第2話 セルキーセ村包囲②

 セルキーセ村を包囲しているナイヴァル軍は、七千三百。


 その本陣は山の麓にあった。



 包囲から半日ほどが経過し、山の麓にあるナイヴァル軍本陣に駆け込む者があった。


「枢機卿。村の住人は全員逃げ出したようです」


「何?」


 本陣中央にある馬車の中から出てきたのはシェラビー・カルーグ、27歳。この遠征軍の総大将であり、兵士の呼び声通り、ナイヴァル総主教の下にいる六人の枢機卿の一人である。


「降伏させたかったのだが、逃げるという選択をとるとは……」


 シェラビーは困惑した顔で山の中腹に視線を向けた。


「かねてから村に送り込んでいた者によりますと、三日前にやってきた新人指揮官がナイヴァル軍は神の機嫌が悪いと皆殺しにしかねないから、逃げた方がいいと主張して、全員が同意したということです」


「……なるほど、神の機嫌か。それを言われてしまうと辛いな……」


 シェラビーは苦笑した。事実であるから、文句の言いようもない。


「ならば山中に触れ回れ。我々の神はただいま大変機嫌が良く、皆を許すつもりでいる。だから三日以内に出てくるようにと。神の御意向に従わない者は覚悟しておけと」


「承知いたしました」


「任せたぞ」


 伝え終わると、馬車の中に入った。


「どうされたのですか?」


 馬車の中にいたのは、子供から少女になろうとしている娘が二人と、その母親と思しき妙齢の女性。女性が不安げな様子で尋ねてきた。


「いや、こんな田舎ではあるが、敵軍にも中々面白い者がいるらしい。だが、私の計画を覆すようなものは何もないから心配はするな」


 シェラビーは自信満々に言う。その後、馬車内を見渡した。馬車というが、総大将専用のものであるため、通常の馬車の三倍ほどの広さをもっており、簡単に一瞥できる広さではない。


「メリスフェールはどこに行った?」


「先程、外の様子が見たいとスメドア様に申し出られて、近くを散策していると思います」


 女性の言葉に、シェラビーは渋い顔をした。


「勝利は間違いないが、敵対勢力の者が近くにいる可能性もある。不用意に外に出てほしくはないものだ」


「はい。言ったのですが、あの子は我が強いところがありまして…」


「全く……。明日には大方解決して自由に外を出歩けるようになるだろう。それまでは我慢してくれ。分かったね、サリュフネーテ、リュインフェア」


 シェラビーは馬車にいる娘二人に話しかける。二人とも素直に頷いたのを確認して、馬車を出た。



 シェラビーは弟のスメドアが戻ってくるのを待ったが、中々戻ってこない。


 ようやく戻ってきたのは、夕方過ぎになっていた。あまり連れていなかった馬の一頭にまたがり、スメドアが戻ってくる。その手前にちょこんと一人の女の子が座っていた。


「スメドア、貴様どこまで行っていたのだ?」


 シェラビーが問い詰める。スメドア・カルーグはバツの悪い顔をしたが。


「南の町のあたりまで行っておりました……」


「南の町と言っても数十キロはあるのではないか?」


「メリスフェールが、どうしてもこの地域の村を見たいと言っていましたので……」


 結局おまえか。シェラビーは憮然とした顔でメリスフェールを見た。淡いクリーム色の長髪にエメラルド色の瞳をもつ端正な顔は、シェラビーの難詰するような視線にも物怖じしない。


「何故、勝手にそんなことを望んだのだ?」


「見たかったからです」


「外国の町に興味があったのか?」


「違います。ナイヴァル国内のように、神様の施設を作っているかを」


「……ほう」


「私はずっと不思議でした。どうして、あれだけ神のための建造物をみんなが必死に作っているかを。だから、ここでもそうなのか見たくて、スメドア様にお願いして連れていってもらいました。だから私が悪いのです。スメドア様は悪くありません」


「メリスフェール、そういう言い方はずるいぞ」


 シェラビーは諦めたようにメリスフェールの頭を撫でた。9歳の少女に本気で怒れるはずがない。


「今回だけだからな」


 そう言って、シェラビーはメリスフェールを馬から降ろした。馬から降りると、メリスフェールもそれ以上は何も言わず大人しく馬車の方へと戻っていく。その後ろ姿を見て溜息をつく。


「好奇心が多いのはいいことだが、旺盛過ぎるのも困ったものだ」


「ですが、利発ですよ、あの子は」


「そんなことは貴様に言われなくても分かっている」


 シェラビーはスメドアの頭を小突いた。


「先程、今回だけは特別に許すと言われたではないですか」


 スメドアが小突かれた頭を押さえながら抗議するが、シェラビーは再度小突く。


「貴様まで許すと言った覚えはない」


「そんなぁ」


 これ以上小突かれてはたまらないとばかり、スメドアもまた馬車の方へ駆けて行った。



 ミベルサ大陸の中央部に位置しているナイヴァル国は、国土のほぼ全てが山岳か高原地帯に覆われている。そのため、農産物の生産高が他の地域以上に天候に影響されることが多く、必然、天の機嫌伺いすなわち神への信仰が強い地域となっていった。


 現在、技術の発展などに伴い、ある程度の天候の変化には耐えられるようにはなっていたが、それでも他国と比べると天候の影響を受けることは間違いないし、依然として他国からは考えられないほど信仰心が強い。


 首都バシアンをはじめ、それほど大きくない都市にも絶対神ユマドのための神殿が建てられており、多くの人間が奉仕している。



 多くのモノ・人間が神のために奉仕していることは、素晴らしいことである。


 これがナイヴァル国での基本的な考え方であった。


 しかし、この価値観に疑問をもっている者がいた。外ならぬ六人の枢機卿の一人シェラビーである。


 神に金を投じるのは結構なことであるが、度を越しているのではないか。


 その金を、もう少し自国の発展のために使った方が、良いのではないかと。



 シェラビーの領地であるサンウマはナイヴァルでは唯一、海岸に面している地域であった。そのため、隣接しているコルネー王国やホスフェ共和国以外の情報も入ってきていた。


 特に、南東にあるアクルクア大陸のハルメリカからの産物が近年目覚ましく増えている。その品質の高さ、量、共に他の地域のものを圧倒していた。聞くところによると、アクルクア大陸での戦乱が終わり、貿易に力を入れているということである。


 そうした商品を見るにつれて、シェラビーは交易路の拡大こそがナイヴァルの目指す道ではないかと思いいたった。幸いナイヴァルは鉱石資源に恵まれている。これらを使うことで、ハルメリカから大量の武具・防具などを仕入れられれば、領土拡大にも貢献できる。


(神に神殿を捧げるのも結構なことだが、神が一番お悦びになるのは、新たな信徒のいる領地を捧げられることだろうからな)


 シェラビーはそう思っていた。



 ただし、ナイヴァルでは船を作るのが大変であった。


 技術がないわけではない。技術に関しては、コルネーやホスフェと同レベルであるし、金さえあれば技術者を簡単に連れてくることができる。


 しかし、材料だけはどうにもならない。高原地帯がほとんどであるため、船を作るための木材が決定的に少なかった。


 自分の領地から近いところで木材がとれるところはないか。そう探しているうちに見つけたのが、コルネーとの国境近くにある山岳地帯であった。コルネーは国の中央も森林地帯が広がっていることもあって、木材を特別重要な資源と考えていないのであろう。北東部の山岳地帯への警戒は極めて薄い。


 かくして、シェラビーは二か月前の宗教会議で他の枢機卿に賄賂を渡して、自分の意見を通したのである。


 コルネーとの国境の一部を占領して、その地を神に捧げたいという意見を。



 シェラビーの計画では、セルキーセ村を占領した後、本格的な防衛施設の建設と並行して木材を伐採して運んでいく予定であった。おそらく数か月はかかる。そのため、今回の遠征には家族や使用人らも帯同させていた。


 もっとも、家族とはいっても、シェラビーの血族は弟のスメドア一人しかいない。あとは、正式な結婚をかわしていない恋人のシルヴィア・ファーロットと、その三人の連れ子、それだけである。



 使用人や女性も多数連れているという事実が占領してきちんとした防衛施設を作る前に知られると面倒なことになる。そのため、シェラビーにとって時々メリスフェールが好奇心溢れる行動をとることは困るところではあった。


 しかし、9歳にして、ナイヴァル国民のユマド神への奉仕がやり過ぎであると思っていること自体については素直に驚いた。


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