エピソード 2ー9
特務第八大隊の宿舎の裏手の空き地。初夏の陽差しが降り注ぐその場所で、私は紅蓮さんやアーネストくんから剣術を学んでいた。
今日の私は髪をポニーテールにして、シンプルなブラウスと、アシンメトリーのスカート、それにブーツというスタイルで訓練の望んでいる。
指南役はアーネストくん。
そしていまは、軍服姿の紅蓮さんと実戦形式で切り結んでいる。
軍服を身に纏い、陽差しを浴びて煌めいている。紅蓮さんの姿は非常に絵になるが、私はその光景に見惚れる暇がない。苛烈な彼の動きに必死に食らいついていく。
「どうした、嬢ちゃん。もう疲れたのか? そんな大ぶりじゃ対応出来ねぇぜ!」
紅蓮さんが攻撃速度を上げてくる。
殺気はない――けれど、鬼気迫る勢いで斬り掛かってくる。右からの斬撃、弧を描くように一度引いて、今度は左からの斬撃を放ってくる。続けて左、再び右と見せかけて左。
圧倒的な速度を誇る紅蓮さんの連撃を必死に刀で捌く。
そのとき、紅蓮さんの額に浮かんだ汗が彼の目に入り、彼の動きに乱れが生じた。
その期を逃さず、私は渾身の力で上段から刀を振り下ろす――が、私が放った一撃は紅蓮さんにあっさりと受け流されてしまう。
私が刀を引くより速く、彼の刀の切っ先が私に突きつけられていた。
「参りました」
私は何度目かの敗北を認め、腰に取り付けた鞘に納刀する。
ちなみに、アーネストくんの剣術は理詰めで、稽古も理論的な説明が多い。対して紅蓮さんは感覚で動くことが多く、稽古の内容も非常に感覚的だ。
私がなぜ負けたのかも、紅蓮さんは説明してくれない。
でも、いままでに受けたアーネストくんの説明もあって、なんとなく分かる気がした。おそらく、紅蓮さんが見せた隙はニセモノ。彼は目に汗が入って動揺した振りをしたのだ。
つまり私は、彼の誘いにまんまと引っ掛けられてしまったという訳だ。
「手も足も出ませんでした」
「こう見えても俺は、特務第八大隊の中尉、伊織さんに分隊長を任されている身だぞ。初めて刀を持ったレティシアの嬢ちゃんに負けてたまるかよ」
「もちろん、私も勝てるとは思っていませんが……」
私だって戦場に身を置いていた者だ。勝てずとも、もう少し粘るくらいは出来ると思っていた。しょんぼりと落ち込んでいると、紅蓮さんがちらりと私を見た。
「まぁ、その、なんだ。剣術は未熟だが、反応速度は悪くない。というかよすぎるくらいだ」
「あぁそれは、紅蓮さん達と同じ理由だと思います」
聖女の術や魔術を封じられている私だが、すべての能力が封じられている訳じゃない。自然治癒の能力の他にも、身体能力――つまり、筋力や反射神経なども少し引き上げられている。
そして、紅蓮さんも全盛期の私と同じように、身体能力が人としての限界を超えている。私と同じ能力を持っているからだろう。
そう思っての発言だったのだけど、それは彼の思わぬ反応を引き起こした。
「嬢ちゃん、まさか、アレを飲んでるのか!?」
「え、アレ……ですか?」
私と同じ常時発動型の能力――パッシブスキルではないらしい。
もしかして、紅蓮さんは強化系のポーションを使用しているのだろうか? でも、この世界にポーションはなかったはずだと首を傾げていると、紅蓮さんはさっと視線を外した。
「……いや、なんでもない。俺の勘違いだ」
「いえ、私の方こそなんかすみません」
よく分からないが、失言だったようなので謝罪する。私としてもあまり深入りされたくない話題なので、そのまま口を閉ざす。
紅蓮さんも沈黙し、二人のあいだに気まずい空気が流れる。
そこに、少し離れた場所から見学していたアーネストくんが近付いてきた。
「お疲れ様です、レティシアさん、中々いい動きでしたよ」
励ましてくれるアーネストくんが良い子すぎる。
「ありがとう、アーネストくん。でもまだまだだよ。紅蓮さんの誘いに乗せられちゃった」
「紅蓮さんは野性的な剣術を使ってきますからね」
「あん? 誰の剣術が野蛮だって?」
「そんなことは言ってません。野性的で厄介だって言ってるんです」
紅蓮さんの軽口に、アーネストくんが事もなげに言い返した。
大人しそうなアーネストくんと、やんちゃそうな紅蓮さん。対照的な二人だけど、いつも一緒にいてこんな風に軽口をたたき合っている。
仲がいいなぁと思いながら、私は受け取ったタオルで顔の汗を拭った。
「……あ」
「レティシアさん、どうかしましたか?」
「うぅん、このタオル、アーネストくんの匂いがするね」
「えっ!? す、すみません、ちゃんと洗濯したはずなんですが……って、どうしてまた汗を拭いているんですかっ! か、返してください!」
アーネストくんが真っ赤になって私からタオルを取り上げようとする。その姿が可愛らしくて、私はアーネストくんに取られないよう、タオルをぎゅっと胸に抱きしめた。
「うぅ……レティシアさんって意外にイジワルですよね?」
「ふふ、ごめんね?」
汗を拭ってからタオルを返却し、小首をかしげて謝って見せた。
「いえ、その……いいですけど。……嫌な匂いじゃなかったですか?」
小声で付け加えるアーネストくんが可愛らしい。
私は「嫌な匂いじゃなかったよ」とクスクスと笑った。
「なぁレティシアの嬢ちゃん」
「はい、なんですか――って、紅蓮さん!?」
紅蓮さんへ視線を移した私は思わず目を見張った。いつの間にか、彼は軍服のシャツを脱ぎ捨て、上半身裸で汗を拭っていたからだ。
「ぐ、紅蓮さん、レティシアさんのまえでなにやってるんですか!?」
「なにって、汗を拭いてるに決まってんだろ」
「そうじゃなくて、女性の前ですよ!?」
まったくもってその通りだよ! と思いつつも、私は紅蓮さんに視線を向けてしまう。服の上からでも分かってはいたけれど、彼の身体はとても鍛えられている。
腹筋は当然のように割れているし、肉体美という言葉がよく似合う体付きをしていた。
「なんだよ、アーネストはいちいちうるせぇな。嬢ちゃんは気にしねぇよな?」
「いえ、その、刺激が強いのはたしかですが……」
「あん? そうなのか? それは、すまなかったな」
さり気なく視線を逸らすと、紅蓮さんは背中を向けて軍服を着なおした。
「ところで紅蓮さん。さっき、なにか言いかけませんでしたか?」
「ん? あぁ、そうだったな。伊織さんの命令だから剣術を教えてるが、嬢ちゃんはなんで剣術を学ぶことにしたんだ? まさか、妖魔と戦うつもりなのか?」
「いえ、あくまで護身のためです」
先日、紅蓮さんに斬り掛かられて対応できなかった。そのことを私は脅威に感じている。紅蓮さんを警戒している訳ではなく、刀の速さに脅威を感じたのだ。
いままでのように剣を使っていては、刀の速さに対応することは出来ない。
だから私は刀を使うことにした。
だけどそれは、あくまで護身のためだ。聖女として自分の身を守ることを常に考えてきた私は、脅威への対抗手段を見つけておかないと不安に陥る。
いわゆる、職業病みたいなものだ。
「護身か。生兵法は大怪我のもとなんだがなぁ」
「紅蓮さん、レティシアさんは筋がいいですよ」
紅蓮さんの呟きにアーネストくんがフォローを入れてくれる。
「それは俺も分かってる。だが……それが原因だろ?」
紅蓮さんの視線が私の手首に填められている魔封じの手枷へと向けられた。
「そう、ですね。やはり対応が遅れていますよね」
魔封じの手枷は、聖女の術や魔術を封じている。
身体能力の向上や、自己再生能力の向上。常時発動型の能力は封じられていないけど、聖女の術にも身体能力を跳ね上げる術がある。
そういった能力を使えないのはやはり痛い。それ以前、やはり戦闘になると、手枷の物理的な重さも枷になっている。軽くて扱いやすい刀でも、それらの影響は隠しきれない。
「まぁ自覚があるならいい。嬢ちゃんはあんまり無理するなよ」
「……私は、ですか?」
まさか、紅蓮さんはなにか無理をする予定なんですか? と、ジト目を向けた。
「俺じゃねぇよ。ついに、巫女様の初陣が決まったらしいぜ」
「初陣……どこかを攻めるんですか?」
と言うか、妖魔に支配されているような地域があるのだろうかと首を傾げた。
「大きな声じゃ言えないが、帝都から少し離れた村に複数の妖魔が出没しているらしい。特務第一大隊の連中を率いた巫女様が、その村の妖魔を討伐するそうだぜ」
「巫女を連れて行くほど強力な妖魔がいるのですか?」
「いや、そういった報告はない。ただ、巫女様は妖魔を見つける能力があるらしい。だから、村に潜む妖魔を発見するために同行するようだ」
「そうですか。それは心配ですね」
よく訓練された兵士でも初陣は冷静じゃいられない。ましてや、巫女と呼ばれていた女の子は、物凄く大人しそうな、虫も殺したことがなさそうな女の子だった。
初陣は相当な不安があるだろう――と、心配する気持ちが顔に出ていたのだろう。アーネストくんが「大丈夫ですよ」と口を開く。
「特務第一大隊の人達も、大事な巫女様を危険に晒したりはしないはずです」
「まぁそうだな。あそこの副隊長が伊織さんのことを見下してるのは気にくわねぇが、正規の特務大隊ってだけ合って、腕も装備も一級だからな」
「……第一大隊の副隊長というと、井上さんのことですよね? あの方が雨宮様を見下して、いるのですか?」
王太子と少し雰囲気が似ている人だ。王太子に似ている人間が雨宮様を見下していると知って、私はスカートの裾をぎゅっと握り締めた。
「お、おい、嬢ちゃん?」
「レティシアさん、殺気があふれてますよ!?」
「え、まさか、そんなことありませんよ」
私はパッとスカートの裾から手を放して笑みを浮かべた。
「おいおい、マジかよ。一瞬、殺されるかと思っちまったぜ」
「レティシアさん、怒らせると怖そうですね」
二人が小声で話しているのが聞こえてくる。
私はコホンと咳払いをした。
「ところで、第一大隊の副隊長が雨宮様を見下しているというのはどういうことですか? 隊長が特務第八大隊のことを見下しているというのは聞いたのですが……」
「あぁ、あそこの隊長は酷いな。それと違って、副隊長の方は……なんというか、個人的な因縁? みたいなのがあるらしい」
「あるらしい、って。有名じゃないですか」
アーネストくんは溜め息をついて、それから私へと身体を向けた。
「レティシアさんは、伊織副隊長が公爵家の長男だってことは知っていますか?」
「え、そうだったんだ」
この国では少し違うそうだけど、故郷の国では、公爵といえば王族の血を引く者達だ。
まさか、雨宮様がそんなに高貴な生まれだとは知らなかった。
「そして、特務第一大隊の井上副隊長もまた、井上公爵家の長男です。二人は同じ立場の人間として親しかったそうです。ですが……」
「あぁ、伊織さんが特務第八大隊に志願したから、か」
紅蓮さんが、合点がいったとばかりに頷くが、私はさっぱり分からない。「どういうことなの?」と、アーネストくんに向かって問い掛ける。
「特務第八大隊に志願したことで、伊織副隊長は次期公爵の地位を失ったそうです。特務第八大隊は正規軍とは言い難いですからね」
「なにそれっ! 人々を護る職に就くことが、公爵家の汚点になるってこと!?」
私が声を荒らげると、アーネストくんは少しだけ寂しげに笑った。
「みんながみんな、レティシアさんみたいな考え方なら、伊織副隊長も次期公爵のままでいられたかもしれませんね。でも、特務第八大隊はそういう部隊なんです」
はぐれ者の集まり。
以前は軽く流していた言葉が、ここに来て重くのし掛かってくる。国のために戦っているのに、国から蔑まれる。その状況が、かつての自分と重なって見えた。
そうして下を向いた私の前で、アーネストくんが咳払いをする。
「とにかく、その頃からだそうですよ。伊織副隊長と井上副隊長の仲が悪くなったのは。井上副隊長は、伊織副隊長に考え直せと迫っていたそうですから」
「そう、なんだ……」
巫女召喚の儀で彼に言われたことを思い出す。
井上さんはあのとき、『伊織という馬鹿を頼れ』と、そのような言葉を私に投げかけた。馬鹿と表現しながらも、雨宮様を名前で呼び、頼れる人間だと口にしたのだ。
これは私の想像だけど、井上さんは雨宮様を心配しているんじゃないかな? だから、自ら出世コースを外れた雨宮様に対して怒っている。
もしそうなら、井上さんは良い人かもしれないね。
……隊長の方は、どう考えても嫌な人だったけど。
「それにしても、雨宮様になにがあったんでしょうね? 周囲の反対を押し切ってまで、特務第八大隊に所属するって言うのは、相当に大変なことですよね?」
「さぁな。だが、どんな理由だったとしても、伊織さんがみんなのために戦ってることに変わりはねぇよ。あの人は、立派な人なんだ」
そう言った紅蓮さんはとても誇らしげだ。
その赤みを帯びた眼差しが熱っぽく見えて、私のイタズラ心が顔を覗かせた。
「紅蓮さんは雨宮様のことが大好きなんですね」
「ああ、その通りだ。だから俺は伊織さんのためならなんだってする」
返ってきたのは想像より感情のこもった熱い言葉だった。
「そういえば、紅蓮さんは雨宮様に助けられたんですよね」
「ああ、そうだ」
それが、紅蓮さんの戦う理由。
故郷で私の戦いに付き従ってくれた人達も、様々な理由で戦っていた。私に愛する人を救われたという理由で兵士に志願して、最後は私を守って散った人もいる。
紅蓮さんがそういう理由で戦っていても不思議じゃない。
「……ごめんなさい」
「あん? なんだか知らねぇが、気にするな」
からかおうとした私は反省する。
――と、そんな感じで彼らと交流を続けながら、私は刀を使う剣術を学ぶ日々を送る。
魔封じの手枷を破壊する算段は立ったし、薬草の栽培も新たな試みが進められている。この分なら、彩花の傷だって消すことが出来るだろう。
私も、普通の女の子として、平和な日常を送ることが出来るかもしれない。
そんな風に思い始めた矢先。
特務第一大隊からの救援要請が、特務第八大隊の下に舞い込んだ。
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