第15話 悪夢

 アルフォンスの身体は、布にくるまれて大広間から運び出された。賓客たちが出て行く間に、フィーアはパトリックに呼び止められる。

「最後に国王陛下と会っていたのは貴方ですね? 事情をお聞かせ願えますか?」

 パトリックはすでにいつも通り、冴え冴えとした眼をしてフィーアを見た。

 彼の紫のひとみには、もう悲しみの色は見えない。押し殺しているのか、それともこんな日が来ることを予見していたのか。

 王弟の問いに、フィーアが戸惑っていると、衛士であるディルが一歩進み出た。

「お言葉ですが、王弟殿下。我が主は国王陛下暗殺とは一切関係などございません」

「……だが、国王陛下と最後にはっきり言葉を交わされたのは、王太子殿下だ。私は国王陛下の死の真相が知りたい。そうして犯人を捕らえたいのだ」

 王弟の言葉は真摯に聞こえた。フィーアはディルに「大丈夫だ」と告げる。

「姫様……!」

「アルフォンス様を暗殺した犯人を知りたいのは、私も同じだ。……私は、バルコニーでアルフォンス様とたわいも無い話をしていた。そこにヴェルメリオ姫によく似た何者かがやって来て……」

 そうだ。ヴェルメリオ。彼女はどうしたのか。フィーアは大広間の中心を振り返り、ヴェルメリオの姿を探す。

 遅すぎる。小さな姫君の姿をした毒殺者は、完全に人混みに紛れて姿を消していた。

「ヴェルメリオ姫を探して下さい。王弟殿下。それに、アズゥミル姫の安否を確認して下さい」

「ヴェルとアズゥ、ですか? 双子は自室に居るはずですが?」

 訝しげにパトリックは眉を寄せる。

「アルフォンス様にグラスを渡した賊は、ヴェルメリオ姫の姿をしていた。それでアルフォンス様は疑わずにグラスの酒を飲まれたのです」

「……なるほど、そう言う事だったのか……有り難うございます、王太子殿下。それからもう一つ。貴方が国王陛下が酒を飲むのを止めようとした、と報告を受けました。なぜ、貴方は酒に毒が盛られていると?」

 パトリックの紫の眸が、ゆっくりと細められる。フィーアはそれをまっすぐに見つめ返した。

「ヴェルメリオ姫の姿をした賊が、そうとほのめかしたのです。それで私は叫びましたが、間に合わなかった」

「そうでしたか。……解りました。双子を探させましょう。申し訳ございませんが王太子殿下、明日の出立は取り止めていただきたい。兄上の葬儀と、私の戴冠式には王太子殿下に出席していただきたいので」

 悲しげに眼を伏せたパトリックに、フィーアは「解りました」と答えた。

「……有り難うございます。王太子殿下。貴方に出席していただけるなら、兄上もお喜びになるでしょう」

 パトリックの頬に、力ない笑みが浮かぶ。

「……王弟殿下。その……王の御崩御ごほうぎよは真に残念です。お力落としの、無きよう……」

 兄を亡くした痛みを、フィーアは知っていた。毒殺と言う、恐ろしい出来事の興奮が冷めて、悲しみが改めて胸に迫る。

「有り難うございます。王太子殿下。……お疲れでしょう? どうぞ、今日の所はお休み下さい。葬儀の日取りは明日、また改めて」

 パトリックの表情に、影が掃かれる。彼もまた、大きな悲しみを抱いているのだろうか。

 フィーアは一礼を残して、その場を辞した。


 客間に戻る道すがら。物思いにふけるフィーアの隣で、ディルがぽつりと呟いた。

「……あの王弟、いつまで我らをここに足止めするつもりでしょう?」

「うん?」

「国を挙げての葬儀ともなれば、国賓を招かねばならないでしょう? ニクスは姫様がいるとして、他の五大国から使者を待たないと」

「確かに。そうだな」

 ヴァローナの王城から最も遠いのは、グラナート国の王都・チャラス。そこからどれだけの時間で、使者が到着できるのか正確には知らない。だが、何週間もかかることは想像に難くない。

「まあ、足止めは仕方ないと諦めましょう。事が事ですから。姫様なら多少入学時期が遅れても、追いつけるでしょうし。だがね。王弟のあの眼。人を駒にすることに慣れてるようなあの眼。……オレはどうも好きになれませんね」

 冷たく冴えた、王弟パトリックの紫の眸。ディルの眼にはそんな風に映っているのか。

「そうか。……留意しておこう」

 悲しみの感情に、浸りきる時間は無いのか。フィーアは唇を結んで、まっすぐに前を見つめる。

 ヴェルメリオの姿をした毒殺者。『彼女』の正体は、一体何者なのか。アズゥミルの安否は? 考えなければならないことは、山積みだ。

「部屋に戻ろう、ディル。部屋に戻って、侍従たちに双子姫の捜索に加わるように命じなければ」

 フィーアは悲しみを振り払い、毅然と前を見据えた。


「姫様! ヴェルメリオ姫様とアズゥミル姫様が、見つかったってよ!」

 正装から平服に着替え、知らせを待っていたフィーアの元に、レイオスが駆け込んできた。

「二人とも無事か? レイオス」

「うん! じゃなくて、はい。二人一緒に、普段は使ってない部屋で眠ってる所を見つかったみたい」

 レイオスは興奮で、言葉遣いを改める事も忘れている。フィーアは安堵に、胸をなで下ろした。

「ですが、お二人とも、夜会の間の出来事は何も覚えていらっしゃらないようでございます」

 侍従長が、軽食と飲み物を手にしてやって来る。フィーアは侍従長がれたハーブ茶を受け取って、報告を聞いた。

 それは、レイオスの報告を補完するものだった。

「あの二人は無事か……良かった」

 ヴェルメリオの姿をしていた何者かは、双子に危害を加えなかった。それだけはさいわいだ。

 それでも、あの二人は兄を喪った。大切で、優しい、大好きな人を。

 なんと言って慰めたら良いのだろう。こんな時、言葉などとても無力で。

 フィーアは、今日の悲劇が全て悪い夢ならと願わずにはいられなかった。


 ──夢を、見た。

 フィーアは、ヴァローナ王城の廊下に一人立っている。

 実際の王城の廊下は、丸くカーブするように作られている。先は見通せないはず、なのに。それで、これが夢だと解った。

 夢の中の王城は、どこまでも真っ直ぐに廊下が延びている。とぼとぼと、フィーアは歩を進める。廊下には果てが無い。向かう先に何があるのか。フィーアには解らない。ただ歩む。

 窓の外には、美しいニィグルム湖の夜景。向かい合う無数の扉と、何度も同じ顔が並ぶ肖像画。

 堂々巡り、だ。見覚えのある廊下をひたすらに歩き続け、フィーアはとうとう廊下の端にたどり着いた。

 フィーアの背丈の、倍ほどもある大きな扉。

 これは大広間の扉だ。夢の中のフィーアは、その扉を力一杯こじ開ける。

 ──いやだ。

 嫌だ。ここには行きたくない。ここには来たくない。悲しいことを、思い出してしまうから。

 扉の向こう。眼を射るような煌々こうこうたる明かりが、一瞬視界を白く染める。明るい大広間には、誰もいない。フィーアは安堵する。

 不意に。肩を叩かれた。

 ぎょっとして振り向いたフィーアに、微笑みかける者がいる。

『フィーア様。わたくしと踊っていただけますか?』

 それは、踊りは苦手だと言っていた王。

 黒く艶やかな長い髪。白皙はくせきの顔。優しげな緑の眸。

「……アルフォンス、様……」

 夜会用の正装のまま、白い顔をしたアルフォンスが手を差し出す。その手を取りたくないのに。夢の中のフィーアは、容易く応じる。

 楽団はいないのに。どこからか、ワルツが聞こえてくる。

 たった二人。二人だけで、くるくると無人の大広間に円を描く。

 フィーアがリードすると、アルフォンスは巧みにそれに付いてくる。背丈はアルフォンスのほうが高いので、まるで、ダンスの練習に付き合う教師と生徒のようだ。

 くるり、くるり。二人だけの夜会は思いの外楽しくて。フィーアはそっと笑った。

 アルフォンスはそんなフィーアの顔を覗き込み、唇を釣り上げた。その唇は酷く赤い。吐き出した血のように。

『……フィーア様。人に心を許してはいけません。友など、貴方には不要です。貴方を守れるのは貴方自身だけだ』

 ああ。やはり。『これ』は違う。アルフォンスではない。いつか見た夢と同じ。

 あの時と同じ、得体の知れない何者かがフィーアを誘っている。

 夢が暗転する。美しい大広間の光景が、粉々に砕けて暗黒に飲まれる。

 地底で待ち構える赤い眸。うごめく無数の腕と気配。形は見えない。でも、そこに堕ちたらもう二度と這い上がれない。そんな予感がする、奈落の底。

 ──これは夢だ。ただの悪夢だ!

 心に言い聞かせても。フィーアは戦慄に身をよじり、夢の底へ落ちていった。

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六竜王戦記 水野酒魚。 @m_sakena669

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