エピソード 1ー2
第八大隊の宿舎で女中を始めてから一ヶ月が過ぎた。
そうして、初めてのお給金を手にした私は、休みの日に外出許可を取った。帝都の町で買い物をしてみたかったのもあるし、いいかげん手枷を外してもらおうと思ったからだ。
そんな訳で、私は
以前、魔王軍から街を救ったお礼にと、その街の大きな商会から贈ってもらった、桜色に染めたシルクに刺繍を施したハイウエストのドレスだ。
いつも危険と隣り合わせの生活を送っていた私は、結局着ることが出来なかった。
でもいまは違う。
私はそのドレスに着替え、鏡のまえでおかしいところがないかチェックする。
「……うん、大丈夫そう」
これだけでも、この世界にやってきた価値はある。私は鏡のまえでクルリと回って身だしなみをチェックし、軽い足取りで部屋を後にした。
「キミが巫女召喚に巻き込まれたという女性ですか?」
上機嫌で廊下を歩いていると、不意に声を掛けられた。
声の方に振り返ると、開け放たれた窓枠に青年が腰掛けていた。着崩した着物に袴というスタイルで、着物の下にはシャツを纏い、袴の下にはブーツを履いている。
なにやら気怠げな色気を纏う青年である。
だが、彼の瞳の奥には、好奇心がたしかに滲んでいた。
「たしかに私は召喚に巻き込まれた人間ですが……あなたは?」
「失礼しました。僕は水瀬蒼二。キミに興味があって会いに来ました」
「それは……私が召喚された人間だから、ですか?」
「まぁそんなところです。ですが、今日は挨拶だけの方がよさそうですね。勝手に接触したことがバレると彼に怒られてしまいますから」
彼はちらりと廊下の先に視線を送る。私が釣られて視線を向けると、そちらから着流し姿の雨宮様が歩いてくるところだった。
「……ん? おまえは……レティシアか? ここでなにをしている」
「私は――」
窓の方へと視線を向けると、そこには既に誰もいなかった。
開け放たれた窓だけが、彼のいた痕跡を残している。
「いえ、ただの通りすがりです。ところで、雨宮様はいつもと違うお召し物なのですね」
いつもは洋風の軍服を身に付けている彼が、今日は羽織りに着流し姿だ。軍服姿とはずいぶんと雰囲気が違う。もちろん、こっちの雨宮様も格好がいいことには変わりないのだけど。
「ああ、今日は非番で立ち寄っただけだからな。そういうレティシアは変わった服装をしているな。ずいぶんと見違えたではないか」
「ありがとうございます。これは故郷のファッションです」
「……故郷の? あぁ、給金で作らせたのか」
自前の外出着なのに、
「この国で着ていてもおかしくありませんか?」
「斬新なデザインではあるが、着る分には問題ない。この国は今、急速に異国の文化を受け入れつつあるからな。大抵のファッションは受け入れられるはずだ」
異国の文化こそが正義――という勢いで異国の文化が取り入れられているらしい。そういえば、彩花さんもモダンガールを目指しているといっていた。
……和服も素敵なのにね。
私はむしろ、お給金で和服が欲しい。
「伊織さん、この嬢ちゃんはもしかして、あのときの嬢ちゃんか?」
「え、そうなんですか?」
雨宮様の斜め後ろに控えていた赤髪の美男子が驚いた顔で私の顔を覗き込み、金髪の美少年くんはパチクリと瞬いた。私が召喚された日、雨宮様に同行していた二人のようだ。
「ああ、巫女召喚の儀に巻き込まれた娘だ」
「マジか、まったく別人じゃねぇか」
「凄く、その……いえ、なんでもありません」
やんちゃな見かけの赤髪の美男子が感心するように呟くと、見た目が大人しそうな金髪の美少年は恥ずかしそうに視線を逸らした。
続けて、赤髪の美男子が私に話しかけてくる。
「おい、嬢ちゃん。それは故郷のファッションだといったな? そんな豪華な服に着替えてどうするつもりだ?」
「買い物に行こうかと」
「買い物だぁ? 嬢ちゃん、自分の立場は分かってるのかよ?」
赤髪の美男子が眉をしかめる。
「立場、ですか? 外出の許可は取りましたが……」
「いや、そういうことを言ってるんじゃねぇよ」
「紅蓮さんは、レティシアさんが疑われることを心配してるんですよ」
「……疑われる?」
金髪の美少年の補足に私は小首をかしげる。
「レティシアさんは最初、囚人服を着ていたんですよね? だから、罪人として扱うべきだって声もあるんです。あ、もちろん、僕はそんなこと思ってませんよ」
「そっか、信じてくれてありがとうね」
「いえ、僕は、その……はい」
印象的なアメシストのような瞳を伏せ、照れて少し赤くなる金髪の美少年が可愛らしい。私は続けて、赤髪の美男子にも視線を向けた。
「あなたも、心配してくれてありがとうございます」
「あぁっ? 勘違いするんじゃねぇよ、俺は面倒ごとを増やされたくないってだけだ! ほら、アーネストも余計なことを言ってないで行くぞ!」
「あ、ちょっと、行くってどこに? 紅蓮さん、引っ張らないでくださいよっ」
とまぁ、そんな感じで紅蓮と呼ばれていた赤髪の美男子が、アーネストと呼ばれていた金髪の美少年を引きずって去って行ってしまった。
残された私は、雨宮様に視線を向ける。
「えっと……外出、しない方がよろしいですか?」
「許可が取れたのなら好きにしろ。ただ、帝都には妖魔が潜んでいる。人気のない場所に近付いて、面倒ごとを起こさないように気を付けろ」
「お気遣い、ありがとうございます」
私がぺこりと頭を下げると、雨宮様は踵を返して二人のいる方に去っていった。口数は少ないけど、悪い人ではなさそうだよね……と、彼の背中を見送る。
――という訳で、私は帝都の商業区域に足を運んだ。
お使いで彩花さんと一緒に出歩いたことはあるけど、この街並みは何度見ても驚かされる。オルレア神聖王国にも、こんなに発展している大通りは見たことがない。
なにより、通りを走る鉄の車に圧倒された。
それに、道行く人々のファッションの多様性にも驚かされる。
和服の人々が歩いていると思えば、洋服を着た集団に出くわす。かと思えば、洋服のシャツやブーツを着物や袴と合わせているようなファッションの者達もいる。
様々な文化が入り乱れている割に、人種の大半は単一だ。大正時代に入り、異国の文化が急激に浸透しつつある結果だと聞いたけど、それにしても凄い光景である。
なにより、私が、そんな世界の住人の一人として町を歩いている。この世界に召喚されるまえ、聖女としての生活を強いられていた頃は考えられなかったひとときだ。
次は友人と来られたらいいな――なんて、まずは友達を作るところからなんだけど。というか、友達ってどうやって作るんだろう?
戦友みたいに、共に戦ってわかり合う……訳じゃないよね?
友達を作ったことがないから分からない。なんて物思いに耽っていると、いつの間にか舗装された道が終わり、人気のない路地裏に足を踏み入れていた。
ここは……どこだろう?
人気のない場所には立ち入るなと警告されていたことを思いだし、急いで人の多い表通りに戻ろうとする。その直後、路地の奥から悲鳴が聞こえてきた。
迷ったのは一瞬、私は声のする方へと駈けだした。ドレスの裾を捌きながら踏み固められた土の上を駈けて、突き当たりのT字路を声のする方へ曲がる。
そこには、絶望に彩られた顔でへたり込む男。そして、その男に迫る、影を纏った大男の姿があった。大男は、禍々しい影を外套のように纏っている。
あれが……妖魔?
影を纏っているが、丸太のように太い手足を持つ、その容貌はオーガそのものだ。
驚く私の目の前で、オーガもどきがへたり込む男をまえに角材を振り上げた。
私は反射的にプロテクションの魔術を行使しようとするが――不発。いまだ魔封じの手枷が填まったままであることを思い出す。
直後、オーガもどきが角材を振り下ろそうと力を込める。
私は条件反射で飛び出して、オーガもどきに体当たりをした。バランスを崩したオーガもどきの振り下ろした角材が、へたり込む男の真横を叩く。ドカンと物凄い音がして、踏み固められた地面が大きくえぐれた。
その一撃をまともに食らえば、ただの人などひとたまりもないだろう。
「なにをしているの、逃げなさい!」
「ひっ、ひぃいいぃ!」
私の叱責を切っ掛けに、男は這いずるように逃亡を始める。
それを見送った瞬間、視界の端から迫る角材。地表から振り上げたその一撃を、私は仰け反ることで回避。そのまま後退しようとして――ズルリと足を滑らせた。
私はとっさに地面を蹴って後方に半回転。地面に手をついて、スカートの裾を翻しながらバク転の要領で後方へと退避する。
少し危なかった。
以前の私なら、回避した直後にカウンターを叩き込んでいたけど、いまのは私は重い魔封じの手枷によって、魔術や聖女の力だけでなく、身軽さも封じられている。
なにより、囚人として過ごした日々が、戦闘の勘を鈍らせていた。
いまの私がこの世界でどのくらい通用するか――
「――あなたで試させてもらうよ」
まずは素手での戦闘から――と、レースのヒモを取り出して髪を後ろで束ね、重心を落として自然体で構える。私を敵と認めたのか、オーガが角材を持つ手を振り上げて迫ってくる。
当たればただでは済まないけれど、当たらなければどうと言うことはない。というか、いまから攻撃しますよと言わんばかりの攻撃に当たるはずがない。
私は軽く横に移動するだけでその一撃を回避した。
だけど、角材が地面を叩いた瞬間、オーガもどきはその反動を利用して上斜め横、私が回避した方向へと角材を振り上げる。
反動を利用した分、さきほどよりも切り換えし速度が早い。
……学習した?
いまは未熟だけど、学習するだけの知恵があるようだ。
私は斜め前に飛び出し、オーガもどきの斜め後ろ、死角へと回り込んで角材を回避。無防備な膝裏に蹴りを叩き込んだ。オーガもどきはぐらりと身体を揺らして前屈みになる。
それに合わせて一歩踏み込む。その足を軸にして半回転。重く堅い金属で出来た手枷を、オーガもどきの顎に叩き付けた。
オーガもどきは上半身をぐらりと揺らし、そのまま地面に倒れ伏した。
人間と同じように、脳を揺らされるのには耐えられなかったようだ。そのまま数秒、オーガもどきが動かないことを確認して、私は大きく息を吐いた。
「妖魔はどこだ!」
「軍人さん、こっちです!」
……やばっ。面倒ごとを起こすなって言われてたんだった!
曲がり角の向こうから聞こえる声を聞いた瞬間、私は這々の体で逃げ出した。
結局、私は魔封じの手枷を外すことはもちろん、帝都の街並みをゆっくり見て回ることすら出来なかった。しょんぼりである。
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