第13話 聖女の戦い(前半)

 メルディア神聖教。

 それは女神メルディアを最高神として崇める、世界最大の宗教だ。


 結婚式や葬式はメルディア神聖教の教会でやるのが当たり前だし、日々のちょっとしたお祈りやおまじないも女神メルディアに捧げる。

 人々と密接に結びついており、意識せずとも生活の一部に溶け込んでいる。


 また権力との結びつきも強い。

 ほとんど全ての国王は、女神メルディアの代理人として国を治めている。

 だから国王といえど、簡単にはメルディア神聖教には逆らえない。

 破門にされたら、国を治める正当性が消えてしまうのだ。


 過去、自分の力を過信してメルディア神聖教に逆らい、破門にされた王が何人かいた。

 最初のうちは「破門がなんだ。この国は自分のものだ」と息巻いていた彼らも、家臣たちの信頼を失ったと気づくと動揺する。国民が反乱を起こしたり、他国へ逃げたりするようになると目に見えて国力が低下し、うろたえる。

 結局は「破門を解いて欲しい」とメルディア神聖教に頭を下げるしかない。


 頭を下げることなく、最後まで抵抗を続ける国王は、不幸な結末を迎える。

 メルディア神聖教が、世界最大の戦力を保有しているからだ。

 神より授かった『身体強化の奇跡』を身に宿す、パラディン。

 それに加えて『第二の奇跡』をも得た、聖女。

 パラディンと聖女は、まともな人間では決して到達できない圧倒的な戦闘力を誇る。まさに一騎当千。

 しかし、このパラディンと聖女が、破門された国王を直接攻撃するのかといえば、それは違う。そんな真似をせずとも、国王は勝手に滅びる。


 パラディンと聖女の主な役目は、世界に仇なすモンスターの討伐だ。

 メルディア神聖教を信じる同胞たちが危機にさらされたと知れば、パラディンと聖女が駆けつけ、たちどころにモンスターを滅殺する。

 もちろん、対価を要求するような俗なことはしない。

 ただ「みなさん、お礼としていくらか払ってくださいますね。おおむね、このくらいの金額ですね」と、その地を治める王や領主の耳元で囁くだけだ。


 そして逆に、王が破門されている国には、どれほど強大なモンスターが現われようと、パラディンと聖女が駆けつけることは決してない。

 お礼をいくら積み上げても無駄だ。


 ゴブリンが畑を荒らしたとか、スライムが下水管に詰まったという話なら、その国の兵士だけで対処できるだろう。だが、もっと強いモンスターが現われた場合。

 例えばワイバーンが飛来したとか、あるいはゴブリン・ロードが生まれてしまったとか――。

 神の奇跡を持たない人間だけで戦ったら、どれだけの犠牲を払う必要があるか、考えたくもない。

 ゆえに、破門された王をいつまでも玉座においておくと、モンスターの被害がどこまでも拡大していく。

 大抵は国が滅ぶ前に王が暗殺され、新しい王が前任者の罪を謝罪し、騒ぎが収まる。


 メルディア神聖教は事実上、世界を支配する組織だ。

 そしてこの私、アストリッド・アトリーは、メルディア神聖教の最大戦力たる聖女の一人だった。

 食うにも困る貧乏な家に生まれた私が、聖女候補に選ばれたのは十一歳のとき。本当に幸福だったと思う。売春宿に売り飛ばされたばかりで、これから色々と教育を受けるところだったから。

 おかげさまで私はちゃんとした聖女になり、十八歳の今でも清い体のままだ。

 いい加減、殿方とお付き合いして純潔を散らしたいと思わなくもないけれど。聖女に男がいるとバレたら一大スキャンダルだ。後継者を見つけて引退するまでは我慢するしかない。


 十一歳の幼さで男に体を売るのに比べたら、衣食住が保証されている今は、とても恵まれている。

 メルディア神聖教に問題がないとは言わないが、人々の命を助けて尊敬される職に就けた現状に不満を持つのは贅沢すぎる。


 贅沢すぎるのだが……それでも愚痴りたくなる瞬間は出てくるのだ。


「ノイエ村、でしたっけ? もっと早く私たちを呼んでくれたら、村が壊滅するのを防げたはずなのに。なぜこの国の国王は、村が滅んでから連絡してきたのでしょう? ゴブリンが繁殖すれば、ほかの村や町にも被害が及びます。損をするのは国王でしょうに」


 私は、崩れ落ちた家々を見つめ、やるせない気持ちを言葉にした。

 かつてここには平和な暮らしがあったのだろう。多くの笑顔があったのだろう。

 その痕跡は、村人の腐乱した死体となって残っていた。もう人相も分からない。


「このノイエ村は、猫耳族の村だったそうです。だからあえて報告を遅らせたのかもしれません」


 私の隣に立つパラディンの青年は、無感情に語る。


「……猫耳族は確かに、かつて愚かな魔法師たちの兵士でした。しかし、それは大昔の話。彼ら自身に罪はありません。メルディア神聖教は猫耳族への迫害を禁止しています。まさか国王はそれを知らないとでも?」


「いえ。知っているでしょう。だからこそ自分たちで猫耳族を襲ったりせず、たまたま大量繁殖したゴブリンに虐殺させたのでしょう。証拠はありませんが」


「胸くそ悪い話です」


 私は露骨に不機嫌になるが、隣のパラディンは涼しい顔だ。

 この村の惨状をなんとも思っていない。

 そして大半の人々は、彼と同じ価値観を持っている。

 いくら教義で猫耳族への迫害を禁止したところで、人間の感情はそう簡単に変わるものではない。

 かつて世界の敵に属したという伝承が残る、異形の種族。いくら同じ神を信じていても同胞とは思えない――それが多くの人の考え方だ。

 きっと隣のパラディンは私を、綺麗事を言う小娘とでも思っているのだろう。


 そう私が憂鬱になっていると、ほかのパラディンが二人、駆け足でやってきた。


「聖女アストリッド様、ご報告します。ゴブリンの巣を一つ確認。殲滅に成功しました」


「こちらも一つ、殲滅成功しました」


「ご苦労様です。私たちは三つ殲滅しました。この小さな村の周りに、合計五つの巣……村人たちがどんな想いで暮らしていたかを考えると、心が痛みます」


「さすがはアストリッド様。猫耳族などにもお優しい」


 パラディンの一人が何気なく言った。


「猫耳族、など?」


 私は目を細めて彼を睨む。


「し、失礼しました……」


「……猫耳族も人間です。それを忘れないでください。さて、もっと探しましょう。この短時間で五つも見つかったなら、もっとある可能性が高いです。場合によっては一度、大聖堂に帰還し、応援を呼ぶ必要があるかもしれません。一つでも巣を残すと、そこからアッという間に増えてしまいますからね」


 私はそれ以上彼らと会話するのが嫌になり、またバラバラに行動しようとした。

 それでも必ず一人は護衛としてついてくるのだが、三人ついてくるよりはマシだ。

何日かここで野営してゴブリンを探す。それで狩り尽くせればいいが、殺しても殺しても見つかるなら私たち四人の手に余る。たかがゴブリン相手に応援を呼ぶのは情けないが、そうなるまで私たちを呼ばなかった国王が悪いのだ。


 いずれにせよ、キリのいいところで大聖堂に帰還しよう。

 もうすぐ『プニプニルーキー記念杯』がある。それには間に合うようにしたい。

 プニプニルーキー記念杯とは、スライムレースの新人賞だ。

 新進気鋭のスライムがプニプニ競争している姿は本当に和む。

 そして、ただ和むだけでなく、お金を賭けると血管が千切れそうなくらい興奮できる。


 スライムレースで賭けをするのは合法だ。神官の中にもハマっている者は大勢いる。

 聖女は賭け事をしてはいけないと経典に書いてないし、枢機卿猊下も「息抜きは必要だから駄目とは言えない」と保証してくださった。

 着替えるのが面倒で、白い法衣にシスターベールという一目で聖女だと分かる姿でレース場に行ったときは新聞の記事になり、かなり本気で叱られてしまったが。


 それにしても、チケットを握りしめて目を血走らせた、あの新聞のイラスト……もう少し美化して描いてくれてもよかったと思う。実際にああいう表情をしていたのは確かだが、私は十八歳の女の子なのだ。客席にいるオジサンたちと同じ表情というのは配慮が足りない。

 もっとも、スライムレースファンの間では、あの記事がきっかけで私の人気が上がったらしい。ならばいっそ、レースの開会式で挨拶する仕事など引き受けたらいいかもしれない。聖女として正式な仕事なら、着替えなくても堂々とレース場にいける。素晴らしい思いつきだ。真剣に検討してみよう。


 ――と、その前に、まずは目の前の仕事だ。

 ゴブリンを全滅させても、この村の猫耳族たちが生き返るわけではない。

 それでも無念を晴らしてあげたい……というのは私の自己満足か。


 などと考え、歩き出した瞬間。

 すでに半崩壊していた村の教会が、爆音とともに木っ端微塵に吹き飛んだ。


「馬鹿な、あれはゴブリン・ロードだぞ!?」


 私の隣のパラディンが、瓦礫の上に立つ巨体を見て固まっている。

 無理もない。

 ただのゴブリン討伐だと聞いて来たのだ。

 数が多く、時間がかかって面倒だが、命の危険はない――パラディンにとってゴブリン討伐とは、そういう任務。


 しかしゴブリン・ロードは別格だ。

 まず単純に大きさが段違い。

 普通のゴブリンは総じて小柄。女性である私より頭一つ分ほど小さく、骨格も細い。一匹一匹の力は弱く、大勢で相手を取り囲んだり、罠を設置して誘き寄せたりと、小賢しい戦い方が基本だ。


 一方、ゴブリン・ロードの身長は、成人男性の二倍はある。体格は筋肉隆々で、一見して強いと分かる。現に、石造りの立派な教会を、拳の一撃で平らにしてしまった。

 人相もより凶悪。その威圧感は、覚悟がない者から思考力を奪ってしまうほどだ。私の護衛役であるはずの、このパラディンたちのように。


「呆けないでください! こっちに来ますよっ!」


「――ッ」


 私の声を聞いて、三人はようやく剣を抜き、ゴブリン・ロードに向かっていった。

 速い。さすが腐ってもパラディンだ。少なくとも、そこらの兵士や傭兵では彼らに太刀打ちできない。彼らの身に宿る、身体強化の奇跡のおかげだ。

 女神メルディア様から授かったその力があるがゆえに、パラディンは自分を強者だと思い込める。

 だが、どれだけ体を速く動かせても、どれだけ腕力が強くなっても、結局はそれを上手く扱う技術がなければ宝の持ち腐れ。真の強者とは言いがたい。

 そして私の目から見た彼ら三人は、神様にもらった力に振り回されるだけの素人だった。


 どうやら私は、質の悪いパラディンと組まされてしまったらしい。かく言う私だって、聖女の中では弱いほうだし。


 ゴブリン・ロードは広場に生えていた木を引き抜き、棍棒のように激しくスイングする。

 その動きに三人は反応し切れていない。

 全員まとめて叩き潰され、挽肉になるだろう。


「――氷よ、柱となれ!」


 私は祝詞を詠唱し、腕を突き出す。

 氷を操る。それが私に宿った、第二の奇跡だ。


 地面から氷の柱が伸び、棍棒の軌道を上にそらす。ゴブリン・ロードの力は想像より強く、一撃で私の氷は砕けてしまった。だが三人を助けるのには成功した。

 そしてゴブリン・ロードは渾身の一撃を空振りしたことで、まだ次の動作に移れていない。この隙を突けば、一気に倒せる。

 なのに――。


「ひぃっ!」

「こ、こんな化物と戦うなんて聞いてない!」

「もう嫌だぁ!」


 三人は隙を突くどころか、一目散に逃げてしまった。

 しかも内一人は、信じがたいことに剣を投げ捨てたではないか。

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