第12話 師走:フライング・サンタクロース02

 年末は、誰しも忙しい。

 花も例外ではなく、ばたばたと身支度をしながら台所へ向かって声を掛けた。

「すいません宗一さん! 今日もちょっと遅くなりますー!」

「龍一にも言うとき! 近所真っ暗になるんやから!」

「はーい!」

 まるで母親への報告のようだ、と思いながらコートを手に取り、玄関の上がり框に腰を掛ける。スニーカーを履こうとしたところで、上から長く、もふもふした何かが花の顔に落とされる。

 ひよこ色の……マフラーだ。

 見上げれば腕組みした宗一が、じいっと見下ろしている。圧はあるが、前髪を留めているうさちゃんピンのお陰で随分緩和されているように感じる。無理矢理にでも押し付けた甲斐があるというものだ。

「今日寒なる言うてたし、巻きや」

「……おかあさん……」

「んあ? 何か言うたか?」

「ナンデモナイデス」

 心配性なのでは、と思わないでもない。花はこれでも成人女性だ。大人としての行動は出来る。が、やはり心配性が二人も揃うと意固地になって断るのも骨が折れる。だから、ある程度は甘えることにした。夜道、街灯の少ない場所では心強いのは確かにそう、なのだ。

 いってきまぁす! マフラーをくるっと巻いて、花は弾丸のように飛び出していく。見送る宗一の様子をちらり、と見てから、一気に駆け出していった。


 花が勤めるカフェまでの道の途中に、古本屋とは気付かれにくい外観の『懐古洞』はある。店頭には数多の骨董品が並んでいるが、その間に間に古本が詰められた本棚もささやかに置かれている。店内に入れば本来の古本屋としての本領発揮とばかりに、天井まで届く本棚の上から下までみっしりと古の本達が収められているというわけだ。

「あ、花ちゃん」

 その店の奥にあるレジ横のテーブル席に茶菓子と湯呑をお供に店番しているのが植村龍一――またの名を芥川龍之介という――である。お試し転生という稀有な体験中の彼は、様々な縁の元、古本屋の夫婦に気に入られて以来、こうやって店番を引き受けるようになった。普段そこに座っている筈の奥方様は聞けば買い物に出かけているという。

「今日もクリスマスケーキの予約整理と、試作で遅くなります」

「ああ、そっか。じゃあ、今日はお店まで迎えに行くね」

 それだけ告げれば、全て納得した様子で頷かれる。過保護なのは宗一だけではない。この、湧いたように現れた『遠縁の親戚』達は「年頃の男女が同居するなんて!」といった類の言葉を粉砕する勢いで、娘並み、いや孫娘並に甘やかしてくるのだ。色気など介在しない代わりに甘やかしが天井知らず、というところか。

「別に毎回お迎えしなくてもいいんですよ?」

 そうは時折言ってみるものの、今回もにっこりと通常の女子なら即落ちレベルの天使の笑顔で決まった答えが返される。

「年頃の女の子が夜道を一人で歩くなんて、鴨が葱背負って空腹の猛獣達の居住地を練り歩くようなもんだからね。だーめ、だよ?」

 猛獣達も美味い不味いくらいは選ぶとは思うが、そう反論したところで空腹の前には美味いも不味いもないんだよ、と返されるのは明白だったので、花はむむう、とそこで黙ることにした。

「それに年末年始は皆殺気立ってるからね。特に夜の独り歩きはお勧めできないな」

「……はーい。じゃあお言葉に甘えますね。行ってきます」

 そう言ってくるりと方向転換しようとしたところで、くん、とマフラーを引っ張られる。


「花ちゃん、宗の様子はどうだった?」


 そう問われ、ああ、と記憶を巡らせる。相応に注意して見ている、が。

「まあ、普段どおりでしたよね」

「だあよねえええ」

 二人で苦笑いしながら、今度は本当に花は店を出るべく、背中を向けたのであった。

  

 花や龍一が危惧しているのは、来年の二月。直木三十五の命日――南国忌だ。


 それまでには時間はまだまだあるものの、夏の一件を思うと簡単にやり過ごすのは難しいだろう。

 お試し転生、というのはあくまで『お試し』であって、実際に転生を果たした者達と違い、魂の定着が不安定だというのは花も聞いていた。だからこそ、命日という『死』が一番近い時期は魂自体が揺れ動き、引き摺られやすい。

 直木三十五――宗一の場合、この本来ならば不安定な時期が花と出会って一緒に暮らすようになって間もない頃合いで、状況的に引っ張られてる場合でなかったこと、そも生きるということ自体には否定的でなかったこともあり、命日をするりと越えてしまっていた。だから、初めて斎藤から命日への危惧を聞かされた時には「直木さんにはそう影響はないだろう」と言われていたくらいなのだ。

 だが。

 何の悪戯なのか、一年と言われていた滞在が三月頃まで延ばされた――その状況下、二度目はそう簡単には越えられないだろう、というのが龍一との共通認識である。

 恐らく宗一のことだから事前に対策を練ろうとするに違いない、ということだ。延長された滞在期限を考えれば尚更、今度は自分の番だと下準備をするのではないか。ここまでなら、心配する必要はそうないようには思われる。

 問題は、その死因と、それから派生するとある不安要素だ。そして更にそこに重ねられるのが、宗一の『性格』である。


 死因は結核性脳膜炎。

 あの時代、注目されていた文豪でもあった直木は、随時その病状を記事にされていた。その臨終の際までも、担当医師によって記録されていたものが掲載されていたくらいである。当時の状況を伝える文面は、生々しい。だからこそ、状況もある程度は察することが可能なのだ。

 脳への病。それは記憶障害をも引き起こすのは、病状の詳細を調べる前から予想は出来ていた。

 今の宗一にいつまで『直木三十五の記憶』が残っているのか、で命日へ向けての不安の度合いは変化する。

 更にもっと言えば、影響が出ていたとして。宗一がそれを表に出す性格ではない、ということだ。感情表現がどちらかと言えば沈黙しがちではある彼が、その苦悩を出すか隠すか、と言えば、花もそして龍一も『隠す』と答えるだろう。実際そうなのだろう、とも思う。

 夏以降、花は直木三十五の作品や随筆を文面に起こし寄稿しようと、こっそり活動していた。こっそり、とは言うものの、本人にのみにではあるが。芥川龍之介の作品は相応に残っているし、何なら通常の本屋にも並んでいる。しかし、直木の場合はその作品数は圧倒的に少なく、研究も進んでいない状況であった。埋もれている作品は数しれず、というのは何も直木一人に限った話ではない。油断していれば、あっという間に時代の波に飲まれて海底にに沈むがごとく、である。それを、見て見ぬ振りなど出来るわけがない。何の因果か、直木の随筆集を引当てた上に当人達が身近にいるという摩訶不思議な状況下であれば、尚更だ。

 花が、その不安を龍一に指摘したのは九月に入って間もない頃合いだったろうか。そして、龍一もこっそりと彼の作品がまとめられた本を読むようになった。

 こうやって、花達もまた、事前に備えるようになったわけだ。かといって、自分達がその時までに何が出来るか、といえば限られるだろう。相手はあの、直木三十五だ。

――もう少し、素直に弱音吐いてくれるくらいが丁度いいんだけどなあ。

――宗一さんのことだから、そう簡単には吐いてくれないんだろうけど。

 それでも、少しでも早く伝えてくれればいい。

 その為には、自分達も心構えをしていなければ、と思うのだ。


「……もう、家族なんだしね」


 彼らが、自分を大事にしてくれるように。また、花も彼らを大事にしたい、と強い想いがある。

 様々な考えを巡らせながら、足は、現実に向かって駆け出していく。

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