第10話 かかさまへの贈り物

 吾子と白虎の朝のひと時が始まり、まもなく10日経とうとしていた。


 白虎はあこと会えるのが嬉しいのか、屋敷を出る時はしっぽを立てて、ゆらゆら揺らしながら暁の頃の一番寒くなる頃、水汲み場に向かっている。


 側付きの狛(はく)はここ5日程、白虎様と水汲み場に同行せずに、あこのかかさまの着物を作っていた。

 少しは華やかな装飾を入れてもいいかな、と思い、反物から着物を仕立てた後に、裾に梅の花を、袖には桜の刺繍で彩ろうと思い、毎日、日が高いうちは窓際に座り、ずっと針を運んでいる。

 白虎は狛の近くでゴロゴロと転がり、刺繍の進み具合を見ながら、今日会ったあこの様子を話すのが日課になっていた。


「あこの顔が少しだけ、まるくなっていたぞ」

 白虎は嬉しそうに報告するのだが、狛は刺繍をする手を止めることなく着物を見ながら、

「毎日、ちゃんと食事しているんですね」

 とそっけなく返答しているが、白虎は気にせずに、

「そうだろうな。そのうち背も伸びるだろうから、その時は新しく着物を作ってくれ」

「はい、白虎様」

「そうだ、その着物には我の姿を刺繍できるか?」

 その言葉にガバっと着物から顔を上げ、震える声で、

「小さな女児が着る着物の柄とは思えません……」

 と言われて白虎はしゅんとすると、

「じゃあ、いい」

 と床にカリカリと爪とぎを始め、ちらっと上目遣いに狛を見る。

(わかりやすくいじけているな)

 狛はため息をつくと、

「大きな刺繍ではなく、どこかに小さくいれるなら、大丈夫でしょう」

 白虎はその瞬間、爪とぎを止めて、にこっと笑うと、

「よろしく頼む」

 と弾んだ声で礼をいったあと、急にまじめな顔をして、

「それとあこ親子のことなのだが」

 真剣な声で話す白虎に、何があったのかと構えて、

「何でしょうか?」

 と尋ねると、

「夜間、暴力を振るわれていないか不安での。なにか番人のような者はいないかのう」

 狛は、はっとした顔をして、

「そうですよ、夜間ですよ、白虎様!」

 慌てたような声をあげたことにびっくりしてがばと身を起こすと、

「夜間に何かあったのか!?」

 と確認すると、狛は着物を床に置くと白虎の顔を見て、

「あ、なにもないんです。そうなんです、暴力ですよ、夜間、かかさまを狙っての!」

 少し早口で話す。

「あ、そうなのか、うん、そうなんだ、夜の暴力」

 白虎は驚いてとぎれとぎれに答える。その様子を横目に見ながら狛は、

「あこの暴力は今のところ、防げていると思いますが、かかさまも守ってあげないと」

 狛は、かかさまが幸せを感じていると、話したことを思い出していた。

 幸せな時間を少しでも長く感じていてほしい、そのためには村人の暴力を止めないといけない。

「この着物の刺繍が終わり完成したら届けに行ってきます。その足で村の人に話しを聞いてきます」

「頼むぞ」

 狛は白虎の顔をしっかりとみて頷く。

「それで、番人なのだが、何か心当たりはないかのう?」

「番人ですか……」

 狛は腕を組んで考え込んでしまう。この屋敷には白虎と狛しかいない。

「あこはまだ人間を怖がっていると思うので、狛を行かせるわけにはいかないしのう」

 白虎は困り果てたような声で話している。

「そうですね、人間はまだ無理ですよね?白虎様?」

 狛にそう問いかけられ、考え込むが、

「たぶんなのだが、暴力を振るわれなくなって数日しか経っていない。長年、暴力を受けてきたのだから、数日くらいで恐怖心は消えないだろう」

「ですよね……」

 白虎と狛、2人とも顔を見合わせ腕を組んで考え込んでしまう。

「なにか、こう、あこ親子に警戒されなくて、2人の拠り所となるような、そんな番人がいたらいいのだがのう」

 白虎の言葉に狛も考えるが、何も浮かばすに黄昏時をむかえていた。


 かかさまの着物を作り始めてから7日目。

 刺繍を始めてから5日程経ってかかさまに贈る着物が完成した。

 その着物を白虎に見せると、顔をほころばせていた。

「着物を着たところを見てみたいのう」

「じゃあ、家に入りますか?普通の人に見えない白虎様なら大丈夫じゃないですか?」

 狛は軽く言ってみたが、白虎は、

「おお、そうだそうだ。我の姿を見られる人間なんてあこ位だろう。あこを送り届ける時に一緒に入ればいいのだ」

 乗り気の答えが返ってきて、狛は若干顔が引きつるが、実行しないとなると、わかりやすくいじける白虎が想像できたので、ここは実行するしかない。

「……では、明日、暁の頃に待ち合わせして水汲み場に行きましょうか」

 狛は内心、軽く言ったことを後悔して、明日の待ち合わせを決めた。


 狛は夜半(よわ)に起きて、あこ親子への差し入れを決める。

(そういえば、食料を7日程差し入れしていなかったけど、大丈夫だったかな)

 そう考えながら、寒い中籠を持って屋敷の近くにある畑に出向き、食べごろのねぎとかぶをそれぞれ2本ずつ引っこ抜く。

 少し歩きみかんが実っている木に近づくと、

(1日2個位食べるかな?それなら、6個ほどもぐか)

 満月の明るい光の中で、熟れていそうなみかんをもいで籠にのせる。

(これくらいでいいかな)

 と籠を見て頷くと屋敷に入り、台所で手を洗ってから部屋に戻ると、収穫した野菜を風呂敷に包み、別の風呂敷にかかさまへの着物を包んだ。

(これで今日持っていくものは全部かな?)

 確認が終わったところで、狛は外出するために着物を着替え、上着を2枚はおり、足袋も2枚重ねに履くと、風呂敷を2つ持って、白虎様の待つ玄関へと向かった。


「白虎様お待たせしました。参りましょうか?」

 と声を掛けたが、ある1点を集中して見ていた。

 白虎様が見ている先は林のようになっていて、木と木の間に何かいて、何か光っているのが見える、としかわからない。

 白虎様は声を出すでもなく、じっと見つめていたが、相手の方が先に林の奥に消えていった。

「獣が番人でもいいが人に懐くかのう……」

 わけのわからないことを呟いているのが聞こえたが、無視して、

「さぁ、行きますよ、白虎様」

 と声を掛けてあこの待つ水汲み場に向けて歩き出した。


 今日の荷物は重くなかったので、狛はそのまま抱えるようにして白虎様の後ろを歩き、水汲み場の近くの木に到着した。

「では、白虎様」

 と言って、狛はあこの家に向かう。

 途中ですれ違ったあこは、草色の着物を着て少し明るい表情を見せていた。

(前に会った時は無表情で暗い顔をしていたのに急激に変わってきたな。それに白虎様の言う通り、少しまるくなった気がする)

 白虎様の教えもあるのだろうし、ここ数日、村人から暴力を振るわれていないこともあこの心を軽くしているのかもしれない。

(いい兆候だと思う。このまま成長してほしい)

 あこをやり過ごし、家に向かった。


 家に到着し障子の前でかかさまに一声掛けると、前のようにか細い声ではなく、声に力があるような気がする。

「失礼します」

 と障子を開けて入ると、かかさまは布団の上で上半身を起こしていた。

「体調がずいぶんといいようですね」

 と優しく話しかけると、

「はい。布団もありますし、食事も2回食べることができるようになりましたので」

 と胸の前で両手を合わせ、

「白虎様と狛様には感謝を何度言っても足りないくらいなのです。本当にありがとうございます」

 と頭を下げた。

「いえいえ、娘さんのためにも、早く元気にならないと」

 その言葉にかかさまは、少し悲し気な顔になると、

「最近は吾子と話すことが多くなりました。この子の成長を見守っていけたら幸せだろうなと思うのですが、どこまで一緒にいられるのか、とふと悲しくなってしまいます」

 狛は何も言えずに黙ってしまうと、かかさまは慌てて、

「あっ、すみません、こんな話をしてしまいまして」

「いえ。ああ、今日は約束していました、着物を持ってまいりました」

 狛は風呂敷の結び目を解くと、生成り地の着物をかかさまに見せる。

 かかさまは目を輝かせてその着物を見つめている。

「裾と袖に刺繍をいれました」

 狛は刺繍の部分をかかさまに見せる。

「これは、梅と桜でしょうか?」

「はい、これからの季節に咲く花を刺繍しました。もう少し体力が回復したら、梅を見に行きましょう」

 かかさまはその言葉に、

「両親が生きている時は梅を毎年見に行っていました」

 遠くを見つめ、その時のことを思い出しながら、

「梅の匂いをかぐと、そろそろ弥生の頃ね、と思いました」

 狛は頷きながら、

「そうですね、梅の甘い香りをかぐと寒い冬が終わる、と思いました」

 かかさまは頷きながら、

「吾子と一緒に梅を見に行けるといいのだけれど……」

 狛は、それなら、と言うと、

「梅を見に行きましょう。歩くのが無理なら、僕がおぶっていけばいいですし」

 その言葉にびっくりしたかかさまは、

「おぶってもらわずに行けるようでしたら、行きます」

 と伝えると、

「娘さんもかかさまとの初めての観梅は楽しまれると思いますよ。ぜひ、行きましょう」

 と力強く伝えると、かかさまは頷いた。

「あ、今日は白虎様がこの着物を着たところを見たいと仰っていまして、娘さんと一緒にこの家にくると思います」

 かかさまは驚きの表情を浮かべると、

「なにもおもてなしができないのですが……」

 戸惑い気味のかかさまの声に対し、狛は少しうんざりとした口調で、

「気にしないで迎えてください。昨日からぜったい見るから、と何度も念を押されて大変でした」

 と話すと、かかさまは少し笑った。

「僕は外に出ますので、その間に着替えてもらえますか?」

 と伝えると、かかさまは頷いたので、

「それでは、外に出ますね」

 と一礼して障子を開けて、外に出た。


 しばらくして、家の中からかかさまの声が聞こえた。

 失礼します、と声を掛けてから入ると、春の姫のような、華やかな雰囲気をまとったかかさまが布団の上に座っていた。

「どうでしょうか?ひさしぶりに着物を変えましたのでおかしなところはありませんか?」

 と聞かれたが、

「いえいえ、大丈夫ですよ。白虎様も喜ばれると思います」

 狛のその声にほっとした表情を見せる。

「素敵な着物をありがとうございます」

 狛は首をふり、

「そろそろ、白虎様がこられる時だと思います。白虎様との約束で、僕は娘さんと顔を合わせることができないので、今日はここで失礼しますね」

 と告げて家を出た。

 辺りを見回してみると、白虎様は家から見えるところまで近づいていたため、あこと顔を合わせないよう、急いで近くの木の幹に隠れた。

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