エピソード 3ー1

 自室のベッドで熟睡していた私は、扉を控えめに叩く音に意識を覚醒させた。同時に掛け布団を撥ね除けてベッドから降り立つ。

 ここまでが、長らく戦場に身を置いていた私が身に付けた条件反射。比較的安全なこの帝都で暮らしていても、こういった習性は抜けきらない。


 でも、ここは危険な祖国とは違う。そのことを思い出した私は深呼吸を一つ。落ち着いて周囲を見回した。窓から差し込む月明かりが、微かに部屋を照らしている。

 いまは紛れもない夜更け。

 襲撃ではなくとも、こんな夜更けに来訪なんてただごとではない。私は異空間収納から刀を取り出して、いつでも鞘から抜けるようにする。


「……どなたですか?」

「レティシア、緊急事態だ。すまないが開けてくれ」


 扉越しに聞こえてきたのは雨宮様の声だった。


「雨宮様? こんな夜更けにどうなさったのですか?」


 驚いて扉を開けると、薄暗い廊下に雨宮様が立っていた。私は雨宮様から視線を外し、廊下の闇に誰かが潜んでいないか警戒する。


 雨宮様に限って、とは思うが、魔族が私の警戒心を突破するために、人質に取った一般人に扉を開けさせる――ということが過去にあったのだ。

 けれど、周囲に他の人の気配はない。雨宮様は一人で尋ねてきたようだ。


 つまり、こんな夜更けにどうなさったのですか? という最初の質問に戻る訳なのだけど、雨宮様の反応がない。というか、彼はなぜか全力でそっぽを向いていた。


「……雨宮様?」

「レ、レティシア、おまえっ、なんて恰好をしているんだ!?」


 言われて自分の姿を見下ろす。

 戦場に身を置いていた頃は、いつ戦闘になっても困らないように、いつだって聖女の衣を身に纏っていた。だけど比較的安全な帝都では、普通の女の子らしい服装を楽しんでいる。

 つまり、いまの私が身に付けているのは――パジャマ代わりのネグリジェだった。


「し、失礼いたしました」


 扉を半分以上閉めて、身体をその陰に隠す。異空間収納に刀をしまい、代わりに取り出した上着を羽織り、私はドアの隙間から顔だけをちょこんと覗かせた。


「それで、どういったご用件でしょうか?」


 その問い掛けを切っ掛けに、雨宮様が真剣な面持ちになる。


「特務第一大隊より救援要請が入った」

「美琴さんになにかあったのですか!?」


 美琴さんの身を案じて扉の隙間から身を乗り出す。雨宮様が視線を逸らしたことに気付くが、いまはそんなことを気にしている場合ではない。

 私は沸き上がる羞恥心を押さえ込んで話を続ける。


「美琴さんは、特務第一大隊の方々は無事なのですか?」

「報告の時点では無事のようだ。だが、マズい状況下にある。救援部隊を編成しているところだが、その件でおまえに相談がある。着替えて司令室に来てくれ」


 かしこまりましたと扉を閉めた私はネグリジェを脱ぎ捨てた。続けて、着替えを用意するために、異空間収納に手を差し入れた私は――そこで動きを止めた。


 女中として働く私には、着物にエプロンという制服が支給されている。女中としての私が呼ばれているのなら、女中の制服を身に着けるべきだ。

 だが、今回は女中として呼ばれた訳ではない。

 つまり、普段着で問題ないはずだ。そう思って、普段使いにしているシンプルなドレスを取り出した私は、やはり着替えるのを躊躇する。

 私はもう一度だけ迷い、そして――



「お待たせいたしました」


 司令室に足を踏み入れる。

 深夜であるにも限らず、電球の明かりで煌々と照らされた司令室。

 そこには雨宮様だけでなく、笹木大佐様や、紅蓮さん、それにアーネストくんがいた。彼らは私の来訪を知らなかったのか、思い思いの表情を雨宮様に向ける。

 雨宮様はそれらの視線を黙殺し「来たか――」と私に話しかけた。


「さっそくだが現在の状況を伝える。さきほど、特務第一大隊から我らに対して救援要請があった。巫女の術を使って妖魔を探した際、住人がすべて妖魔化したそうだ」

「住人すべてが妖魔化、ですか!? それで、特務第一大隊の方々はどういった状況にあるのですか? 無事だとは聞きましたが、好ましくない状況下にあるんですよね?」


 衝撃の事実に、質問を重ねてしまった。

 でも、救援要請ということは、まだ撤退していないということだ。

 最悪の自体が脳裏をよぎる。


「退路を失った彼らは、山の麓にある氷室に籠城しているらしい。現時点で命に別状のある者はいないが、負傷者もいてその場から動くことが出来ないそうだ」

「そう、ですか……」


 最悪の状況ではないと知って、胸に手を添えて息を吐いた。

 そうして落ち着けば、いくつか疑問が浮かんでくる。


「さきほど、特務第一大隊から救援要請があったとおっしゃいましたが、なぜ特務第八大隊に要請が? 特務第一大隊は動けないのですか?」


 大隊とはおよそ600人くらいで編成される部隊だ。

 通常の大隊は単一の兵種で、連隊などの指揮下にある。だが、特務大隊は独自の指揮権を持つ独立大隊として機能しており、その兵種も様々で規模が大きい。

 村に潜む妖魔の討伐で、戦える兵士をすべて投入したとは思えない。なのに、どうして特務第一師団に救援要請が来るのかと問えば、雨宮様は物凄くなにか言いたげな顔をした。


「……なんですか?」

「いや、おまえは軍部の事情にも詳しいのだな?」

「この国の事情は知りませんでしたが、故郷の軍部のことは知っていますので」

「なるほど、それで詳しいのだな。おまえの疑問はもっともだが……」


 雨宮様が言葉を濁した。


「機密に関わることなら聞きませんが……?」

「いや、そうではないのだが……」

「特務第一大隊の隊長がやらかしたんだよ」


 雨宮様が言い淀んでいると、紅蓮さんが事もなげに言い放った。雨宮様は言ってしまったかという顔をして、それから「紅蓮の言うとおりだ」と続けた。


「高倉隊長殿が、巫女の力を皆に喧伝するという名目で、指揮官クラスの人間を総動員したのだ。そのせいで、帝都にいる特務第一大隊はいま、まともに機能していない」

「それはまた……隊長が愚かだと部下は苦労しますね」


 私は言葉を選ばずに言い放った。

 王太子に苦労させられたあれこれを思いだして腹が立つ。

 だけど、そういう理由ならば、特務第八大隊に救援要請が来るのも納得だ。

 実のところ、任務失敗の責任を擦り付けるために、特務第八大隊を呼んだのでは? と心配したのだけど、事情を聞く限り、そういう訳でもなさそうだ。

 むしろ救出すれば、あの偉そうな隊長の鼻を明かせるだろう。


「事情は分かりました。話の腰を折ってすみません。それで、なぜ私が呼ばれたのですか?」


 よけいな心配だったと謝罪して、本来の話題に戻すように促す。雨宮様は頷いて、「妖魔化と似た現象をよく知るおまえに意見を聞かせて欲しい」と言った。


「意見、ですか?」

「ああ。村の住人がまるごと妖魔化するようなことがあり得るのか?」

「……妖魔化が魔物化と同じならあり得ます。村に瘴気溜りが発生した場合などに」


 あると答えた私に、雨宮様が眉を動かした。


「だが、妖石の小さい人間は妖魔化しないのではなかったか?」

「魔力素子の多い土地では、総じて魔石が大きくなる傾向にあります。元々魔力素子が濃い地域で、なんらかの理由で魔力素子が瘴気に染まったと考えれば、ありうる話です」

「だが、それは一斉に妖魔化する、という意味ではないだろう?」

「そう、ですね」


 そこまで口にした私は、雨宮様の懸念を理解した。


 魔物化は様々なパターンが存在する。先に精神から変調をきたすものもいれば、姿から変容するものもいる。あるいは、負の感情を切っ掛けに、一気に変容するものもいる。


 だけど、巫女の術で暴き立てたということは、ひと目で妖魔と分かる人間は村にいなかったはずだ。変容した後も、人間の振りをしていた者もいるかも知れないが、全員がそうだったとは考えにくい。人為的な力が働いている可能性は十分にあるだろう。


「雨宮様の懸念通りである可能性は否定できませんね」

「そう、か。問題は、どこの勢力か、だな」


 雨宮様の呟きに私は首を傾けた。

 いまの一連の会話で私は、策を弄する妖魔――魔物でいうところの上位種、魔族のような存在が手を引いている可能性を予想した。

 だけど、雨宮様は、人間を警戒しているような口ぶりだ。


「……雨宮様は、これが帝国に徒なす人間の仕業だと思っているのですか? 私は、これが知能の高い妖魔の仕業だと思ったのですが……」

「知能の高い妖魔、だと?」

「はい。故郷には、知能の高い魔物――魔族が存在していました」

「……なるほど、そういった線もあるのか」


 口元に指をそえ、再び考え込む彼は虚空を見つめている。

 やはり、人間の仕業と考えていたようだ。


「なぜ人間の仕業だと思うのですか? この国の人間は妖魔化の原理もご存じでなかったようですし、人為的に妖魔化させる方法を知る者がいるとは思えないのですが……」


 あるかないかで言えば、ある。だが、それを雨宮様達は知らないはずだ。そう指摘すれば、司令室に気まずい空気が流れた。

 この反応、つまりはそういうことなのだろう。


 ……妖魔化させる方法、ね。

 実は、人為的に魔物化させるのはそんなに難しくない。魔石が瘴気に侵されることで魔物化は始まるのだから、魔物化させたい相手に瘴気を与えればいい。


 先日、水瀬さんに毒薬だと教えたポーションもその一種だし、瘴気に侵された土地に幽閉した上で、強い負荷を掛ければ魔物化を人為的に進めることができる。

 そういった方法を知る人間がいても不思議ではない。


「伊織さん、いま話し合うべきなのは、住人すべてが妖魔になった村にどう対処するかじゃないのかよ? 妖魔を殲滅しなきゃ、巫女を救出できないだろ?」

「そうです。手遅れになるまえに、特務第一大隊の救出に向かいましょう!」


 各々が考え込んでいると、紅蓮さんとアーネストくんがそう提案をした。だけど、笹木大佐様がその意見に待ったを掛ける。


「伊織の危惧が核心を突いているのなら事はそう簡単にはいかない。伊織はこれが何者かによる陽動だと考えているのだろう?」

「ああ。確証はないが、レティシアの話を聞く限り、今回の一件が偶然とは思えない。俺達の留守中に、帝都で騒ぎが起きる可能性を危惧するべきだろう」

「……陽動か。妖魔から帝都を護るのは、特務第一大隊と、我ら特務第八大隊の仕事。特務第一大隊が機能していない現状、多くの隊員を救援に送るのは危険かもしれぬな」


 笹木大佐様が顎に手を当ててうなり声を上げた。

 それから困った顔で雨宮様に視線を向ける。


「しかし伊織。巫女はもちろん、特務第一大隊を見捨てる訳にはいかないぞ?」

「当然だ。だから、中隊規模で任務を遂行する」

「中隊規模、だと? たしかに、帝都の護りを考えれば、動かせる部隊はその程度だが、村の住人がすべて妖魔なのだぞ? それを中隊規模で殲滅できるのか?」

「殲滅できれば理想だが、要請は巫女と特務第一大隊の連中の救出だ。無理をして、妖魔の殲滅を目的にする必要はないだろう」

「……なるほど。ならば救出部隊は私が率いよう。伊織は非常時に備えて帝都に残ってくれ」

「いや、俺では帝都に残る特務第一大隊の連中を動かせない。帝都には達次朗の大佐殿が残って、特務第一大隊の隊員と共に帝都の護りをかためてくれ」

「……いいだろう。では、救出部隊は伊織が率いろ」


 笹木大佐様の同意を得て、雨宮様はすぐに部隊編成の指示を出す。

 雨宮様を隊長に、四つの小隊からなる中隊規模の部隊。雨宮様が二つの小隊を直属に置き、残りの二つはそれぞれ、紅蓮さんとアーネストくんが率いることになった。


「夜明けには現地に到着するよう、深夜のうちに出発する。付近までは車で向かうが、村は山の麓にあり、最後は徒歩となる。それを考慮したうえで可能な限りの装備を準備しろ!」

「「――はっ!」」


 敬礼をして、紅蓮さんとアーネストくんが駈けていった。

 残された私は雨宮様に視線を向けた。話しておきたいことがあったからなのだが……私が口を開くより早く、雨宮様が言葉を発した。


「レティシア、おまえの刀を貸して欲しい」

「……私の刀、ですか?」


 思ってもみなかったお願いに目を瞬く。


「オリハルコンには破邪の力があると言っていただろう? それについて調べたところ、たしかにオリハルコンの刀は妖魔に強い効果を発揮した」

「救出に向かうのに、少しでも強い武装が必要という訳ですね?」

「ああ。少数精鋭で、スピードを重視するため、あまり多くの兵装も持ち出せない。少しでも強力な武器が必要だ。追加の刀が完成していればよかったのだが……」

「事情は分かりました。では、私をお連れくださいませ」


 そのとき、彼が浮かべた表情を、私は生涯忘れることはないだろう。


 雨宮様は信じられないと目を見張り、わずかに拒絶するように首を横に振った。そしてその瞳には、私を気遣う色が滲んでいる。

 誰よりも、私の有用性を知っているはずなのに。


「一人でも犠牲者を減らすために、私の力が必要でしょう?」

「……最初からそのつもりで、おまえはそのような戦衣装に身を包んできたのか?」


 彼は私の服装に視線を向けた。私が身に付けるのは、白を基調とした聖女の衣。聖女としての威厳を保ちつつも、戦場で立ち回ることを考慮したデザイン。

 私にとっての戦闘服だ。


「スピードを重視するため、あまり兵装を持ち出せないと言いましたね? ですが、私の異空間収納を使えば、その問題は解決するのではありませんか」

「……だが、おまえは軍に所属するのは嫌だと言ったではないか」

「それはそう、なんですけどね」


 彩花の傷痕を消すに、魔封じの手枷を外すことが私の目的。

 そのためには、特務第八大隊の協力が必要だ。


 それに、美琴さんは彩花のお見舞いに来てくれた。あのとき、彼女は赤の他人から、心優しい知り合いに昇格したのだ。知り合いである彼女を見捨てるのは寝覚めが悪い。


 それは雨宮様達にも当てはまる。

 亡くなった戦友の分まで戦う雨宮様。

 紅蓮さんは、そんな雨宮様に救われ、その恩を返すために戦っている。

 アーネストくんや、笹木大佐様がなぜ戦っているのかは聞いていないけど、きっと、雨宮様や、紅蓮さんと同じように、なんらかの理由を胸に抱いて戦っているのだろう。


 私は、彼らの人となりを知ってしまった。

 彼らを他人と思えなくなった瞬間、彼らを見捨てるという選択肢はなくなったのだ。

 だから――


「それはそれ、これはこれ、ってヤツです」


 私はイタズラっぽく笑った。

 戦いにおもむく理由なんて、それだけあれば十分だ。

 

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