エピソード 2ー10
彼女の名前は月宮美琴。
父は神主で、母は元巫女という、少しだけ珍しい家に生まれた女子高生だ。
美琴に愛情を注いでくれた母親は早くに亡くなっている。そして父は、神主としては尊敬に値する人物だったが――父親としては最低だった。自分に都合の悪いことがあればすぐに、誰のおかげで生活できていると思っているんだとマウントを取る。
自分の思い通りになれば気が済まない男だったのだ。
だから、美琴は高校を卒業すると同時に家を出て、親の力を借りずに暮らす予定だった。だけど、父は実家である神社のためだと言って、美琴に望まぬ婚約を押し付けようとした。
そんなお見合いの当日だった。
美琴が大正時代に逆行召喚されてしまったのは。
ちなみに、逆行というと、少し語弊があるかもしれない。
美琴が暮らしていたのは日本という国の、令和という時代。
なので、大正時代はおよそ百年ほど過去に逆行したことになるのだが、この国の名前は大日本帝国ではなく、神聖大日本帝国と呼ばれている。
他にも、美琴の知る大正時代とは、いくつか違っていることがある。
特に妖魔や、それに対抗する組織の存在。それに巫女召喚の儀で、遠く離れた地にいる人間を呼んでしまう魔術じみた力は、美琴が暮らしていた世界にはなかったものだ。
そういう意味では、異世界に召喚されたと表現した方がいいかもしれない。
なにより――
「一緒に召喚された女の人……絶対、あっちが本物の巫女だよね」
そう疑っていた。
美琴は、もとの世界でそれなりにライトノベルを嗜んでいた。その中には、異世界から聖女や巫女として召喚される女の子の物語が多く存在する。
その王道パターンの一つに、一人しか召喚されるはずのない儀式で二人召喚されてしまい、巻き込まれただけのオマケだと思われていた方が実は本物だった――という展開があるのだ。
その特徴として、片方は最初から本物と認定され、もう片方はなんらかの理由で役立たずのように扱われる。そうして虐げられた方が本物で大逆転、といったパターンがある。
そして、美琴が巫女に認定されたとき。隣にいた女性――レティシアはその条件を満たしていた。磨けば間違いなく美人なのに、まるで囚人のような恰好をしていたのだ。
それに、なにより、特務第八大隊は美男美女率が異常なのだ。
決して、この国の住民が軒並み美男美女という訳ではない。顔立ちが整っている者もいれば、そうでない者もいる。にもかかわらず、特務第八大隊には美男美女しかいない。
たとえるなら、乙女ゲームのヒロインとその周辺。
という訳で、美琴は自分が巫女であることに疑問を抱いている。とはいえ、物語でそういう展開が多いのは、逆転劇の方が受けがいいというだけの話。
現実が、物語のように劇的であるとは限らない。現実がときに物語よりも劇的なのは、それが計算によらない奇跡、偶然の産物であるからだと――と、閑話休題。
とにもかくにも、美琴は本物の巫女である。
だが、それを知り得ない美琴は、自分が巫女であることに疑問を抱いていた。
だけど、自分の能力が疑われれば、特務第一大隊から放り出されるかもしれない。そんな不安によって、彼女は自分が巫女ではないかもしれないと言い出せないでいた。
そうして、不安を抱きながら、必死に能力を発現させる訓練を受ける。
神事によって様々な結界を張り、神楽舞で味方の能力を向上させる。
実家の神社で巫女のバイトをしていた彼女にとって、巫女がおこなう神楽舞や祝詞などの神事は身近なものだった。すぐに儀式を覚えた彼女は、巫女としての能力の発現に成功する。
その結果、美琴が本物の巫女であることが証明された。
このことには、他ならぬ美琴自身が一番安堵した。
だが、自分が本物だと分かって安堵すると同時、レティシアのことが心配になる。現実が物語のように劇的ではなく非情であるならば、彼女はなんの力もない一般人ということになる。
巫女という地位を持つ自分ですら不安なのだ。
なんの地位もない彼女は、一体どれだけ不安な日々を送っているのだろうか、と。
だけど、事態は更に一転する。
耳に入ったのは、レティシアが妖魔と遭遇したときの情報だ。箝口令を敷かれていたようだが、高倉隊長が他の隊員と話しているのを聞いてしまったのだ。
巻き込まれた方の女性が、不思議な方法で負傷した女性の傷を癒やしたらしい――と。
だから、やはり自分は偽物で、レティシアこそが真の巫女なのかも知れないと思った。
そして、高倉隊長もまた、レティシアが本物の巫女で、美琴は紛い物かもしれないと慌てていた。そうして、美琴を巫女だと判断した井上副隊長を叱りつけたのだ。
もしも美琴が偽物だったら、二人纏めて処分してやる――と。
美琴は、それを偶然聞いてしまった。
それでも美琴が不安に押し潰されずに済んだのは、井上副隊長がその地位を掛けて、美琴こそが本物の巫女であると断言してくれたからだ。
この頃には、彼は美琴にとっての心の拠り所になりつつあった。
だから――
特務第一大隊の敷地内に作られた稽古舞台。
巫女服に身を包んだ美琴は、日が暮れるまで鈴を持って神楽舞を舞っていた。
背筋をピンと伸ばし、すり足で舞台の上を歩く。一歩目はゆっくりと。二歩目で加速して滑るように舞台の上を移動すれば、ぎゅっと身体の内に力を溜めるように止まる。
そして、その動作を次の所作の一歩目へと繋げて移動を開始する。
それを繰り返して優雅に舞う。
序破急の理念を体現した彼女は、見る者の視線を惹き付ける華がある。夕日を浴びる彼女は神々しく、稽古舞台が神秘的な気配に包まれていく。
彼女がリィンと鈴を鳴らせば、舞台を中心に破邪の力が広がっていく。
どれくらい稽古を続けていただろう? 美琴はふぅっと息を吐き、額に浮かんだ汗を袂から取り出したタオルで拭う。そこに、パチパチと拍手の音が鳴った。
美琴が驚いて振り向けば、特務第一大隊の井上副隊長の姿があった。
「い、井上さん、いつから見ていたんですか?」
「途中からだ。よく訓練に励んでいるな」
「ありがとうございます。でも、まだ初歩の術しか使えないのでもっともっと頑張ります」
「……そうか」
井上がわずかに憂い顔を見せた。
「なにか、ありましたか?」
「実は、大本営より命令が下った。巫女殿に華々しい初陣を飾らせろ、と。急な実戦に不安はあると思うが、出撃に応じてくれないだろうか?」
「分かりました。私、頑張ります!」
井上の頼みを美琴は二つ返事で引き受けた。
基本的に平和な日本で生まれ育ち、危険に対して臆病な性格を滲ませていた。そんな彼女が応じることに驚いたのか、井上は何度も瞬いた。
「ありがたいが……大丈夫なのか?」
「ホントは凄く不安です。でも、私が応じないと、井上さんが困るんですよね?」
「いや、そんなことは……」
「私、知ってます。高倉隊長が、私が本物の巫女かどうか疑ってること。でも、井上さんが庇ってくれてるんですよね?」
「……盗み聞きは感心しないな」
咎めるような面持ち。
でも、聞いてしまったのは偶然だ。というか、道の真ん中で怒鳴る高倉隊長が悪い。そう開き直った美琴は、まっすぐに井上副隊長を見つめた。
「私は、井上さんの信頼に応えたいんです」
「信頼もなにも、巫女殿が力を証明したのは事実だからな。それに、こちらの勝手な手前で召喚したのだから、その立場を守るのは軍人として当然の役目だ」
「普通の人は、そんな風に義理堅くないですよ。井上さんが優しいから、私もその恩を返したいって思うんです。だから、巫女としての私が必要なら、遠慮なんかしないでください」
美琴はそういって不器用に笑った。本人は隠しているつもりだろうが、巫女としての衣装、緋の袴を握り締める手の袖が小刻みに波打っている。
強がってはいても、戦場におもむけと言われて平気でいられるはずがない。美琴は平和な日本で生まれ育った、普通の女子高生なのだから。
そして、井上は朴念仁ではあるが、同時に多くの部下を従える副隊長でもある。そんな彼が、美琴が不安を押し殺し、自分のために無理をしていることに気付かないはずはなかった。
井上副隊長は刀の鞘を裏返し、少しだけ刀身を引き抜いた。
「い、井上さん?」
「巫女殿も護身用の短刀があるだろう? 同じように抜いてくれ」
「え、え、こう、ですか……?」
戸惑う美琴は井上副隊長の真似をして短刀を少しだけ鞘から引き抜く。互いに峰を相手に向けた状況、井上副隊長が刀の峰を、美琴が持つ短刀の峰に打ち合わせた。
武士が決して破らぬ誓いを立てるときにおこなう、金打(きんちょう)という行為だ。
「巫女殿、私が巫女殿を護衛する。たとえどのような脅威があろうとも、この身に変えても巫女殿を護る。だから、安心して欲しい」
「……井上さん」
美琴は金打という行為を知らない。それがどれだけ重い誓いなのかも。だが、井上副隊長が心の底から約束してくれていることは理解した。
だから――と、真っ赤な夕日のもとで、美琴は小さく頷いた。
「この時代に来てから、私は不安なことばかりです。でも、井上さんが助けてくれているから、私はここまで頑張ってこれました。これからも、私は井上さんを信じます」
「ああ、必ずやその信頼に応えると約束しよう」
美琴はまだ未熟で、実戦に参加できるほどの実力はないが、民衆は巫女が召喚されたことを知っていて、出来るだけ早く巫女の力を喧伝する必要があった。
よって、高倉隊長が率いる特務第一師団が、巫女を伴って出撃することになった。
だが、大本営は無能の集まりではない。
大本営が求めるのは、巫女がこの世界を救うにたる存在だと民衆に喧伝すること。華々しい戦果を望んでいるのではなく、華々しく見える戦果を望んでいるのだ。
つまり、入念な下調べをおこない、すべてをお膳立てした上で、巫女に手柄を立てさせるだけの、簡単な任務のはず――だったのだ。
高倉隊長が基本的な調査さえ、怠ることがなければ。
「高倉隊長、どうか調査を命じてください」
「事前調査は必要ないと言った」
「ですが、事前調査は基本中の基本。ましてや、このたびの任務は巫女殿の初陣を飾る大事な任務です。万が一をなくすためにも、事前の調査はおこなうべきです」
「黙れ、井上。巫女が本物ならば、そのような調査は必要ない! それともおまえは、あの巫女が偽物だと言うつもりか? おまえが、あの娘を巫女だと言ったのではないか!」
「彼女が巫女であることは間違いありません。ですが、経験不足もまた事実で――」
「黙れと言ったはずだ。これ以上、わしの決定に文句を付けるのなら任務から外すぞ」
「……申し訳ありません」
こうして、特務第一大隊はなんの情報も持たずに、妖魔が出没する村へと向かうことになった。そして、現地に到着した美琴が巫女の術を使った瞬間、予想外のことが起こった。巫女の術は正しく発動し、けれど村に潜む妖魔を見つけることは出来なかった。
なぜなら、その村に潜む妖魔は存在しなかった。
その村の住人すべてが妖魔だったのだ。
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