第23話 梅見月:生まれし、求めし、消えし03

 眠気が抜けないせいか、頭がぼんやりする。

 ただそれらも夕方の賑やかさに薄められていく。まだ、まだ大丈夫だと自分に確認を繰り返しながら、宗一は和座卓に並べられた料理に驚かされることとなった。

 鮮やかな野菜のスティックに添えられているのは味噌とサーモンクリーム二種類のディップで、簡単ながらもひと手間加えている一品が最初に置かれ、次に置かれたのはしらすと粉チーズが掛けられた葉物のサラダだ。オリーブオイルと塩、粗挽きの黒胡椒というシンプルな味はしらすとチーズの風味と合わさってこそのものである。

「先にどんどん食べちゃって下さいね!」

「いや、何か手伝」

「主役は座ってて! 僕達が動く日なんだから!」

 せめて運ぶくらいはと思ったのだが、即座に再び座らされることとなった。いつも台所を行き来しているのは自分なので、どうも収まりが悪い。横でくすくすと斎藤が楽しそうに笑っているので軽く睨むと「いいじゃないですか」とにこやかに返された。面白がられている、完全に。

 そんな宗一の心境を置いてきぼりに、目の前にはどんどんと料理が並べられていく。

「これは、カレーか?」

「皆でわいわい食べられるものがいいなって思って」

 花が運んできたのは鶏の挽肉を使ったキーマカレーにナンが添えられている。流石にナンは市販のものではあるが、手にとって食べやすいサイズのものを選んでいるようだ。その横にはみじん切りのゆで卵も小皿に盛ってあり、一緒に挟んで食べられるようになっている。更に横には海老を使ったトマトクリームパスタが置かれる。ふわりと香るトマトの香りがクリームのまろやかな香りに包まれて食欲をそそるものだ。

 更にコンソメのスープにはカラフルな野菜が入っていて目にも楽しめるし、そこへ蜂蜜レモンのソーダのグラスが添えられると、じゃあ乾杯しようか、と龍一がグラスを持った。

「まあ、今日くらいは素直に祝われてよ。宗、お誕生日おめでと」

「去年の分も祝いますからね! 覚悟してくださいね!」

「……だそうですよ? 良かったですね」

「斎藤は黙っとれ――まあ、でも」

 こういう席は非常に慣れない。端的に言えば、恥ずかしい。しかし、彼等の気持ちは伝わる。

 ここは、とてもあたたかい。


「ありがとうな」


 ぽそりと告げた言葉に、龍一と花の表情がぱあっと笑みが咲いた。

 かんぱーい! という元気な声に、思わず自分の口元が緩んだ。これは、参った。こんなに祝われてしまっては。


――絆されて、弱なってしまいそうやな。


 意地を通そうと思っていた。だから、弱いところは見せないでおこうと思った。彼等に変な気遣いをされるのは、自分が心苦しかったからだ。

 身体が悲鳴を上げていた、痛みに軋む中、周りにいた者達は耐えきれずに皆居なくなった。身体を揉んでもらわねばすぐに痛みに固くなり、また襲い来る頭痛は苛立ちとなって近くのものに投げつけられた。そりゃあ、誰でも居なくなる。どこかでそれは当たり前だと笑う冷静な自分がいた。

 それでも数名の友や仲間達が傍にいた。最後に想うことも、出来た。しかし、その記憶はやはり痛みによってかき消されていく。皮肉なことに独りが嫌な男は自らの記憶にいた者達を病により消されていったのである。沈む意識は、やがて何も感じ取れなくなっていく。

 最後は、独りだ。誰も、この手には残らない。

 ぷつん、と切れた何かは命の終焉だと、思った。


 だから、命日の、自分が一番弱るとしたら痛みよりも何よりも『記憶』に影響が及ぶだろう。


 日に日に増していく頭の痛みは、薬で抑えきれないところまで来ている。まだ大丈夫、大丈夫だと言い聞かせて、彼等の傍にいる。間際になったらどうしようか、という迷いもある。どんな姿を晒すのか、今を以てしてもまだ、宗一本人には想像しきれないところがあった。

 ただ。

 失うのは嫌だとは、思った。

 この二人がくれた一年の、短い時間ではあるけども。

 悪くはなかった、記憶を。


「……サラダ美味いな」

 しらすとチーズのサラダを味わいながらそう呟くと、隣でぐりん、と龍一が興奮気味にこちらを見た。

「本当!? それ僕が作ったんだ! 褒めて!」

 幼児か。犬か。めちゃめちゃ褒めてもらうのを待っている。本当にこの男は、とんでもなく無邪気だと苦笑いしてしまう。その横で、龍一さーん、と花が真顔で突っ込みを入れた。

「野菜ちぎってただけじゃないですか」

「まあ大体花さんですよね」

 斎藤も容赦ない。ひ、ひどい! と泣き崩れる龍一にやれやれ、と溜息をひとつ。この手のかかる、人を巻き込みがちな友は、今や自分とは運命共同体、とも言えるだろう。尤も、奈落の底まで道連れにするつもりもないが。

 宗一の手がぽんぽん、と柔いふわふわな髪を撫でる。

「ま、お前にしちゃあ頑張ったんやないか」

 そう告げた声が、妙に柔らかくで自分でも笑ってしまいそうになる。

「だよね! 宗はわかってくれるって信じてた!」

 嬉しそうにはしゃぐ顔を横目に、また一口。

 全く、本当に。この場所はこんなにも自分にとって居心地の良い場所になってしまった。 

 

 欲が出る。


 失いたくは、ない。


***


 その日は、二月にしては温暖で、梅の花も一気に綻び出していた。

 花もばたばたと仕事へと行く支度をしている最中、花、と呼ぶ声がする。

「宗一さん、どうしたんです?」

「あー、今日何にしよか思て」

 どうやら夕飯の献立を考えていたらしい。

 ここのところ、日が近づいているのもあって、なるべく宗一の傍にいようとふたりで決めていた。だから頭の中で冷蔵庫にあるものを必死に思い出して花は何とか、買い物に行かずに済むメニューを捻り出す。

「親子丼が良いです!」

「ああ、なら家にあるもんで出来るやん」

「ですね! ほら、ちょっとご馳走も作ったし、節約も必要かなって」

 そう笑うと、ああせやな、と微かに唇を綻ばし小さく笑う。誕生日祝いに張り切りすぎたのは、宗一も理解していて、恐らく仕方のない二人だくらいには思われているのだろう。

「あと! 今日はバレンタインデーですし! チョコも夜食べましょうね! 作ってあるんで!」

 力いっぱい、そこは主張しておく。今年は三人で珈琲や紅茶を片手にチョコを片手に食後のひとときを楽しもうと決めていたのだ。もう作っているところは見られているので隠しようもなく、開き直ることにした。

「斎藤さんも呼んであるんで!」

「あいつも呼んだんかい」

「まあお世話になってますからね。美味しいものは皆で食べたほうが美味しいですし?」

 そう言えば、くすくす笑ってせやな、と返される。穏やかな顔をするようになった、と花は少しだけくすぐったい気持ちになりながらすっくと立ち上がった。

「じゃあ、行ってきますね! 今日は買い物出なくていいですからね、足りないものは買ってきますし!」

 心配されているのをわかっているのだろう。ひらひら、と小さく手を振られた。

「龍一とちゃんと待ち合わせして帰ってくるんやぞ」

「はーい!」

 行ってきます! と慌ただしく花は玄関まで小走りで向かった。

「いってきまーす!」

 それに、奥から応える声が、聞こえる。


「おお、気をつけて行って来ぃや」


 それが。

 宗一の声を聞いた一番、新しい記憶になる。

 

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