第22話 梅見月:生まれし、求めし、消えし02


 白い息を吐きながらがらり、と戸を開ける。顔を出したのは斎藤で、荷物を抱えた龍一と花を見て、しい、と指に唇を当てて微笑する。ふたりで小首を傾げつつそっと覗くと、その理由は一目瞭然だった。

 居間の手前の部屋は、普段は龍一や宗一の寝床となっている。雑魚寝で転がっているのだが、その畳の上に長い身体を丸めて宗一がすうすう寝息を立てていた。

「眠そうだったので、私もいますし少し寝たらいいですよと勧めたんですよ」

「わかりました、私達も静かにお料理しますね」

「それにしても猫みたいだね」

 ね、と笑い合ってそうっと忍び足で二人は台所へ向かう。そしてどさどさと買い物袋をテーブルに乗せると、花が予め買い物にも持参していたタブレットを用意する。先刻ふたりで何を作ろうかと考えながら買い物をしていたのだ。

 とは言え事前に居間で話すと宗一にもれなく筒抜けになるわけで、結果出た後で喫茶店に籠もって作戦会議をしてから、買い出しに臨んだわけである。

「上手く出来るといいなあ」

「二人で頑張りましょ、宗一さんの誕生日ですしね」

 そう言いながら、花が手早く冷蔵庫から瓶詰めの鮭や昆布を取り出していた。更に漬物タッパーが置いてあるうちのひとつをぱかりと開けると、小皿に梅干しをいくつか乗せ始めた。

「その前に、腹が減っては戦はできぬ、ですよ龍一さん」

「確かにお昼まだだものね、お腹空いてきちゃった」

 花は手際よくおにぎりを握り始める。それを見ながら、龍一は引き出しから顆粒だしの袋を取り出した。宗一はまだ眠っているから、起きてから作ってやればいいだろう。汁茶碗を並べてだしをパラパラと入れていく。その後で冷蔵庫から味噌を取り出して匙一杯分を椀の中に落としていく。あとはお湯を入れてあおさをちぎって入れれば簡単な味噌汁の完成だ。

「あれ、龍一さんそういうの出来たんですねえ」

「うん、真夜中に起きた時に宗が作ってくれたの見てたから」

 おにぎりを作り終わった花が、こちらを見て驚いた表情をしたので、内心得意げにそう説明すると、目の前でぷくっと可愛らしいふぐが出現した。

「お手軽で美味しいやつだ! 何で起こしてくれなかったんですか!」

「ええええそれで起こすの怒られるやつじゃない!?」

「美味しいとわかってるものは起こしてほしいですもん!」

 不条理ではないだろうか、この怒られ方は。とは思うものの、自分とて花と同じならば同じように言いそうだな、と思い直した。


 真夜中、目を覚ますと隣で寝ていた筈の男も何故か起きる。雑魚寝をしていれば、確かに目を覚ます状況ではあるのかもしれないが、眠そうに目をこすりながら龍一を見て、あふ、と小さなあくびをしてから尋ねられるのだ。

『何や、腹でも減ったんか』

 今思えば、夏までの間に限ってはその声掛けは龍一を慮っていたのだろう。沈まないように、でも気を遣わせないように。そういう心の機微に聡く、そして自然に手を伸ばせるのだ。植村宗一という男は。

 こくりと頷くと、宗一は無言で立ち上がって暗い台所へと向かう。最初の頃は鴨居に鈍い音を立てて頭をぶつけていた。それでも痛ァ、と小さく呻くだけに留めて電気をつけると冷蔵庫を開けて中から何かしらを取り出してさくさく作ってくるのだ。例えばそれはしらすの丼だったり、春雨のスープだったり、レンジで作るお手軽な茶碗蒸しだったり。多分花が知らないものの方が多いだろうから、この辺りは口をチャックするとして。

 そうやって、彼は自然に傍にいてくれたのだ。

 昔も、傍にいれば自然体で話せる、そんな存在だった。何となく考えていることもお互いにわかっていたから、遣り取りが心地よかった。昔と今、違うのは彼が常に傍にいるかいないか、くらいではないだろうか。あの頃はそれぞれの人間関係や、またそれぞれの境遇や、波乱に満ちた人生の岐路も多かった。別にそれは自然なことなので、とやかく言うところではない。寧ろそれすらも自分達らしいだろう。なるがままに、自然に向かい合える相手だからこそ。自然の距離に任せて付き合ってきたのだ。

 それは今だって、変わることはない。

 変わらずに、傍にいれば彼は躊躇いなく手を伸ばして掴んでくれた。自然に、当たり前のように迎えに来てくれた。


 だから。

 次は、自分が彼を迎えに行く番なのだ。自然に、さも当たり前、といわんばかりに。


「おにぎりと味噌汁とお新香、王道の組み合わせですよね」

「勝てるね」

「何にですか何に」

 笑いながら、花が盆におにぎりやお味噌汁を乗せて運んでいく。それを見送りながら、龍一は洗い場を先に片付けることにした。今度は誕生日の為にご馳走を作るのだから、片付けてあった方が良いに違いない。

 そこで、ふと隅にあるごみ箱が視界に入った。燃えないゴミ用の傍に何かが落ちていた。恐らく、放り込んだは良いが入らずに横に落ちた、というところか。

「ったく、ものぐさに投げ入れるから」

 人のことは全く言えない、と自分に心のなかで突っ込みながらそれを拾い上げる。

 薬のパッケージのようであった。錠剤のそれに、ふ、と何かが引っかかる。これは、確か。

「……ちん、つうざい?」

 頭痛薬、という言葉が頭をよぎった。まさか、これは。


「龍一さーん! 宗一さん起きたんで、お味噌汁追加出来ますー?」


 花の声が、意識を現実に引き戻す。

 はぁい! と慌てて返事をしてから、それをポケットに雑に突っ込んだ。これだけでは決めつけられない。だが、考えればもうその足音は彼に聞こえていてもおかしくないのは、わかっていたことだ。

――さて、どうしようか。

 龍一は考えながらも、もう一つ漆器椀を棚から出した。

 腹が減っては戦は出来ぬ、のだ。確かに。

 

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