第13話 友として

「剣術に愛を注ぐ貴方で。貴方は貴方らしくそれを突き詰めれば良い。その内に、きっと、誰にも貴方と言う剣を曲げられなくなる」

「……私、らしく?」

 幼い頃からずっと、剣術が好きだった。その気持ちだけは、兄上様にも負けないと思っている。それが、私らしさ?

 姫君らしくない、剣術などやめよと、みなに言われた。王太子になってみれば、剣術に精を出す姿を賞賛された。

 していることは何も変わらないのに。それで、フィーアには何が正しくて、何が間違いなのか、解らなくなる。

 人々の望むように、必要以上に王太子として振る舞うこともそうだ。

 そうあれかしと願われるから、そうする。

 勇ましくあれと慕われるから、そうする。

 しかし、そうした結果、奇矯ききような姫君だと嘲笑あざわらわれる。

 そんな、フィーアの葛藤を、アルフォンスは見抜いていた。

「……王という者はね、人々の願望なのです。強くあれ、賢くあれ、誠実であれ……人々の願いによって、形作られる者なのです。貴方が王太子らしく振る舞うことは、正しい。人々の希望を背負うことですから。でも、正しいだけの生き方はきっと……苦しい」

 アルフォンスは、フィーアの蒼いひとみをそっと覗き込んでくる。フィーアは眼を反らせなくなって、先達であるアルフォンスを見つめた。

「だから、見つけてください。心躍る瞬間を。貴方がただの貴方、王太子でも王でも無く……貴方らしくいられる時間を」

 アルフォンスの微笑みは、やはり兄上様に似ている。温かな慈愛と、親愛と、そしてちょっぴりの気遣いも。フィーアに向けられた眼差しは柔らかで、フィーアはなぜだか胸が苦しくなる。

「……アルフォンス様、にも、そんな時間があるのですか?」

「ええ、あります。今この瞬間だって、きっとそうです。私はね、貴方と友人になりたいのです。ヴァローナとニクス、二つの国の友誼ゆうぎは重要です。でもそれ以上に、私はフィーア様、貴方と言う一人の人間と友になりたい」

 アルフォンスの眼差しは真摯しんしで。フィーアの胸に、沢山の言葉がつかえて。

「……はい。私も、貴方を友と……呼びたい」

 ようやく、フィーアはその言葉を喉から吐き出した。


 夜風が頬に冷たくなってくる。

 二人は、ぽつりぽつりと友らしい会話をした。

 フィーアがこれから行く『学究の館』のことを訊ねると、アルフォンスは快く話してくれた。ついでに、学生生活の愉快だった思い出も添えて。

 ヴァローナの王になる者は、天法士でなければならない慣習があると言う。

 そのために、アルフォンスは十五の年から三年間、『王宮院』と『天法院』に通っていたと。

「王族の中には『王宮院』と他の院を行き来する者も多いのですよ。専門院を掛け持ちするのは大変なことだと思うけれど、貴方ならきっと大丈夫」

 アルフォンスにそんな風に言われると、これからの生活の不安が晴れていく。

「掛け持ちのコツはね、フィーア様。友を作ることです。自分に足りないモノを補ってくれる友、自分と一緒に競い合ってくれる友、そして何より、信頼できる友を見つけて下さい。それがきっと貴方を助けてくれる」

「……私に、友が出来るでしょうか?」

 憂い顔のフィーアに、アルフォンスは「大丈夫!」と、微笑みかける。

「……さて、主賓と主催が長いこと会場を空けてしまった。中へ戻りましょうか?」

「はい。貴方と二人でお話しできて、本当に良かった。有り難うございます」

 フィーアは本心からそう、思う。外交用の仮面を脱ぎ捨てた彼女は、はにかむように笑った。

「こちらこそ。貴方のような友が出来て、本当に嬉しいですよ」

 アルフォンスは心底嬉しそうに、笑みを深める。

 二人は、大広間に戻ろうと振り返った。背後には、バルコニーに出るための掃き出し窓がある。いつの間にやら、それを背にして小さな人影が、ぽつんと立っていた。

「……そこにいるのは、誰かな?」

 訝しげなアルフォンスの誰何すいかに、小さな人影は一歩進み出る。

「……兄王さま」

「ヴェル! どうしたんだい? こんな所に来て……」

 窓明かりに照らされたその人影は、双子姫の片割れ、ヴェルメリオだった。

 衛士たちに見咎みとがめられず、一体どうやってここまでやって来たのだろうか。

「わたくし……わたくし、どうしても、白の剣姫さまの夜の正装を拝見したくて……」

 そう呟いた小さな姫君は、赤いドレスを着て、飲み物が入ったグラスを手にしていた。

「ヴェル、アズゥはどうしたんだい?」

「あ、あの子は……ダメ、だって、わたくしたちにはまだ早いって……だから、置いてきたの……」

 ヴェルメリオは、青い顔をしてたたずんでいる。アルフォンスは困ったように眉を寄せて、かわいい妹姫の前に立った。

「そうか……ヴェル、アズゥの言うことはもっともだよ。君たちには、夜会はまだ早い」

「……ごめん、なさい……」

「ふむ。お酒も君にはまだ早いよ」

 アルフォンスはヴェルメリオの手から、赤い液体の入ったグラスを取り上げた。

「……それは、兄王さまの分よ。兄王さまは沢山のお客さまとお話しするでしょう? だから喉が、渇くと思って……」

 ヴェルメリオは反省しているのか、うつむいたまま、消え入るように言った。

「そうか。有り難う、ヴェル。まったく。来てしまったモノは仕方ない、か。中に入ろう。明るい場所でフィーア様にご挨拶したら、部屋に戻りなさい。いいね?」

「……はい……」

 しょんぼりとうな垂れるヴェルメリオは、顔を上げようとしない。そのしょげ返る様子が少し気に掛かって、フィーアはヴェルメリオを見つめた。

「さあ、行こうか、ヴェル」

「……はい」

 ヴェルメリオの肩に手を置いて、アルフォンスは大広間に戻っていく。

 一瞬、ヴェルメリオはフィーアを振り返った。ドレスと同じ色の赤い眸が、熱情に浮かされるように潤んでいる。横顔が少女とは思えぬ表情で微笑んで見えた。

「……フィーア様も。こちらへどうぞ?」

 何かがおかしい。双子の片割れの異変を気付いた様子も無く、アルフォンスは大広間に戻っていく。

 ──気のせい、か?

 フィーアは気を取り直して、二人の後を追う。

 三人が喧噪けんそうと音楽の中に戻ると、大広間はまだまだ盛況で。

 楽団はちょうど、ニクスの舞踏曲を奏でていた。

「……踊って。踊って下さい……! わたくしと! 白の剣姫様!」

 ヴェルメリオは突然そう叫んで、フィーアにしがみついた。

「ヴェル、メリオ様……?」

「こら、ヴェル。ままを言ってはいけないよ?」

 たしなめるアルフォンスの制止を振り切って、ヴェルメリオはフィーアに抱きついたまま離れない。

「……だって、明日になったら、白の剣姫様はこの城をお発ちになってしまう、から……! だから……!」

 少女の必死な様子に、フィーアは戸惑う。

 ヴェルメリオは、赤い眸でフィーアを見上げる。その眸は泣き濡れて、光って見えた。

 ぎしり、と噛み合わない歯車が軋むように、違和感がフィーアの背を撫でる。

 この少女は、何かがおかしい。はっきりその正体を言い表すことは出来ないが、初めて会った時の彼女とは、何かが決定的に違っている。

「……ヴェルメリオ、様。貴方は……?!」

「踊って? 白の剣姫様! でも、兄王さまには何も言わないで? ……アズゥミルの命が惜しかったら、ね?」

 声を潜めて、ヴェルメリオは笑った。婀娜あだやかな、花のように。

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