エピソード 1ー1
身分の高そうな軍服の男が、手を引いて少女を立ち上がらせる。小柄で可愛らしい少女は、戸惑いと怯えを滲ませた表情で軍服の男を見上げた。
「あ、あの、あなたは?」
「これは申し遅れた。私は神聖大日本帝国陸軍、特務第一大隊副隊長、井上清治郎中佐だ」
「え? だ、大日本帝国? それって、昔の日本じゃ……あれ、でも神聖?」
「混乱するのも無理はない。だが、巫女殿に危害を加えるつもりはないので安心して欲しい」
「え、あ、その……分かりました」
黒髪の女の子は混乱しているが、井上と名乗った男はわりと紳士的な対応だ。そう思ったそのとき、彼と共に姿を現した軍人の中からもう一人、偉そうな態度の男が近付いてきた。
「井上、巫女は見つかったのか?」
「はい、高倉隊長。彼女が我らを救うべく現れてくださった巫女殿です」
「……その娘が、か? とてもそうは見えぬが」
偉そうなおじさんは、少女の頭の天辺からつま先まで眺めて胡散臭そうな顔をする。他人事ながら凄く嫌な態度だ。王城にもこんな人がいたなぁと、私は不快な気持ちになった。
「彼女に巫女の力があることはペンダントが証明しております」
「そうか、ならばいい。それで、そっちの娘は何者だ?」
「彼女は……おそらく、召喚に巻き込まれた一般人ではないかと」
「巻き込まれた一般人、だと?」
話を聞いていた者達の視線が一斉に私へ向けられる。
不信感、好奇心、様々な感情を宿した視線に晒されるが、処刑間近の状況に比べればなんてことはない。私は静かにそれらの視線を受け止めた。
そして、偉そうなおじさんの視線が私の手首へ向けられた。
「ずいぶんとみすぼらしい恰好だな。しかも、手首には枷のような物が付けられているではないか。本当に一般人か? もし罪人なら牢に放り込んでおけ!」
偉そうなおじさんの声に、広場にいる人々がざわついた。人々の視線が、磔にされたときに向けられた視線と同質のものへと変わっていく。
このままだと、せっかくの機会が無駄になっちゃう。どうやって切り抜けようかと考えていると、私をちらりと見た井上さんが隊長に向き直った。
「高倉隊長のおっしゃるとおりです。ただ……ここでグズグズしているとよけいな横やりが入るかもしれません。いまは巫女殿の確保を優先させましょう」
「……む? たしかに、はぐれ者の奴らが来たらなにかと面倒だな。よし、撤収する。井上はその巫女を連れてまいれ」
偉そうなおじさんは踵を返して歩き始めた。
酷い言い草だったけど、助かった……のかな?
その背中を見送っていると、井上さんが巫女と認定された少女に手を差し出した。
「驚かせてしまって申し訳ない。だが、危害を加えないという言葉に嘘はない。どうか、いまは私を信じてついてきてくれないだろうか?」
「わ、分かりました。でも……」
巫女と呼ばれた少女は井上さんの手を取って立ち上がり、私に気遣うような視線を向けた。それに気付いた井上さんの視線も私に向けられる。
「もう少ししたら、伊織という馬鹿が来る」
唐突なセリフ。
その人が来たらどうなのかと、説明があるものだと思っていたのに、彼はそれだけを言い残し、巫女と呼ばれた少女の手を引いて退出していった。
とまぁそんな訳で、私はこの広間に放置されてしまった。
私としては、偉そうなおじさんはもちろん、王太子似の井上さんともあまり関わり合いになりたくなかった。それに、聖女として国のために戦うのは望むところではない。
もちろん、牢に入れられるのだって嫌だ。
そういう意味で、放置されたこの状況はわりと理想的、なんだけど……周囲の人間に私の内心が届くはずもなく、辺りには気まずげな空気が流れている。
ここで「私は気にしてませんから、みなさんも気にしないでください」なんて言っても逆効果だろう。いっそ、このまま逃げちゃおうかな?
なんて考えていると、大きな音と共に広間の扉が開け放たれた。
「巫女様が召喚されたというのは本当か!」
新たに若い軍人達が姿を現した。
さっきの連中と同じ軍服だが、その服を着ている人種がバラバラだ。黒髪の者達だけでなく、赤髪の青年だったり、金髪の少年も混じっている。
ただ……なんだろう?
クールそうな黒髪美青年に、やんちゃそうな赤毛の美男子、それに大人しそうな金髪美少年と、揃いも揃って美形ばかり。彼らの周囲がキラキラ輝いて眩しいくらいだ。
そんな彼らに向かって、近くにいた男が状況を説明する。
「特務第一大隊の隊長が巫女様を連れて行っただと? ……くっ、一足遅かったか」
説明を聞いて嘆いたのは、身分が高そうな軍服を身に纏う、クールそうな美青年。濡羽色の髪に、赤みを帯びた瞳の彼は、その整った顔を悔しげに歪ませた。
その姿に見惚れていると、不意に私と彼の視線が交差した。
「……彼女は何者だ?」
「分かりません。おそらく、召喚に巻き込まれたのではないかと」
「召喚に巻き込まれた? つまり、召喚の儀で現れたと言うことか?」
彼の言葉に男が肯定する。
それを受けて、横で話を聞いていた赤髪の美男子が興味深げに私を見た。
「なんだか、ずいぶんとみすぼらしい恰好の嬢ちゃんだな」
「ぐ、紅蓮さん、失礼ですよ」
赤髪の美男子を、金髪の美少年がたしなめる。それを横目に、濡れ羽色の君が私の下へ歩み寄って来た。そうして私の前に片膝を突く。
「娘、俺の言葉は分かるか?」
「はい。知らない言語のはずですが、分かります。……話すことも出来るようですね」
無意識に、彼と同じ言語で応じる。私はそのとき初めて、相手が私の知らないはずの言語で喋っているのに、自分がその言葉の意味を理解していたことに気付いた。
内心で語っているような元々の言葉遣いはもちろん、貴族の養女となった際に叩き込まれた、貴族令嬢としての言葉遣いも含め、彼と同じ言語で問題なく使うことが出来ている。
そのことを伝えると、彼は興味深げに顎を撫でた。
「そうか。召喚の儀による恩恵は与えられているようだな。娘、名はなんと言う?」
「レティシアと申します」
「そうか、レティシア。おまえには……巫女としての力はないようだな」
彼は私にペンダントを向けながら結論づける。
さきほどの軍人と同じ仕草である。
「……それは、巫女の力を測る魔導具かなにかなのですか?」
「魔導具? それがなにかは分からぬが、巫女の力を測る道具であることには違いない」
「なるほど。では、私は巫女ではないのですね」
幸いなことに――とは、心の中で呟くに留めた。そうして私が口にした言葉だけを聞いた結果、彼は「……ずいぶんと冷静だな?」と訝しんだ。
「私は、自分が何者か知っています。それにさきほど、特務第一大隊の隊長を名乗るお方が同じことをして、隣の少女を巫女と呼び、何処かに連れて行きましたから」
「なるほど、状況を冷静に把握しているのか。中々に興味深い娘だ」
褒められて……いるのかな?
なんだろう? 少しくすぐったい。
「それで、私はこれからどうなるのですか?」
「……そうだな。召喚の儀に巻き込んでしまったことは謝罪する。だが、すまない。おまえを元の場所に返してやることは不可能だ」
「かまいません。国に戻っても処刑されるだけですから」
肩をすくめる――が、その言葉は失言だった。
彼や、周囲で話を聞いていた者達の私を見る目が険しくなる。
「その姿、もしやと思っていたが、おまえは罪人か?」
「罪人ではありますね。罪状は濡れ衣ですが」
「……そうか」
「信じてくださいますか?」
「それを判断するほどおまえのことを知らぬ」
素っ気ない口調。だけど、私の言葉を嘘だと断じることもなかった。
彼は良くも悪くも誠実な人間のようだ。
「では、私からも質問をお許しいただけますか?」
「ああ。答えられることなら答えてやる」
「ではまず、あなた様のお名前を伺っても?」
「俺は神聖大日本帝国陸軍所属、特務第八大隊副隊長の雨宮伊織少佐だ」
「雨宮伊織様……ですか?」
言語を理解できるせいか、少佐が軍の階級であることは分かる。だけど、名前の響きが聞き慣れず、どこまでが家名で、どこからが名前なのかが分からない。
「名は伊織、雨宮は家名だ」
「失礼いたしました。では雨宮様。私はこの世界で生きていくことになると思うのですが、ここから出て行ってもよろしいのでしょうか?」
「そうだな……おまえ、料理は出来るか?」
「……はい?」
――一週間が過ぎ、私はこの世界のことを色々と知った。
まず、いまは20世紀初頭の大正時代。
ここは神聖大日本帝国の帝都にある、特務第八大隊の宿舎だ。特務第八大隊は、独立大隊に分類される部隊で、主に帝都を守る任務に就いているそうだ。
年号や国の名前、それは過去に遡っても私の知らない名称ばかりである。どうやら私は、自分が暮らしていたのとは異なる世界に召喚されたみたいだ。
もっとも、召喚されなければ私は死んでいたので、召喚されたことに不満はない。という訳で、私は女中――オルレア神聖王国で言うところのメイドとして働いている。
いきなり料理が出来るか聞かれたときは何事かと思ったけど、要するに使用人として雇ってくれるということだった。おそらく、罪人である私の監視を兼ねているのだろう。
それでも、私はその申し出に感謝した。
だって、私は国のために戦った末に処刑されてしまったのだ。もう自分の生きたいように生きるなんて不可能だと思っていたのに、こうしてその機会が与えられた。
しかもメイド。
田舎で生まれた私にとって、裕福な家で働くメイドは憧れの職業の一つだった。
という訳で、喜んで雨宮様の提案に飛びついた私はいま、着物にエプロンという女中の制服を纏い、女中見習いとしてジャガイモの皮を剥いている。
私はこのまま平凡で、だけど幸せな第二の人生を送るつもりである。
それにこの国、私が生まれ育った祖国よりも明らかに文明レベルが高い。
たとえば蛇口を捻るだけで流れる水や、その水を排水する設備。それにスイッチ一つで光る電球に、馬もなく走る鉄の車など、オルレアの王都にだってなかった代物ばかりだ。
それに、女中の制服を始めとした着物にも大変興味がある。
着物にエプロンを着けたスタイル。頭から被る訳でもなく、ボタンで留める訳でもない。ただ、帯や腰紐で止める衣服なんて元の世界には存在していなかった。
なにもかもが新鮮で、見る物すべてが輝いて見える。元の世界よりも快適で、楽しい日々が過ごせそうな予感がしている。
ただ、そんな神聖大日本帝国も、いまは妖魔なる存在に平和が脅かされているらしい。その脅威に立ち向かうべく設立されたのが特務大隊だ。
だが、妖魔の力は強大で、特務大隊は日々苦戦を強いられている。そこで召喚の儀によって、魔を払う力があると言われる巫女としての素質を持つ少女が召喚されたそうだ。
巫女というのは、聖女と同じ役割を担っているのかもしれない。
(なんて、それはないか。もしも巫女と聖女が同質の存在なら、巫女の力を測るペンダントに少しくらい反応があるはずだよね)
自分が巫女とは関係のない存在だと思えば少し気が楽になる。
魔物や魔族、それに魔王と呼ばれる存在と戦ったことはあるけど、これだけの技術力を持つ国が苦戦する妖魔は想像を絶する強さに違いない。
この世界に召喚されてよかったとは思っているけれど、妖魔の存在だけは少し不安だ。
「レティシア、ジャガイモの皮剥きはあとどれくらいで終わりそう?」
厨房の片隅で仕事をしていると声を掛けられた。
声を掛けてきたのは彩花さん。黒髪ロングで、愛嬌のある顔立ちをしている女の子だ。
私の先輩にあたる人で、私と同じ仕事着を纏っている。彼女は田舎から働きに出てきた娘で、異国の文化を取り入れたモダンガールなる存在を目指しているらしい。
その関係で、異国、正しくは異世界だけど――から来た私に興味を抱いているようだ。それで色々と質問もされるけど、代わりに私の質問にも答えてくれる優しい女の子だ。
私は彼女の問いに答えるべく、剥いたジャガイモと残っているジャガイモの数を見比べた。
「んっと……後半分くらいかな」
「え、もうそんなに剥き終わったの? レティシアって、料理が出来ないんだよね?」
「出来ないわよ? でも、刃物の扱いには慣れてるから」
私の発言に彼女は目を見張って――
「もう、脅かさないでよ。どうせ、まえの仕事場でもひたすらジャガイモの皮むきでもさせられてたんでしょ?」
なぜかクスクスと笑われてしまった。
「ジャガイモの皮むきは初めてよ?」
普通の子供が親の手伝いをする年頃には、既に王都で聖女としての教育を受けていた。紅茶を淹れたり、お菓子作りならともかく、普通の料理はしたことがない。
「はいはい。じゃあニンジン? それとも大根かしら? なんにしても、手際がいいのはいいことよね。私が手伝う分が少なくなるもの」
彩花さん悪戯っぽい笑みを浮かべて手を洗うと、手際よくジャガイモの皮を剥き始めた。彼女が手を動かせば、魔術を使ったようにジャガイモの皮が剥けていく。
その光景に感心しつつ、私も負けてられないとジャガイモの皮を剥く。
黙々と十個くらい剥いたところで、私はおもむろに口を開いた。
「ねぇ、彩花さん、聞いてもいいかな?」
「いいけど……なにが聞きたいの?」
「巫女のことが知りたいなって思ったのよ」
「あぁ、そういえば、レティシアは巫女召喚の儀に巻き込まれたんだっけ。あ~分かった。もしかしたら、自分にも巫女様と同じ力があるかも? な~んて、期待してるんでしょ?」
「いえ、それはないわ」
その可能性は、既にペンダントが否定してくれている。それに私はもう、誰かに命じられて戦うのは嫌だ。だからむしろ、巫女の力がなくてよかったと思っている。
とはいえ、聖女に似た魔に対抗するための存在が気にならないと言えば嘘になる。だから私は、ただの好奇心だと念押ししつつも、巫女についての質問を繰り返した。
「巫女って言うのは……そうね。歌ったり踊ったりするの」
「……え? 歌って……踊る、の?」
「そうよ。私もよく知らないけど、祝詞を歌ったり、神楽舞っていうのを踊ったりして、味方を鼓舞したり、魔を払ったり、後は傷を癒やすことも可能だって聞いたわ」
「味方を鼓舞したり、魔を払ったり、傷を癒やす……」
役割を聞くと、やはり巫女と聖女はよく似ている。だけど、聖女は踊ったり歌ったりはしない。というか、歌って踊って味方を支援するって、踊り子的な職業なのかな?
召喚された女の子は、儚げで可愛らしいイメージだった。そんな彼女が歌って踊りながら、味方を支援する姿はあまり想像できない。
なんにしても、勇者達と共に戦いに身を投じる聖女とはだいぶ違うようだ。
「――彩花さん、どこですか? 部屋の掃除がまだですわよ」
不意に彩花さんを呼ぶ声が聞こえた。
「あっと、忘れてた。レティシア、私はもう行くわね」
「行ってらっしゃい。手伝ってくれてありがとね」
「いいのよ、今度は私が手伝ってもらうからっ」
彩花さんは陽だまりのように暖かい笑みを浮かべ、小走りに去っていく。その背中を目で追いながらジャガイモの皮を剥いていると、指先に鋭い痛みが走った。
ナイフで指先を少し切ってしまったようだ。
「――ヒール」
視線を傷口に向けて治癒の呪文を口にする。
だけど、治癒の魔術は発動しない。
「……そうだった」
私はナイフとジャガイモを脇に置いて、女中として支給された制服の袖を捲る。そこには魔封じの手枷が填まっている。その手枷を外さない限り、私の力は封じられたままだ。
いまの私は聖女と言えないだろう。
「外した方が……いいよね?」
手枷は何処で外してもらえるだろうか――と、そんなことを考えているうちに、指先の傷はゆっくりと消えていった。
聖女の術や魔術を封じられていても、それ以外の能力は健在のようだ。
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