エピソード 3ー9

 水瀬さんと話し合いを終えた後、私は宿舎に戻り、ようやく女中のお仕事を再開する。今日の私のお仕事は、宿舎で使われるシーツの洗濯である。


 見習いに毛が生えたような私にとってはおなじみの仕事だけど、なんだか久しぶりな気がする。私は大きな桶に水を張り、その中でゴシゴシとシーツを洗う。


「うぅん。魔封じの手枷、片方だけになったらバランスがよくないね」


 右腕にだけ重りがついている状況。気を付けないと力加減を間違ってしまいそうだ。それに、片方にだけ重りがある状況に慣れてしまうのも身体のバランスが崩れそうで怖い。

 このままでは右腕だけが鍛えられてしまいそうだ。


 ……左腕にも、重りをつけるようにしようかな? そんな他愛もないことを考えながら洗濯を続けていると、同僚の女性が一抱えのシーツを運んできた。


「あなた、レティシアだったわね。これも一緒に洗いなさい。しょっちゅう休んでるんだから、それくらい頑張れるわよね?」


 淡々とした口調でそう言って、彼女はすぐに立ち去ろうとする。

 冷たい態度だけど、客観的に見て、私がさぼり癖のある新人であることは事実だ。彼女の言葉には反論するつもりはないけれど、少し待ってくださいと引き止めた。


「なによ、なにか文句があるの?」

「いいえ、そうじゃありません。私がお休みするたびに、みなさんのお仕事が増えたことと存じます。ご迷惑をおかけして、大変申し訳ありませんでした」


 ぺこりと頭を下げれば、彼女は「へぇ」と意外そうな顔をして近付いてきた。


「彩花が言ってたこともあながち嘘じゃなさそうだね」

「彩花がなにか?」

「軍部になにかと扱き使われているんだろ? 他の娘達にはちゃんと私が言っておいてあげるから、気にするんじゃないよ。女中が軍人の頼みを断れる訳がないんだからね!」


 パシンと肩を叩かれた。

 一瞬、その意図が分からなかった。

 でもすぐに、彼女が私の理解者となってくれたのだと察する。


「ありがとうございます、頑張ります!」

「ふん、感謝なんて必要ないよ。それより、その仕事をしっかりしな。真面目に働いてるって姿を見せておけば、ごちゃごちゃいう娘もちょっとは減るだろうからね!」


 彼女は素っ気なく立ち去っていった。

 厳しいのは、私が他の人達から悪く言われないため。彼女はとても不器用で、だけどとても優しい人のようだ。ありがとうございますと、私は彼女の背中に頭を下げた。

 そして――


 話を聞いた感じ、彼女が理解を示してくれたのは、彩花が事情を話してくれたおかげだろう。また、彼女に借りを作ってしまった。


 そう考えた直後、彼女が友達だと言ってくれたことを思い出す。借りとか貸しとかではなく、ありがとうと感謝して、私も友達として、彼女に出来ることをしてあげたい。


「レティシア、洗濯は捗ってる?」

「――ひゃうっ!?」


 彩花のことを考えていたら、耳元で彩花の声がして悲鳴が零れそうになった。代わりに身体を跳ねさせて、ばっと声のした方へと振り向いた。


「ちょ、ちょっと彩花、いきなり耳元で話しかけないで」

「あはは、ごめんごめん。そんなに驚くとは思わなかったから。それより、となり失礼するわね。こっちも洗濯物が一杯なのよね」


 言うが早いか、彼女は私の隣に水桶を用意して、持参したシーツを洗い始めた。彼女の運んできたシーツも、シーツを追加された私に負けず劣らずの量だ。

 もしかして、こっそり肩代わりしてくれてるのかな?

 そんな風に考えながら、彼女の横顔を盗み見る。


 農村で生まれで、女中になるべく上京してきた女の子。私より年下だけど、ひときわオシャレに情熱を注いでいて、髪型一つにも気を使っていた。

 だけど、女中服に身を包むいまの彼女は、飾りっ気のない髪型をしている。

 頬から肩口に走る痛ましい傷痕を隠しているからだ。


 なんとかしてあげたい。

 ――と、私が口を開くより早く、彩花がおもむろに口を開いた。


「ねぇ、レティシア。あなたはどうして女中の仕事にこだわってるの?」

「……どうして、とは?」


 質問の意図が分からなくて問い返す。彩花はシーツの汚れを念入りに擦り、その額に小さな汗を浮かべながら「だって――」と続けた。


「私のことを助けてくれたし、軍部にもよく呼ばれてるじゃない。望めば、上女中(かみじょちゅう)になることはもちろん、もっと他の役職に就くことだって出来るんじゃないの?」

「……上女中?」


 こてりと首を傾げることで、なにそれと尋ねる。


「知らない? 私達は女中でも下女中(しもじょちゅう)、いわゆる下女(げじょ)という役割で下働きがメイン。他にもまとめ役の女中とか、お偉いさんのお世話をする上女中とか、女中にも色々あるのよ?」


 メイドと同じで、女中にも様々な役職があるらしい。

 それを知った私は彩花の話に興味を抱く。


「私はいまの生活に満足してるけど……彩花は上女中を目指しているの?」

「なれるものならなりたいわね。私、故郷に弟と妹がいるの。出来れば、弟や妹にはいい暮らしをさせてあげたいわ。だから、お給金が上がるのは歓迎なのよね」

「彩花はお姉ちゃんだったんだね」


 だから年下なのにしっかりしてるのかなと考える。

 だけど同時に、あれ――と、違和感を抱いた。故郷にいる弟や妹にいい暮らしをさせてあげたいと思う優しいお姉ちゃんの割に、オシャレにお給金をつぎ込んでいる気がしたのだ。


 もちろん、お給金は彼女自身が働いて得たものだ。自分のために使うことに問題はないが、さきほどの彩花のイメージと食い違う。


「なによ、驚いた顔をして。私が家族に気を使うのがそんなに意外?」

「うぅん。でも、オシャレにもお金を掛けてそうだなぁって」

「あぁ、うん。ホントは玉の輿を狙って、自分が幸せになりつつ、家族も助けてあげようと思ってたんだ。でも、こんな傷痕があったら、もらってくれる人なんていないでしょ?」


 自分の幸せを追い求め、その上で家族も幸せにしようという。

 私はその話を聞いて、素直にすごいって思った。

 私は、故郷の人々や、力を持たない人々の幸せのため、自分のささやかな幸せを全部、ぜぇんぶ、あきらめた側の人間だから。

 だから、自分の幸せも、大切な人達の幸せも、どっちも叶えようとした彩花はすごい。


「彩花は外見も綺麗だけど、内面はもっともっと綺麗だもの。きっといつか、傷痕なんかに惑わされず、彩花の素敵さに気付いてくれる人が見つかるよ!」


 私が力説すると、彩花は頬を朱に染めてはにかんだ。


「レティシアが男の人じゃなくてよかった」

「え?」

「私の傷痕に捕らわれず、内面を見てくれる素敵な人。レティシアが男の人なら、私はきっと、あなたの虜になっていたもの」


 いたずらっ子のように笑う。

 彼女にからかわれていると知って、私は「もぅ、彩花ったら」と笑みを零した。それから、いまがチャンスだと、彩花の髪で隠された傷口へと手を伸ばした。


「レ、レティシア?」

「彩花、ちょっと動かないで」

「動くなって、なにを……っ」


 指先で彼女の傷痕に触れる。

 痛々しい傷痕は、皮膚が軽く引き攣っていた。


 でも、傷を負った当初よりは、ほんの少しだけ痕跡が薄くなっているように見える。この分なら、あと何年か経てば、目立たないくらいまで回復するだろう。

 だけど、乙女の青春はそんなに待ってくれない。


 私は水瀬さんから受け取った回復ポーションを異空間収納から取り出した。それに気付いた彩花が「それは……」と回復ポーションの瓶に視線を向ける。


「水瀬さん――開発局の局長からもらったの。従来の回復ポーションより、傷がよく治るんだって。これなら、彩花の傷痕も消えるかもしれないよ」

「そ、そんな貴重なもの、何度も使ってもらうわけにはいかないわよ!」

「私が使いたいの」

「だから、そこまでしてもらう義理はないってば」


 拒絶する彩花をどう説得するか、私は少し考えてから口を開く。


「……さっき、別の女中さんが来たよ」

「へ、へぇ、それで?」

「彩花が、休みがちな私を庇ってくれたんだよね?」

「別に、私は事実を伝えただけだし」

「ありがと。彩花は傷痕があったって素敵な女の子だと想うけど、傷痕がない方が、もっと素敵な女の子なのは間違いないと思うんだよね。だから――」


 使わせてくれるわよね? と迫ると、彩花はふいっと視線を逸らした。


「も、もう、ほんっとうに、あなたが女の子で本当によかったわ」

「……つまり?」

「ありがたく、使わせてもらうってこと!」


 真っ赤になった彩花が捲し立てる。許可を得た私は芝の上に足を崩して正座して、その膝をぽんぽんと叩く。それを見た彩花が「なにをやっているの?」と首を傾げた。


「ポーションを使うから、寝転がって」

「え、それはさすがに、恥ずかしいんだけど」


 逃げようとする彩花の腕を取って、私は無言で繰り返し膝を叩く。彼女は困った顔で視線を泳がし、だけど「分かったわよ……」と私の膝を枕に寝転がった。


「それじゃ、ポーションを使うから動かないでね」


 片手で彼女の髪をどけ、その傷痕に回復ポーションを垂らした。傷痕がほのかに光り、ほんの少しだけ傷痕が薄らいでいく。


 普通の回復ポーションでは期待できなかった現象。やっぱり、水瀬さんが言っていたことは本当だった。ただ……それでも、彩花の傷を消し去るには至らない。

 だから――


「……ハイヒール」


 彩花に聞こえないように、私は小さな声で治癒の魔術を行使した。古傷を消すには、もう少し上位の回復魔術を使いたいところだけど……いまの私にできるのはこれが限界だ。

 それに、ハイヒールでもまったく効果がないというわけじゃない。


 その証拠に、彼女の傷痕がゆっくりと消えていく。その現象が終わるのを待って、魔術の行使をやめると同時、回復ポーションの使用も停止する。


「もう起きても大丈夫だよ」

「う、うん」


 傷が癒やされたという感覚があるのだろう。だが同時に、どこまで消えたのか、鏡がないこの状況で彼女が知ることが出来ない。彼女の栗色の瞳が、期待と不安に揺れている。


「レティシア……どうなったの?」

「自分で確認してみて」


 うっすらとは残っているが、目をこらさなければ分からない、だけど、それで彼女が満足するとは限らないので、確認は彼女自身にしてもらう。

 私は異空間収納に使いさしの回復ポーションをしまい、代わりに手鏡を取り出した。それを彼女に差し出すと、それを奪い取った彼女は食い入るように自分の顔を眺めた。

 そして――


「う……くっ。うぅ……っ」


 彼女の艶のある唇から嗚咽が零れた。


「あ、彩花、泣いてるの?」


 やっぱり、完全に消さないとダメだったみたいだ。こうなったら、私の右手を砕いてでも、魔封じの手枷を外そう。そう思った矢先、彼女が私の右手を握り締めた。


「ありがとう、レティシア!」

「……ありがとう? えっと、喜んでるってことで……いいのかな?」

「当たり前じゃない! 消えないって思ってた傷が、こんなにも薄くなった。これなら化粧で十分に隠せるし、髪型を変えたって平気。全部レティシアのおかげよ!」

「……そっか。彩花が喜んでくれたのならよかったよ」

「~~~っ」


 感極まったのか、彩花が私の胸に飛び込んできた。喜んでくれたのなら、治癒魔術を使った甲斐があった。いつか必ず、彼女の傷痕を完全に消し去ってしまおう。

 そんな風に考えていると、私の胸に抱きついていた彼女が顔だけを上げた。


「レティシア、お祭りに行こう」

「……え、お祭り?」


 予想外のセリフに聞き返してしまう。


「今度、帝都でお祭りがあるの。今年は出掛けるつもりなかったんだけど……貴女のおかげで傷痕が消えたから。だから、一緒にオシャレしてお祭りに行こう!」

「まぁ……いいけど」

「ホント? 約束だからね!」


 無邪気に笑う彼女は、私のドレスを模したドレスを自作すると言った。だったら私は、このあいだ帝都で買ったハイカラさんスタイルで出掛けようかなぁと思いを巡らす。

 

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