第30話 春惜月:花咲く日々へ02

 下ごしらえも完了した宗一が、薄手のコートを手にして出掛けた先は、鶴岡八幡宮の参道沿いにある小さなアクセサリーショップだった。ポケットの中からぽそぽそ甲高い声が聞こえてくる。

「……君は昔からそういうところがあるんだよなあ」

「何か言うたか」

「いや別に何でもないよ!」

 桜貝を特殊な加工でアクセサリーにしているというこの店では、優しい色合いのアクセサリーが多岐にわたって揃っている。その中でブレスレットを手に取った。深い紅のサテンリボンと太めのゴールドのチェーン、更にそこに桜貝がふたつ揺れている。

「何で桜貝なんだい?」

 小さな声で菊池の声が問いかけた。最近はたまにふらっと現れるこのゴムまりフェアリーは、時折家の中にぽん、と現れるようになった。まあ、家の住人に正体がバレているのであれば別にコソコソする必要もない。まあ、宗一からしたら龍一も花も対して動じなかったという話が驚いたものだが、まあこの男だしな……と妙に納得してしまうところはある。こんな姿で現れても、まあ菊池だし、で終わらせてしまえるのは天性のなんちゃらの賜物だろう。菊池は、姿に拘らず懐に入れた者の為に駆けつけるような、そんな奴なのだ。物好き、ともいうが。

 その菊池が、ポケットの中で問いかけてる。君の女性へのプレゼントのセンスが良いのはわかっているけどね、と続けられておだてても何も出んぞ、と苦笑いしてしまう。

「龍――芥川が、桜貝を花にあげたんや。でも、あれやと持って歩いたり出来んし、なら身につけられるやつをと思ってな」

 彼が、命日の波を乗り越えて持ってきた手土産でもある、あの桜貝を花は大事に持っているだろう。そういう子であることを龍一もそして宗一も理解している。そういう子だからこそ、何か残せるものをと思うのだ。

 訪れる別れを、寂しいものにしないように。その為に、何が出来るのかと、ここのところずっと考えていた。

「君が、優しい男なのは、僕も芥川も良く知っているよ」

 ポケットの中でこぼれた言葉は優しい響きがした。

「……おだてても何も出えへんぞ」

 返す言葉は照れ隠しの色をしていた。


 その足で向かったのは、銭洗弁天方面にある小さな道にある、こじんまりとした文具店だ。入れば静かな空気の中に拘りで揃えられたであろう様々な雑貨や文房具が並んでいる。そこの一角にある万年筆のコーナーへと向かうと、暫しどれにしようかと悩む。

「昨年もペンはやったんやけど、間に合わせやったしな」

 別に焦らなくても良い。自分の贈り物は彼の手元には残ることがないだろう。転生先に持っていくことはほぼほぼ不可能だからだ。それでも、渡したいと思うのは自己満足なのかもしれないが。

 宗一の手が鮮やかな青色の万年筆を手に取った。海の色を重ねたようなそれは、あの男に似合う気がして。

「これにしよか」

「あいつが好きそうだね」

「せやな」

 焦らなくていい。書きたい時に書けばいい。でも書きたくなった時に書くものがなければ困るだろう。手元に残るその時まで、彼の傍で待てば良い。

「青い鳥、といったところかな」

 菊池が楽しげにそう呟いた。ああ、そうかもしれない。

 幸せなんて案外すぐ近くにあるもんだ。あの男が、そう笑って言えるようにと願う。

 出来ればそれを傍で見届けられたらいい、とも。

「道連れにされたんや、少しは役得くらいは欲しいやろ」

「まあ、そりゃあね」

 レジで綺麗に包装された小さな箱を手に、小さく笑う宗一の表情はどこか穏やかで。それにポケットの中で安堵の吐息が吐かれたことを、本人は知る由もない。


***


 夕焼けの色が空を染め、少しずつ夜の色が満ち始めていく、そんな頃合い。

 からから、と玄関の戸が開く音が聞こえて「ただいま!」の声がふたつ響いた。

「ねえ! 宗聞いてよ! イルカが芸をするんだよ! すっごく跳ねるんだ! 水しぶきもすごいんだよ!」

「宗一さん、龍一さんが小学生男子なんですよ! ダイオウグソクムシの水槽から離れなくて大変でした! あれにはイルカしか勝てなかったですよお!」

「後で、順番に話しぃ。一気に喋られても聖徳太子やあらへんし、わからんわ」

 冷静にいなされ、むむうと膨れたものの、居間の和座卓の上に並べられたご馳走を見て、揃って「うわぁ」と声が上がる。手を洗ってうがいして来ぃや、と促しつつ、小皿やグラスを持ってこようと台所へ戻ろうとすると、今晩和、という声が聞こえてきた。

「おお、斎藤」

「お呼ばれされました。いいんです? 私もご相伴に預かって」

「ええよ。世話になっとるしな」

 有難うございます、と軽く頭を下げると彼の真っ直ぐな黒髪がさらり、と頬を撫でて落ちた。彼にも世話をかけたのは事実であるし、一年の礼も兼ねた招待である。斎藤もまた、和座卓の上を見て、おお、と簡単の声を上げた。

「成程総決算のようなものですね」

「どうだかな」

 まあ、今までも手を抜くつもりはなかったが、本日は祝いの席で一際力が入ったのは否定しない。

 メインのちらし寿司は昨年は王道であったが今年は洋風に仕上げた。ツナ缶は油を切り、細かくほぐし、パプリカは一センチほどの角切りにしてからレンジで熱を入れて水気を切る。添えるクリームチーズ、アボカドもパプリカと同じく一センチほどの角切りにし、用意しておく。炊きたてのご飯には酢や醤油、塩で作った合わせ酢を混ぜ、ツナやパプリカを更にざっくりと加えてボウルの中に敷き詰める。それをぽん、と大皿に出せばドーム型になり、そこへスモークサーモンや切ったクリームチーズやアボガドを飾り付ける。ケーキのように見える華やかなものとなった。

 はまぐりは、菜の花と一緒にクリーム煮にしているし、細かいあられを衣にして唐揚げも作っている。また、デザートにはいちご大福を用意した。こちらは龍一が店番をしている懐古洞の奥さんにこっそり聞いた、とっておきの和菓子屋で買ってきたものだ。

 そこに苺を煮詰めたシロップと、炭酸を合わせたドリングをグラスに注いで添える。

「これは喜ばれるでしょうねえ」

「だとええんやけどな。鰻は旬やないし堪忍してくれへんか」

「いえいえ、鰻は又の機会にでも付き合って頂きましょうかね」

 又の機会、とはいつのことやら。まあ、そのうちな。そう笑って返すに留めておくことにした。


「はい! お土産だよ」

「私からはこれです!」

 食卓を囲んで早々、宗一の目の前にどん、と大きな包みが二つ差し出される。いや、でかい。でかいやろ、と突っ込みたいが本人達は本気の眼差しなので、ふざけて選んできたわけでもないらしい。

「お、おう、何や何や」

 それらを自分の座っている座布団の横に置く。そしてまずは1つ目の包みを開けるとぬっと丸いクッションのようなものが出てきた。

「お昼寝用にいいなって思って。クラゲの特大ぬいぐるみです」

「クラゲでかいな……?」

 刺されたら即死しそうではあるが、ぬいぐるみに毒針が仕込まれているわけもない。ふわっふわに柔らかく、ほかほか暖かい昼下がりに転がったら数秒で寝落ちそうだ。

 そしてもう一つの包みはそれよりは少し小さめではある。がさり、と包装紙を広げると、そこには見たことのない異形のぬいぐるみが出現した。暫し、無言になるのは許されたい。

「ダンゴムシ……?」

「深海の掃除屋って言われてるダイオウグソクムシだよ! 可愛いでしょ!」

 龍一に元気良く、どことなく得意げに言われて、真顔になってしまう。誰だこの生き物ぬいぐるみにした奴。どこをどう見てもダンゴムシなのだが、まあつぶらな目は可愛いと言えなくもない。何で土産にこれを選んだのかは全くわからないが、まあふざけて選んだわけでもなさそうなので「お、おう……」と軽くたじろぎながらも貰うことにした。

「まあ、食べや」

「本当すっごいね、宗の本気だ」

「まあざっとこんなもんやろ」

 ここは得意満面になっていいところだ。と思いながらそう返してから、宗一はグラスを手にした。

「ほれ、乾杯しよか。誕生日おめでとうさん、ふたりとも」

「はい! 有難うございます! 龍一さんおめでとうございます!」

「うん有難うね。そして花ちゃんおめでとう」

 かんぱぁい、とグラスが四つ、軽やかな音を重ねて奏でた。宴は、これからだ。

 賑やかに食べるふたりを見て、目を細めて眺めていると、ぴょん、と肩で丸いものが跳ねた。

「直木! 僕の分はないのかい!?」

「食えるんかその身体で」

「食べるよ!」

 ……何処に口があるのか、とは聞いてはいけないのだろう。実は声だってどこから出ているかも定かではないのだ。

「まあ、ええか」

 考えても無駄なものは、早々に考えるのをやめるに限る。宗一は薬味用の小皿にそっとちらし寿司を持ってやることにしたのだった。


***


 皿の上の料理が綺麗にそれぞれの腹の中に収まった頃。

「花、龍、ちょおこっち来い」

 手招きをして、それぞれラッピングされた小さな箱を手渡す。

「まあ、誕生日やしな」

 そう言えば二人揃ってぱあっと笑みの大輪が花開く。全く以てわかりやすい。

 開けていい? と尋ねられたので頷けば同時に包装紙に手が掛かる。随分丁寧に開かれた後で、それぞれが中に入っていたものを手に取ると、揃って又目をきらっきらに輝かせながら、同時に此方をばっと見られた。

「宗一さん! これすっごく可愛い! 有難うございます!」

「宗! すごく書きやすそう! かっこいい! 有難う大事にする!」

 このふたり、血が繋がっているんじゃないだろうかというくらい、時々似たような反応を示すのがまあ、面白いというか可愛いというか。

 ともあれ、喜んで貰えたようで良かった。それが表情にそのまま出てしまったのだろう。ぱちり、と二人と視線がかち合った。そして揃って何かそわそわしだす。

「いや、宗一さんその顔は駄目ですよ、他でしたら確実に誤解を受けちゃいますよ……」

「花ちゃんの言うとおりだよ、宗……人たらしの才能が如何なく発揮されてるんだけど……」

「何やねん人の顔ヤバいみたいに言うのやめや」

 随分と劇物扱いされたものである。それに関しては特に龍一には言われたくないとは思うが、花と「ね!」「ねー!」と完全棚上げにして言い合っているので放置することにした。 

 まあ、こんな優しい日々にも終わりは来る。

 それでも、嘆いて過ごすのは勿体ないと思うのだ。決して、何もなかった出会いではない。何もなかった再会ではない。最後までしっかりと、彼等と過ごそうと決める。


「まあ、それでも最後は少しくらい、泣いてまうかもなあ」


 小さな呟きは二人には届かない。それで、いい。

「さて、冷蔵庫に実は苺のゼリーがあるんやけど、食えるか?」

 振り返って問いかける。一瞬の沈黙の後、元気な声で「食べる!」の声が家の中で重なったのであった。


***


 日常は、何が先に待っていても堰き止められることもなく、流れていく。

 限りある普段どおりに、朝食を作り皆で食べ、そしてそれぞれの時間を過ごしつつも、寄り添い生きていく。

「いってきまーす!」

「ちゃんと龍と待ち合わせの約束はしたんか?」

「したよー! 花ちゃん気をつけていってらっしゃーい!」

「はい、いってきます!」

 慌ただしく花が出ていくのを見送る。その横で、龍一が身支度を始めるのを眺めていると、玄関の戸がかたん、となった気がした。

 来客か? そう思って出ていくと見た顔がそこにある。

「斎藤?」

 しかし、その背後にもうひとりいるのを察した。首を傾げた宗一の背後から、にゅっと龍一も様子を伺う。

「どうしたの、斎藤さん。後ろの方は?」

「ああ、いやその。お二方にお会いしたいと仰るのでお連れしました」

 斎藤の歯切れの悪い返答の直後、後ろからすっと現れたのは、何処かで見た老人である。記憶を辿り、思い出そうとして。その目の前で人の良さそうな笑みを浮かべて、彼はゆっくりと頭を下げた。


「初めてお目に――そちらの方には二回ばかりお会いしましたかな」


 瞬間、ぱちり、と脳裏に鮮やかに蘇った。

 どちらも薄ら闇の中であったし、二回目に至っては意識が朦朧としかけていた時であったから、顔など覚えている筈もなかったのだが、それでも確かに初めてではない感覚はあった。

 それに。

 それでなくとも、この人は、似ている。

 宗一が思い当たったのと同時に、穏やかに彼は言葉を紡ぐ。


「――うちの孫が、大層世話になりましたな」

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