが静かに私を見た。その表情はいつもと変わらない――はずなのに、私には彼が凄く怒っているように見えた。


「レティシアの嬢ちゃん。嬢ちゃんはどうしてあの少年を特務第一大隊に預けたんだ? 妖魔化の危機を脱して、あとは平和に暮らすだけじゃなかったのか?」

「蓮くんを蝕む瘴気がなくなったわけではありませんから。あのまま放っておけば、いつまた妖魔化していたかわかりません。それを防ぐには、美琴さんの力が必要だったんです」

「つまり、助けようとした、ということだな?」

「……はい」


 いいわけの言葉はないと項垂れる。

 果たして、紅蓮さんはそのまま沈黙した。代わりにアーネストくんが口を開く。


「それで、レティシアさんは僕達になにを聞きたいんですか?」

「高倉は蓮くんだけじゃなく、研究資料を持ち出しています。それは、何処かで研究を続けるつもりだから、だと考えました。そのあて、二人にはありませんか?」

「レティシアさんは、あの子を連れ戻すつもりですか?」

「はい。なにかあれば助けると約束しましたから」

「そうですか……」


 紅蓮さんに続き、アーネストくんまでもが沈黙する。なんとも言いがたい雰囲気が気まずい。そうして沈黙していると、アーネストくんが再び口を開く。


「軍部に隠れて研究する施設はたしかに存在します。だけど残念ながら、現存する研究所の場所を、僕や紅蓮さんは知りません」

「いまは存在しない、と言うことですか?」


 何気ない質問。

 それに対し、アーネストくんは薄ら寒い笑みを浮かべてこう言った。


「いいえ、研究所は発見次第、すべて潰していますから」――と。

 

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