エピソード 1ー3

 部屋に戻った私は、休日の残りをぼーっと過ごしていた。

 女中としての私に与えられたのは小さなワンルーム。私が入居したときはベッドと化粧台くらいしかなかったのだけど、いまは私が持ち込んだ様々な私物で華やかさが増している。

 私は窓際に設置したテーブル席に腰掛けて、紅茶を片手に窓から見える景色を眺めていた。


 そんなとき、不意に扉がノックされた。私は手櫛で軽く身だしなみを整えながら、扉の外に向かって返事をする。そこに聞こえてきたのは意外な声だった。

 慌てて扉を開けると、物凄くなにか言いたげな顔の雨宮様が軍服姿でたたずんでいた。


「隊長がお呼びだ。司令室まで同行してもらおう」



 という訳で、私は宿舎の隣にある特務第八大隊の作戦本部に連れて行かれた。

 その建物内にある司令室に案内され、ソファに座らされる。そして私が座るソファの左右では、なぜか紅蓮さんとアーネストくんが背もたれに腰掛けている。

 でもって、大理石のテーブルを挟んだ向かい。

 雨宮様と、初めてお目に掛かる渋いおじさまが並んで腰掛けていた。


 全員が軍服姿。

 軍服の階級章を見るに、渋いおじさまは雨宮様よりも階級が上、ここの隊長のようだ。

 というか、とっても包囲されている気分。


「雨宮様……私はなぜここに呼ばれたのでしょう?」

「ああ、レティシアを呼んだのは隊長――達次朗の大佐殿だ」


 雨宮様が隣に座る渋いおじさまに視線を向けた。


「神聖大日本帝国陸軍所属、特務第八大隊隊長、笹木達次朗大佐だ」


 彼はとても落ち着いた、けれど渋い声で名乗りを上げた。

 大佐とは、佐官のうちで一番上の階級。元の世界で言えば、騎士団の隊長に当たると、この世界で一ヶ月過ごした私は知っている。

 私は背筋をただし、彼に敬意込めて頭を下げる。


「お初にお目に掛かります。私はレティシアと申します、笹木大佐様」

「うむ。キミが召喚の儀に巻き込まれた娘さんだね。初めまして、レティシア嬢。本日は急な招きにもかかわらず、よく応じてくれた。感謝するよ」

「お気になさらず。……それで、私にどのようなご用でしょうか?」

「話というのは他でもない。さきほど、帝都に現れた妖魔のことだ」

「な、なんのことか分かりかねます」


 先ほどの件がバレているなんて思っていなくて、思わずどもってしまう。

 そんな私の目の前に、雨宮様がすっと書類を差し出した。


「さきほど、帝都に現れた妖魔を素手で倒した者がいる。目撃者の情報によると、桜色のドレスを身に纏った、白金の髪の女性だったそうだが?」

「……お騒がせして申し訳ございません」


 これは誤魔化しきれないと、私は深々と頭を下げた。

 雨宮様の鋭い視線が私にグサグサと刺さる。


「……ほう? ではおまえが妖魔を素手で圧倒したと認めるのか?」

「えっと……まぁ、その……はい」


 面倒を起こすなと言われていた手前もあるし、そもそも私は自分が戦えることを軍部に知られたくなかった。それでも、目撃証言があるのなら言い逃れは出来ないと白状する。

 雨宮様は探るような目を私に向けた。


「ちなみに、その気になれば武器も使えるのか?」

「……それなりには」

「なるほど、戦闘能力は申し分ないようだな。これならば――」

「――俺は信じねぇぜ!」


 私のすぐ側で、バンッとソファの背もたれを叩く音が響いた。その反動で背もたれから降り立った紅蓮さんが雨宮様に詰め寄る。


「なあ、伊織さん。本気でこいつの話を信じてる訳じゃないだろ? こんなひょろっこい娘が妖魔と戦ったら、すぐに死んじまうに決まってる」

「おまえは目撃情報が嘘だというのか?」

「そうは言わねぇけどよ。……おい、嬢ちゃん。どんな手を使った?」


 紅蓮さんが私を睨みつける。

 その視線を受け止め、私は小首をかしげた。


「話が見えないのですが?」

「おまえみたいなのが、妖魔と戦えるはずがないって言ってんだよ」

「と、言われましても……」


 むしろ、誤魔化したいのは私の方だ。証拠を突きつけられて白状したのに、信じないと言われても困る。そう思っていたら、彼がわずかに重心を下げた。

 私は反射的にソファから腰を浮かす。

 剣呑な雰囲気を見て取ったアーネストくんが慌てて立ち上がった。


「ぐ、紅蓮さん、なにをするつもりですか!」

「うるせぇ、ここで分からせなきゃダメなんだよっ!」


 紅蓮さんが軍刀を抜刀、抜き放つ勢いを殺さずに刀を振るった。

 ――速いっ!


 鞘から抜きながら放つ一撃が、そこまで速いとは思っていなくて驚く。それでも、私はソファに滑り落ちるようにしてギリギリで回避した。

 目前、直前まで私の座っていた空間を、煌めく銀光が斬り裂いた。


 それを見送ると同時、私は地面を蹴ってソファの上で後転。手をついてソファの上で逆立ちになり、クルリと背もたれを越えて、ソファの後ろへと降り立った。

 ――が、ソファに足を掛けて飛び越えてきた紅蓮さんが追撃を仕掛けてくる。


 今度は側面に転がって回避。起き上がると同時に魔術で身体能力を強化――しようとして失敗する。そうだ、まだ魔封じの手枷を外していなかった。


 焦る気持ちに乱れた足が、ドレスの裾を踏んでつんのめる。その一瞬の隙に放たれた紅蓮さんの追撃が私に迫る。

 回避は――間に合わない。

 鋭い刃が私のへと迫り来る。


 キィンと、ガラスを打ち合わせたような甲高い音が響いた。


 私のすぐ目の前。

 紅蓮さんの軍刀が、別の軍刀によって止められていた。


「紅蓮さん……どういうつもりですか?」


 止めたのはアーネストくんだ。一体いつ彼が動いたのか、私には見えなかった。紅蓮さんだけでなく、アーネストくんも一流の剣士みたいだ。


「なんだ、アーネスト。俺とやりあうってのかよ?」

「貴方がレティシアさんを傷付けるつもりなら」


 紅蓮さんが燃えさかる炎のような殺気を放つと、アーネストくんも瞳を赤く輝かせ、普段の気弱なイメージから想像も出来ないほどの冷たい殺気を放ち始める。

 そして――


「てめぇら、そこまでだ!」


 雨宮様が殺気を乗せた鋭い声で一喝した。二人の身体がびくりと震える。


「てめぇらがいたら話が進まねぇ。外で頭を冷やしてこい」

「伊織さん、俺は――」

「――ごめんなさい! ほら、行きますよ、紅蓮さん!」

「あ、こら、アーネスト、引っ張るんじゃねぇ。まだ、話が――」


 アーネストくんに紅蓮さんが引っ張っていかれる。そうして、二人は部屋から出て行ってしまった。私はそれを呆気にとられて見送る。

 そこに笹木大佐様が口を開いた。


「レティシア嬢、すまないことをした。紅蓮はあれでもキミのことを考えているんだ。どうか許してやって欲しい」

「……分かりました」


 私がそう答えると、笹木大佐様は意外そうな顔をする。


「本当に分かったのかい?」

「すみません。実はよく分かっていません」

「ならば――」


 話を合わせたのかと、笹木大佐様の目が少しすがめられる。

 だから私は首を振って否定した。


「善意かどうかは分かりませんが、殺意がなかったのは分かります。それに最後の一撃、私に当たる軌道ではありませんでしたから」

「はっはっ、たしかにたしかに。レティシア嬢はよく分かっているな」


 なにがそんなにおかしいのか、笹木大佐様が朗らかに笑い声を上げた。


「笑い事じゃないぜ、達次朗の大佐殿。司令室で軍刀を抜くなんざ軍法会議モノだ」

「おぉ、言われてみれば伊織の言う通りだな。という訳でレティシア嬢、さきほどの出来事はここだけの話にしておいてくれますかな?」


 祖国と比べてずいぶんと軍規が緩いと思ったけれど、雨宮様が軽く頭を抱えているところをみると、どうやら笹木大佐様の性格がおおらかなだけのようだ。


「ここだけの話にすることに異論はありません。ですが、なぜあんなことになったのか、理由を教えていただいてもよろしいでしょうか?」

「うむ、それは当然の要求だな。では説明は伊織に任せよう」

「はあ? なんでそうなる」

「なんでもなにも、貴公は副隊長。私の補佐役だろう」

「ったく、都合のいいことばかり言いやがって……」


 雨宮様は溜め息を一つ、軍服の襟を正して私へと視線を向ける。黒く深みのある瞳がギラリと光り、その瞳の中に私の姿を映し出した。


「レティシア、我ら特務第八大隊の隊員になるつもりはあるか?」

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る