はじめに② 不登校に至るまで

 2010年春、中学受験で第一志望校に合格したわたしは、私立中高一貫校・女子校ライフを送り始めた。小学校の同級生とは異なり、話しかけても無視をしないクラスメイトに会うのが、いつも楽しみだった。


 楽しくなくなったのは、中学1年生の夏の体験学習を終えてからだった。体験学習の途中で体調を崩し、わたしは集団行動から外れ、個別に療養していた。


 帰宅してから、「あなたのいない部屋で、あなたの悪口大会が行われていたよ」と、律儀にメールで教えてくれた”友達”がいた。


 それから、なぜか「普通」に食事をするのが、眠るのが、生きるのが難しくなった。身長160cmのわたしの体重が42㎏まで落ちる。内科に行っても、原因は見当たらない。気が付けば12時間眠っている。


 大好きだった勉強ができない。週6日あった学校は、週2日ぐらい行くのが限界だった。


 これ以上いじめに遭わないため、友達を作るために、中学受験をして第一志望校に入学した。しかし、わたしの環境が間違っていたのではなくて、わたしに「友達を作るコミュニケーション能力がない」と突き付けられたようだ。


 生きる意味がわからなくなった。「変だね」「頭が良いから仕方ないね」と言われたわたしは、偏差値70の進学校でも「変」なのか。まだ寂しく過ごすなんて、嫌だった。



「心療内科に行ってみたい」と、親に伝えた。「うちは社会人のうつ病が専門で、中学生は対象外です」「中学生の女の子を診る自信がない」と5つほどの病院には断られたが、なんとか心療内科を見つけて、診察を受けた。


 最初の診断は、たしか「軽度のうつ病」だったはずだ。小さな抗うつ薬を処方されたので、毎日飲んだ。服薬以外に何をどう変えたら幸せになれるのかわからず、考える気力もなく、食べる・眠る・生きるが難しい生活には変わらなかった。


 クラスメイトに勧められ、自傷行為を始めた。今思い返せば「なんてことを勧めたんだ!」と思うが、当時のわたしにとって自分に話題を提供してくれる人は、とっても貴重だった。


 ハマってしまって、傷がある自分の方が自分らしいように思えて、自分でつけた傷が鮮やかでないときに外出するのが怖くなった。


 やりたくないことをこなす気力が24時間なく、数学の課題がこっそり免除された。特別扱いだったので、怒られることもなかった。特別扱いをされていることには傷ついた。


 学校を休むわたしを心配した先生は、よく電話をかけてくれた。その電話の音がどうしようもなく怖くて、そんな自分が情けなくて、電話の音がする場面でパニックを起こすようになった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る