第3話 屋敷の管理人、狛
白虎にも言ったが、この屋敷は無駄に広くて、横に長い。
白虎が使っている部屋は1階の最奥だが、お供え物を保管している部屋は反対の最奥の部屋で歩けば10分もかかる距離にある。
(そうだ、足を保護する足袋も必要になるな)
冬場の板張りの廊下は冷たく、裸足で歩くなんて普通なら考えられない。つらつらと必要そうなものを考えながら歩いているうちに保管している部屋に到着する。
「よいしょ、っと」
滑りが悪くなっている障子を開けて中に入る。
この部屋は窓があり、外からの光が入ってきているので、蝋燭を点けずに部屋の中を移動する。
春ならば、これからの豊饒を願い、花を。
夏ならば、水が不足することがないように、食料を。
秋ならば、五穀豊穣を喜び、食料と反物を。
冬ならば、無事に新しい年を迎えることができるように、餅と食料を。
供えものをありがたくいただき、その礼に白虎はこの国を守っている。
食料の類は保存がきかないので、少しずつ食べているが、反物だけは使い道が限られてしまい、使いきれなかった反物は保管部屋に眠ったままになっている。
「まずは……」
お供えされる反物は真っ白で、色付きの反物は
「草色で夜着を作って、ああ、今は冬場だからな、別の色に染めるにしても季節が悪い」
ぶつぶつと言っている
「そういえば、背格好でどのくらいなんだ?」
長い時間をかけて3本の反物を選び、自分の部屋に戻ろうとした時にふいに疑問が湧いてくる。
反物を脇に抱え、障子を閉めると、女児の背格好を確認するために、また白虎の部屋へと歩き始めた。
「どうした?」
その声で障子を開けて、部屋のなかで横たわっている白虎にここにきた目的を告げる。
「着物を作るのに、背格好を知らないと作れないと思いまして」
「ふむ、そうだな。ならば、明日、我と一緒に女児の元に行こうぞ」
「了解しました。何時頃に出発しますか?」
「暁の頃に」
その言葉を聞いて
「仕方なかろう。あこ、と呼ばれている女児は村人に会えば暴力を振るわれるから、早めに水汲み場に向かうのだ」
「白虎様は毛皮があってうらやましいです」
「出生が選べなくて、残念だったな」
狛は皮肉も込めて言ったのだが、白虎はしれっと言うと毛づくろいを始めてしまう。
「わかりました!明日、暁に!」
翌日の暁が始まる少しまえに
冬場の暁の頃はとても寒く、できれば出かけたくないのだが、目的を果たすためなら仕方ない。
屋敷の玄関に行くと、すでに白虎は待機していた。
吐く息は白く、空を見れば、漆黒の闇がひろがっている。
「疲れたら言ってくれ。気が向けば我の背に乗せようぞ」
にや、と口の端をあげて白虎は言う。
「その気持ちだけ、受け取っておきます!」
むっ、としたが、あまりにも寒くて、口を動かしづらいのでそれだけ言い返す。
「では、行くかの」
暗闇の中1匹の白虎と、1人の人間が雪道を静かに歩き始めた。
あこ、と呼ばれる女児と会える水汲み場までは長くかからなかった。
水汲み場の近くに大きな木があったので、そこに白虎と共に隠れる。
空はまだ白み始める前で、白虎にピタリと張り付き寒さに震えながらじっと待つ。
隠れて少しすると、雪道の上を歩いてくる1人の幼女がいた。
「あれが、あこだ」
白虎の言葉に頷き、目を凝らす。
大きさは3歳児くらいだろうか?体はちょっとしたことで折れてしまうのでは、と思うほどに細く、手足も細い。
あこは、小刻みに震えながら、桶を胸の前に抱えている。
「思っていた以上にひどい状態ですね……」
今までの暴力の痕だろうか、着物から見えているひざ下にはいくつもの青あざができていて、骨に異常がないか確認をしたくなる。
しばらく見ていたが、だんだんと体を見るのが辛くなって、白虎に戻ろう、と声を掛けようとした瞬間に男性の声が聞こえる。
「白蛇様を殺した女の娘はここを使うな!」
と喚きながら、あこを蹴り上げる。
まわりの木々の合間からも村人の男性が3人ほど出てきて、殴ったり、蹴ったりしている。
あこは反撃するでもなく、体を丸めただ男性達に蹴られ続けている。
そのうちの1人があこを抱えると、水汲み場に貯めている水の中に落とす。
ぽちゃんと音がしたが、その後の音が聞こえてこない。
「白虎様!」
「
低い声で一喝され、立ち止まる。
「そのかわり、村人達の顔を覚えておけ」
白虎はそれだけ言うと木の陰からのっそりと出て、低く唸り声をあげる。
村人たちはその咆哮が聞こえたのか、ピタリと動きを止めて咆哮の元を探す。
だが、いくら探しても見つからないらしく、ずっときょろきょろとあたりを窺っている。
「これは、白虎様の声ではないのか……」
そのうちの1人がみるみると青い顔になり、ぼそ、と呟く。
他の村人達も、はっとしたのか、お互いの顔を見合わせると一目散に村へ戻っていった。
白虎は村人達の背中を見送ると
「あこを助けるぞ!」
白虎と
白虎が先に確認すると、あこは水汲み場の縁に体を半分乗せてぐったりとしている。
「あこ!」
と白虎が呼びかけるが反応がない。急ぎ
すぐに
「白虎様、呼吸はしております!」
「そうか。しかし、濡れたまま帰す訳にいかないな……」
ちらっと、狛を見る。
「ですよね、ですよね~」
狛は半分泣きそうな顔ながら、吾子に着せようと上着を1枚脱いだところで白虎に声を掛けられる。
「その前に、今の着物を脱いでからにしろ」
あわてて、帯を解き、着物を脱がせたが、体を拭く布を持っていないので、濡れている着物を固く絞り、そのままあこの体を拭く。
拭きながらもあこの体を見てみると、あちこち青あざができており、あばらも浮いて見えて、目をそむけたくなるほど、ひどい状態だった。
濡れた髪を絞り、体を拭き終えると素早く着物を着せ、冷たくなった体に体温を分け与えようと抱きかかえる。
白虎は座り込むと、あこの背中に自分の顔を押さえつけた。
空は東雲の頃を迎えたことを現し始めていた。
あこの体は少しずつ体温が戻ってきているのを狛は感じる。
「白虎様、だいぶ戻ってきたようです」
白虎はあこの背中から顔を離すと頷く。
「我の背に乗せろ」
狛は地面に伏せている白虎の背中にあこを静かに横たえる。
その上に自分の着ている上着を掛けて、白虎に少し立ち上がってもらい、あこが落ちないように白虎の体に帯で固定すると乗せたことを伝える。
「ああ、そうだ、近くに桶はないか?」
白虎に問いかけられ、あたりを見ると、水汲み場の近くにあこが持っていたと思われる桶を見つける。
「水汲み場の近くに置いてあります」
「そうか。手間をかけるが、その桶に水を入れてくれないか?」
「わかりました」
狛は白虎から離れ、水汲み場に近づくと桶を軽くゆすぎ、水をこぼさない程度まで入れると慎重に歩き白虎の元に戻る。
「汲んできました」
白虎の元に戻ると
「その桶を持ってあこの家まで行くぞ」
あこの家に向かいながら、
「白虎様、あの村人達を許すことはできません」
「我も許せないのだ。自分の守っている国で、もはや言いがかりで弱者に手を上げる人間がいることが」
白虎の沈んだ声に
「村人のこと、白蛇信仰について調べます」
「頼む」
白虎はちらっと、
狛はその家を見た時に、呆然としてしまった。
あちこち隙間だらけで、風も雨も入り放題の荒れた家だった。
白虎は呆然と立っている狛に声を掛ける。
「中に入って挨拶してくれないか?」
と言ったので頷くと、白虎は伏せる。
「ここであこと待っている」
「わかりました」
狛が障子を開けると、正面に女性が横たわっていた。
女性はあこと同じ、白い髪と肌をしていて、白虎の見立て通り、長くは生きられないだろうと感じた。
障子を開けた音なのか、隙間から入ってくる光なのかに反応して、女性は目を開く。
目の前に狛がいるのが分かると、一瞬で恐怖の表情を張り付け、叫ぼうとしているが、声がか細い。
いつまでも突っ立ているだけでは、いたずらに女性の体力を奪ってしまうと判断し、
「突然にすみません。白虎様に仕えております、狛といいます。こちらの娘さんが倒れていたので白虎様と一緒に連れてきました」
と話すと、女性は体を起こそうとして力を使いそうだったので、
「ああ、そのままで大丈夫です。その前に、この水を入れたいのですが、どこにいれればいいですか?」
と尋ねると、女性は狛の右後ろの方に視線を向ける。
狛はその視線をたどった先にある、水瓶を見つけると、近寄り、水を入れた。
横にあるかまどには火が入っていないが、鍋に残っている物を見て表情を曇らせる。
鍋の中は米の形が残っていないほどに煮込まれたかゆがあった。
(まともな食事ができないのか……)
狛は桶をかまどの上に置き、女性の元に戻る。
「今、娘さんを連れてきます」
と伝え、開け放していた障子から出ると、固定していた帯を解き、あこを狛の上着にくるませてから抱えて家に戻る。
女性の近くにあこを横たわらせると、
「それでは、帰ります。娘さんが着ていた着物はこちらでお預かりして、丈を調整してから戻します」
と伝えると、女性は、
「ありがとうございます。吾子を助けてください」
とか細い声で狛に伝えてきた。
その言葉にしっかりと頷き、頭を下げてから、家を出た。
屋敷に向かう雪道を歩きながら、
「白虎様の言うとおり、あの女性は長くないですね」
とぼそっと話す。
狛はこの数刻の間に悲しい気持ちを何度も味わった。
「女性が、あこを助けてください、って言っていました」
娘を思う母親の気持ちが伝わってきて涙が零れる。
「女性は無理でも、あこだけでも助けたいです」
白虎は静かに聞いているが、微かに頷いていたのを狛は見逃さなかった。
「あこのために、家庭教師でもなんでもやりますよ!」
狛はやる気がわいてきたが、白虎は突然立ち止まると、
「いや、最初は出るな。人間を怖がっているからな」
とくぎをさした。
「ああ、確かに」
否定できない言葉に項垂れたまま、屋敷に戻った。
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