第29話 春惜月:花咲く日々へ01

 三月。入った途端に、龍一と花は揃って座らされた。龍一に至っては「誕生日早々にどうして僕は正座させられているんだろうなあ……?」と解せぬ顔をしていて、まあそれはそうなんですよねえと花も同意せざる得ない。

 そして和座卓の向かいには、回復したてホヤホヤの植村宗一が同じく座っている。

「龍、そして花」

「あの、何この今からお説教食らう空気」

「あの、この間プリン食べたのバレましたか」

「よーし、花は明日プリン買ってきぃや」

 あっ墓穴を掘った、と思ったが、表情を見る限りそれを根に持っている様子ではない。宗一はこほんと、わざとらしく咳払いをしてから、二人に向かって話し始めた。

「三月三日、まとめて祝ったるから仕事入れるんやないぞ」

「……あれ、ひな祭りだからじゃなくて?」

 ああそういえば、昨年の三月はひな祭りに全力注いでましたよね二人とも――と思い返していたのだが、この流れはどうもよろしくない気がする。

「はーな」

 ちょっとトーンを落とした声に、呼ばれて思わず背筋がぴん、と伸びた。


「なーんで誕生日、黙っとったん? 三日やろ」


――あっ? そっち!? 

「……あー……いやそのだって、ひな祭りであんなに二人が盛り上がると思わなかったし、あれでお祝いで私はそのあの」

「別腹やろそんなん」

 別腹、とは。ここに来てまさか自分の誕生日で詰められるとは思わなかった。

 花は三月三日の生まれである。大体誕生日はひな祭りと一緒に祝われたし、ケーキとひなあられはセットで出てきたし、テーブルには桃の花が飾られていたしコンパクトなお内裏様とお雛様も、誕生日の風物詩だ。

 だから、もうひな祭りの祝いであれだけ祝われてるのだし、大体昨年と言えばまだ自分達の距離感もまだ一線引かれていた頃合いであったし、誕生日を祝ってくださいとかそういう話ができる状態ではなかった、と弁明したいところである。

「もー、花ちゃん水臭いんだよねー僕達だってお祝いする気概あるってのにさあ」

 隣で龍一もぷくっと膨れる。しかし、さくっと容赦ない突っ込みがそこで入った。

「あ、龍も同罪やぞ。誕生日一日やん」

「あ! そうなんですか!? すいませんなんか有名人の誕生日を!」

「わああん! 花ちゃんやめてぇ! 僕は! そんな大層な人間じゃないですううううう!」

 まあ普通作家の誕生日まで覚えてるのんはおらんよ、と宗一が一言添える。まあ、確かにそれはそうだ。歴史上の人物やそれこそ作家等々、興味がなければそこまで突っ込んで知ろうとはしないだろう。それは、わかる。

「まあ、そういうわけやから」

 ぴしり、とそこで宣告されたのである。


「二年分、勿論ひな祭りも合わせて祝ったるから。三日は予定空けとくんやぞ」


***


 鎌倉から江ノ島電鉄線――通称江ノ電に揺られて三十分弱。大体江ノ電の駅は藤沢や鎌倉を除き、こじんまりした駅ばかりでこの江ノ島駅も例外ではない。それでも観光地にある駅ではあるからそこそこ整えられてはいるし、駅の入口には土産物屋もある。そこから細く綺麗に整えられた道が海の方まで続いている。そちらには絢爛豪華な龍宮城のような外観の小田急電鉄、通称小田急の片瀬江ノ島駅を横目に見つつ、目指す場所が視界に入ってくる。

 海の音、そして海岸線を走る車の向こうにあるのは。


「まさか水族館のチケット渡されるとは思いませんでしたよねぇ……」


 花は手にある二枚の水族館チケットを手に、横を見上げる。

 それはそれは目をきらっきらにさせた芥川龍之介もとい植村龍一が、口を半開きにしながら水族館の独特なフォルムの建物を見上げている。まあ、気持ちはわからないでもない。生まれて初めての水族館である。しかも、彼等の時代にはなかった施設なのだから、そりゃあもう気持ちは好奇心に溢れた少年そのものだろう。

「ここに海の生き物がいるの?」

「そうですねえ」

「写真で見たみたいな、水槽に入って泳いでるところが見られるの?」

「見れますねえ」

「イルカが芸をするところも見られるって本当!?」

「あとでイルカショーも見ましょうねえ」

 もうテンションが最初から天井突き抜けている。多分端から見ると完全にデートなのだろうが、実際は保護者と子どもなので、花の心境としては甥っ子を連れてきた叔母ポジションあたりである。

「花ちゃん、早く行こう!」

「はいはい。ってか龍一さん! チケットないと入れませんよ!」

 ああ、これは本当にお母さんの心境である。ぱたぱたと走っていく後ろ姿を慌てて追いかけることとなり、花は初手で息をぜえはあ切らすこととなったのだった。


「うわぁ……!」


 大水槽を見た時の顔ったら。

 長身のしかも顔がどえらく整っている成人男性が、無邪気に水槽に張り付いている姿は、なかなかに見れるものじゃない、と思いながら花は無言でスマートフォンを構えてカメラのシャッターをぱしゃぱしゃと切り続けている。まあ、これだけ喜ばれるのなら、宗一の選択は間違っていなかったのだろう。成程、良くわかってらっしゃる。

「水族館って昭和の始めにはなかったんです?」

「なかったわけじゃないけど、今みたいに沢山あるわけじゃなかったし、あとはこういう大水槽とか技術が発達していないと出来ないものだから」

 いや、いいねすごいね、と繰り返しながら水槽を見上げている。青が揺れ光が波打つ。その中を鯵の群れが銀色を煌めかせながら泳いでいった。大きな魚達は悠々と、小さな魚達は珊瑚や岩の間をすり抜けるように、それぞれがそれぞれの生態をそのままに生きている。

「箱庭、みたいだよねえ。捕らえられ連れてこられて、この狭い世界で運命を翻弄されているのは、人間も変わりないのかもしれない」

 ぽつりと、龍一が呟く。

「まあ、そうかもしれませんね」

「……でも」

 目の前に小さなフグが小さなヒレを動かしながら賢明にガラス越しに近づいてくる。それに、小さく笑ってから。

「この箱庭みたいな世界を守って、中で暮らす命を枯らさぬようにしている存在がいるのなら、悪くはないのかもしれないのかなあ」

 天敵もそう襲ってくることはないだろうし、とまた、水槽を見上げる。自然の縮図ではあるだろうが、餌が芳醇な分小さな魚が食われることなどは、自然に比べれば少ないだろう。また、この水槽の世界を保つためには、様々な技術や努力が必要だ。ただ、見世物にしているわけではない、その生態を知ることは巡り巡って世界を守る心に繋がっていく。

「ま、例えば僕達がいるこの世界も、実はこういった神様が作り給うた箱庭だとしても、さ」

 ぽふん、と頭を軽く撫でられる。


「僕は、今度は歩いていきたいなあと思ってるよ」


 ああ、そうか。

 この人は、こう言えるようになったんだ。その事実に、過ごした時間が与えたものを感じ取る。勿論、相変わらず受け止めすぎて潰れそうになることだってあるだろう。でも、そのまま潰されない何かを得られたとしたなら、良い。その強さを以て世界を歩く彼が何を感じ、何を描くのか。考えるだけでわくわくする。

「龍一さん」

「うん?」

 それを見守れる場所にいられる僥倖を大事にしていきたい、と思うから。花は微笑を浮かべて地図をぱらり、と広げた。


「ここで、深海魚が見られますよ」

「深海!? 深海って海の底!?」

「そうですよ、海の底にはダンゴムシみたいなのや足が恐ろしく長い蟹もいるんですよお」

「ええええええ何それ! どこー!?」 

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