第14話 哀れ白山羊

「くるくる、舞われ。くるくる、踊れ。くるくる回ってバター壺。哀れ白山羊、バターになるまで!」

いとけない手遊び歌を口ずさみながら、ヴェルメリオはフィーアを大広間の真ん中に連れ出した。

 賓客たちは、あっけにとられたように、踊り出した主賓を見つめる。

 アルフォンスも仕方なしに、二人の踊りを見守っているようで。

 ヴェルメリオのステップは完璧だ。それに対して、フィーアは戸惑いながらリードする。

「ごめんなさいね、白の剣姫さま。わたくし、殿方のステップは知らないの。リードして、いただけますわね?」

 ささやく声は、初めて会ったときと同じヴェルメリオなのに。

 艶然と微笑む表情は、少女のそれとは思えない。フィーアは面差しを険しく変えて、低く訊ねた。

「……お前は何者なんだ? ヴェルメリオ姫の姿で何を企んでいる? アズゥミル姫をどうした?!」

「……あら。わたくしはヴェルメリオよ? だからどうかわたくしを傷つけよう、なんてなさらないでね? たった九歳の身体はとても脆いのだから」

 中身・・だけが、違う・・のか。ヴェルメリオの小さな手をとりながら、フィーアは口惜しく唇を噛んだ。これでは双子たちを、両方人質に取られているようなモノだ。

 くるりくるりと三拍子のリズムに合わせて、二人の姫君が踊る。それはとてもちぐはぐに見えて、華麗な足運び。自然と、賓客たちは二人のために、スペースを空けていた。

「くるくる舞われ! くるくる踊れ! ……ああ、楽しいわ! 楽しいわ!」

 次第に、ヴェルメリオのステップは、早く複雑になっていく。フィーアはかろうじて、どうにかリードを続ける。

 幼い姫のままに振り回される主賓は、人々の眼にどう映るのだろう。衆人は、誰一人この異常に気付いてはいないようだ。

「……お前の望みはなんだ? ヴェルメリオ姫を乗っ取って何をしたいんだ?」

「そうねえ。……わたくしのささやかな望みはね、貴方と踊ること。それから……」

 ちらりとヴェルメリオを操る何者かは、兄である王を見やった。

「……兄王さまが、わたくしの献上品を飲み干すまで、貴方をここに引き留めておく、こと、かしら?」

 赤いひとみいやらしく細められる。フィーアはその言葉に弾かれたように、アルフォンスを振り返った。

 今まさに。アルフォンスは、ヴェルメリオから受けとった酒に口を付けようとしている。

「……アルフォンス王! だめだ! それを飲んでは!!」

 フィーアの叫びは、楽団の音楽と人々の喧噪に押しつぶされた。

 ヴェルメリオの手を離して、フィーアはアルフォンス王に駆け寄ろうとする。

 賓客たちが邪魔だ。音楽が邪魔だ。

 ああ、止めろ。やめろ。跳ね回る、不吉な予感が邪魔だ!

「アルフォンス様!」

「……フィーア、様?」

 アルフォンスは微笑んで、手を止めた。グラスの中身は半分ほどが空になっている。

「それを飲んではいけない、アルフォンス様!」

「……え?」

 きょとんと驚いた面持ちで、アルフォンスはグラスを見やった。

 次の瞬間に。

「……う、ぶ……っあ、ああ……あ、ぐ……っあああぁぁ……!?」

 アルフォンスはグラスを取り落とし、苦しげに喉を掻きむしる。白皙はくせきの顔が、苦鳴くめいに歪む。王は膝からくずおれ、のたうち回るうちに、長く黒い髪がうねり、夜の湖のように床に広がった。

 ──間に合わなかった……!

 苦しみに藻掻もがくアルフォンスを前にして、フィーアは愕然がくぜんと手を伸ばす。

「あ、あ……ああああぁ……!!」

 白い。白い、王の顔。唇から流れ出した赤い、赤い血の色。

 やがて、倒れしたまま、アルフォンスは目をつむり、ぴくりとも動かなくなった。

 絹を裂くような悲鳴が、賓客たちから上がり始める。楽団は演奏を止めた。

 なぜ、どうして。呆然と立ち尽くすフィーアの隣を、誰かがすり抜ける。

「……王は?! 兄上はご無事か?!」

 悲鳴を聞きつけたのか。駆けつけたのは、王弟、パトリック。

「これは、一体どういう事だ!」

 王の護衛たちを、パトリックは問いただす。

「……こ、国王陛下は、王太子殿下とバルコニーに出られました。戻られてから酒をお召しになって……」

「その酒に、毒が?!」

「はい……左様でございます、王弟殿下」

 パトリックは悲劇に驚嘆し怯える人々を見回して、宣誓するように叫んだ。

「……医者だ。医師を呼べ。天法士でも誰でも良い。早く誰かを呼べ!」

 いち早く、会場にいた天法士団長代理プレ・フォス、ラバーナムが進み出る。ラバーナムは王の側に近寄って、彼が身に着けていた何かを拾い上げた。

「皆様、これは『王珠おうじゆ』。天法士の証しである宝珠です。これは持ち主が亡くなると運命を供にする性質がございます。美しく輝いていたモノが、石に変わるのです」

 持って回った言い回しで、ラバーナムは重々しく告げる。それからゆっくりと、四つの石を頭上に掲げて見せた。

「……国王陛下の王珠はこの通り、石になっておいでです。残念ですが国王陛下は……崩御ほうぎよなさいました」

 ──ああ、ああ。なんてこと……!

 フィーアは、目の前が真っ白になって行くのを感じた。

 崩御。死んだ? 死んだのか? アルフォンス様が? 兄上様のように?

 嘘だ。そんなことは嘘だ。友になったのに。まだまだ話したいことが、沢山あるのに。

 信じられない。信じたくない。

「……天法士! 手段は無いのか?! 手当の術は無いのか?!」

 天法士団長代理に詰め寄ろうとするフィーアを、パトリックが制止する。

「……王太子殿下。残念ですが、国王陛下は身罷みまかられた。国王陛下を、死の王の国から呼び戻す術など有りはしない。そうだな? ラバーナムよ」

「……左様でございます。王弟殿下」

 恭しく首肯したラバーナムは、アルフォンスの王珠をパトリックに差し出した。

 兄の死に何を思うのか。パトリックは王珠をじっと見つめて、唇を噛んでいるようで。

「……今宵の夜会は終いだ。みな、ここから退出せよ」

 重く、鬱々と王弟は宣言した。

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