エピソード 約束を守るために 1

 あれから、私は雨宮様達からいくつかの情報を得た。

 高倉が研究資料を持ち出した際、証拠の隠滅を図ったそうで、どのような研究がおこなわれていたのか詳細は不明。だけど、その時点での蓮くんは五体満足だったそうだ。

 重要なのは、攫われる直前の蓮くんが無事だった――という事実だ。


 蓮くんは攫われるまえから高倉の管理下に置かれていた。研究施設に入れられていたことを考えれば、妖魔化しかかった彼を観察していたのだと予想できる。

 つまり、攫われた後も同じ待遇である可能性が高い。


 だけどその予想が正しくとも、いつまで続くかはわからない。だからすぐにでも蓮くんの行方を捜す必要がある。私はその手がかりとして、高倉の背後関係に目を付けた。


 高倉は特務第一大隊の隊長だった。だが、その地位に上り詰めることが出来たのは様々な不正があったから。彼一人の力で特務第一大隊のトップにまで上り詰めたわけではない。

 そして、今回の逃亡。

 妖魔の襲撃も作戦の一部だったのか、それとも偶然に乗じたのかはわからない。だけど、これだけは言える。牢に入れられていた高倉が逃亡できたのは、手引きした者がいるからだ。


「そして、逃亡時に研究資料を持ちだしたことを考えれば……」


 ……何処か、持ち込むあてがあると言うことだよね。真っ先に考えられるのは、高倉の背後に黒幕がいることだけど……容疑者は黒幕少佐のことじゃない。

 あの人は普通にいい人です、ごめんなさい。


 こほん。

 とにかく、私は黒幕、それも相当な権力者がいるのではと考えた。だからその候補となる者を探すべく、大本営にある図書館へと足を運んだ。

 端が霞んでしまいそうなほど大きな空間に、所狭しと本が並べられた図書館。

 受付に座る男性が、私の姿を見て席を立った。

 彼は営業スマイルを浮かべて近付いてくる。


「いらっしゃいませ。本日はどのような本をお探しでしょう?」

「貴族や財閥関連の資料を探しています」


 私がそう口にした瞬間、彼はぴくりと眉を跳ね上げた。


「……なにか?」

「いえ、失礼いたしました。案内いたします。どうぞこちらへ」


 彼はそう言って歩き始める。気にならなかったと言えば嘘になるけれど、問いただすほどのことでもないだろう。そう思った私は彼の背中を追い掛ける。

 そうして案内してもらったのは、図書館の端っこだった。


「こちらの棚が貴族や財閥関連の資料を取り扱っております。この館内で読むのならご自由に、もし持ち出す場合は記帳が必要なので受付にお越し下さい」

「わかりました。ご丁寧にありがとうございます」


 受付の男性にお礼を言って、私は貴族に付いて纏められた資料に手を伸ばした。何冊かの本を選び、キャレルに足を運んで一冊目の本に目を通す。

 最初に思ったのは『雨宮様の家、でっかい』だった。


 古くから続く華族の流れを汲む家で、いまは公爵家を名乗っている。貴族と財閥が必ずしもイコールという訳ではないのだけれど、雨宮公爵家は財閥という側面も持っていた。

 また、井上公爵家も同様である。

 そのため、この二つの家は軍部とも大きな繋がりを持っているようだ。


 とはいえ、井上さんは高倉さんを告発した立場だし、雨宮様に至っては険悪な関係だと言っても過言ではない。この二つの家のどちらかがかかわっているという可能性は低いだろう。

 警戒すべきは、高倉に近しい家の人間だ。


「……ああ、高倉自身も高倉公爵家の人間だったんですね」


 いつか聞いたような気もするけど――と、資料を読みあさる。彼は高倉公爵家の末席に名を連ねる存在のようだ。だとすれば、高倉公爵家が黒幕の可能性も――

 と、そこまで考えた直後、不意に隣の席に誰かが座った。


 このキャレルは二人掛けの席で、仕切りが付けられている。他の席が全部埋まっているのならともかく、私の隣に誰かが座るのはおかしい。そう思って顔を上げた私は納得した。


 私の隣に座っているのは着物を着崩した書生スタイルの青年。黒髪に縁取られた精悍な顔に、好奇心に満ちた黒い瞳を輝かせるマッドサイエンティスト、水瀬さんである。


「水瀬さん、こんなところで会うなんて奇遇ですね」

「そうだね。でも僕はよく図書館に足を運んでいるけどね」

「ああ、そっか」


 水瀬さんはいわゆるマッドサイエンティストである。研究が好きな彼ならば、様々な資料が揃う図書館に足を運ぶことも多いだろう。


「それにしても、さすがレティシア嬢だね」

「なんのことですか?」

「図書館で資料を読んでいることが、だよ」

「……もしかして、女性が資料を読むのは珍しいのですか?」

「時代の移り変わりで女性の地位も向上しつつあるけど、レティシア嬢が読んでいるような視力を読む女性はかなり珍しいと思うよ」

「なるほど……」


 さきほど、受付の男性が驚くような反応を見せた理由がわかった。私がこの手の資料を読みたいと言ったから驚いたのだろう。


「水瀬さんは、女性が学問や政治に手を伸ばすことをどう思いますか?」

「もちろん大歓迎さ」

「どうしてですか?」

「同志が二倍に増えるじゃないか」

「……あはは、水瀬さんらしいですね」


 良くも悪くも差別意識はないらしい。水瀬さんらしくてちょっと安心する。


「そういえばレティシア嬢はなにを調べているのですか?」

「実は……高倉が逃走したことはご存じですよね? その手引きをしたのが誰か調べていたんです。それで彼の実家が怪しいなぁ……と」

「ふむ。高倉公爵家ですか? 可能性で考えれば低いと思いますよ」

「……なぜですか?」

「ちょっと待ってくださいね。たしか先日の記事があったので」


 水瀬さんが一度席を立ち、どこからか新聞をもって来た。

 その一面には巫女の凱旋。そして二面には高倉才蔵が汚職によって逮捕されたという記事が載っており、更に隅っこに高倉才蔵が実家の公爵家から絶縁されたとあった。


「……トカゲの尻尾切りという可能性はどうですか?」

「そうですね、絶対にないとは言えないでしょう。しかし、高倉公爵家の現当主と彼は不仲という話です。高倉家がかかわっていたとしても、それは本家ではないと思いますよ」

「そう、ですか……」


 分家になると途端に対象が多くなる。脱走の手引きをした候補を探すのは難しそうだ。


「レティシアさんはなぜ高倉の背後関係なんて調べているんですか?」

「それは……」


 誰の耳があるか分からないと周囲を見回して言葉を濁す。


「なにか事情がありそうですね。ここで話しにくいのなら開発局に来ませんか? それに実は、僕もキミに聞きたいことがあるんです」


 そういって目を輝かす彼を見て私は思った。

 絶対、研究の話がメインだよね――と。



 なにはともあれ、私は第八の開発局へと足を運んだ。水瀬さんに案内された応接間のテーブル席に腰を下ろすと、向かいに座った水瀬さんがワクワクした顔を向けてくる。


「……なんですか?」

「レティシア嬢は異空間収納に様々なお茶菓子をしまっていて、ときどきそれを振る舞っているという噂を聞きまして。異世界のお菓子、なんですよね?」

「……食べますか?」

「ぜひお願いします!」


 テーブルに身を乗り出した彼が私の手を両手で握ってくる。

 相変わらずスキンシップが激しい。


「そんなに必死にお願いしないでもお茶菓子くらい用意しますよ。だから手を離してください。異空間収納を使えませんから」

「おっと、そうでしたね」


 彼が椅子に座り直すのを待って、異空間収納のスキルを――


「……水瀬さん、異空間収納に手を突っ込もうとするなら使いませんよ?」

「おっと、バレてしまいましたか。わかりました、見るだけにします」


 油断も隙もない。本当にマッドサイエンティストだと思う。

 まあ、他人が異空間収納に手を突っ込むことは出来ないから、大丈夫と言えば大丈夫なんだけど、視覚的には気持ちのいいものじゃないからね。

 私は苦笑いを浮かべて異空間収納を使い、テーブルの上にお茶菓子を並べた。


「これはケーキですね。しかし、薄い生地が何層にも重なっている。もしや、ミルフィーユと呼ばれるケーキですか?」

「あら、ご存じなのですか?」

「ええ、海外からやってきたパティシエが広めたという噂があります。それと同じケーキがキミの故郷にもあるとは……やはり、キミの故郷や西洋の文化と似ていますね」

「そのようですね。……他のケーキの方がよろしいですか?」

「いえ、味の違いも知っておきたいところですから!」


 本当、検証しないと気が済まないんだなと私は笑う。

 そんな私を他所に、水瀬さんがミルフィーユにフォークを落とした。サクッと音を立てて、ミルフィーユを一口サイズに切り取ると、それを口に頬張った。

 そうしてもぐもぐと咀嚼すると、頬を押さえて打ち震える。


「~~~っ」


 どうやら気に入ってくれたようだと、私もミルフィーユを口にした。さくさくと音を立て、口の中に濃厚なクリームやバターの芳醇な香りが広がっていく。

 しばらくぶりに食べるけど、やっぱり美味しいと頬を緩める。


「レティシアさん、このミルフィーユは素晴らしい味ですね! この国にあるミルフィーユも美味しいですが、これはまた違ったおもむきがあります!」

「気に入っていただけてなによりです。よろしければそちらの紅茶と合わせてどうぞ。ウバを使ったストレートティーで、ミルフィーユとよく合いますよ」

「それは試さずにはいられませんね。……なるほど、この爽快感がたまりませんね!」


 水瀬さんは表情を輝かせて、もう一口、ミルフィーユを頬張る。

 無邪気な姿がとても微笑ましい。

 私はそれを横目に、この世界にあるミルフィーユにも興味を抱いた。私の異空間収納にあるミルフィーユは、元の世界にあるお気に入りの店で買い込んだものだ。在庫が切れたらもう食べられないと諦めていたのだけど……もしかしたらなんとかなるかもしれない。

 ただ、いまはそれよりも優先すべきことがいくつかある。


「それで、水瀬さんの話というのはなんですか?」

「そうでしたね。実は手枷なんですが……」


 彼はテーブルの上に魔封じの手枷を置いた。

 鍵は相変わらず外れていないけど――


「……もしかして、少し隙間が空きましたか?」


 魔封じの手枷を手に取ってみると、腕輪に隙間が出来ていた。それ単体で見れば気にならないレベルだけど、私の右腕にはまっている腕輪と比べれば一目瞭然だ。


「物理的な鍵ではなく、魔術的な鍵であると聞いて色々と考えました。この穴に入れる鍵はどんな物だろう、と。その結果――」


 彼はポーションを製作する素材のサンプルとして渡していた魔石の一つを腕輪の鍵穴らしきところへと近付け、私に「引っ張ってみてください」と口にする。

 言われたとおりに手枷を引っ張ると、合わせ目がわずかにぐらついた。


「……これは、魔石が鍵、ということですか?」

「おそらくそうでしょう。ただ、どのような魔石でもいいと言うわけではなく、ある一定の波長を持つ魔石が必要になるのだと推測いたしました」

「……なるほど。たしかに、魔石には固有の波長パターンがあり、指紋のように個別認識が出来るといわれています。それを利用しているのかもしれませんね」


 だが、それが事実だとすると、鍵となる固有パターンを持つ魔石を用意することは不可能だ。魔封じの手枷の鍵を開けることは出来ない。


「……鍵を開けることは諦めた方がよさそうですね」


 せめて、魔封じの機能を維持したまま、鍵をこじ開ける方法だけでも見つけて欲しいと考える。そんな私に「諦めるのはまだ早いです!」と水瀬さんがテーブル越しに詰め寄ってきた。


「あ、諦めるのはまだ早いって、どうするつもりですか?」

「もちろん研究するに決まっているじゃないですか! レティシアさんはさきほど、固有の波長パターンが、指紋のような役割を果たすといいましたね?」

「え、ええ、いいましたけど……」

「ではご存じですか? 指紋を偽造できることを」

「……それは、鍵となる魔石を偽造する、ということですか? そんなこと……」


 彼の言いたいことは理解できるけど、そんなことが本当に出来るんだろうかと困惑する。


「出来ないと思いますか? ですが……」


 水瀬さんが手枷に複数の魔石を近付ける。彼の視線に促されて手枷を引っ張ると、さきほどよりも合わせ目がぐらつくことが確認された。


「ご覧の通りです。組み合わせ次第ではなんとかなるかもしれません」

「……なるほど」


 これならば、たしかに可能性はあるだろう。

 もちろん、簡単にとはいかないだろうけれど……


 でも、最初から無理と決めつけていたら、魔石を組み合わせるという発想も出てこなかったはずだ。研究者なら、水瀬さんなら不可能を可能にしてくれるかもしれない。


「わかりました。そういうことなら手持ちの魔石をすべてお預けします」


 魔石は動物の体内で生成される。

 それを集めて売りさばく冒険者も存在したが、私の目的は魔王を倒すことだった。倒した敵から魔石を剥ぐという行為をほとんどしなかったため、それほどの数があるとは言いがたい。

 それでも、手持ちの魔石をテーブルの上に積み上げた。


「いまとなっては二度と手に入らない魔石ですが、必要なら使い潰してもかまいません。ただし、こちらの魔石だけは使い潰さず、どうしてもというときは相談してください」


 私はそういって異空間収納から最後の一つを取りだした。魔石は基本的にすべて紫色をしている。だけど、私が取りだした最後の一つは透明の石だ。


「まるでダイヤモンドですが、それも魔石なのですか?」

「はい。たとえ属性が異なる魔石でも、その色は紫色と変わりません。ですが、聖女の体内で生成された魔石だけは、このように無色なのです」


 聖属性の魔石。

 言葉にすると違和感があるけれど、聖属性の魔力で出来た石というニュアンスである。


「聖女、ですか?」

「はい。この世界における巫女のような存在です」


 聖女の存在を明らかにするけれど、私が聖女であることは明かさない。水瀬さんの興味を引くリスクもあるけれど、解錠を試すのに必要なリスクだと打ち明ける。


「レティシア嬢、キミは巫女のような存在の体内で生成された魔石をどうして……?」


 水瀬さんはそれ以上聞いてこなかった。

 私が寂しげに笑ったことに気が付いたのだろう。


「それは、私の仲間だった女性の遺品です」

「そんな貴重な物を……よろしいのですか?」

「もしそれが必要ならば」


 聖女は死して人々の命を救う。聖女として生きた証である魔石は、その者の死を看取った仲間が持ち帰るのが慣わしだ。そして、それを使って仲間の命を救う。

 そうして私達は魔王軍と戦ってきた。だから、聖属性の魔石も残っているのはそれが最後の一つ。他に選択肢がないのなら、その魔石を使うことも覚悟する。


 ――と、そこまで考えた私は、ウルスラの魔石を回収しなかったことを思いだした。あのときの私は、自分も助からないかもしれないと思っていたから。

 こんなことになるのなら回収しておけばよかった。……でも、私が異世界に連れていくより、あとから来るであろう仲間達に連れ帰ってもらった方が、ウルスラも幸せ、かな。


「レティシア嬢、大丈夫ですか?」

「っと、失礼しました、なんでもありません」


 頭(かぶり)を振って暗い気持ちを吹き飛ばし、水瀬さんへと視線を戻した。


「これらの魔石は水瀬さんに預けます。どうか、よろしくお願いします」

「はい。たしかにお預かりいたしました。必ず鍵を開ける方法を見つけてみせましょう」


 水瀬さんは部下に革袋を用意させると、テーブルの上積み上げた魔石を自らの手で革袋にしまい、聖属性の魔石は個別に保管。それらを終えると私へと視線を向けた。


「お待たせしました。それでは本題に入りましょう。レティシア嬢、キミはなぜ、高倉を逃がす手引きをした者達を探しているのですか?」


 さきほどは言葉を濁した質問。でも、ここに来るまでの間に話す決断は下している。私はすぐに実は――と、第一大隊に任せていた蓮くんが攫われた事実を打ち明けた。


「そうですか。高倉がその少年を独断で研究施設に」

「はい。妖魔化の危機から立ち返った、貴重なサンプルだと思ったのではないか、と」

「……そうかもしれませんね」


 私の言葉に対し、水瀬さんはふっと視線を斜め下に向けた。


「水瀬さん?」

「いえ、それで、少年を取り戻すために、高倉の行方を追いたい、ということですか」

「はい。研究資料も持ち出しているので、何処かで使うあてがあると予想しています」

「なるほど、たしかにその通りですね。帝国陸軍にも内緒で、研究室を運営できる存在ともなれば限られているでしょう。こちらのツテで探すことも可能です。しかし――」


 彼はそういってまっすぐ私に視線を向けてきた。

 彼の真っ黒な瞳が、私のわずかな反応も見逃さないとばかりに瞳を覗き込んでくる。


「その手の研究をしている場所に付いて調べるのなら、私よりも適任がいるはずです」

「……適任、ですか?」

「紅蓮やアーネストですよ。本当はあなたも分かっているのではありませんか?」

 

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