エピソード 1ー7

 騒ぎが収拾した後、私は真っ先に彩花が運び込まれた軍施設の医療棟を訪ねた。

 彩花はポーションの効果で一命を取り留めたが、失われた血は取り戻せていない。しばらくは安静にする必要があり、いまは病室のベッドで横になっている。


「レティシア、いらっしゃい」


 私に気づいた彩花がベッドの上で上半身を起こす。


「彩花、寝てなくて大丈夫なの?」

「うん、レティシアのポーションのおかげでね。まだ身体は少しだるいけど、部屋の中を動き回る程度なら大丈夫だって言われてるの」


 彩花は笑うが、彼女の頬から肩口に掛けて痛ましい傷跡が残ってしまっている。私の手持ちのポーションでは、彼女の傷を消すには至らなかったのだ。


「傷痕、残っちゃったね」

「……あぁこれ? 仕方ないよ。命が助かっただけでも奇跡みたいなものだったでしょ? それに、ほら。こうして髪を下ろしていたら傷痕は目立たないから」


 黒髪で傷痕を隠した彩花は儚げに笑った。

 長い髪を下ろしていれば傷痕は目立たないのは事実だ。けれど、それで綺麗に隠れる訳でもない。なにより、彼女はショートヘヤに憧れていた。


 なのに大丈夫と笑う、彼女の栗色の瞳には悲しみが滲んでいる。

 それは見ているこっちが悲しくなるような微笑み。


 彼女は私を励まそうと笑っているのだ。自分の方が辛いはずなのに、私を励まそうとしている。それはきっと、私が責任を感じていると知っているから。

 私は自分が情けなくて、きゅっと唇を噛んだ。

 なんとかしてあげたいと、私は袖の上から魔封じの手枷に触れる。


「レティシア、レティシアってば」

「え、あ、ごめん。……なに?」


 物思いに耽っていた私は彩花の声で我に返る。


「レティシアのドレス、作り方を教えてくれる約束だったでしょ? レティシアのファッションなら、ロングヘヤでもオシャレだと思うのよね」

「……彩花。そうだね、きっと彩花に似合うと思うよ」

「でしょ? だから、作るのを手伝ってね」

「うん、もちろん!」


 私の方が励まされている。でも、きっと、彩花の気分転換にもなるだろう。そう思ったから、私は全力で型紙作りに協力することにした。



 それからほどなく、私は特務第八大隊の司令室に呼び出された。正面には雨宮様と笹木大佐様、私の両隣には紅蓮さんとアーネストくんが座っている。

 なんだが、とっても包囲されている気分。


 最近多いよね、この状況。

 気まずいなぁと思っていたら、おもむろに雨宮様が口を開いた。


「レティシア。おまえがなぜここに呼ばれたのかは分かっているな?」

「え、その……前回に引き続いて騒ぎを起こしたから、でしょうか?」

「違うっ! 回復薬の件に決まってんだろ!」


 赤髪を掻き上げ、私の言葉を訂正したのは紅蓮さんだ。そうなんですかと雨宮様に視線を向けると、彼はなんとも言えない表情を張り付かせたまま口を開いた。


「騒ぎに巻き込まれただけで、おまえが騒ぎを起こした訳ではないことくらいは分かっている。用件は紅蓮の言った通り、あの回復薬の件だ」

「回復ポーションがどうかしたんですか?」

「回復ポーションというのか、あれは」

「はい、そうですけど……この国にはないのですか?」

「傷が一瞬で治るような薬などあってたまるか」


 なんと、この国にポーションの類いは存在しないらしい。


「でも、その……巫女様は傷を癒やすことも出来るのですよね?」

「だからこそ、巫女という存在は特別なんだ」


 私の問いに笹木大佐様が答えた。

 どうやらこの世界、傷を一瞬で治すような力があるのは巫女だけのようだ。みんなの反応がおかしいとは思っていたけど、ポーションの類いすらないとは思っていなかった。

 それなら、回復ポーションに驚くのも無理はない。


「ところでレティシア嬢、その回復ポーションとやらは、キミの元いた世界の物なのか?」


 笹木大佐様が質問を投げかけてくる。


「はい。それなりに値は張りますが、手に入れられない物ではありませんでした」

「なるほど。つまりキミがポーションについて報告しなかったのは、この国でも回復ポーションが一般的な物だと思っていたから、という訳だね?」

「そうですね。まったく同じ物はなくても、似たような物はあると思っていました」


 聖女と似た力を持つ巫女がいて、遠く離れた場所にいる人を召喚することすら出来る技術を持つ、オルレア神聖王国よりずっとずっと発展した国。

 それほど優れた国が、回復薬の一つも作れないなんて誰が予想するだろう。


「ふむ。ではもう一つの質問だ。そのポーションを樽で出したと聞いているが、それは一体どうやったんだね? 差し支えなければ、見せてくれないか?」

「異空間収納のことですか?」


 私は虚空に手を突っ込んで、そこから紅茶で満たされた人数分のティーカップを取り出し、テーブルの上に並べていく。それを見た彼らからどよめきが上がる。


「これは……このまま収納していた、という訳かい?」

「はい、よろしければどうぞ。淹れたてですよ」

「淹れたて? それは、どういうことだい?」

「異空間の中に時間の概念はないんです。ですから、淹れたての紅茶をしまっておけば、取り出した瞬間も淹れたてのまま、という訳です」

「それは、なんとまぁ……」


 笹木大佐様がどこか呆れたような顔をする。

 異空間収納に興味津々といった面持ちだけれど、紅茶に口を付ける素振りはない。得体の知れない物として、飲むのを警戒されているのかも知れない。

 そのとき、雨宮様がおもむろにティーカップを口に運んだ。


「……ほう、香りからもしやと思ったが、想像以上に上品な味わいだ。レティシア。これはおまえの故郷の紅茶なのか?」

「はい。紅茶を嗜むのは、自由のない私にとって数少ない趣味の一つだったんです。……気に入っていただけましたか?」

「ああ、悪くない」


 雨宮様はもう一口、ほうっと色気のある吐息をついた。それを見たアーネストくんや紅蓮さんが口を付け、最後に笹木大佐様も紅茶を飲み始めた。


 紅茶が気に入ってくれたのか、彼らはしばらく無言で紅茶を楽しんだ。私もそれに倣って紅茶を口にする。慣れ親しんだ味が、私の気持ちを落ち着かせた。

 ほどなく、紅茶を飲み終わった雨宮様がティーカップをテーブルの上に戻す。


「これで分かった。おまえの着ている服も異空間収納から取りだしたものだな? どうりで、巫女召喚の儀に手ぶらで現れたおまえが、様々な服を持っている訳だ」


 そういえば、私服をこの国で購入した物だと誤解されたことがあった。そっか、異空間収納がない世界だから、そんな勘違いをされたんだね。


 ちなみに私は、魔王や魔物を討伐したり、瘴気に侵された土地を浄化するために各地を転々としていたこともあり、所持品の多くは異空間収納にしまっている。

 私は紅茶を飲み干して、笹木大佐様に向かって問い掛ける。


「あの、私からも一つ聞いていいですか? あの男の子はどうなりましたか?」

「あぁ、彼なら拘束中だ。幸いなことに、いまは正気を保っているようだ」

「そうですか、よかった」


 回復ポーションの効果がどれだけあったのかは分からない。けど、生き別れの弟に似た男の子が助かってよかったと安堵する。

 そんな私を、笹木大佐様は不思議そうな顔で見た。


「まさか、キミがなにかしたのかね?」

「回復ポーションを飲ませました。妖魔化を押さえられるかは賭けだったんですが……正気に戻っていると言うことは、効果があったのかもしれません」

「回復ポーションには妖魔化を止める効果もあるのか!?」


 笹木大佐様だけでなく、他の面々も驚きの声を上げた。


「似た症状に効果があるだけで、妖魔化にも効果があるという確証はありません。あったとしても、ほんのわずかな効果だけ。妖魔化が始まる瞬間に飲まなければ意味がない程度です」

「それでも、可能性はあるのだね?」


 こくりと頷けば、笹木大佐様は物凄く真剣な顔で私を見た。


「レティシア嬢、キミに折り入って相談があるんだが、聞いてくれるかね?」

「なんでしょう?」

「話というのは他でもない、あのポーション樽の残りを譲ってもらいたいということだ。厚かましいお願いだと言うことは重々理解しているが、どうか聞き届けてもらえないだろうか?」

「かまいませんよ」

「……かまわないのかい?」


 笹木大佐様は物凄く意外そうな顔をする。


「さきほども言いましたが、元の世界ではそこまで特別な物ではなかったので。お仕事の斡旋などでお世話になっていますし、少しでも恩返しが出来るのならもらってください」

「だが、この世界に来た以上、もはや入手は不可能なはずだ」

「それは、そうなんですが……」


 いまは魔術を始めとした聖女の力は封じられているが、魔封じの手枷さえなんとかすれば、私がポーションを必要とすることはないに等しい。

 それに――


「ポーション自体はもう品切れですが、薬草を始めとした材料は少し残っているので、それを使えばもう一樽くらいは作れるかな、と」

「ほう、あのポーション樽をまだ用意できるのかい?」


 感心する笹木大佐様。

 私の横で紅蓮さんがピクリと身を震わせた。


「ちょっと待てよ。レティシアの嬢ちゃん、いま、薬草と言ったよな?」

「え? えぇ、言いましたけど?」


 紅蓮さんに鋭い視線を向けられて、私は少しだけ戸惑った。戸惑ったのは雨宮様達も同じだったようで、紅蓮さんにどうかしたのかと問い掛けた。


「揃いも揃ってどうして気付かねぇんだよ。レティシアの嬢ちゃんはさっき、異空間収納とやらの中では、時間の概念がないって言ったんだぞ?」

「それがどうか……いや、待て」


 雨宮様が鋭い声を発し、私に視線を向けた。


「レティシア、まさかおまえ、採取したての薬草を持っているのか?」

「え? あぁ……なるほど。たしかにありますよ、根っこ付きの、生の薬草が」


 雨宮様がギラリと目を光らせた。

 薬草を栽培して、ポーションの量産を考えているのだろう。


「ええっと、薬草は栽培できると思いますが、他の材料が揃うか分かりませんよ?」

「代用できる素材があるかもしれない。それに、それほどの薬草なら、他にも使い道はあるかもしれない。試してみる価値はあるだろう?」

「……そうですね、そうかもしれません」


 魔術はなくとも似たような力はある。魔物が存在しない代わりに妖魔が存在している。ポーションの再現は不可能でも、似た効果を持つ薬なら創れるかもしれない。


「レティシア。ポーションを作るのに必要な薬草を提供してくれないか? その上で、特務第八大隊の開発本部に出向して、技術を提供して欲しい。出来れば、だが……」


 雨宮様は申し訳なさそうに付け足した。私の過去を知って、特務第八大隊の隊員にならなくていいと言った手前があるからだろう。


「……私は、もう誰かに命じられて戦うのは嫌です。いまの私の夢は、女中として成り上がって、ちょっと優雅で穏やかな日々を送ることなんです。軍に所属するつもりはありません」

「……そうか。なら、せめて薬草の提供だけは頼む」


 本当は協力を望んでいるはずなのに、雨宮様は私の言い分を受け入れようとする。

 私は「ですが――」と彼のセリフを遮った。


「軍に所属するのは嫌ですが、私のお願いを聞いてくださるのなら協力はします」

「……いいのか?」


 彼は目を見張り、まっすぐに私を見た。彼の深みのある黒い瞳が、迷いを断ち切った私の姿を映し出していた。私は彼の瞳の中にいる自分に向かって言い放つ。


「私にも、目的が出来ましたから」


 あの偉そうなおじさんの下で働く気はないけれど、雨宮様達に協力するのは嫌じゃない。

 それに、これは自分の判断だ。

 誰かに言われたからじゃなくて、私の意思で、自分の幸せのために行動する。私は、私を友達だと言ってくれた彩花の傷痕を消してあげたい。


「ふむ。では、協力の対価になにを望む?」


 私は答える代わりに、雨宮様に見えるように手を掲げて服の袖を捲って見せた。

 魔封じの手枷が彼の前に晒される。


「それは……まだ付けていたのか」

「帝都の鍵屋さんを回ってみたんですが、外せる人がいなかったんです」

「つまり、軍部の力で外して欲しい、と?」

「その通りです」


 聖女の術を封じられた私は、初めて出来た友達の傷痕すら消すことが出来ずにいる。この手枷が有る限り、私は自分の望む未来を掴み取ることが出来ない。


 だから――


「お願いします、この手枷を外すための力を貸してください。その願いを聞いてくれるのなら、私はポーションに必要な素材と、製作に必要な知識を提供いたします」

「交渉は成立だな」


 こうして、私は雨宮様に協力する道を選んだ。

 私はやがて手枷を外し、彩花の傷跡を消すことに成功するだろう。だけど、それと引き換えに軍部と関わった私は、様々な事件に巻き込まれていくかも知れない。

 だけど、もう恐れることはない。

 だってこれは、誰かに強制された訳じゃなく、私が自分で選んだ道だから。

 

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