やばい女と危ない男

大学生の私は居酒屋のアルバイトを終えて、最寄り駅からアパートまでの帰宅途中のことだったと思う。確か出会いはそんな感じだった。

道幅はあるけれど薄暗く時より気持ちの悪い生暖かい風が、妙に人のため息のような声に聞こえる風音を発しながら吹き抜けてゆく。

そんな路地を歩きながら、もう少しでアパートというところで、ふと、遠くの街路灯の下に赤いコートの女性が俯いて立っているのが視界に入った。

長い黒髪を風に流し、赤いコートに身を包んだ女性だったが、その姿にどことなく違和感があった。


「ねぇ」


街路灯まではだいぶ距離があるというのに、その声は耳元で聞こえたかのような印象を受ける。


「え?」


それに驚いて瞬きをした次の瞬間、目の前に彼女の姿があった。


「ねぇ」


先ほどの声は彼女の声だった。

目の前で見てみれば、まるで宵闇を細く伸ばしたような美しい黒髪、鮮血のような色の赤いコートに同色のハンドバック、血色を失った青白い顔色で、虚な目が私の姿を反射することなく、私をじっと見つめていた。


「はい?」


多少、驚きはしたものの、いつもの通りのとぼけた声で返事をしてしまった。


「私、きれい?」


似合わぬほどに艶かしい声で彼女はそう言った。


一通り上から下まで見てみれば、コートを纏っていても分かるほどに容姿は美しかった。

裾から伸びた足は寒さで赤くなることなく、透き通るほどの白さであり、素晴らしく整った長さであった。しかも、その肌は傷ひとつなく上品な艶が美しい。

 まるでファッションモデルと言っても過言では無いほどの美脚で、これまた、磨かれた赤いピンヒールがさらにその素晴らしい足を際立たせるアクセントとなっている。

袖から出ている両手は艶やかで美しい色白であかぎれ一つなく、そして指先は爪先にいたるまで繊細に整っていた。爪に塗られた赤いネイルは、決して派手さはなく、単色にも関わらず水彩画のような色合いであった。


「ねぇ、私、綺麗?」


彼女がその素敵な声色で再び尋ねてくる。


視線を上げてゆく。腰から胸までの引き締まったボディーラインがコートのベルトを締めていることによってとても強調されており、これも魅力の一つだ。その胸部は厚手のコートを着ているのにも関わらず、スタイルを邪魔をしない程度に主張しており、その体躯の素晴らしい女性らしさを際立たせていた。


「ねぇ、聞いているの? 私、綺麗?」


再び同じ口調で彼女が尋ねてくる。


首を曲げてこちらを覗き込んでくる彼女のうなじが妙な色香を醸し出しており、その上の顔はマスクで覆われているものの、見目麗しい顔立ちであってとても可愛らしくも見え、また、とても凛々しくも見える、なんとも言い難く、あえて言い表すならば雛人形の女雛のようでもあった。


「綺麗ですよ」


私は素直にそう言った。こんな素敵な女性は生まれて初めて見たと思えるほどその姿は美しい。歩く美術品のようにも思えてしまうほどだ。


「これでぇもぉ?」


彼女がマスクを取った。口元が耳の辺りまで裂けていた。

真っ赤な口腔内に白い歯が歯並び良く並んでおり、そして、笑みを湛えると色白の顔と対照的にテラテラと肉質の色のある口の中が見えるのだが、それがひどくアンバランスなのだけれども、私にとってそれはなんとも妖艶な美しさに思えた。


「ええ、綺麗です」


その虚な目をしっかりと見つめて私が告げると途端に彼女は笑みを引き攣らせた。


「こんなでぇもぉ?」


「ええ、綺麗ですよ」


「こんな口でもぉ?」


「ええ、とっても素敵で綺麗ですよ」


言ったところで突然に彼女の表情が般若へと変化した。


「嘘をつくな!」


ハンドバックから金属の閃光が閃いて私の頬を撫でていくと、痛みが走って温かいものが流れてきた。


「私、綺麗?」


「ええ、綺麗です!」


「嘘をつくな!どこが綺麗か言ってみろ!」


再びその手が反対側の頬を撫でて切り裂いていく、私は目の前の女と同じように両頬を切られて赤い血を滴らせていたが、その刃を振るう彼女の姿もまたとても素敵であった。


「しっかり聞けよ!」


あまりにも彼女が信じてくれそうになかったので、私は彼女にぴったりと張り付くようにくっつき、目と鼻の先に顔を近づけ、しっかりと目を見据えて大声で彼女の美しさと素晴らしさを褒め称えた。途中まで言ったところで彼女が顔を真っ赤にして視線をずらそうと顔を動かしたので、私は自分の両手でその美しい顔を包み込んで視線を合わせて、再びその美しさを徹底的に解いた。

大体30分くらい経った頃であろうか、彼女が私の両手を引き剥がすと、真っ赤な顔をしたままその場へと顔を隠すように座り込んでしまった。


「私・・・綺麗・・・」


再びそんなことを言ったので、私はその場に同じように座り込むこと、彼女の耳元で再び綺麗であることを小一時間ほど再び解いた。


「私・・・きれ・・・」


涙声でそんなことをまだ言ったので、私は再びその耳元で語り尽くせぬ美しさを更に褒め称えた。それでも彼女は涙を流した顔で同じようなことを聞いてきたので、私は呆れ果てると、彼女の手を引っ張ってアパートへと連れ込んだのだった。

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