エピソード 3ー2
雨宮様は迷った末に私の申し出を受け入れた。そうして私を武器庫へと連れて行くと、そこにある兵装を異空間収納に収納するように言った。
私は言われるがまま、そこにある兵装を収納していく。更には医療品や食料を詰めて作業は終了。私は雨宮様に連れられて、司令部にある表玄関へと足を運んだ。
玄関前には、ずらりと軍用車が並んでいる。
雨宮隊長に気付いたアーネストくんが、部下達への指示を止めて駆け寄ってきた。
「伊織副隊長、兵装の選別が終了いたしました。後は可能な限り、食料と医療品を積み込む予定です。食料は何日分用意いたしましょう」
「ご苦労だった。医療品と食料の用意は必要ない」
「え? 現地で調達するつもりですか? 妖魔に支配された村にまともな食料があるか分かりませんし、医療品はそもそも存在するか分かりませんよ?」
「問題ない。彼女の異空間収納に収納済みだ」
雨宮様が私の背中を押した。
私が一歩前に出ることで、アーネストくんも私の存在に気が付いた。
「まさか、レティシアさんを同行させるつもりですか?」
「彼女の異空間収納の有用性を知って、使わない理由はないだろう? 周囲には、妖魔に詳しい人間を参謀として同行させると周知しろ」
「……レティシアさんは納得しているのですか?」
アーネストくんが気遣うような視線を私に向ける。だから私は「これは私が望んだことだから大丈夫だよ」と微笑んだ。それに対して、彼は小さな溜め息を吐く。
「分かりました。すぐに出撃準備をします」
アーネストくんは再び兵士達に指示を出す。それを見守っていると、途中から話を聞いていた紅蓮さんが詰め寄ってきた。
「おい、レティシアの嬢ちゃん。本気で戦いに参加するつもりなのか?」
「戦うつもりじゃなくて、現地まで同行するだけですよ」
「そんなの、同じじゃねぇか!」
紅蓮さんが声を荒らげた。
前も思ったけど、紅蓮さんは私が戦場に身を投じることに忌避感があるみたいだ。きっと、彼を庇って亡くなったお姉さんと重ねているのだろう。
どうやって説得するべきかな?
そんな風に思っていたら、雨宮様が私の前に立った。
「紅蓮、レティシアはおまえの姉とは違う」
ストレートな物言いに、私は思わず息を呑んだ。紅蓮さんは反射的になにかを言おうとして、だけどグッとその言葉を飲み込んだようだった。
紅蓮さんは拳を握り、絞り出すような声で応じる。
「それは……分かってる」
「ならば止めるな。彼女が自分の意思で決めたことだ」
「それは、聞こえていたが……」
気遣うような、それでいて咎めるような、様々な感情を湛えた赤い瞳が私を捉えた。私はその視線をまっすぐに受け止めた。
「邪魔になるつもりも、死ぬつもりもありません」
「……だが、嬢ちゃんに戦う理由はないはずだ」
「あのときはありませんでした。でも、いまはあります」
彩花を気遣ってくれた美琴さんを助けたい。なにより、戦うことを強いられていた私に、戦わなくてもいいのだと言ってくれた人達を放ってはおけない。
だから、私を連れて行ってくださいとまっすぐに見れば、彼は小さく息を吐いた。
「……そうか。嬢ちゃんの決意が固いなら、もう止めたりはしない。だが、無茶するんじゃねぇぞ。困ったら俺を頼れ。必ず、助けてやるからよ」
「ありがとうございます。困ったら頼らせてもらいますね」
自然と浮かんだ笑顔で感謝の言葉を返す。彼は照れたようにそっぽを向いて、「準備をしてくる」と持ち場に戻っていった。
それを見届けると、自分も戦場におもむくのだという実感がわいてくる。ここ数ヶ月は離れていた戦場の空気に触れ、私はわずかな緊張を抱いた。
それからほどなく、部隊は出撃する。
車でおよそ数時間を掛け、山の裾野へとたどり着いた。少し開けた空き地に車を止め、雨宮様を始めとした中隊、およそ二〇〇名が一斉にそれぞれの車から降車する。
私も雨宮様のエスコートで車から降り立った。
帝都の郊外は舗装されておらず、踏み固められた砂利道が精々。馬車と比べれば遥かにマシとはいえ、ここまでの移動でお尻が痛い。地面に降り立った私は大きく伸びをした。
そうして辺りを見回しながら雨宮様に声を掛ける。
「くだんの村が見えないのですが、どの辺りですか?」
「村はあの辺り、山の麓にある。氷室は村から更に奥にあるはずだ」
雨宮様が指をさしてくれる。木々が生い茂っていて視界が確保できないが、おおよその場所は把握することが出来た。徒歩で十分、二十分と言ったところだろう。
雨宮様の号令のもと、特務第八大隊の小隊は進軍を開始した。
木々のあいだに伸びる緩やかな山道を登り、村の付近へと接近する。
しばらく山道を進むと、次第に空気が澱んでいった。この辺りの土地は確実に瘴気に侵されている。それが聖女の私にはハッキリと感じ取れた。
進むにつれて澱む空気に私は顔をしかめ、口元を袖で覆った。
「レティシアさん、どうかしましたか?」
私の様子がおかしいことに気付いたアーネストくんが並び掛けてくる。
「……アーネストくんは、なにも感じないの?」
「なんのことでしょう? とくになにも感じませんが」
キョトンとした面持ち。ここまで瘴気が濃密だと、一般人でも不快感を抱いたりすることもあるのだけど、アーネストくんは特に変調をきたしていないようだ。
それどころか、少し見回しても、私と同じような反応をしている隊員はいない。
「なんだ、レティシアの嬢ちゃん。もうバテたのかよ?」
「いいえ、問題ありません」
このくらいの瘴気に侵された土地に踏み入っても、数日で妖魔化するようなことはない。それどころか、数週間から、数ヶ月、あるいは年単位の月日が必要になるだろう。
また、瘴気に侵されていない土地で過ごせば、少しずつ魔石の穢れは消えていく。心配するほどではないが、下手に打ち明けるとパニックになりかねない。
そう考えて、この地が瘴気に侵されていることはひとまず胸の内に留めた。
そうして山道を進むと、ほどなく村の入り口が見えてきた。私達はその辺りで一度足を止める。隊員が周囲を警戒する中、通信兵が籠城中の特務第一大隊に連絡を試みる。
それを横目に、雨宮様が紅蓮さんへと視線を向けた。
「――紅蓮、巫女殿が避難しているという氷室はどこにある?」
「特務第一大隊の連中から聞いた情報によると――あの辺り。ちょうど村から山へと続く道の先だな。あの木の陰辺りに入り口があるはずだ」
紅蓮さんが指差したのは村の反対側。周囲は険しい傾斜に囲まれていて、道を通らずにその場所にたどり着くのは難しそうだ。
「ずいぶんと険しい場所に村があるのですね」
「ここの氷室は過去の将軍様がお作りになったものだ。不届き者が悪さを出来ないように、天然の要塞となるこの地に村を作ったと言われている」
私の呟きに答えてくれたのは雨宮様だ。
氷室には夏には貴重な氷や、その他の食料品がしまわれている。それらを他者に奪われないために、村を通らずには到達しづらい場所にあるらしい。
だから籠城には最適で、けれど脱出も難しい地形になっているようだ。
「通信兵、連絡は取れたか?」
「はい。巫女は無事ですが、負傷者が多く、強行突破は難しいそうです」
「そうか、ご苦労。……強攻策が取れないとなると、仕方がない。紅蓮、それにアーネスト、第三、第四小隊を率いて、巫女達の救出に向かえ」
「崖を通って行くのか? 俺達はなんとかなるが……負傷者がいるんだろう? 撤退に手こずっているあいだに襲撃を受けたらひとたまりもないぜ」
紅蓮さんが眉を寄せた。
「そうだな。回復ポーションをいくつか持っていけ。それと……退路は心配するな。残りの者達で村を襲撃し、妖魔をこちらに引き付ける」
「おいおい。たった二個小隊で、数百もの妖魔を相手にするつもりか? そりゃ、いくら伊織さんでも無理ってものだぜ」
「無論、こちらは陽動だ。ただ、レティシアの話によれば、知恵の回る妖魔がいるらしい。下手を打って、巫女が人質に取られるのだけはなんとしても阻止したい」
それを避けるための陽動作戦。
揺るぎない意思を持って、必ず成し遂げるとの信念を口にする。彼が自分の命を賭け、そして部下にも命を賭けろと言っていることが、否が応でも感じられた。
誰かがこくりと喉を鳴らした。
だが、次の瞬間、雨宮様がその緊張を自ら破り、心配するなと笑った。
「見ての通り、村へと続くまともな道はこの細道だけだ。ここで戦闘をするなら、妖魔の一斉攻撃を受けることはない。注意を引きつつ、時間を稼ぐことは可能だろう。それに――」
雨宮様の視線が私へと向けられる。彼がなにをしたいのか理解した私は、即座に「かしこまりました」と空き地に向かい、異空間収納にしまっていた物資を取り出す。
まずは、武器庫にあった大きな木箱を地面に置いた。
その瞬間、隊員から小さなざわめきが起こる。
私は続けて、二つ目の木箱を、最初に置いた木箱の隣に置く。その次は、木箱の上に重ねて設置。そうして次々に木箱を並べ、最終的に二十箱の木箱を空き地に並べた。
部隊員からは、隠しようもないほどのどよめきが上がっている。
「――静まれ」
雨宮様が刀を少し抜き、鍔鳴りを発生させる。
その音が広がり、ざわめきが波のように引いていった。
「いま見たことは他言無用だ。彼女は善意で我らに協力してくれている。そのおかげで、我らは充実した兵装をもって敵に当たることが出来るのだ。にもかかわらず、その立役者である彼女に不利益をもたらそうとする不届き者がいたら俺が斬る。……分かったか?」
「「「――はっ!」」」
私にとっての異空間収納は、便利な能力であっても唯一無二の能力ではなかった。だから、私にしか使えないということが、どれほどの価値を生み出しているか理解していなかった。
でも、いまの私は、その価値を十分に理解している。私だけが異空間収納を使えるという事実が、周囲にどういう影響を及ぼすか正しく理解した。
なのに、隊員達はそんな感情をおくびにも出さない。以前、特務第八大隊ははぐれ者の集まりだなんて言っていたけど、とてもそんな風には思えない。
彼ら特務第八大隊はよく訓練された、とても頼もしい部隊だ。
「さて……紅蓮、アーネスト、我らは三十分後に戦闘を開始する。それまでに、氷室に可能な限り接近しておけ。巫女を救出後は、こちらに合流してもらうぞ」
「おう、任せとけ。伊織さんの期待に必ず応えてみせるぜ!」
「僕も、必ず任務を成し遂げて見せます!」
紅蓮さんとアーネストくんが部隊員を率い、村を迂回して巫女の救出に向かう。それを見届けると、雨宮様は残った部隊員に戦闘準備の指示を出す。
ここで妖魔を迎え撃つための防衛ラインを敷くつもりのようだ。彼らは武器を取り出して、空いた木箱に石を積めて即席の防壁とする。
そうして作業を続けていると、不意に木々の向こうから雄叫びが上がった。
「気を付けろ、なにか来るぞ!」
誰かが警告を発し、部隊員がそちらに警戒する。ほどなく、木々の向こうから小柄な妖魔が飛び出してきた。妖魔はまっすぐに雨宮様に向かう。
部隊員が雨宮様を庇おうとするが――
「おまえ達は手を出すな!」
雨宮様は刀を一閃、たったの一撃で妖魔を叩き伏せた。
峰打ちだったようで、妖魔の身体から血は流れていない。
「レティシア、この者を元に戻すことが出来るか?」
問われた私は、仰向けに倒れた妖魔の横に膝を突く。
妖魔は小柄で、影を纏ったゴブリンのような姿をしている。
もしかしたら、妖魔になるまえは子供だったのかもしれない。だけど、その瞳に理性の光は残っていない。子供はとっくに、人間に戻れる一線を越えていた。
それを確認した私は、ゆっくりと首を横に振った。
「残念ながら、この子を救うのは不可能です」
「……そうか。ならば離れてくれ」
「いいえ」
雨宮様の申し出を断り、私は意識が朦朧としている小柄な妖魔を抱き起こした。続けて異空間収納から短剣を取り出し、その首を……掻き切った。
あふれ出る鮮血。
妖魔が目を見張って、徐々に動かなくなっていく。
「せめて、安らかに眠りなさい」
瞼をなぞり、見開かれた瞳を閉じさせる。そうして永遠の眠りについた妖魔を地面の上に横たえ、私はゆっくりと立ち上がった。
降りかかった血は聖女の衣に弾かれ、地面に流れ落ちていく。だけど、短剣を持つその手は血に濡れたまま。いまの私は、王太子に穢らわしいと罵られた姿そのものだ。
『そのように血に染まった身で俺に近付くな、穢らわしい!』
かつて、王太子に言われた言葉が脳裏をよぎる。
「……レティシア、おまえ」
雨宮様が、驚きの目で私を見つめていた。
私は思わず視線を逸らした。
「……勝手なことをして申し訳ありません。でも、あの妖魔も元は人間です。元に戻せないのなら、せめて尊厳のある死を与えたいと思いました」
「それは、分かるが……なぜおまえが」
私が聖女だから。
声には出来ない想いを心の中で呟き、彼に向かって精一杯の笑顔を向けた。
「穢らわしい姿をお目にかけて申し訳ありません」
王太子に言われた言葉を雨宮様に言われたら耐えられないと、私は自ら卑下してみせた。だが次の瞬間、雨宮様は「馬鹿を言うな!」と声を荒らげた。
「妖魔化した者のために心を砕くおまえが穢らわしいものか!」
「……雨宮、様?」
信じられないと目を見張る。
そうして視線を揺らすと、彼が血に濡れた私の手をタオルで拭ってくれた。
「レティシア、妖魔化した者のために、その手を血に染めるおまえは美しい。その姿を穢らわしいなどという者がいたら、それはただの愚か者だ」
私が穢らわしいのではなく、王太子が愚かなだけだというその言葉に、私は思わず泣きそうになった。王太子に傷付けられた心の傷が消えていくのを感じる。
「……ありがとう、ございます」
今度は自然に、私は小さく笑った。
彼は、自分の何気ない言葉が、私をどれだけ救ってくれたか気付いていないだろう。分かったのならいいと言って、彼は他の隊員達へと視線を向ける。
「いつ村の妖魔に気付かれるか分からん。おまえ達は防衛ラインの構築を急げ――いや、さきほどの命令は撤回する。すぐに武器を取れ。気付かれたようだ」
雨宮様が視線を向けた村の入り口に、妖魔が姿を見せていた、その者達がこちらをめがけて走り始める。どうやら、さきほどの妖魔の雄叫びが原因のようだ。
十を超える妖魔が一気に押し寄せてくる。
「――総員、小銃を構え!」
雨宮様の声に、部隊員が一斉に長筒のようなものを妖魔達に向けて構えた。杖の類いだと思っていたけれど、構え方からして全くの別物のようだ。
――なんて暢気に思っていたのは、雨宮様が合図を送るまでだった。
「撃て!」
パンッと、なにかが弾けるような音が一斉に響いた。なんの音かは分からない。だけどその音が響いた直後、妖魔達がバタバタと倒れ始めた。
いまのは――攻撃?
魔術、あるいは弓のような飛び道具なのだろう。でも、まったく視認することの出来ない攻撃で、妖魔が次々に絶命していく。
その見えない力に戦慄せずにはいられない。
「レティシア、大丈夫か?」
何度目かの射撃で、敵の第一波が全滅した。それを見届けた雨宮様が声を掛けてくれる。私は聖女の衣の裾を握り締め、雨宮様に向かって笑みを浮かべて見せた。
「心配してくださってありがとうございます。でも、もとの世界でも、矢や魔術が雨のように降ることもありましたから平気です」
「勇ましいことだな。だが、そのようにスカートの裾を握り締めていたら説得力がないぞ?」
「し、仕方ないではありませんか! あのように見えない攻撃を見せられたら、戦場を知る者なら恐怖して当然です!」
弓でも魔術でも、その攻撃が見えないなんてことはあり得ない。そして見える攻撃であれば、己の力で対処することが出来る。
でも見えない攻撃はそうじゃない。自分が攻撃されたことも理解せず、この世を去るかもしれないのだ。戦場に身を置く者として、それほどの恐怖は他に考えられない。
「心配するな。おまえを危険に晒すつもりはない」
「あら、守ってくださるのですか?」
「決して俺の側を離れるな」
俺がおまえを護る――と、そんな心の声が聞こえた気がする。私が驚きに目を見張っていると、彼は私から視線を外し、妖魔が集まる村の入り口へと視線を戻した。
軍服をその身に纏い、勇ましく敵を睨みつける。
その背中がとても大きく感じられた。
「いまの銃声で更なる妖魔が集まってくるな。総員、気を引き締めろ!」
妖魔の第二波が迫ってくる。
雨宮様の号令の元、再び小銃の発砲音が周囲に響き渡った。
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