エピソード 3ー7

 特務第八大隊の司令室。

 ソファに腰掛けた私は小さな溜め息を吐いた。大理石のローテーブルを挟んだ向かい。二人掛けのソファには、雨宮様と笹木大佐様が並んで座っている。

 雨宮様と笹木大佐様はいつもの軍服で、私は女中の制服である。


 なぜなら、昨日の騒動が終わっての今朝。昨日もお仕事を休んでしまったし、今日こそしっかり働くぞ――と女中の制服に着替えて部屋を出たところで捕まったからだ。


 最近、やたらとお仕事を休んでいる。軍部からの命令なので、私に直接文句を言ってくるような人はいないけれど、同僚からすれば面白くはないはずだ。

 事情を知る彩花がいなければ、私はとっくに孤立していただろう。


 ……というか、なぜかいつも雨宮様が迎えに来るんだよね。部下がいるんだから、部下を使いにすればいいのに。おかげで、雨宮様のファンのやっかみまで追加されている。


「レティシア、聞いているのか?」

「すみません、いまから聞きます」


 私がそう答えると、雨宮様は溜め息をついた。


「おまえの異空間収納を始めとした能力は特務第八大隊の中だけに留めている。だがそうすると、おまえが救援の部隊に同行していた理由が必要になる、という話だ」

「なるほど、経緯の摺り合わせは必要ですね。まさか、雨宮様が愛人を戦場に連れ歩いている――なんて説明する訳にはいきませんものね」


 元の世界では、珍しい話ではなかった。とはいえ、雨宮様がそんなことをするとは思っていない。ゆえに冗談だったのだけど、雨宮様は苦虫を噛みつぶしたような顔になった。


「……どうなさったのですか?」


 雨宮様がふいっと視線を逸らす。

 私の疑問に答えたのは笹木大佐様だった。


「上層部から、そのような疑惑を掛けられたのだよ」

「達次朗の大佐殿、やめてくれ」


 冗談ではすまなかったらしい。

 まぁ考えてみれば、私の能力はすべて伏せられている。つまりいまの私は、巫女召喚に巻き込まれただけの一般人なのに、雨宮様にちょこちょこ呼び出しを受けている状態。


「もしや、ご迷惑を掛けているのでしょうか?」

「迷惑とは思っていない」

「……え?」


 それは、どういう意味で……と、私の顔が火照る。


「おい、誤解をするな。おまえは俺達の力になってくれている。それを考えれば、噂の一つや二つ、迷惑でもなんでもないと言うだけのことだ!」


 彼が声を荒らげて否定した。

 どうやら私はかなり恥ずかしい勘違いをしてしまったらしい。


「その、すみません」

「いや、まぁ……なんだ。とにかく問題ない。俺が言いたいのは、おまえを同行させた理由が必要だったと言うことだ。それで、情報提供についてだけ伝えさせてもらった」


 異世界に魔物がいて、妖魔と酷似しているという情報を提供していた。そこから、様々な情報を得られる可能性を考え、救出部隊に参加させていたのだと説明したらしい。

 私が美琴さんにした説明を利用した形だ。


「情報であれば、特務第八大隊にいても、問題なく上層部に提供できる。それに、そもそもおまえは軍人ではない。上層部や特務第一大隊に異動を命じられることもないだろう」

「なにからなにまでお気遣いくださりありがとうございます」


 私が軍部に取り込まれないよう、色々と気を使ってくれたと知って感謝する。そうして頭を下げる私に、笹木大佐様が「感謝するのは我々の方だ」と答えた。


 なんでも、私達が救援に向かった後、帝都で妖魔が出現したらしい。規模は大きくなかったが、上級に定義づけた妖魔が加わっていた少数精鋭部隊だったようだ。

 帝都の警備が手薄になっていれば大事件だったが、警戒していたおかげで被害を最小限に抑えることができた、とのことである。


「帝都の被害を最小限に留められたのはキミのおかげだ。心より感謝する」

「いえ、私は……」


 陽動の可能性に気付いたのは雨宮様だと、ちらりと視線を向けた。


「もちろん、伊織にも感謝している。だが、キミの助力がなければ、帝都にここまでの人員を残すという決断は下せなかった。だから、キミのおかげだ」

「いえ、その……はい」


 感謝の言葉がくすぐったい――と、髪を指先で弄ぶ


「それに、現地でもずいぶんと活躍したと言うじゃないか」

「それは……まあ、それなりには」


 あまり目立ちたくないなと言葉を濁した。

 それに気付いたのか、笹木大佐様が顎を撫でた。


「ふむ。伊織はキミが目立つことを望んでいないと言うが、それは事実かね?」

「はい、間違いありません」


 女中として働いていたら幸せだ――なんてぶっちゃけるつもりはないけれど、上層部に目を付けられるのは望むところではない。


「そうか……では、本部からの決定を伝える。我ら特務第八大隊はその全軍を持って、帝都に奇襲を仕掛けた妖魔を殲滅した、ということになる」

「かしこまりました」


 特務第八大隊は全部隊で帝都を守っていて、妖魔退治に出撃した特務第一大隊はピンチになんて陥っていない。という筋書きになったと理解して、私は即座に応じた。


「……異論はないのかい?」


 私がなんらかの反論を口にすると思っていたのだろう。素直に応じた私を訝しんでいるようだ。だから私は胸に手を添えて、分かっていますと微笑んでみせた。


「これでも、政治的なことは理解しているつもりです」


 神聖大日本帝国は、国の威信を賭して召喚の儀で巫女を招いた。それは、世界の脅威である妖魔から人々を守るためだ。

 なのに、巫女は初陣で敗北を喫し、はぐれ者の集まりだと揶揄される特務第八大隊に救出された――などという汚名を着せる訳にはいかない。


 たとえ、一体二体の妖魔を倒すだけの任務の予定が、数百体にも及ぶ妖魔と相対することになったという事情があっても、人々の耳に届く敗北という結果は変わりない。

 巫女が敗北したなんて噂が広まれば、人々は希望の光を失う。


 だから、上層部が嘘の発表をすることに異論はない。

 それが人々の安寧を守るための嘘だと、私は知っているから。


 でも心配事もある。特務第一大隊の失態がなかったことになるのなら、高倉隊長の処分はどうなるのかと言うことだ。


「ちなみに、井上さんの件はどうなったのですか? 高倉隊長が、彼や美琴さんに責任を押しつけるようなことを言っていましたが……」

「その件なら心配ない。井上は優秀だからな」


 雨宮様がぶっきらぼうに言い放つ。

 どういうことだろうと首を傾げていると、笹木大佐様が教えてくれた。


「今回の件、巫女の初陣であることを理由に、十分な下準備をするべきだと、高倉隊長になんども上告した――という証拠を残していたのだ」

「あぁ……なるほど」


 井上さんが上告していても、高倉隊長がそれを揉み消してたら意味はない。だが、揉み消されないように根回しをしてあった、ということだ。


「では、逆に高倉隊長がピンチですね」

「ああ。彼は軍法会議に掛けられ、二度と日の目を見ることはないだろう」

「一生牢の中、ということですか。ずいぶんと重い罪ですね」

「それだけ、上層部も巫女を気に掛けている、ということだ。今回の任務も想定外のことが起きたとはいえ、巫女の能力は証明されているからな」


 巫女の働きに、この国の未来が掛かっている。にもかかわらず、高倉隊長は巫女と敵対してしてしまったのだ。高倉隊長を庇って、巫女の機嫌を損ねたくない、ということだろう。

 それは理解できるけど――と、私は小首をかしげた。


「ですが、表向きは、任務は大成功に終わったと言うことになるのですよね? それなのに、高倉隊長を処分すれば、戦果に疑問を抱く者が現れるのではありませんか?」


 私が問い掛けると、笹木大佐様と雨宮様が顔を見合わせた。

 それから雨宮様が小さく笑う。


「やはりおまえは優秀だな。察しの通り、今回の任務は表向き、大成功に終わったと言うことになる。よって、高倉隊長殿がその件で罰せられることはない」

「それなのに、軍法会議に掛けられるのですか?」

「言っただろう、井上は優秀だと。実は高倉隊長殿には賄賂を始めとした不正の疑惑がいくつもあってな。井上は独自に動いて、その証拠を探していたのだ」

「つまり、証拠を見つけた、ということですか?」


 私の問い掛けに、雨宮様は皮肉めいた笑みを浮かべる。


「高倉隊長殿が自分の取り巻きを連れて帝都を離れてくれたからな。井上の部下が暗躍し、高倉隊長が数々の不正の証拠を押収したそうだ」

「それが、高倉隊長が軍法会議に掛けられる本当の理由ですか」


 美琴さんのためというのは建前だったんだと思って目を伏せる。だけど雨宮様は、そんな私の内心を見透かしたかのように笑った。


「表向きの理由ではあるが、巫女のためというのは本当だ。この国の救世主となり得る存在に、害を及ぼしかねない人物を野放しにする訳にはいかないだろう」


 美琴さんが、故郷での私と同じような扱いを受けないのならそれでいい。「安心しました」と胸を撫で下ろし、笹木大佐様へと視線を戻した。


「ですが、笹木大佐様はよろしかったのですか? 特務第八大隊を下に見る者達の鼻を明かすチャンスだったのでは?」

「我らは帝都の防衛について評価されたので問題ない。ただ……」


 笹木大佐様は雨宮様に視線を向けた。


「俺達も帝都で防衛任務に就いていたことになっているんだ。問題なんてねぇよ」


 雨宮様が断言する。どうやら、巫女救出の任務で得た功績は、防衛の功績として評価してもらえるらしい。


「私のせいで特務第八大隊の方々が不利益を被っていないと知って安堵しました」

「そこは問題ない。ただ、今回の危機は乗り越えられたが、すべての妖魔が滅んだ訳でもなければ、元凶を絶てた訳でもない。キミにはまた協力を頼みたいのだが……」

「――達次朗の大佐殿?」


 雨宮様が笹木大佐様の名前を呼んだ。静かに、けれど、どこか圧力のある言葉。笹木大佐様は無言でその視線を受け止め、二人はしばし無言で睨み合う。

 ほどなくして、笹木大佐様が溜め息を吐いた。


「分かっている。我らの部隊に欲しい人材ではあるが、無理強いをするつもりはない」

「だったらいいけどな。レティシアは俺達の恩人だ。それを忘れないでくれ」

「ふふっ、伊織がそこまで入れ込むとはな。愛人なんて噂が広がる訳だ」

「勘弁してくれ……」


 雨宮様が肩を落として、笹木大佐様が笑い声を上げた。

 隊長と副隊長、部下と上司であるはずだけど、二人のあいだにはそれ以上の絆があるようだ。微笑ましいと思っていると、笹木大佐様が私に向き直った。


「レティシア嬢、そういう訳なので、また部隊に参加してくれ――とは言わぬ。ただ、ポーションの開発などの協力は引き続き頼みたい。開発局からもせっつかれていてね」

「分かりました。出来うる限りの協力は惜しみません」


 私が応じると、笹木大佐様は感謝すると頭を下げた。それを確認して、私は「代わりと言ってはなんですが、一つお願いを聞いていただけませんか?」と切り出した。


「ふむ、なにか要望があるのか?」

「蓮くんに会わせて欲しいんです」

「蓮くん? あぁ、妖魔化の兆しがあった少年か。たしか、キミの願いで特務第一大隊へ送ったはずだが?」

「はい。その……様子を確認したいな、と」


 半分は方便だ。

 いまの私は不完全ながらも聖女の術を使える。以前とまったく同じようにとはいかないが、蓮くんの魔石を浄化することも難しくない。


「いいだろう。近々会えるように手配しておこう」

「ありがとうございます!」


 これで心配事はなくなったと安堵する。

 そんな私に対して、彼は笑顔で言い放った。


「という訳で、キミには勲章が与えられる」

「……どういう訳でしょう?」


 意味が分からないと首を傾げた。


「妖魔についての情報をもたらしたことに対する功績だ。そして本当の理由は、我らから功績を取り上げたことに対する口止め料の一環だろうな」


 厄介ですね――と、声には出さずに唸った。

 上層部はおそらく、私が勲章で喜ぶと思っているのだ。だから勲章を受け取らなければ、功績を奪われたことに不満があると捉えられかねない。

 だが、勲章を受け取ってしまえば、私の名前が日の目に晒されてしまう。


「レティシア、受け取っておけ」


 雨宮様に思わぬ助言をされて私はまばたきをした。


「なぜですか?」

「あれこれ理由を付け、俺達にも勲章が贈られている。ゆえに、おまえが勲章を受け取ったところで目立つことはないだろう」

「……そうですか。では、頂戴いたします」


 という訳で、私は笹木大佐様を介して国から勲章をいただいた。ちなみに、鳳凰を象った勲章で、女性に送られる唯一の勲章だそうだ。


「話は以上だ。――と、伊織。蒼二が話があると言っていたぞ」

「あの酔狂な局長が、俺に、か?」

「うむ。なんの話かは知らぬが、早めに行ってやるといい」

「分かった。そういうことだ。レティシア、あらためて昨日は助かった。このお礼は後日、なんらかの形でさせてもらう」


 彼はそう言って足早に立ち去っていった。

 それを見届け、私も「それでは――」と立ち上がろうとする。


「待ちたまえ。実はキミにはまだ話がある」

「……なんでしょう?」


 私は思わず身構えた。笹木大佐様が雨宮様をわざと先に退席させ、私と二人っきりの状況を生み出したことに気付いたからだ。


 もしかしたら、笹木大佐様は私を軍に所属させることを諦めてないのかもしれない。そんな風に警戒していると、笹木大佐様は私に一通の封筒を手渡した。

 高級感のあふれる封筒で、紋章入りの封蝋が施されている。


「……これは、なんでしょう?」

「キミへの招待状だ」

「ええっと、笹木大佐様がなにか催しを開くのですか?」

「私ではない。雨音嬢から、キミに渡して欲しいと頼まれてね」

「……聞いたことのない名ですが、どちら様でしょう?」


 女性だからと安心は出来ない。

 引き続いて警戒する私に、彼は思ってもいない言葉を続けた。


「雨宮雨音、伊織の実のお姉さんだよ」

 

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