エピソード 1ー5

 雨宮様からのせっかくのお誘いだけど、明日は普通に仕事がある。そう答えたら、私の明日のお仕事は昼までになった。そんな風に権力を使うのは、勧誘に関する話だからだろう。

 それが分かっていながら、私は約束の時間を前に着ていく服に迷っていた。


 私はこの世界のファッション、和服に興味を持っている。

 でも、だからって、女中の制服で出掛ける訳にはいかない。オシャレのことなら彩花さんに尋ねれば言いかもしれないけど、さすがにいまからじゃ時間が足りない。


 結局私は、故郷で作り、そのまま一度も着ていない服から選ぶことにした。

 オフショルダーのブラウスに、メッシュのカーディガン。スカートはコルセット風のハイウエストという組み合わせで、色は濃淡の違うグリーンで纏めたトーンオントーン。

 髪は後ろで纏め、緩やかなウェーブを掛けて下ろした。


 着替え終わったときは、既に待ち合わせの時間の直前だった。

 私は小走りに待ち合わせの場所へと急ぐ。そうして、到着した待ち合わせの場所の街角。私服とおぼしき着流し姿でたたずむ雨宮様の姿はとても絵になっていた。


 そう思ったのは私だけではないようで、彼はハイカラさんスタイルの女の子達に囲まれていた。そんな彼が私に気付き、女の子達を手振りで追い払いながらこちらへと歩み寄って来た。


「レティシア、待っていたぞ」

「すみません、遅れましたか?」

「……いや、時間には遅れていない。ただ、連中がうるさくてな」


 溜め息をつく雨宮様の背後で、すげなく扱われた娘達が私を睨んでいる。雨宮様はそんな彼女達に気付いているのかいないのか、私を上から下まで見回した。


「それも故郷のファッションだな。やはりレティシアによく似合っている」

「あ、ありがとうございます。雨宮様も、その……素敵ですよ?」


 軍服姿も格好いいが、羽織りに着流しという和装には妙な色気がある。そんなことを考えながら見惚れていると、彼の耳が少し赤いことに気付く。

 もしかして照れているのだろうかと首を傾げると、雨宮様はコホンと咳払いをした。

 それから、太陽に雲がかかる空を見上げた。


「雲行きが怪しいな。少し急ぐとしよう」


 彼はそういって踵を返すと、私の返事も聞かずに歩き出した。私は慌ててその後を追い掛ける。隣に並ぼうとした私は、はっと踏みとどまって彼の背後についた。


「レティシア、なにをやっている?」

「え、あ、その……この国の女性は殿方の後ろを歩くのがマナーだとうかがったので」

「そのような気遣いは無用だ。隣に来い」

「えっと……では、お言葉に甘えて」


 足を速めて雨宮様の隣に並ぶ。

 彼は私より頭半個分くらい背が高い。歩きながら横顔を見上げていると、その整った顔立ちの美しさが際だって見える。というか、物凄くまつげが長い。


「突然呼び出して悪かったな」

「いえ、かまいませんが……どこに向かっているのですか?」

「帝都の郊外だ。おまえに見せたい光景がある」


 彼はそう言うが、その見せたい光景がなにかは教えてくれなかった。私は雨宮様の隣を歩きながら、帝都の街並みへと視線を向けた。


 鉄の車の凄さは言うに及ばず、舗装された道路や、そこに設置された電灯も凄い。上下水道も整備されているし、故郷の王都よりもずっとずっと技術の進んだ町だ。

 こんなにも立派な町に妖魔が潜んでいるなんて、いまでも信じられない。


「雨宮様、妖魔とはなんですか?」

「妖魔とは文明開化と共に現れた異形の化け物だ。どこから来たのかは分からない。……ただ、動物や人間が突然、妖魔に成り変わるとも言われている」

「……まるで魔物ですね」


 私が出会った妖魔も、魔物の一種であるオーガと似ていたことを思い出す。そう考えると、魔物と妖魔は同質の存在なのかもしれない。


「レティシアはなにか知っているのか?」

「妖魔のことはなにも。ただ、故郷では、動物や人がある日突然に、魔物に成り代わるという現象が日常的にありました。……あ、魔物というのは、妖魔に似た化け物です」

「その原因は分かっているのか?」

「瘴気と呼ばれる、汚染された魔力素子が原因です。大気に含まれるそれを呼吸などで取り込むと体内の魔石が濁り、魔物へと変容することがあるんです」

「……聞き慣れぬ言葉が多々あるが、つまりは大気汚染が原因と言うことか? 調べてみる価値はありそうだな。後日、あらためて話を聞かせて欲しい」


 もちろんかまいませんと、私は笑みを浮かべて応じた。

 その後は他愛もない世間話に興じる。雨宮様から、この世界での生活に慣れたか? なんて質問を受けたりして、おかげさまで、なんて答えながら歩き続ける。

 そうしていつしか、私達は帝都の郊外にやってきていた。


 故郷とは比べものにならないほど発展した帝都だけれど、郊外に行くと途端に風景が一変した。古びた木造の家屋も多く、周辺には少し寂しげな雰囲気が漂っている。

 カランカランと、彼の履く下駄の足音だけが響いている。


「雨宮様、どこへ向かっているんですか?」

「もうすぐそこだ」

「さっきもそう言いましたよ? そろそろ教えてくれてもよくないですか」


 拗ねた表情を浮かべてみせれば、彼は笑って少し先を指差した。


「あの角を曲がった先が目的地だ」


 雨宮様に続いて角を曲がる。

 とたん、さぁっと風が吹いて、私のスカートの裾がひるがえった。

 裾を押さえた私は、視界に映った景色を前に息を呑む。大きな敷地に、一定の間隔で削り出された石が立てられている。独特の雰囲気を纏っている空間。

 故郷とは様式が違うけれど、ここがなんであるかはすぐに分かった。


「……墓地、ですか?」

「ああ。妖魔の犠牲になった者達が眠る霊園だ」


 雨宮様は近くにあった井戸でバケツに水を汲み、霊園の奥へと移動を始める。なにも言わずに歩き出す彼の後を、私も無言で追いかける。


 彼は大きな墓石の前で足を止めた。

 柄杓で掬った水を墓石に掛けて清め、懐から取り出した花を霊前に捧げる。


「――久しぶりだな、おまえ達。近況報告に来てやったぜ」


 ぶっきらぼうな言葉遣いとは裏腹に、彼は墓石の前に膝を付いて静かに祈りを捧げる。故人を悼む気持ちを感じ取った私は、彼の後ろで静かに付き従った。


 線香の匂いが香り、どこからともなく虫の音が聞こえてくる。どれくらい祈りを捧げていただろう? 雨宮様は立ち上がり、墓石に背を向けて私を見つめた。


「レティシア、俺がなぜおまえをここに連れてきたか分かるか?」

「……ここで亡くなった人達は、妖魔の犠牲になったのだとおっしゃいましたね。このような犠牲者を減らすために私の力が必要だと、そう説得するためでしょうか?」

「半分正解だ」

「……では、残りの半分は?」

「ここで眠る者達のようになりたくなければ、部隊に入るのはよせと説得するためだ」


 私はコテリと首を傾げた。

 どちらの言葉も理にかなっているが、その二つは相反する意見だ。


「意味が分かりません。私を説得したいのではないのですか?」

「俺はおまえの意見を尊重する。ただ、なにも知らなければ判断も出来まい。俺は、おまえが自分で判断するための情報を与えようと思っただけだ」

「私の、意見を……」


 それはとても新鮮な言葉だった。

 私はいつも、聖女としてどう振る舞うべきかを指示されてきた。私個人の意思を尊重してかまわない、なんて、そんな風に言われたのは初めてだ。

 胸から熱いものが込み上げ、それが大粒の涙となって瞳から零れ落ちた。


「お、おい、泣くほど勧誘が嫌だったのか!?」


 雨宮様がぎょっと目を見張る。私は慌てて首を横に振るが、自然と込み上げる涙は止まらなくて、頬を伝い落ちていく。


「ご、ごめんなさい、ちょっとびっくりしてしまって」


 涙を止めることができなくて、困った私は視線を彷徨わせてしまう。そんな私の目元に柔らかな布が触れた。雨宮様のハンカチが、私の涙を優しく拭った


「俺が……おまえを傷付けたのか?」

「違います。傷付いた訳じゃありません。ただ、自分の意見を尊重してもいいなんて言われたのが初めてで、だからちょっと、びっくりして……」

「……自分の意見を尊重しろと言われたのが初めてだと? そういえばおまえ、濡れ衣を着せられたとか言ってたな。一体、なにがあった?」

「それは……」


 聖女である事実を明かすのが怖くて、私は視線を泳がせた。だけど隠し事や、嘘を吐いて失望されるのも怖い。迷った私は結局、聖女である事実以外を語ることにした。


「私、元の世界ではずっと戦っていたんです」

「戦って? だから、妖魔と渡り合えたのか。なら、部隊に所属するのを迷っているのは、戦場で死に掛けたことがあるからか?」

「いいえ、それは躊躇う理由にはなりません」


 私は望んで聖女になった訳じゃないけれど、守りたい人がいなかった訳でもない。故郷の家族や、私を慕ってくれた人のために命懸けで戦ったことは悔いていない。


「だけど――」


 私はそう呟いて、唇をきゅっと噛む。

 雨宮様を見上げ、心の奥底にたまっていた想いを曝け出した。


「私は国のために戦って、戦って、戦い抜いて、そうして役目を果たしたら用済みだって濡れ衣を着せられて、処刑されそうになったんです」

「――っ」


 雨宮様が拳を強く握り締めた。


「レティシア、おまえはそんな扱いをされて納得しているのか?」

「していませんよ」

「ならば――っ」


 その先は聞くまでもない。憎くはないのかと、復讐心はないのかと、そう言いたいのだろう。だから私は「もう元の世界には戻れませんから」と無理に笑った。


 でも、完全な強がりでもない。

 王太子は私の代わりに、自分の恋人を本物の聖女に仕立て上げようとしていた。けれど、聖なる炎で焼け死ぬはずだった私が死ななかったことで、その計画は崩れたはずだ。

 私がなにかするまでもなく、彼はしでかしたことへの報いを受けるだろう。


「……俺が言うことじゃないかもしれないが、勝手に召喚して悪かった」

「いいえ、感謝しています」

「感謝……だと?」


 いぶかしげな顔。さすがに、私が召喚されたときの状況を想像するのは不可能だろう。そう思ったらおかしくて、私の中のいたずらっ子が顔を覗かせた。


「召喚されたあの日、私は囚人服を着てましたよね? あのとき、私は磔にされて、足下に敷き詰められた藁に火を掛けられた瞬間だったんです」

「あのような恰好をしていたのはそれが理由か……」


 雨宮様の整った顔が大きく歪んだ。

 続けて、彼は私に向かって深々と頭を下げた。


「すまない。そのような過去があるのなら、国に仕える軍人になりたいと思うはずもない。おまえの事情も知らずに不躾な頼みをした。部隊に勧誘したことは忘れてくれ」

「い、いえ、気にしないでください」


 ブラックジョークが思った以上の反応を引き出してしまった。雨宮様は思った以上に誠実な人みたいだ。この話題に触れるのはもうやめておこう。


「それより、雨宮様。雨宮様はそれでよろしいのですか?」


 彼は、霊園に眠る者達の後を追う必要はないと言った。だが同時に、霊園に眠るような犠牲者を減らすために、力を貸して欲しいとも言ったはずだ。


「もしかして、戦いから逃げることに罪悪感を抱いているのか?」

「……正直に言えば、この世界に来たときからずっと、その思いが私の胸を苛んでいます」


 私が俯くと、雨宮様のしなやかな指が私の頬を撫でた。


「雨宮様?」

「戦いなど、戦う理由のあるヤツだけがすればいい。レティシアが罪悪感を抱くというのなら、おまえの分も俺が帝都を守ろう。だから、おまえは自分の望むままに生きろ」


 ぽかんと彼を見上げる。

 私にそんな優しい言葉を掛けてくれたのは彼が初めてだ。


「優しいんですね」

「……誤解するな。帝都を守るのは最初から俺の役目だと言うだけのことだ」


 雨宮様はぶっきらぼうに言い放ち、私の返事も聞かずに踵を返した。

 だけど――


「優しくない人は、墓地にお参りなんてしませんよね?」


 墓標で眠る死者の魂に問い掛ける。同意の声は返ってこなかったけれど、代わりに優しい風が私の頬を撫でつけた。死者もきっと私と同じ気持ちだろう。

 そんな確信を抱きつつ、私は彼の背中を追い掛けた。


 今日はあいにくの曇り空。だけど、いまは雲の隙間から日の光があふれだしている。それは奇しくも、いまの私の心を現しているかのようだった。

 

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