<5-6 秘すれば花、もしくは5通の手紙>

 馬車は軽快にヴェルトロアに向けて走り続けている。

 扉にはドカーンと王室の紋章が煌めき、馬車本体だけじゃなく、御者さんや馬までネレイラさんの守護魔法が2重3重にかけられた上、護衛として鎧にがっちり身を固めた騎士さんが一人が同行してくれている。ネレイラさんの言っていたとおり、御者さんは柳の精霊、騎士さんは鋼の精霊で、一言も言わずに粛々と命じられた任務をこなしている。

 私の向かいには鋼の騎士さんと隣り合わせで結月ちゃんが座った。高速馬車でも夕方到着の道のりのため、先はまだ長い。

 「ところで結月ちゃん、まだヴェルトロアでの月下のベルナさんへの捕縛命令は取り消されてないけど、大丈夫?」

 「大丈夫だと思いますよ。ローエンさんて人、私の顔は知らないですよね?」

 「まあね。それに、エルデリンデ王女様は、かえって捕まった方が手心加えやすいって言ってたから・・」

 「なるほど、さすが才色兼備の王女様、話が早いです。それだけに気になるんですよ。シリーズものってきたところだし、もったいないなって・・でもって、これって、自分の心配でもあるわけで・・」

 「うんうん。」

 「あの・・折田さんはどうだったんですか?10年以上足を洗ってたんですよね?それってやっぱ・・結婚したからですか?」

 「てわけじゃないのよ。足を洗ったのは結婚する前。」

 「それって、ダンナさんに気を遣ったとか?」

 「ううん、ダンナと知り合う前の話だから。・・自分から止めたの。」

 「自分から、ですか。」

 「そう・・」沈黙。だってあれは・・「あのときは・・私に問題があったから。」

 ふう・・と深呼吸した。今なら話してもいいと思える。

 これは今まで誰にも、ダンナにもオタ仲間にも話してこなかったことだ。だけど、もし私の人生の一部が・・

 「もし私の人生の一部が、結月ちゃんの参考になるなら・・話しちゃおうかな・・ちょっと長い話になるけど。」

 結月ちゃんがうなずいたので、私は話し始めた。


 「小さい頃から絵を描くのが好きで、授業中に落書きでしかられたりしたよ。大学に合格して一度家を出たんだけど、そしたらもうダメよ。親の目が届かないから、朝から晩まで描き放題。講義中もプロット考えたり後ろの席で原稿の下書きしたり、修羅場の時はノートを人から借りまくって、授業中寝て、夜原稿をやるという体たらくでさ。」学生時代の私の頭は9割方ある種の妄想のみでできていた。「それでもなんとか大学を卒業して、運良く天馬市役所に滑り込んで公務員生活が始まったんだけど、入庁式の朝4時まで原稿やってて、市長の話を聞きながら船を漕いでたね。仕事が始まっても学生の時と同じように夜中まで原稿をやってた。なぜかできると思っていたのよ。でも結果は疲れて仕事でミス連発。」今思っても私は仕事をなめていた。「それで上司に毎日のように怒られてね~・・運悪くというか、この上司、後にパワハラで訴えられるくらいの人でさ・・給料泥棒、税金泥棒と罵られ、ミスった起案を壁に張り出されたり一日無視されたりとか、そんなことまでされたよ。悪いのは自分だってわかってても、さすがに落ち込んで・・で、家でひたすら原稿描くわけ。現実逃避に。でも朝になればまた現実がやってくるでしょ。段々それが辛くなったの。夢と現実の差に折り合いをつけられなくて、最後は創作と仕事、どちらを取るか決めざるを得なくなって。」

 「そ・・れで・・」

 「創作活動を止めた。私、次女だしさ、家を出て、少なくとも結婚するまでは自分で稼いで暮らしていかなきゃと思ってたから、仕事の方を取ったのね。」

 オタ仲間にはしばらく活動を休むと伝えた。最後の原稿を出した後、ペンや定規なんかの道具を全部段ボール箱に入れ、押し入れの奥に封印した。見ると辛くなるから。

 「それからは自分で言うのもなんだけど仕事を頑張ったよ。冬を迎える頃には、褒められはしないけど、怒られることもなくなった。今、白田さんの起案を代筆(よい子はまねしないでね!)できるのはその時の名残ね。」

 ちょっとのどが渇いたので、デイパックからボトルマグを出して一口飲む。ハリエラさんのハーブティーで、甘い花の香りが気分を落ち着ける。

 「他のオタ仲間さん達はどうしたんですか?」

 「大体皆同じような感じだったね。で、結局サークルは一時活動休止ってなって、そのうち皆結婚して子育てが始まって、今も休止中。」

 この言葉に結月ちゃんの顔が一気に暗くなる。多分、一番恐れている未来だろう。

 「あ~、でもさ、結月ちゃんは私と違うじゃない。ちゃんと公私を切り分けて、仕事も同人も両方できてる。だから、結婚したからって自分がやろうと思えばやっていける気がするよ。私だってあのとき、今みたいな自分なら、もう少し上手くやれたかもしれないって思う。体力と仕事と家事と原稿の締め切りをちゃんとやりくりしてさ。昔はそういう覚悟というか、気合いがなかったんだね。」

 ここで二人ともおなかの虫が鳴き、ハリエラさんのお弁当を広げる。ちなみに御者さんと騎士さんは精霊なので、食事は要らないそうだ。

 「ありがとうございます、折田さん。つらい話だったですよね・・?」

 「いやあ・・と言いたいところだけど、今まで誰にも話したことなくてね~あんまりあの上司のこと思い出したくなくて。でも、最近図太くなったんだろうね・・いや、ほら、結月ちゃんのお父さんにさ、言ったじゃん?」

 「・・あ、昔の上司さんに言われてたせいで、お父さんに怒鳴られても何ともないみたいなこと言ってましたね!」

 「そうそう。ああいうふうに誰かにさらっと言えたから、今話しても大丈夫かなって。まあ、だからほら、アレよ、仮に一度足を洗ったとしてもね、また戻ってこれるのよ。」

 「・・・・」

 「好きなら、また戻ってこれる。現に私は戻ってきた。」

 「・・・・」

 「もしや、結婚したら好きなこと諦めなきゃいけないと思ってた?」

 「はい・・二次元世界からは足を洗って大人にならなきゃいけないのかなって・・や、大人でも続けてる人はいますよ、でも、私の場合、もしオタだってバレたら、なんかこう・・大げさだけど、家名に泥を塗るというか・・」

 「そこは頑張る。」

 「想定外の根性論!」

 「頑張ってひた隠すんだよ、結月ちゃん。ばれたらヤバいって思うならね。だってさ、今は世間様の認知度もずいぶん上がったけど、アレだよ、え~と・・アレ・・」日々劣化し続ける脳内メモリから絞り出し。「“秘すれば花”ってヤツよ!」

 「日本史で聞いたことあります!ナントカあみって人が言ったヤツ!なるほど・・認知度は上がれど、オタクはやはり日陰に咲く花・・いや、むしろ、日陰で咲き誇る花!」

 「そう・・人に知られることなく、ひっそりとあだ花を咲かせる・・そこがオタクとして生きる醍醐味でもあり、生きる糧でもある。だから、必死こいて生きる場所を死守しないとなんだよ!」

 「・・・・!!」ふるるっ、と結月ちゃんが震えた。「そうですね・・そうです・・そっか、折田さんは今ほどオタクが世間に認知されていない時代をくぐり抜けてきた・・根性で生きる場所を確保していた人なんですよね・・私、甘かったです・・オタクとして生きる覚悟が足りなかった・・」

 「あとは、まあ・・自分で考えて。」

 「やっぱそうなっちゃうかあ~!」はあ、とため息をついてサンドイッチをかじり、「啖呵切っちゃったんですよねー、お父さんに。自分の選択に後悔しないから、見守ってほしいって。あー、でもなあー・・結婚してもバレずにオタ活できるかなー。ちゃんとした大人しながら創作活動できるかなー。はあー・・このパン、美味しい。」

 ハリエラさんのパンは自家製だ。毎日夜にこねて、朝早くからオーブンで焼いている。そのいい匂いで目が覚めるのだ。ちょっと酸味があるけどクリームチーズみたいなのとハム、野菜によく合う優しい味がする。

 「折田さん、“湖畔のヴィオラ”・・さん、創作活動はどうされるんですかね?」

 「ん~?そうだねえ・・今だってだいぶ忙しいみたいだからねえ。」

 「やっぱ、御公務とか。」

 「うん。大学生もやってる。月と魔法の関係についての研究もしてて論文も書いてる。あと、王族の教養として歌やらダンスやら乗馬やら楽器の練習とか・・詩作とか刺繍とかガーデニングもやってる。んで、その合間に創作を・・」

 「あるんですか、合間?!」

 そこは私としても謎である。エルデリンデ王女様が一体どんなスケジューリングをしてこれら一切をこなしているのか、見当も付かない。

 「今度は国二つ分の公務ってことになるんでしょうか・・お子さん生まれたりしたら子育てまで加わりますよね。」

 「王族の方だから、自分で直接子育てはしないと思うけど・・でも、自分の子ども達が赤ちゃんの頃のことを考えると・・夜も容赦なく続く3時間おきの授乳・・寝返り打ち始めたら一瞬たりとも目が離せない・・電池が切れるまで動き続ける無限の体力に中腰でついて歩く・・今思えば足を洗っていて正解だったかも・・インクなんてうっかり置いといた日には、一分とかからず部屋が大惨事に・・!」

 「創作活動がどうとかより、普通に赤ちゃん産むことだけでも心配になってきた!」

 「大丈夫・・2,3年で大体落ち着くから・・あとはね、ダンナさんに家の中がどんな状態になっていようとも、子ども以外は見ないことにするという約束を取り付ける。あと、ダンナさんが料理と洗濯、子どもと遊ぶことくらいは、そのくらいはできるようにしておく・・奥さんがいつ疲労困憊とかして倒れても2,3日は何とかなるくらいに・・」

 「お、おお・・肝に銘じます。ちなみに折田さんのダンナさんは・・」

 「大学時代に柔道部で先輩の服の洗濯やら掃除とかやらされたし、合宿の時は1,2年生が料理作ったから、その辺りは大丈夫だった。子どももかわいがってくれるし。」

 「いーなあ!瑛太さんがそんな人だといいなあ!!」

 む?楠本テックの息子さんが?

 「この辺のことは権田さん達にも聞けば、いくらでも教えてくれると思うよ。」

 「聞いてみます。あ、あの人どうなんですかね、ガルトニの王太子様。ちゃんと子どもさんのこと、かわいがるんですかね?」

 「嫌いじゃなさそうだけど・・子どもと接してるの見たことないからねえ。」

 リヴィオス王様(おじいちゃん)はべったべたにかわいがるような気がする。ヴェルトロアの王様(おじいちゃん)もね。

 「・・ね、結月ちゃん。あの悪い噂ってさ、誰が言ってるの?」

 「誰って・・少なくとも、王都の人は大体皆そう思ってるんじゃないですかね。」

 「み・・マジで?!」

 「2年前、私が初めてガルトニに来たときはもう、そういう人だって話でしたよ。ヤバい国に来たなあと思ったものです。」

 「言い出しっぺとか、わからないよね・・てか、城下の人たちがそう思ってるってことは・・地方の人たちも・・」

 「だと思いますよ。ヴェルトロアに来るとき隊商さん達とご一緒すると、『あの王太子が即位したら戦争の時代に逆戻りか?』とか『また若い者達が死ぬのか、もうごめんだ』みたいな話、地方の宿屋でもよく聞きますから。」

 「うむむむむ・・・」

 

 出発前、リヴィオス王様は戦争再開の噂にはっきり危機感を示した。

 『ヨシュアスが悪く言われるのは、本人が信頼を得るしかないとして、これは許せん。誰がこんなことを言いふらしているのか、必ずあぶり出してやる。もう戦はせぬというおれの誓いの根幹を揺るがす。ひいては、大陸の平和にも関わる。』

 そう言って2通目の親書を書いたのだ。

 『まず、ブリングストに誤解無きよう、おれの誓いに一点の曇りもないということをこれにしたためた。オリータ、お前からもよく伝えてくれ。この噂の出所を必ず暴きだすともな。恐らく我らが追っているのと同じ人間が出所だ。』

 普段のちょい悪は影を潜め、実に厳しい顔でリヴィオス王様はそう言った。

 だけど王都ばかりじゃなく、地方、つまり国全体にヨシュアス殿下の悪い噂は蔓延しているようだ。

 早く手を打たないと、悪い噂の芽を摘まないと、大変なことになる気がする。

 

 結月ちゃんは、コミケとお父さんとの対決の疲れが出て、お昼ご飯を食べると眠ってしまった。ヴェルトロアに入ったら、老舗書店“マウステンの塔”に本を“密輸”し、行きつけの宿屋さんで私の帰りを待つことになっている。

 腕組みをしたまま微動だにしない精霊騎士さんにもたれて眠る結月ちゃんの寝顔は、肩の荷が下りたからか、幸せそうだった。だいぶ年が違うのに、うちの子達の小さい頃の寝顔と重なってしまう。そして、この若い友人に本当に幸せになって欲しいと思う。

 もちろんそれはエルデリンデ王女様とヨシュアス殿下、クローネさんも同じだ。

 人生の半分に達した身としては、この若い人たち皆に、できるだけ苦しいことや辛いことがない、幸せな人生を送って欲しいと心から思うのだ。

 (で、クローネさんだ) 

 クローネさんである。結婚問題をこじらせている故の反抗?と思うけど、さて、何をどう話せばよいものか・・


 ガルトニ王国とヴェルトロア王国の間に位置する中立国、エライザ共和国に到着したのは夕方だった。西日が山の端に近づき、ねぐらに帰る鳥の声が聞こえる。

 ここで私達は乗り換えだ。

 王様達のトップ会談で和解が決まったとはいえ、戦争が続いた時代にガルトニに恨みを持つようになった人はヴェルトロアにも大勢いるはずで、ガルトニ王室の紋章付きの馬車で入国するのは止めた方がよかろうというリヴィオス王様は判断した。それでエライザ共和国の女王様とヴェルトロアのブリングスト王様に連絡が行き、ヴェルトロアから迎えの馬車が来ることになっている。

 精霊の御者さんと騎士さんにお礼を言って馬車を降り、さてヴェルトロアの馬車はと見回すと・・

 「折田!こっちだ!」

 不覚にも懐かしさを感じる野太い声。

 「あー、ローエンさん!お久し・・・ひょえっ!」

 「どうしたんですか、折田さん、わーーーーーっ!!」

 「なんじゃ、いきなり!」

 「ちょ、ローエンさん、一歩・・一歩横にずれて!」

 「何を言っとるんじゃ、お前は。」

 「いいから、右でも左でもいいから一歩動いて!!目が・・目~が~~~!!」

 今まさに沈もうとする夕日が絶妙な角度でローエンさんの禿頭に反射し、私達の目に刺さっているのだ!

 「でなきゃフード!ローブのフード被って頭隠して!!夕日が反射して目が痛い!!」

 「なにい?!」振り返って夕日を確認したローエンさん。「折田、貴様とうとう本音を吐いたな!今までわしの頭のことは気にしていないというようなそぶりを見せていたが、心の底ではやはり・・」

 「いいから頭隠せーーーーっ!!!」

 私達が動けばいいのでは?と思った方もおいででしょう。でも、ローエンさんの照り返しはなぜか異様な広範囲に展開していて、逃げ場が無いのです!

 無礼なヤツだとかぶつぶつ言いながら、やっとローエンさんがフードを被り、私達の目は守られた。

 「大丈夫?結月ちゃん。」

 「大丈夫です・・なんかまだ残像が見えますけど・・」

 「大げさな。で、お前は何者だ。」

 「あ、私は鈴沢・・じゃなくて月下の・・」

 「わーーわーーわーーーーーーー!!!」

 「やかましいわ、折田!今度は何だ!」

 「この子は私の友人で、鈴沢結月ちゃんです。」

 「スズサ・・ユ、ユドゥーキ・・?日本人か?言いにくい名だな。」

 目をぱちくりさせている結月ちゃんに、魔石で心の中に説明する。

 (・・つまりこの人が私に捕縛命令を出した、ネレイラさんの元ダンナさん!)

 (そういうこと、だから、月下のベルナはこの人の前では禁句ね)

 (了解です)

 と、突然結月ちゃんの雰囲気が変わった。なんというか、お嬢様な感じ・・そう、鈴沢精密機械社長令嬢の顔になったのだ!清楚な微笑みを浮かべ、背筋をすっと伸ばして立ち、両手をお腹の前で軽く組み、

 「初めまして。ニホンから参りました、鈴沢結月です。呼びにくければベアトリクス・ウィステリア・・ベアテとお呼びください。折田さんには日頃より色々とお世話になっております。大魔導師ローエン様のお噂は、折田さんからかねがね伺っており、ぜひ一度お会いしたいと思っておりました。」

 そう言って、礼儀作法の教科書のようなお辞儀をした。

 その優雅さ・上品さに雑なローエンさんが気圧される。

 「そ、そうか・・まあ、折田の友人なら怪しいことはあるまい、うむ。」

 何じゃ、その安易な安全確認は。

 「だいたい私が、ヴェルトロアにそんな怪しい人を連れてくるわけないでしょーに。」

 「まあ、お前自体が怪しいからな。」

 「承知の上でクローネさんに連れて来させたんでしょーに!そのクローネさん!一体どうしたんですか!」

 「おお、それだ。」沈みかける夕日を見て、ローエンさんはあごをしゃくった。「馬車に乗れ。中で話す。あー、ベアテ、お前は・・」

 「私のことでしたら石か何かとお思いください。ただ、王都の“五匹の子猫亭”までお連れくだされば、ありがたく存じます。」

 「だが、王室の馬車に無断で民間人を乗せていくわけには・・」

 むむ。変なところで細かい。雑なら雑で一貫すればいいものを・・しかたない、アレを出そう。

 私はデイパックを開けて、1通の手紙と袋を取り出した。包みと手紙はほんのり紅色で、花びらや金糸がすき込まれた高級紙を使っている。

 「これ、ネレイラさんから預かってきたんですよね。」

 いきなり元妻さんの名前を出した私に、結月ちゃんが目を丸くする。

 「ネレイラ?だからどう・・」

 「ネレイラさんお手製のクッキーです。」

 袋の口を閉じていたリボンをほどき、中からクッキーを一枚つまみ出す。白いなめらかな生地には、所々ヒジキのようなハーブが混ざっている。

 「今朝夜明け前から作ったんですよ、ネレイラさん。この黒いハーブはメディキっていうそうですね。『毛根を丈夫にする効果があるのだ』ってネレイラさん、言ってました。先日のお見舞いのお礼だそうです。本当は魔石やハーブで返礼したいところだけど、私達の出発が急で手持ちがないので、このクッキーを送りたいとのことでした。お礼の言葉はこの手紙に。」

 「な、なんじゃ、別にそのように気遣わんでも・・」

 「要りません?毛根にいいクッキー。」

 「よこせ。」受け取るとすぐボリボリ食べつつ、手紙を開いた。「・・・おい、折田。」

 「はい?」

 「この娘、ベルナというのか?ネレイラはそう書いとるぞ。」

 しまった。

 「アレですよ、ベアトリスの略称というか愛称というか、そんなもんです。」

 「ベアトリスのどこをどうすればベルナになるのだ。“ベ”しか合っておらん!しかも、この娘はネレイラの妹分故、大事にしてやってくれと書いてある!」

 よっしゃ!きたよネレイラさん!元ダンナさんが月下のベルナさんに出した捕縛命令のことがあるので、

 『もしダリエリスがベルナのことで難癖をつけたときは、この手紙を見せよ。』

 と言付かっていたのだ。

 「ベアテちゃんは口が堅いですから、大丈夫です。それにもう日が暮れますよ?土地勘のないところに若い娘さんを置き去りにして何かあったら、ネレイラさんの妹分じゃなくても、各方面から非難囂々ですよ?」

 「むう・・相変わらず人の足下を見るに長けたヤツだ・・」

 「何言ってんですか、失敬な。ささ、行きましょう。」

 渋い顔のままローエンさんは馬車に乗り込み、私達もそれに続いた。


 ベアトリスとはこちらの世界の一般人としての名前だそうだ。“月下のベルナ”もそうだけど、まあ、凝った名前である。

 『どうせ異世界に来たんだったら、少々イタいくらいの名前を名乗ろうと思ったんです。』

 と、結月ちゃんは後に語った。ちなみに“五匹の子猫亭”は、例の本を売りにヴェルトロアに来たときの定宿だそうで。 

 馬車が走り出すとすぐ、ローエンさんは近況報告を始めた。

 「近頃クローネは騎士団長殿やカルセドリオ・シグラントを避けておる。」

 「アレでしょ?ガルトニのリヴィオス王様から手紙がランベルンさんとシグラントさんの家に来て、クローネさんとカルセドくんの縁談が一気に進みそうになったんですよね?で、クローネさんはそれをとても嫌がっていた。」

 「よく知っとるな。クローネはお前と日本に帰り、しばらく帰ってこんかったのだが、このたび王女殿下とガルトニ王太子殿下との婚約式挙行が決まり、王女殿下の近衛騎士団長としては警護やなにかの打ち合わせのため、戻ってこざるを得なくなったのだ。」

 ほうほう。ここまではリヴィオス王様の想像通り。

 「ところが、会議や何かに出席したり、王女殿下付近衛騎士団長の仕事を終えると途端に姿を消す。ランベルン騎士団長殿が会議が終わると同時に全力で走っても、捕まらん。自宅にも詰め所にもおらん。恐らくパレトスで転移しておる・・そうなると行くところは一つしか無い。」

 「日本、ですか。まあ、確かにコンビニではよく会いましたけど。」

 日本でのクローネさんの勤め先、“ひまわりマート”三口町店は、今や私の行きつけのコンビニである。

 「“こんびに”で会っとった?!なぜ、国に帰れと言わん!」

 「だって・・縁談の進展を避けてるのは知ってましたし、そこまで徹底的に親御さんを避けてるとは知らなかったんですよ。エドウェルさん、相当困ってらっしゃるんですか?」

 「困り切っておるわ。何しろガルトニ国王陛下から直々に手紙が来たのだからな。」

 「その手紙のことならなんとかなりそうです。クローネさんのことを聞いたリヴィオス王様が反省して、無理に縁談を進めることはないって一筆書いてくれましたので。」

 その手紙が入っているデイパックをぽんぽんたたく。

 「今回は色々手紙預かってるんですよねー。責任重大です。」

 「お前も偉くなったもんだな。」

 「偶然ですよ、偶然。たまたまガルトニからヴェルトロアに行く用事ができたから、ついでに頼まれただけです。」

 「ふん。」鼻を鳴らしつつ、ネレイラさんのクッキーの最後の一枚を食べきる。「で、何か策はあるか?」

 「いえ、何も。」

 「だろうと思ったわ。」

 「だってよくわからないんですよ。捕縛術だけが勝てないってだけで、あそこまで婚約者さんを避けるって。練習すればいいことじゃないですか。」

 「修練を積んでも勝てぬ故、意地になっておるのではないか?」

 「だとすると、なんかクローネさんらしくない気がするんですよね。だっていきなり誰かさんに日本に送り込まれて2年、今ではひまわりマート三口町店の主力店員さんですよ?そりゃ、学校に行ってない時間があるから、他のバイトさんより多く店に出てるという利点はありますけど、それにしても全くの異国、異世界に来てその地位を築くのは努力がなければとてもとても。私は、クローネさんはすごい頑張り屋さんだと思ってます。」

 「ふむ・・」

 「つまり、折田さんは結婚を嫌がる理由が他にあると・・あ、私は石です、石・・」

 とってつけたように遠い王都の夜景を眺める結月ちゃんを、ローエンさんは咎めはしなかった。

 「他に何か理由がありそう故、それがわからぬ以上は策が打てぬ、か。」

 「そうです。アプローチ・・狙いを間違えばこじれるだけで時間の無駄です。」これは現在絶賛反抗期の長男・駿太の扱いで最近学びつつつあることだ。クローネさんは駿太よりだいぶ素直だけど。「ところでクッキーいかがでした?美味しかったですか?」

 「・・・・」

 あごひげをなでつつ、しばらく考えたローエンさん。

 「まあな。小腹がすいとったからな。」

 こっちももう少し素直になってほしいものである。


 急ぎというだけの理由で“五匹の子猫亭”をすっ飛ばし、王宮まで連れてこられた結月ちゃんはちょっとかたくなっていた。社長令嬢じゃん?と軽く言ってみると、

 「王宮ってやっぱ違いますよ、威厳があります。今まで行った偉そうな場所ってせいぜいが父の会社や楠本テックさんの社長室だけだし、ネレイラさんのお宅はあんまりお城感なかったですし・・」楠本テックの名前で現実を思い出したのか、はあ、とため息が漏れる。「クローネさんの気持ちわかる・・私も日本に帰りたくない・・お見合いやだ、めんどい・・この世界にずっといたい・・」

 「なんじゃ、そっちもか。」

 「悩み多き年頃なんですよ。人生折り返した我々とは違うんです。」

 「・・・・」

 何か悪たれるかと思いきや、ローエンさんは黙って馬車を降りていった。


 玄関の大扉が開くと、なんとエルデリンデ王女様が直々にお出迎えしてくださった!

 「待っていたわ、オリータ!」

 「すみません、こんなところまで来ていただいて・・」

 「幼い頃から妹のように親しんできたクローネが悩んでいるのです、手助けをしてくれる貴女を迎えに来ないでいられないわ。そちらは?」

 王女様の登場に恐れ多くて私の後ろに回っていた結月ちゃん。先に馬車を片付けねばならんとのことで、ローエンさんに私と一緒に下ろされて、ここまで来てしまったのだ。

 「あ、友人で職場の同僚の鈴沢結月ちゃんです。この大陸ではベアトリス、略してベアテと名乗っています。」

 恐る恐る結月ちゃんが前に出てきて、社長令嬢の挨拶をした。

 「ベアトリス・ウィステリアこと鈴沢結月と申します。折田さんにはいつもお世話になっております。」

 ぺこりとお辞儀をして顔を上げると、何かに目をとめた。

 「あ。」

 「あ。」

 向こうでナナイさんが目を丸くしていた。そして、はじかれたように動き、王女様の耳に何事かささやく・・今度は王女様が目を丸くした。

 「結月ちゃん、バレたよ。ベルナさんが。」

 「ですね。あの方、湖畔のヴィオラさんの代理でコミケに来たナナイさん、でしたっけ。」

 このときローエンさんはすでに中に入り、王様に到着の報告に向かっていたので、月下のベルナさんは無事だった。結月ちゃんは深呼吸して一歩前に出た。

 「改めてご挨拶します・・月下のベルナと申します。先だってのコミックマーケットにはすばらしい作品を出品していただき、ありがとうございました。」

 「まあ・・いいえ、私こそ、あのようなすばらしい方々の末席に連なることを得て、大変うれしく思っておりました。」

 私は結月ちゃんをつついた。

 「結月ちゃんあれあれ。結月ちゃんから直に渡したら?」

 それは3つめの手紙。デイパックから出したそれは、当初私だけが王女様に会うことになっていたため、結月ちゃんが私に託していたものだった。でもこれは、できれば結月ちゃんから、月下のベルナさんから渡した方がいいと思う。結月ちゃんは手紙を受け取り、進み出た。

 「こちらは、先のコミックマーケットに集まった作家さん達からの寄せ書きです。」

 「寄せ書き?」

 「ええ。このたびお会いできなかった“湖畔のヴィオラ”さんに次こそはお会いしたというと思いを込めて、皆さんから一言ずついただいたのです。」

 「えっ・・」

 これにはナナイさんはじめ同好の士の侍女さん達の方がそわそわし始めた。

 「王女殿下、あの、お部屋でゆっくりご覧になった方が・・」

 「そうですわ、それにオリータ様方も中へ・・」

 「そうね。」開きかけた手紙をきっぱり閉じて、王女様は言った。「まず、急ぎクローネの詰め所へ。事情はローエン殿から聞いていて?」

 「はい。」

 私達は玄関ホールを抜けて、廊下を歩いた。王女様からも近況は聞いたけど、今まで聞いた話とそれほど違いは無かった。

 「王女殿下にはクローネさんは何も言ってないんですか?」

 「ええ・・というより、私も婚約式が決まってから忙しくて、きちんと会うこともままならなかったの。だからクローネの悩みに気づいてあげられず、後悔しているわ。一人で辛く、寂しい思いをしていたのではないかと思うと、胸が痛みます。自分の家にも帰らず、一体一人でどこにいるのか・・」

 う。日本のコンビニで普通に会っていた私も胸が痛む。

 王女様の自室の隣にある詰め所まで来てナナイさんが先触れをすると、ドアを開けてくれたのはエドウェルさんだった。結月ちゃんはここでお別れ、ナナイさんと客室で私を待つことになっている。

 「おお、オリータ殿、久しいな。」

 「お久しぶりです、エドウェルさん。」

 王女様がまず詰め所に入り、私はあとに続く。

 奥に小さなドアがあり、その前に立っている・・

 「おお、よく来てくれたな、オリータ。」

 王様が笑顔で言い、隣に立つ王妃様も同じく笑顔でうなずいた。

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