Eighteen Years' War

川野遥

第一部・混迷の大陸

1.ハルメリカ交易圏

第1話 セルキーセ村包囲

「大将、早めに降伏して知らんふりするのがいいんじゃないですか?」


 ボーザ・インデグレスのしわがれた低い声が響いた。


「一昨日赴任したばかりの大将なんて、相手も気にしないでしょう」


 尊重しているようであり、どこか馬鹿にしたような声。


 レファールは渋い顔で村の外を眺め渡していた。

 見渡す限りの旗、旗、旗。

 その下には緑色の貫頭衣を着たメイスを持つ兵士達がひしめきあっている。



 三日前に赴任した小村・セルキーセは、今、七千を超えるナイヴァル軍に包囲されていた。



 話は、一か月半前に遡る。


 コルネー王国の首都・コレアルに住むレファール・セグメントは国家の衛士隊に志願したが、見事に落第した。


 コルネーの衛士隊は一般の兵士よりも待遇が遥かに良い。3年勤務すれば部隊長クラスに昇格でき、そこで問題がなければ数年後には将官待遇を受けることが可能であった。もちろん、俸給もそれに伴って早い期間で上昇していく。


 レファールにとっては階級ももちろん魅力的ではあるが、実家の稼業…しがない皮なめし工人であれば十年かかる収入が一年間で得られるという、その事実の方が数倍魅力的であった。その給与があれば、家族の暮らしも楽になるし、同期の女子へのアピール材料も増える。要は衛士になるというステータスに惹かれて志願したのであった。


 無謀な挑戦ではないはずであった。レファールは体力には自信があったし、15歳の頃まで学んでいた兵学の講義で講師から「君は名軍師になれる」と言われたこともある。


 しかし、落第した。


 自信があっただけに落第はショックではあった。


 しかし、いつまでもへこたれているわけにもいかない。来年の試験こそはと息巻いていたその時、海軍大臣のフェザート・クリュゲールから呼び出しを受けたのである。


 フェザート・クリュゲールは30歳の若さで大臣まで上り詰めた期待の軍人として評判が高い。そのフェザートから直々に本部に呼び出されるということは名誉である、とレファールはその時点では思っていた。


 海軍本部というだけあって、場所はコレアル港近くにある。港の方に視線を移すと、海軍の船であろう立派な艦隊が数を並べていた。自分もああいう船の一隻でも指揮できるのだろうかと期待していたレファールであったが、実際にそこで受けた命令は。


「北東にある小村セルキーセの部隊長をしてほしい」


 というものであった。


「セルキーセ、ですか?」


 まずそんな村の名前を聞いたことがなかった。聞けば、ナイヴァル国とフォクゼーレ帝国との国境近くにあるとはいえ、奥まった山の中の村だという。人口にしても110人しかいないと言う。


 どう考えても軍事的価値があるとは思えない。完璧な僻地である。


 レファールはガッカリした。自分には上級士官になれるような才能がなく、現場の兵士として採用するのが適当と思われたと感じたのである。

 しかし。


「そういうわけではない。君の試験での成果は評価している。田舎の村というが、実際に責任者として赴任する経験は全く違う。君のように18歳の者を取り上げること自体異例だと思ってもらいたい。時間がある時には勉強してもらっても構わないし、来年、衛士隊に再度志願することも全く問題がない」


 フェザートから再三説得されたこと、また、たかが村の責任者とはいえどもそのまま皮なめし工人になるよりは倍の給与が貰えるということもあり。


「承知いたしました。頑張ります!」


 と最終的には任務を引き受けたのである。




 それで、村に着いたのであるが二日もしないうちに、見張り兼村の木こりが「ナイヴァルの方から沢山兵士が来ている」と駆け込んできた。そこで確認のために向かってみたらざっと数えても五千を遥かに超える、おそらくは七千から八千の間であろう数のナイヴァル兵の姿があった。


 そして今に至る。



 村人達の反応は、「大変なことになった!」ではなく、「ナイヴァルの連中は何を考えているんだ?」であった。


「この村には人口すら百人くらいしかいないぞ」


「何で、数千人も兵を送ってくるかさっぱり分からん」


「ナイヴァルはわしらではなく、山の熊を討伐しに来たんじゃないか?」


 改めて記するがセルキーセの人口は110人である。正規の軍訓練を積んでいる者となると8人しかいない。もちろん、木こりか猟師の経験者は多いので、110人中70人くらいは戦闘に参加することはできるが、相手はその百倍である。


 何のためにそんな大軍が必要なのか、誰も理解できない。もちろん、レファールも理解できなかった。



 そんな状況での「大将、降伏して知らんふりでいいんじゃないか」という言葉であった。



 ボーザを含め、配下達はレファールに同情的であった。もっとも、別に自分に心酔しているわけではないことをレファールはよく分かっている。彼らが自分に同情的なのは、あくまでも「この人、任務を受けて真面目にすぐに来たものだからこんな目に遭ってしまって可哀想に。もっとサボってゆっくり来ていれば難を逃れたはずなのに」というような思いを抱いているからであった。


 レファール自身にもそういう思いがないと言えば嘘になる。フェザートから受けた指示は、「今月中に出かけてくれ」だったが、少しでもいいところを見せたいという思いもあったので即日で出発してしまった。仮に三日遅れて出かけていれば、包囲された村を見て、救援を求めるしかないと近くの村や町に向かうことで助かったであろう。


 とはいえ、既に自分は村にいるという現実はどうしようもない。

 変えようのない現実を嘆くよりは、少しでも善処するべきである。


「ナイヴァル兵は数が多いが、山での移動に慣れているわけではないだろう。山頂の方に向かう形でやりすごし、難所を移動して逃げるという形で何とかするしかない」


 レファールはそう作戦を立てたが、ボーザが渋い顔をしている。


「大将。そういう作戦もありかもしれませんけれど、正直そこまでして逃げるくらいなら、降伏した方がマシだと思うのですが…」


「……そうですよ。さっさと降伏した方がいいんじゃないですか?」


 隣にいた別の兵士もボーザに賛成する意を表した。


「……降伏自体を拒否するつもりはないのだが、ナイヴァルというとユマド神絶対主義だ。反対する者は火刑に処するという話もある」


 レファールが反論すると、「そういえば……」とボーザも青くなった。


 ナイヴァルはミベルサ大陸の中でも、宗教国家という色合いが強い。その他の国の元首は皇帝、国王、統領などを名乗っているが、ナイヴァルは総主教が国の頂点にいる。

 日々の生活、刑罰に法律などは及ばず、あくまで神の教えや総主教の考えが重んじられる国家であった。

 そういう相手であるから、一般的な国際関係の解釈が通用する保証はなく、穏当な降伏が受け入れられるかどうかも未知数である。「異教徒は皆殺しにせよと神が仰せだ」と彼らが言ってしまえば、それまでである。


「逃げるという方法を選ぶと全員が生き延びるというのは不可能になる。だが、全員降伏という選択も危険ではないかと思う」


「……確かに。あいつらはこんなド田舎にこれだけの兵を差し向けてきているわけですからね。その時点で既にイカレていますから、降伏したとしても全員生贄なんて可能性もありそうです」


 そう言って、ボーザは「あー」と叫んで頭を抱えた。彼の態度を見て他の者も頭を抱える。


「……兵力については本当に気になるな」


 百倍の兵力を差し向けるというのは常識ではありえない話である。もちろん、狂信的な連中なので常識が通用しないと言うこともできるが、それでも腑に落ちない。何らかの価値がこの村にあると考える方が自然ではあった。


(相手が攻めてきた理由が分かれば、対処することもできるかもしれないが……)


 ただ、そんな情報力を人口110人の村に期待するのは現実的ではなかった。




「一昨日来た大将は海の物とも山の物とも知れない存在ではあるが、ナイヴァルの面々は神の機嫌如何で簡単に皆殺しにするような奴らだ。ここは大将の方針に従った方がいいのではないか?」


 30分後、集まってきた村人達にボーザが説明する。


 30歳のボーザはこの村に滞在すること15年のベテラン兵ということもあってか、多くの者が信用しているようである。「ボーザがそう言うのなら」というような雰囲気で、何とか逃げ出す方策を探ることになった。レファールに意見が求められる。


「繰り返しになるが、ナイヴァルの連中も山には慣れていないだろうから、山の中をくまなく調査するということはしないだろう。だから、我々は数人ずつのグループに別れて山間でビバークする。その後、相手に見つからないように下山してプロクブル方面に逃げるのがいいだろう。その際、相手が近くを通っても攻撃をしないこと。変に攻撃をすると、相手の神様が不機嫌になる可能性が高くなる」


「……」


「……どうした?」


 ボーザの表情が晴れないことに気づいて尋ねた。


「大将、山に慣れないのは大将も同じじゃないですかい?」


「……その通りだな」


「山でビバークと言いますけれど、そうそう簡単なものではないですからな。大将であっても足手まといになるなら置いていくしかないんですが」


「……ああ、覚悟している」


「そういうことなら構いませんが」


「もちろん、これは私の判断であって、君達が従う義理はない」


「大将。ここにいる連中は誰も大将に従いませんよ。参考にしているだけです」


 ボーザがニヤリと笑って言った。レファールも笑う。


「理解した」


 考えてみれば当然である。三日前に来た18歳の意見に、何年も村に住んでいる人間が無条件に従ういわれはない。軍人として勉強を積んでおり、特殊な知識があるということを認められているだけであった。


「大将は我々と来た方がいいでしょう。猟師組が四人くらいいれば、多少の寒さなら大将を優先することくらいはできる」


「……すまない」


「大将も山では新米ですから。新米を育てるのは年上の役目ですよ」


 ボーザは軽快に笑った。

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