エピソード 3ー8

 雨宮公爵家とは、神聖大日本帝国の代表的な家柄で、雨宮様のご実家でもある。

 本来であれば、長男である雨宮様が次期当主となるはずだったのだが、彼が特務第八大隊に所属したことで状況が一変。雨宮様は勘当同然の扱いを受け、姉である雨音様が婿養子を迎える方向で話は進んでいるらしい。


 ――とまぁ、かるく聞いただけでも色々と確執のありそうな家庭である。

 そんな雨宮家のご令嬢に、なぜか私が招待されてしまった。しかも、手紙には雨宮様に内緒でと書かれていた。どうやら、雨宮様はこのことを知らないようだ。


 なぜ雨宮様に内緒で私を招待するのか、その目的は分からない。

 そもそも、雨宮様とそのお姉様の関係が分からないのだ。そこが分からないのだから、目的も分かるはずがない。私は目的を予測することを早々にあきらめた。


 姉弟の仲が悪かった場合、色々と嫌味を言われるような可能性はあるけれど、いきなり暗殺されることはないだろう。もしも嫌な人なら適当にあしらえば済む話だ。

 それに、そうじゃないのなら――


 雨宮様のお姉様、どんな人か気になるよね?

 ということで、私は招待に応じる旨を笹木大佐様に伝えた。



 ちなみに、招待されたのは三日後だ。

 なので、それまでは女中として働く――のではなく、今度は開発局に呼び出された。


「……私、女中なんだけどなぁ」


 誰にともなくそう呟いて、せめてもの抵抗とばかりに女中の制服で開発局に出向した。

 だけど、女中の制服を身に着けていたからだろう。開発局の廊下を歩いていた私は、通りがかった職員から用事を仰せつかってしまった。

 用事――というか、汚れている窓の拭き掃除である。


 窓用の雑巾を使い、せっせと窓を磨く。行き交う人は大半が無言、たまにご苦労様なんて声を掛けてもらえる。それに応じながら窓を拭いていると――


「こんなところにいましたか、探しましたよ」


 呆れるような声が響いた。振り返ると、そこにはいつもの書生スタイルに身を包む水瀬さんがたたずんでいた。彼は呆れ眼を私に向けていた。


「いつまで経っても来ないし、問い合わせたら宿舎を出たというので心配したのですよ。このようなところで、なぜ窓を磨いているのですか?」

「最近、呼び出されてばかりで女中としてのお仕事が進んでいないので、せめてもの抵抗とばかりに制服でうろついていたら、雑用を頼まれてしまいまして」

「……ふむ、それで満足したのですか?」

「次から私服で来ることにします」


 憮然と答えると、水瀬さんは目を細めて「それがいいでしょう」と笑った。


「さっそくですが、こちらへ来てください」


 水瀬さんが私の手を引いて歩き出す。


「み、水瀬さん?」

「速く行きますよ。ずいぶんと待たされましたからね」


 私が遅れたことで焦れているようだ。

 これは素直に従った方がいいと、私は手を引かれるがままに彼の後をついて歩く。


 そうしてやってきたのは、研究所の内部にある一室。薬草を栽培するために用意された部屋で、所狭しと並べられたプランターには薬草が植えられている。


「……私が提供したよりも多くなっていますね?」

「その通りです。砕いた魔石を聖水で一度煮詰めた水と、砕いた妖石を聖水で一度煮詰めた水、それぞれの水を与えたところ、薬草がしっかりと生長しました」

「……やはり、魔石と妖石は同質のものなのですね」

「おそらくは。ただ、魔石の方が成長が早いように思います。そういう意味では、あなたの生まれ育った世界の方が、魔力素子が濃いのかもしれません」


 なるほど――と、私は机の上に置かれている魔石と妖石に視線を向ける。おおよその見た目は同じだが、魔石は紫色で、妖石は血のように赤い色をしている。

 この色の違いが、魔力素子の含有量や質に関係しているのかもしれない。


「ところで、聖水の代わりは見つかったのですか?」


 いまの私なら、聖水を作り出すことも可能だ。だけど、私がそういう力を持っていることは引き続き隠していくつもりなので、代用品が見つかるかどうかは重要なポイントだ。


「実は、巫女殿が清めたご神水を提供してくださることになりました。最近まで特務第一大隊の隊長に渋られていたのですが、なにかあったのでしょうか……ね?」


 意味ありげな視線で問い掛けられる。

 これは……救出劇について知られている、のかな? それとも、カマを掛けられているだけだろうか? どっちにしても、私から言うことはなにもない。


「なんにしても、当てが出来たのならよかったですね」

「はい、それはもう。……そういえば、面白いことが分かりましたよ。魔石の水を与えた薬草で作ったポーションは、従来品より効果が高いようです」

「え、そうなんですか?」

「はい。仮説ですが、土中の魔力素子が多くなったのが原因だと思われます」

「なるほど……」


 これには私もびっくりだ。

 ポーションは品質にムラがあり、その品質を調整することはもちろん、高めることは難しいと言われていた。それをこの世界の研究者である彼は事もなげに成し遂げてしまったのだ。


「あなたならなにか分かるかもしれません。サンプルに一本持って言ってください」

「そういうことならいただきます」


 ポーションを受け取りながら、今後の方針について話し合う。

 回復ポーションの効能をあげることも重要だけど、なにより優先するべきは、この世界で確保出来る素材だけで回復ポーションを作ることだ。


 この世界で栽培した薬草に、妖石とご神水。それらで回復ポーションを作ることが出来れば、彼らは目的を果たしたことになる。

 ポーションを安定して供給することが出来れば、戦闘もぐっと楽になるだろう。


 それは、私にとっても望むところだ――と、話し合いを終えた私は、受け取った回復ポーションを異空間収納にしまい、戦場で回収してきたアレのことを思いだした。

 それを異空間収納から取り出して水瀬さんに差し出す。


「……おや、それは魔封じの手枷ではありませんか。もう一つ持っていたのですか?」

「いいえ、これは私の腕にはまっていたものです」

「なんと! では解錠できたのですか?」

「いえ、解錠は出来ていないんですが……その、左手の骨が砕けたときに、ちょうど抜くことが出来たというか、抜いたというか……」


 魔封じの手枷を渡す以上、事情を説明しない訳にはいかないと説明する。マッドサイエンティストな彼ならば、真面目な顔で『その手がありましたか』とか言いそうだと思った。

 だけど――


「なんという無茶をするのですか、あなたは!」

「え?」

「手は大丈夫ですか? 痛いところは、後遺症など残っていませんか?」


 彼は心配するように私の手を握った。まるで診察するように、私の手をぎゅっと握ったりする。予想と正反対の反応に少し戸惑ってしまった。


「だ、大丈夫です。幸い後遺症もなく、綺麗に癒やすことが出来ました」

「だったらいいのですが……」


 彼は心から心配してくれているみたいだ。右手も同じように骨を砕いて、手枷を外すことを考えている――なんて言えそうにない雰囲気である。

 ひとまず、手の骨を砕いて手枷を外す手段は保留にすることにした。


 彩花の傷痕を消したり、蓮くんの妖魔化を抑えるだけなら、いまの状況でもなんとかなるだろう。私としても、進んで痛い目に遭いたくはないし、聖女の術ならどんな傷でも絶対に元通りという訳ではない。魔力素子の濃度が低いとされるこの世界ではなおさらだ。

 万が一にも利き手に後遺症が残る危険は出来れば犯したくはない。

 という訳で――


「水瀬さん、左の手枷は幸運にも外すことが出来ましたが、右の手枷がまだ残っています。引き続き、外す準備を進めていただけますか?」

「もとよりそのつもりです。オリハルコンの加工に苦戦していますが、必ず貴方の期待にお答えしましょう。僕は心から、あなたと末永く付き合っていたいと思っていますから」


 彼はそう言って跪き、私の手を取って、唇を手の甲に触れさせた。目を細めて微笑みを浮かべた彼の瞳が、『研究対象として』という前置きを語っていなければ完璧だったと思う。

 

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