エピソード 3ー10

 女中として働きつつ、夜は彩花のドレス作りを手伝う。そうして三日が過ぎ、雨宮家に招待された当日となり、私は異空間収納にしまっている中で最高のドレスを用意する。

 招待状の片隅に、異世界のドレスを見せて欲しいとのメッセージが添えられていたからだ。


 そんな訳で、身に付けるのはAラインのドレス。桜色に染めた、光沢のあるシルク生地に、レースと刺繍をあしらったデザインで、胸元は大きく開いている。

 髪は後ろで軽く纏め、そこから緩やかに編んで下ろすスタイル。ドレスの裾から覗く足下はニーハイのストッキングで、靴は編み上げのブーツを履いている。


 靴がブーツなのは、私が生粋の令嬢ではなく、いつも戦いに身を置く聖女だから。いつ襲撃されるか分からない身の上でハイヒールを用意する気にはなれなかったのだ。


 準備は完璧。

 淡い色のドレスに身を包んだ私は、迎えの車に乗り込んだ。

 ゆったりとした車のシートに揺られ、しばらく帝都の街並みを眺めていると、ほどなくワンブロックを取り囲む外壁が見えてきた。

 その外壁の向こうには、古式ゆかしい立派なお屋敷がたたずんでいる。

 それが雨宮様のご実家のようだ。


 建築様式はまるで違うけれど、こういう存在感のあるお屋敷は見たことがある。地脈より溢れいずる魔力素子、その吹き溜まりがある地に建てられた神殿が同じ雰囲気を纏っていた。

 きっと雨宮家のお屋敷も、霊験あらたかな土地に建てられているのだろう。


 車は外壁の門を抜けて屋敷の前で止まる。外で出迎えてくれた女性の使用人が車の扉を開け、「どうぞ、お降りください」とお辞儀した。


 車の乗り降りに対する正式なマナーは知らないけれど、馬車とそう変わらないようだ。そう当たりを付け「ありがとう」とお礼を言って地に足を付ける。

 使用人はそれを確認し、「お嬢様のもとへご案内します」と前を歩き出した。


 驚いたのは、玄関で靴を脱ぐことだ。特務第八大隊の敷地の中で靴を脱ぐことはなかったけど、靴を脱ぐのが日本古来の様式だそうだ。


 家の中で襲われたら危険じゃないのかな――と、そこまで考えた私は、おそらくこの国は、妖魔が現れるまでは治安がよかったのだろうと予想した。


 そんな歴史的背景を考えながら、使用人の後をついて木張りの廊下を歩く。

 調度品の数々は――やはり特務第八大隊の物とは毛色が違う。あちらが西洋に染まっているとしたら、こちらは日本古来の伝統を重んじるイメージ。


 時代は新たな様式を好んでいるようだけど、私はこっちの方が好きだ。そんなことを考えながら歩いていると、使用人が紙で出来た仕切りの前で足を止めた。

 彼女はそのまま仕切りの前に膝を突く。


「お嬢様、レティシア様がいらっしゃいました」

「入っていただきなさい」

「かしこまりました。……レティシア様、中で雨音お嬢様がお待ちです」


 なんと、雨音様はこの仕切りの向こう側にいるらしい。

 もしやこの木枠は、すだれのような役割をしているのだろうか? それなら、故郷でも、やんごとなき身分の方が使っているのを見たことがある。

 でもそういうのは、部屋の中にあるはずだ。


「申し訳ありません。私、日本の様式は分からなくて。どうしたらいいのですか?」

「あぁ、そうでしたね。こちらこそ失礼しました。襖の前で膝をお突きください」


 紙を貼った木枠の仕切りは襖と言うらしい。その襖のまえで使用人の言葉に従う。王に傅くように左膝を突き、左手はその膝の上に乗せる。そうして右手は胸の前に添えた。


「ええっと、いえ、そうではなく、突くのは両膝です」


 使用人の方が小声で教えてくれる。どうやら私の知る様式とはまったく違うらしい。両膝を突くのなら、手はどこにつくのだろう? 胸の前で交差? と困惑する。


「……なにをしているのですか?」


 襖の向こうから、怪訝そうな声が聞こえてきた。


「申し訳ありません、雨音お嬢様。レティシア様が、この国の作法をご存じないようでして」

「彼女は異国の人間、この国の作法を強いる必要はありません」

「かしこまりました」


 そんなやりとりの後、使用人が襖を開けてくれた。

 ふわりと広がる草の匂いに驚く。見れば、床が編み込まれた草になっている。これは彩花の言っていた畳だろう。話には聞いていたけれど、目にするのは初めてだ。

 感心しながらも片膝を突いたまま待機、私は相手から声を掛けてくれるのを待つ。


「いらっしゃい、あなたがレティシアさんね。そうかしこまる必要はないわ。どうぞ、楽にして、中に入ってきてちょうだい」

「かしこまりました」


 私はゆっくりと立ち上がり、彼女の元へと歩み寄る。彼女は金糸を含む糸で刺繍を施した着物を纏い、畳の上に置かれた座布団の上に、両足を畳んで座っていた。

 後から知ったが、それは正座と言うらしい。


 艶やかな黒髪に縁取られた小顔。こちらを見つめる黒い瞳は深みがあり、すべてを見通しているかのようだ。他のパーツも整っていて、さすが雨宮様のお姉様と思わずにはいられない。

 彼女の向かい、少し離れたところで足を止め、ドレスの裾を軽く摘まんだ。


「レティシアと申します。本日はお招きいただきありがとうございます」


 片足をもう片方の足の後ろに引いて、わずかに膝を曲げる、カーテシーで挨拶をする。本来なら相手は立っているか、きざはしの上で座っていることが前提。

 決して見下ろしながらする挨拶ではないのだけれど、この国の作法を強いるつもりはないと言ってくれた彼女に、自国の流儀で敬意を示した。

 それに対し、雨音様は胸のまえで手のひらを合わせ、穏やかな微笑みを浮かべた。


「それが異世界の挨拶なのね。初めて目にする様式ではあるけれど、とても洗練されているのが分かるわ。こちらこそ、招きに応じてくれてありがとう」


 彼女の整った顔に柔らかな笑みが浮かんだ。

 雨宮様とよく似た整った顔立ち。なのに、雨宮様と比べて柔らかな笑みを浮かべる。その表情に見惚れていると、「椅子を用意いたしましょうか?」と尋ねられた。


「お気遣いには感謝しますが、私はこの国の文化に憧れています。至らぬ点もあるかもしれませんが、出来ればこの国の作法に則りたいと存じます」

「あら、とても嬉しいわ。なら、私の向かいに座ってちょうだい」


 畳の上に敷かれた座布団に座るように促される。私はドレスの生地がシワにならないように気を付けつつ、彼女の座り方を真似して座布団に腰を下ろした。

 私はその姿勢に思わず眉を寄せる。


「ふふっ、慣れないと足首が痛いでしょう?」

「それもありますが……」

「あら、他にもなにかあるの?」

「襲撃があったときに反応が遅れそうな座り方だな、と」


 私の感想に雨音様はパチクリと瞬いて、それからクスクスと笑った。


「おもしろいわ、あなた。見た目はお人形のようなのに、伊織みたいなことを言うのね」

「……雨宮様も同じことをおっしゃったのですか?」

「ええ。こーんな顔をしてね」


 雨音様は愛想のない表情を作った。

 それが仏頂面の雨宮様とそっくりで笑ってしまう。


「雨宮様の姿が目に浮かびます」

「あら、やっぱり。伊織も、あなたのまえではそんな表情を見せているのね」

「それは……どういう意味でしょう?」


 たしかに雨宮様は仏頂面のことが多いけれど、それは珍しくもなんともないはずだ。もしかしたら、私は気を許してもらえていないのだろうか?

 そう思ったのだけど、雨音様は私の思っているのとは真逆のことを口にする。


「伊織はああ見えて愛想笑いが得意なのよ」

「……雨宮様が、ですか……?」


 ぜんぜん想像がつかない。


「そうよ。伊織は雨宮家の次期当主としての教育を受けているからね。内心でどう思っていてても愛想笑いを浮かべるのが得意なのよ。それでたくさんの令嬢達が騙されているわ」

「……愛想笑いを浮かべているところが想像できません。もしかして、私には愛想笑いをする価値もないと思われているのでしょうか?」


 見比べたことがないから分からない。

 でも、もしそうだったら……ちょっと寂しいなと思った。


「ふふっ、素の――仏頂面の伊織を見たことがあるのでしょ?」

「それは……はい、たぶん」

「なら違うわよ。というか、違うからこそ興味を抱いたの。あの子が自分の功績を諦めてまで隠したがっている子がいるって聞いたから」

「私のために、雨宮様が功績を諦めた……ですか?」


 思ってもみなかった言葉に見を乗り出す。

 雨音様は目を細め、私に優しい眼差しを向けた。


「あの子からなにも聞いていないの?」

「ええっと……」


 巫女関連の機密情報だ。

 どこまで話して良いのかと視線を泳がせる。


「心配しなくても、私も雨宮家の人間よ。伊織が知っていることは私も知っているし、あの子が知らないことも私は知っているわよ。大本営がどういう決断をしたのかも、ね」

「では、ご存じなのではありませんか? 巫女を立てるための選択だった、と」


 希望の星である巫女の初陣。

 どのような事情があろうとも、失敗したなどという話が漏れる訳にはいかない。だから、特務第八大隊による救出劇はなかったことになった。

 代わりに、特務第八大隊は帝都を守ったという名目で功績が与えられた。

 私はそう聞かされたと雨音様に伝える。


「それは事実よ。でも、だからこそ、迅速に巫女を救出した功績はなかったことに出来るものじゃない。あの子はそういった個人の功績を、貴女を守るために使ったの」


 私の知らない裏がある。

 その確信に触れて固唾を呑む私に対して、雨音様は穏やかな口調で続けた。


「貴女は参謀と嘘を吐いて指揮を執ったそうね? それが、軍法会議に掛けられるほどの大罪だと分かっているのかしら?」

「あれは……いえ、言い訳はしません」


 必要に駆られてのことだけど、軍規は軍規だ。そして軍規があるのにはちゃんとした理由がある。必要に駆られたからと軍規違反を黙認していたらとても規律は保てない。

 そうして口を閉ざした私に対し、雨音様は柔らかな笑みを浮かべた。


「分かっているわ。伊織達を護るためだったのでしょう? だから、特務第八大隊の者達は、決してその事実を口外しないでしょう。でも……人の口に戸は立てられない」

「雨音様が知っているように、ですね」

「ええ。いまは私を除いて外部で知る者はいないでしょう。でも……大本営があなたに興味を示したの。それで、貴女を大本営に異動させるように命令があったそうよ」

「――っ」

「もしも、あなたが大本営へ移動となったら、色々と困ったことになるでしょうね」


 軍規違反を知られたら罰せられるかも知れない。そうでなくとも、聖女だった頃のように、国に命じられるがままの日々を送ることになるかも知れない。

 そんな未来を想像した私は、思わずドレスの裾を握り締めた。


「そんな顔をしなくても、その話はなかったことになったから大丈夫よ。伊織が今回の功績を引き合いに出して、貴女を特務第八大隊で預かると突っぱねたから」

「雨宮様が、そのようなことを……?」

「やはり、知らなかったようね?」

「……はい」


 もちろん、私が雨宮様に庇われていることは気付いていた。でもまさか、自分の功績を引き合いに出してまで、護ってくれているとは知らなかった。

 雨宮様がそこまでしてくれたのはきっと、私の身の上を知っているからだろう。


「……私はどのように責任を取ればいいのでしょうか?」

「あら、私が貴女を呼んだのは、この件で責任を取らせるつもりだとでも?」

「違うの、ですか……?」


 雨宮様の功績は雨宮家の功績。

 それを奪った私に対し、雨宮家の人間が苦言を口にする。なんら不思議な話ではないと思ったが、彼女は「違うわ」と微笑んだ。


「言ったでしょ。伊織がそこまで入れ込んでいるあなたに興味を抱いたって。だから、貴女を責めるつもりなんて最初からないわ」

「あ、雨宮様は別に、私に入れ込んでなどいませんっ!」


 愛人説を信じているのかと思って否定するが、彼女は私の言葉を少しも信じていないようだった。だから私は、誤解を解くための言葉を重ねる。


「雨宮様が私を庇ってくださったのはおそらく、私の過去を知るからでしょう」

「……貴女の過去?」

「実は――」


 雨宮様の名誉の為にも、誤解はといておかなければいけない。

 そう思って、私は自分の過去を打ち明けた。

 ほどなく、私の過去を聞き終えた雨音様は人差し指を頬に添えた。


「……なるほどねぇ。それはたしかに無関係じゃないでしょうね。あの子にとって、貴女の過去はきっと他人事じゃないでしょうから」

「他人事じゃないというと、なにかあったのですか?」

「以前、権力に殺された女の子がいるの。貴方も知っている井上清治郎の妹よ。そしてそれは、伊織が特務第八大隊に所属した理由でもあるわ」

「特務第八大隊に所属した理由……」


 情報量が多すぎて理解が追いつかない。

 井上さんの妹が亡くなったことで、雨宮様が特務第八大隊に所属した。雨宮様と井上さんが不仲になったのはそれが理由なのだろか――とか。

 権力に殺されたというのはどういうことなのか――とか。

 雨宮様は軍部を怨んでいるのだろうか――とか。

 雨宮様と、亡くなった妹さんはどういう関係だったのか――とか。


 説明を求める私に対して、雨音様はイタズラっぽく笑った。


「そんな顔をしても、詳細は秘密よ。気になるのなら、あの子に直接聞きなさい」

「……分かりました」


 気にならないと言えば嘘になるけれど、他人の口から聞く話でもないだろう。そう思ったから、私は素直に引き下がることにした。


「ともかく、あの子が貴女を気に掛ける理由の一つはそれでしょうね。だけど、そういった理由で、あの子が自分の功績を投げ捨てるとは思えないわ」

「どうしてそう言いきれるのですか?」

「あの子にとって、功績はなによりも重要なものだからよ。あの子が雨宮家の次期当主として返り咲くためには、汚名を晴らすほどの功績が必要だから」

「……そういえば、雨宮様は次期当主候補だったのですよね……?」


 それが特務第八大隊に入隊したことで、次期当主候補から外された。代わりに、雨音様が入り婿を迎え、当主になるという噂を聞いたことを思いだした。


 ……待って。

 雨音様が次期当主を目指すのなら、雨宮様が功績を挙げることは望ましくないはずよ。そういう意味で、雨音様は私の行動を歓迎しているの?


 もしそうなら、私は雨宮様の敵に塩を送ったことになる。そんな風に警戒するが、彼女は私の内心を見透かしたかのように、「それも違うわ」と笑った。


「伊織はいまでも当主になるつもりだし、私は当主の座を望んでいない。あの子と私の利害は一致しているわ」


 二人は敵対していないらしい。だがそれならば、今度は私という存在が、雨音様の目的達成を邪魔したことになる。


「私が、雨宮様と雨音様のご迷惑になっているのですね」


 きゅっと唇を噛んだ。

 特務第八大隊とは、いくつかの取り引きをしている。

 ポーションの材料や技術の提供と引き換えに便宜を図ってもらったり、オリハルコンを分ける代わりに刀を作ってもらったり。それらは対等な取り引きだと思っている。


 でも、巫女の救出に同行したのは自分の都合で、私から言い出したことだ。それなのに、雨宮様に迷惑を掛けてしまった。私が、雨宮様の枷になっている。


「レティシアさんって、意外と人の話を聞かないのかしら? それともそういう環境で育ったの? さっき私は、貴女に責任を問うつもりはないって言ったでしょ?」

「もちろん覚えています。ですが、お二人にご迷惑を掛けたのは事実です」


 私の勝手が原因で、雨宮様や雨音様の未来が潰えるかもしれないのだ。責任を感じずにはいられない。そう思って俯くと、「顔を上げなさい」と雨音様の声が響いた。

 私はその声に従ってゆっくりと顔を上げる。


「私は伊織のすることに文句を付けるつもりはないわ。それに、伊織が貴方を助けたのは、あの子自身の意思よ。だから、貴女が責任を感じる必要はないの」

「そう、でしょうか……」


 だけど、だとしたら、雨宮様はどうして私を助けてくれたのだろう。そう考えたとき、真っ先に思い浮かぶのは、私が持つ聖女としての力だ。

 雨宮様は、私に巫女と同質の力があると気付いている。


 それが目当てだったのかな?

 そんな風に考えていると、雨音様が両手のひらを打ち合わせた。


「それより、私は貴女に興味があるの。それに異世界の文化にもね。貴女が着ているのは、異世界のファッションなのよね。よければ、近くで見せていただけるかしら?」


 雨音様が無邪気に話しかけてくる。色々と教えてくれた彼女を蔑ろにするのは失礼だ。雨宮様のことは頭の片隅に追いやって、彼女とのやりとりに意識を移した。

 

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