<5-5 ガルトニ王国主席魔導師ネレイラ・バルガス、異世界に転移する>

 翌朝、ネレイラさんの提案を聞いて、結月ちゃんは二日酔いに効くハーブティーのカップを落としかけた。

 「マジですか?!ホントですか?!あ、でも、ご迷惑じゃないですか??!」

 「いや、一度事情を聞いただけの私こそ、迷惑をかけるかもしれないのだが・・」

 「いえ、やってみる価値はあります。」カップを置いて立ち上がると結月ちゃんは頭を下げた。「ほんっとうにありがとうございます!」

 「だが、最後に父と対決するのはお前だというのは変わらないぞ?」

 「はい。そこは覚悟します。てか、いつかはやらないとなんで。」

 「・・そうか・・では、用意をしよう。ふふ、なんだか私の方が緊張してきたな。」

 私は二人の会話を聞きながら、朝食の目玉焼きを美味しく食べていた。

 と・・

 『・・りた・・た・・か?』

 ん?

 『おり・・・・き・・か?』

 頭の中に誰かが話しかけて・・というか、ローエンさんの声っぽいんだけど、ノイズがひどくて、何言ってるかわからない。

 『ローエンさんですか?ちょっと何言ってるかわからないんですけど?』

 『なに・・おり・・・・どこに・・』

 どこって言った?

 『今、ガルトニにいます。聞こえてます?』

 『ガ・・る?おい、ちゃ・・』

 だめだ、こりゃ。通信も途切れたままになった。

 「オリータ、しかめ面などしてどうしたのだ。料理に何か・・」

 ネレイラさんに気づかれ、私はちょっと緊張しながら元ダンナさんかららしき通信が入っていることを話した。

 「ヴェルトロアの王様からもらったブラゲトスに、ローエンさんが色々仕込んでくれまして、それで通信できるんですけど、途切れ途切れで何言ってるのかさっぱりわからないんです。」

 「ああ、それはガルトニに張ってある守護魔法結界の障壁のせいだ。他国からの魔法は良くも悪くも通りが悪くなる。」

 「日本にいるときは普通に聞こえるのに・・あ、日本に守護魔法の障壁がないから。」

 「そうだ。だが気になるな。あちらで何かあったのだろうか。」

 ネレイラさんは少し考えて、ネックレスを首から外した。その手の中に、こちらの世界のアメジストに似た魔石が光る。

 額の前に魔石を掲げ、目を閉じ、何かを念じ・・

 私と結月ちゃんは静かにご飯を食べながら、ネレイラさんが目を開けるのを待った。

 「・・わかったぞ、オリータ。」

 数分後、ネレイラさんは汗をぬぐいながら目を開けた。

 「今、ミゼーレと連絡を取り、彼女からダリエリスに聞いてもらった。同じ結晶からとった石を持っているので、ミゼーレとは障壁の影響が少ない状態で通信できるのだ。」

 「おお・・お疲れ様でした!」ミゼーレさんはネレイラさんの学友で、ヴェルトロアの大神官さんだ。「それでなんと?」

 「クローネ・ランベルンが近衛隊長の詰め所から出てこぬ故、お前に何とかして欲しいということらしい。」

 「は?」

 詰め所から出てこない?

 「心当たりはあるか?」

 「・・もしや。いえ、クローネさんも結婚問題をこじらせてまして。それがいやで、しばらくヴェルトロアに帰らないようにしていたんですけど・・あ、結月ちゃんはヴェルトロアの本屋さんで会ってるよ。あの金髪のボブカットの女の子。」

 「あ、あの騎士さんですか!って・・結婚って、まだ若くないですか?私より年下に見えましたけど?」

 「うん、今17歳。」

 「高校生じゃないですか!そりゃ、いやって言ってもおかしくないですよ!」

 「ニホンではそうなのか?」

 ネレイラさんの問いに結月ちゃんはうなずいた。

 「大体は学生で、部活に遊びに・・あと、勉強もまあまあやって・・結婚する人は少ないです。」

 「そうか・・だが、この大陸では17歳は結婚しはじめの年齢だ。大体20歳前後には伴侶を得る。」

 ネレイラさんはジャムをパンに塗りつつ、私を見た。

 「どうする、オリータ?わざわざお前を呼び出すからには、お前の力が必要な事態なのだろう。ヴェルトロアに行くか?」

 「なんだかよくわからないけど・・行った方がよさげですね。」

 「なに、“あのこと”は私とベルナで何とかしよう。いいだろう、ベルナ?」

 「はい、頑張ります。騎士さんには見逃してもらった恩もありますし。」

 「よし、ではミゼーレにオリータが行くことを伝えよう・・ふむ。これは国王陛下にもご助力を仰いだ方がよいかもな。」

 「陛下に?」

 「暗殺者や呪術師、さらには国境付近の山賊などの危険を防ぐため、王室の馬車で、さらに護衛もつけてヴェルトロアまでお前を送った方がよいと思うのだ。馬車には私が結界も張る。魔法で転移もできるが、王国を覆う障壁を解除するのは、少々やっかいでな。」

 「アイリストスでもだめでした。」と、結月ちゃんは懐からネックレスを引っ張り出した。「バシーーッって感じではじき返されちゃいましたんで、それからヴェルトロアに行くときは隊商さんと仲良くなって乗せていってもらうようにしました。ヴェルトロア国内で移動するときは転移してましたけど。」

 「アイリストス?!」

 結月ちゃんが差し出したアイリストスにネレイラさんは目を丸くした。

 「それにあれですよね、ネレイラさん、国を守る守護魔法の結界を無理矢理突破したら、それはそれで外交問題になるんですよね?前にローエンさんから聞きました。」

 「その通りだ。うむ、ここはやはり、時間がかかるが馬車を使おう。ベルナ、私はオリータと国王陛下に謁見してくる。少し待っていてくれるか?」

 「あ、ネレイラさん、私一人で行きますよ。先にベルナちゃんとお二人で・・」

 「いいのか?」

 「大丈夫です。」

 「では・・ハリエラ、すまないが使いを頼む。」

 謁見のお許しを得るため、ハリエラさんが手紙を持ってが近衛兵の詰め所に向かった後、私とネレイラさんは手早くご飯をかっ込んで、大急ぎで身支度をすませた。


 リヴィオス王様の机の上の書類は半分以下にまで減っていた。私を見ると、にやりと笑って白い四角い石に金の象眼を施したハンコを掲げて見せた。

 「こいつのおかげでたいそうはかどったぞ。いま、ヨシュアスの王太子印璽も作らせておる。さて、ヴェルトロアで何かあったのか?」

 「あの・・じつは、クローネ・ランベルンさんが詰め所にこもって出てこないという知らせがありまして。」・・なんか王室の馬車を借りるような案件じゃない気がしてきた。「私に何とかできないかということみたいでして・・」

 「なに、ランベルンの隼が籠城しとるのか。それはおもしろ・・いや、ゲホゲホ。一体何が不服だ。あれか?例の酒の勢いで決まった捕縛術に長けた許嫁のことでか?」

 「そのくらいのことだったらいいんですが・・」

 やっぱり王室の馬車を借りるのは大げさな気がしてきた。

 「エル絡みのことではなかろうな?」王太子ヨシュアス殿下が心配そうだ。エルとはこのたび婚約する、ヴェルトロアのエルデリンデ王女様のことだ。「クローネ・ランベルンは今はエル付きの近衛隊長だろう?」

 「はい。でも、クローネさんは王女殿下のことは敬愛してますので、王女殿下の迷惑になるような理由ではないかと思います。」

 「ふーむ。もしやおれのせいか?」リヴィオス王様が人差し指で机をたたいた。「背中を押すつもりで、ランベルン家とシグラント家に手紙など出したのだが。」

 「えーと・・」冷や汗が出てきた。「そのお手紙で両家が早く結婚を進めよう、なんなら結納を済ませようみたいになったのは確かでして・・クローネさんはそれを嫌がって日本にいて、しばらく実家に寄りつかず・・」

 「なに、本当か?しまった、余計なまねをしたな。そうか、ニホンに隠れていたのが、此度の婚約式のため王女付きの近衛隊長として戻らざるを得なくなった、だが、結婚話が進むのがいやで親や許嫁を避けて籠城していると、そういうことだな?とすれば、おれの責任でもあるか。よし、王室の紋章入りの馬車を貸す故、一刻も早くヴェルトロアにゆけ。」

 「王室の馬車をお借りしていいんですか?」

 「何の備えもせずに旅立たせてお前に何かあった日には、ブリングストに顔向けできん。この国王印璽の恩があるゆえ、おれも寝覚めが悪いしな。」

 「そんな、たいしたことじゃ・・でも、王室の馬車を貸していただければ心強いです。」

 「おう、任せろ。ポヴァティウス、聞いていたな?馬車を出せ。」

 傍らで書類を整理していた侍従長さんが立ち上がった。

 「仰せのままに。オリータ殿、少々お待ちください。」

 「お、お忙しい中、すみません。」

 「何気にするな、そこにかけて待て。その代わりと言ってはなんだが、護衛とネレイラの魔法もつけてやる故、ブリングストに親書を頼む。婚約式の件で確認したいことが・・おっと、ヨシュアスとエルデリンデ王女の婚約式な、お前も来るだろう?布告はこれからだがな。ブリングストも招待するだろうが慶事だ、重なったところで問題なかろう。」

 「ありがとうございます。喜んで出席させていただ・・」

 あれ?・・今、リヴィオス王様、何て言った?

 「どうした、オリータ。」

 ものすごい勢いで何か書いていたヨシュアス殿下も顔を上げた。

 「あの・・布告がこれからってことは、これから国民の皆さんに婚約のことを知らせるってことですよね?」

 「おうよ。」ピラッと王様は紙を一枚見せた。「これがその布告だ。ついさっき国王印璽を押した。」

 「・・・・」

 おかしい。

 「あの・・王太子殿下が婚約すること、国民の皆さん、知ってるかもしれないです。」

 「?!」

 リヴィオス王様の表情が険しくなる。

 「昨日・・聞いたんです。・・市内で。」

 ナナイさんはともかく、一般市民である結月ちゃんが知っていたのだ。

 「相手がエルデリンデ王女だということもか?」

 「ヴェルトロアの人、とだけ伝わってるようでした。」

 相手が王女様だということが伏せられたままなのには安心したけど、それでも王様の眉間のしわは深まった。

 「ばかな。このことを知っているのは、限られた身内と側近、大臣だけだ。国民どころか、この城の中でも知らぬ者の方が多い・・」

 やや緑がかった目が鋭く光る。

 「・・オリータ、親書が一通増えた。」


 さて・・

 折田桐子が王都の謁見に出かけた後、ネレイラは準備を整え、自室から出てきた。居間にはソファに座る月下のベルナこと、鈴沢結月がいる。ハリエラがソファの向かいに座り、結月の話にしきりにうなずいていた。ネレイラが戻ったのを見て、結月はハリエラに挨拶して荷物をまとめる。

 「ベルナ、用意はいいか。」

 「いいです。よろしくお願いします。」

 「ベルナお嬢様、頑張ってくださいましね!」

 ハリエラの激励に力強くうなずくと、結月は胸元からアイリストスを引っ張り出し、ネレイラと視線を交わし・・

 「じゃあ、行ってきます!」

 と言い残して虹色の光とともに消えた。


 結月にとって、転移はもう慣れっこだ。だが、目の前に父親の秀典がいるのを目にすると、胃がきゅっと縮まるような気がした。

 光が鎮まり、まぶしさに目をかばっていた秀典と兄の結斗がそろそろと腕を下ろす。

 「何だ、今のは・・む?」

 秀典は目を見張った。いつの間に来たのか、娘のとなりに女性が一人立っている。しかも外国人で変わった服装をしている・・絵本に出てくる魔術師のようなフード付きのローブを見慣れない民族衣装の長衣の上に羽織り、胸元には宝石を吊したネックレスが二本、手にはこれも宝石がはまった白木の杖。

 「うわ~、魔法使いみたいな人・・」

 思わず結斗がつぶやき、秀典が我に返った。

 「魔法使いだと?ばかをいうな、結斗。そんな者がこの世にいるわけがない。」

 聞こえてはいるし、魔石の翻訳能力で何を言われているかもわかっているが、ネレイラは何も言わない。折田桐子から日本では魔法使いは想像上の人物であること、言っても信じてもらえないことを聞いていたからだ。

 「私はネレイラ・バルガス。お嬢さんの知り合いだ。」

 魔石の力で流ちょうな日本語が流れ出る。

 「何なんだ、あんたは。私は娘と話がある。少し外してくれないか。」

 あからさまに不審に満ちた表情に、なるほど、面倒そうな父親だと内心苦笑する。

 「外すことはいつでもできるので、少しばかり私の話を聞いてもらえないだろうか。」

 そう言って、銀色のひもから吊された別の魔石を手に取る。

 「宝石ですか?」

 これが兄の結斗だろうと推測し、ネレイラは問いに答える。

 「そうだ。私の国で産出するもので、名をグレントスと言う。」話しながら魔力を送ると、石の色が刻々と、澄んだ緑から濃い赤に変わっていく。「グレントスよ、秘めたるものをあらわにするものよ。・・現せ、あの者の心の内を。」

 赤い光がふわりと秀典を包み込んだ。

 「なっ・・なんだ、これは!!何を・・」

 「心配無用だ。私は本当の貴殿と話したいのだ。そのために、心の鎧を脱いでもらう。」

 赤い光が強くなる。

 「ところで・・貴殿はこれなる娘のベルナを、単なる商売道具と思ってはいまいか?」

 ネレイラの口から出た言葉に、結月と結斗が息をのむ。秀典も目をむいた。

 「なん・・何ということを・・!」

 「なんでも自分の商売に都合のいい取引先の息子と娶そうとしているというではないか。本当に娘を愛しているのだろうか?」

 「な・・な、あ、ああ、ああああ・・」

 秀典の顔が怒りで真っ赤に染まり、言葉も出ずに口だけがパクパクと動く。

 どんな罵詈雑言が飛び出すかと、結月は背筋が寒くなった・・赤い光がはじけたその時。

 「愛してるに決まってるじゃないかーーーーー!!」

 両の拳を握りしめ、足を踏みしめて絶叫する秀典。

 「「・・・・・・」」

 固まる娘と息子、微笑むネレイラ。

 「そうか。だが、娘は貴殿の商会での出世も貴殿が勧める見合いも望んではいないぞ。そのことはどう考えているのだ?」

 「そ、それは・・」ネレイラはさらに魔石に祈る。強まる赤い光で背後の結斗までも赤く照らされている。「それは、娘が将来苦労しないようにと・・楠本テックはうちと同じ規模の企業だし、東証にも上場しているし、息子の瑛太くんは東京の一流大学の工学部を出て将来有望な人材だし、昔から家族ぐるみのつきあいで知らない仲でもないし・・」

 「あのね、知り合いなのはともかく、東証上場とか一流大学卒とかそんな肩書き・・」

 「まあまあ、ベルナ。」

  やんわりと結月を制し、ネレイラは続ける。

 「肩書きの中味はよくわからぬが、ニホンではすごいものなのだろうな。それを取りそろえて準備した親心はわからぬでもない。私の父も多分そうだった。私の婿候補はどら息子だが肩書きだけはいくつも持っていた。だが、私は父の選択を取らなかった。そして、その選択は失敗した。あのときはそれなりに傷ついたのだが・・」

 「そうだろうっ?それだ、それがいやなんだ!結月に泣いて欲しくないんだ、私は!結月にはいつも幸せでいて欲しいんだ!」

 「それがだな、私はあの選択に後悔はしていないのだ。」

 「!・・傷ついたのではないのか?!」

 「しかたない。自分で下した決定だからな。心が痛まないわけではないが、自分で選び取った結果だ。誰のせいでもない。それで・・この点は、ベルナはどうだろう?」

 「・・そうだよね、自分で決めるってことには覚悟がいるんだよね。」結月は目を閉じ、深呼吸をして・・「お父さん。私、泣きたいほど苦しむことになっても、受け入れる。そして、次に進むよ。だからお父さんには・・虫のいい話かもしれないけど、とりあえずそばで見守っていて欲しい。」

 「だ、だが・・」

 「ご父君。時には娘御が自力で乗り越えられず苦しむこともあろう。そんなときは、貴殿の望む道に引き入れるのではなく、何がベルナのために最善なのかをベルナと話し、探ってみてほしいのだ。私はそうしたいと思ったときに父と完全に絶縁関係にあって、それがかなわなかった。ベルナにはそうあって欲しくないのだ。」

 「・・・・」

 「父さん。僕からも頼むよ。」今まで黙っていた結斗が秀典と向かい合う。「心配だろうけど、結月を一人で歩かせてほしい。何も見放せって言うんじゃないんだ。父さんの言う通りだけにしていたら人生安泰かもしれないけど、それじゃ、結月は自分で得たものが何もない、空っぽの人間になってしまう。」

 「空っぽ・・」

 「妹がそんな、人形みたいになるのはいやだ。父さんだって、結月がそんなふうになるのは望んじゃいないだろ?結月を信じてやってくれよ。」

 数分にもわたる沈黙の中、冷たい朝の空気に4人の吐く息だけが交差する。

 「・・つらいな。」秀典は目を閉じてつぶやく。「ただ見ているだけなど・・父さんにはつらいことだ、結月・・」

 「お父さん、でも、私・・私、頑張るから。つらくても大変でもいいの。私は私の選んだものとその結果を受け入れる。約束する。」

 「・・結月・・」

 ややあって・・ゆっくりと、秀典が結月に歩み寄る。空気にかすかな緊張が混じる。

 「お前の考えはわかった。お前は・・思っていたより大人になっていたんだな。」

 「お父・・さん・・」

 「だが、少し時間をくれないか。今すぐには正確に私の気持ちを伝えられそうにないし、今日はもう行かねばならない・・」

 結月は小さくうなずく。

 「待ってる。・・近いうちに話そ。」

 そのとき、秀典の口角が上がった。無理矢理に上げたように見えたが、そこは結月にはどうでもよかった。

 「うむ。」

 すでに背中を向けていた秀典は、歩きながら振り返り、うなずいた。

 結斗がやってきてネレイラに頭を下げる。

 「有難うございました。父のあんな姿、初めて見ました。」

 「なに、大したことではない。ベルナと私の境遇が似ていたもので、どうしても見過ごせずお節介を焼いてしまった。貴君がベルナの兄か?」 

 「はい。」

 「ベルナから実家とのつながりは貴君だけと聞いている。私も父と絶縁していた間、兄が心の支えだった。これからもベルナを頼む。」

 「もちろんです。ところで結月、瑛斗のやつさ、マジでお前と会いたいってメールよこしてんだけど、見合いの話、どーする?」

 「え・・なんで、瑛斗さんがそんな。」

 「前から話しやすいって思ってたんだと。」

 「あのね・・アニメとマンガとボカロとゲームの沼にどっぷりはまってて、同人誌描いてコミケで売ってるようなヤツでいいのかって言っといて!」

 「沼、多くね?」

 「うっさい!とにかく、そういうオタク女でいいのかって・・」

 「いや、あいつも鉄オタ歴オタでその手のゲームもしてるから、お前のこと言えねー。」

 「ベルナ、そう自分を卑下するな。合わぬとわかれば、断ればいいのだ。」

 「そこはお前の選択ってヤツだろ。ですよね?」

 結斗の人なつこい笑顔にネレイラも微笑む。

 「え・・なんか、お兄ちゃんとネレイラさん、仲良くなってる。」

 「ふむ。お前を見守る者同士、同盟を組むのもよかろう。どうだ?」

 「喜んで。ネレイラさん、でしたね、よろしくお願いします。あ、これ、名刺です。これ、このアルファベットで書いてるのが名前です。ユート・スズサワ。」

 「ユートか、以後よろしく頼む。と言っても、ニホンにはいつまた来れるかわからぬが。」

 「まあ、何らか連絡できますよ。僕もそろそろ失礼します。会議が3つ待ってるので。」

 「そうか、忙しいのだな。では。」

 結斗は走って車まで戻り、やがて秀典を乗せて駐車場を出て行った。

 「・・では我々も戻ろうか。」

 「はい。」

 再び駐車場に光が走り、二人はネレイラの自宅に戻ってきた。

 掃除していたハリエラが駆けつける。

 「お帰りなさいませ、ネレイラお嬢様、ベルナお嬢様。ご首尾はいかがでした?」

 結月が大きく息をついた。

 「大丈夫か、ベルナ。」

 「大、丈夫です・・」

 ハリエラがサッとエプロンからハンカチを取り出して、結月の頬をぬぐう。

 「すみません、なんで・・なんで涙が出るんだろ・・」

 「うれし涙ではないか?父親の本当の気持ちを聞くことができたのだ。心の底には驚くほど強い愛情を抱いていた。私も安心した。」

 「まあまあ、それはようございました!では、お見合いはなくなったんですか?」

 「それはまだわからない。ベルナはまだ決めていない。」

 「ゆっくり考えればようございますよ。それに人生ちょっとくらい失敗したところで、どうってことありませんからね。」結月をソファに座らせながらハリエラは言う。「ウチのお嬢様をご覧なさいな、お父様の反対を押し切って結婚なすって、離婚して、それでも今は毎日楽しく暮らしておいでなんですから!」

 「ハリエラ!私は離婚は後悔していないからな!」

 「はいはい、存じておりますよ。さあさあ、ベルナお嬢様にはお茶とお菓子を差し上げますね。少しお休みになるといいですよ。何か甘いお茶にしましょう。ウチのお嬢様はどうなさいます?」

 「茶は飲む。飲んだら私は仕事に行くが、ベルナはどうする?無論、落ち着くまで好きなだけここにいてかまわないのだぞ?」

 「ありがとうございます。でも、お茶の後で折田さんと落ち合ったらおいとまします。今回は本当にありがとうございました。」

 甘さの中に柑橘の香りがかすかに香る茶を飲んで、結月はもう一度、息をついた。

 正直まだ心がざわついている・・うれしさと不安が交錯してまとまらない。だが、父に言いたいことを言えたせいか、どこかすっきりしてもいる。

 「その・・あのときの赤い光は魔石の光ですよね?」

 「ああ、そうだ。」胸元に下がる、今は緑色に戻った石を示す。「グレントスといってな。希少度は6、隠されたものをあらわにする力を持つ。迷路(ダンジョン)に潜る連中などが罠や隠し通路を見つけるのによく使うのだが、私はフロインデン女神との契約で、人の心にも干渉できる力を付与できた。人の心に関わること故、女神との契約で悪意を以て使えぬことになっているがな。」お茶を一口のみ、ネレイラも小さく息をついた。「行く前にも言ったが、この石で父親の心を探るのは賭でもあった。本当にお前をただの道具としかみていないのなら、お前を傷つけるだけだ・・だが、よかった。」

 「はい。よかったです。父があんなふうに私のことを考えていたのはびっくりでした。ちょっと過保護な気もしますけど。」

 ふふ、と二人で笑いあい、しばらくハリエラの茶と菓子を味わう。

 「ベルナ、見合いはハリエラの言うようにゆっくり考えればいい。ここにいる間とニホンとでは時間の流れが違うのだろう?心ゆくまで自分と話し合えばいい。」

 結月がうなずいたところにノックの音がして、折田桐子が帰ってきた。

 「お帰りオリータ。陛下はなんと?」

 「馬車は借りられました。ついでに親書を二つと手紙も一つ預かっちゃって・・馬車は正門前に待機しているそうです。」

 「では、早速出立の準備だ。馬車の守護魔法の準備を・・」

 「あ!あの・・折田さん、ネレイラさん。」

 「どうした、ベルナ?」

 「私も一緒に乗っていっていいでしょうか?その・・色々思うところがありまして。それに私のアイリストスなら、何かあったときも力になれるかと。」

 「・・うむ・・実は御者と護衛には精霊を呼ぼうと思っているのだが、アイリストスならいざというとき彼らに加勢できるだろう。よし、私が話を通しておく。」

 ネレイラさんが王様の執務室に自ら走ってくれ、私達は荷物をまとめた。しかもその間にハリエラさんがバスケット一杯のお弁当を作ってくれた。

 まもなく王様の許可を得てネレイラさんが戻ってくる。

 「私がとびきりの守護魔法をかけてやるからな。それにベルナのアイリストスと、オリータの悪運があれば怖いものなしだ。」

 「悪運。」

 「あの得体のしれん呪術師や魔界の魔物を相手取った上、神にも説教したというではないか。それで無事なのだから、悪運が強いと言わずしてなんと言う。だが、あまり無理はするな。お前達二人はこう言ってよければ、私の友だ。いずれまたゆっくり話したい。」

 「ありがとう、ネレイラさん。私もそう思います。ローエンさんの愚痴、一杯語っていいですかね?」

 「無論。それを受け止められるのは、この世に私しかいないと自負している。」

 「私は父のこと愚痴っちゃうかもです。」

 「それも得意だ。ベルナはガルトニに自宅があるのだったな、いつでも来てくれ。」

 そして、3人で握手を交わした。

 「よし・・さあ、出かけよう。」

 そう言ってネレイラは窓の外を見やった。初冬の空は相変わらずの曇天だったが、皆、気持ちは晴れ晴れとしていた。

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